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すっかり肌寒くなってきて、冬らしくなってきた頃。
今日はやけに体がだるい。
そう思いながらも、黒板に目をやって板書する。
チョークの粉が指につく感覚さえ、いつもより遠い。
手にあまり力が入らなくて、
持っていたペンを机の下に落としてしまった。
乾いた音が、やけに大きく聞こえる。
拾おうとして体を屈めると、
一足先にまなとがペンを拾ってくれた。
「大丈夫? なんか体調悪そうだけど」
わたしにだけ聞こえる声。
心配そうに、少し眉を寄せて見つめてくる。
『わかんない……体がだるくて、』
言葉を探すのも億劫で、
うまく説明できないまま、短くそう答えた。
次の瞬間。
「先生、〇〇体調悪いみたいで。
保健室連れてってもいいですか?」
なんの躊躇いもなくそう言って、
わたしの腕を引く。
反論する暇もなく、
そのまま教室を出て、保健室へ向かった。
⸻
まなとside
授業中、
やけに辛そうな〇〇の様子が気になって、
先生の説明が右から左へと流れていく。
視界の端で、何度も〇〇の顔を盗み見る。
顔色も、動きも、いつもと違う。
——声、かけたほうがいいよな。
そう思っていた矢先。
手に握っていたペンが、
音を立てて床に落ちた。
屈んで拾おうとする〇〇より、一足先にペンを取る。
「大丈夫? なんか体調悪そうだけど」
そう声をかけると、
『わかんない……体がだるくて、』
返ってきたのは、
言葉を絞り出すみたいな、弱々しい声。
その一言だけで、
胸の奥がざわっとする。
目の前の辛そうな〇〇を、
これ以上見ていられなくて。
「先生、〇〇体調悪いみたいで。
保健室連れて行ってもいいですか?」
考えるよりも先に、口が動いていた。
⸻
*
〇〇の手を掴んで教室を出る。
その手は、驚くほど冷たかった。
『ごめ……まなと、』
か細い声が聞こえて、足を止める。
「無理に話さなくていいから。歩ける?」
少し進んだところで立ち止まり、
〇〇の目線に合わせて屈む。
頬は赤いのに、
目は少し潤んでいて、焦点が合っていない。
——あ、これ、やばい。
今にも倒れそうなその姿に、
背中を冷たいものが走る。
「歩けなさそうだね。ちょっと待って」
そう言って、
着ていた制服のブレザーを脱ぎ、〇〇の体を包み込む。
抱き上げた瞬間、
シャツを掴む手に、ぎゅっと力が入った。
『さむい……』
小さな声と一緒に、
微かに震える体。
抱えている腕が、無意識に強ばる。
「寒いよね。もう少しだから」
自分に言い聞かせるみたいに、そう言った。
少し小走りになりながらも、
腕の中の〇〇を、割れ物みたいに慎重に抱える。
絶対に落とさない。
絶対に、何も起きさせない。
そう心の中で繰り返しながら、
足早に保健室へ向かった。
*
保健室のドアを開けると、
消毒液の匂いと、しんとした静けさが広がっていた。
「失礼します」
少し強めにそう言うと、
保健の先生がこちらを見て、すぐに状況を察したように立ち上がる。
「どうしたの?」
「急に体調悪くなって。寒気もあるみたいで……」
説明しながらも、
腕の中の〇〇から、どうしても視線を離せない。
さっきよりも、体の力が抜けている気がした。
「じゃあ、ここに寝かせてあげて」
促されるまま、ベッドの横へ向かう。
ゆっくり、慎重に体を下ろすと、
〇〇は小さく息を吐いて、そのまま目を閉じた。
ブレザーをかけたまま離れようとした、その瞬間。
シャツの裾が、きゅっと掴まれる。
『……まなと』
ほとんど音にならない声。
それだけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
「大丈夫。ここにいるよ」
そう言って、そっと手を重ねる。
冷たい指先が、わずかに動いた。
先生が体温計を差し出しながら言う。
「少し熱あるね。たぶん無理してたんでしょ」
その言葉に、思わず唇を噛む。
——気づいてたはずなのに。
「少し横になって、落ち着くまで休ませるね」
「……お願いします」
ベッドの横に立ったまま、
毛布を整えながら〇〇の顔を見る。
眠っているのか、意識が浅いのか、
まつ毛が微かに揺れていた。
『……ごめんね』
ふいに、また小さな声。
「謝んなくていーよ」
即答だった。
「無理しすぎるの、知ってるし」
……昔から、そうだったから。
自分でも驚くくらい、低くて静かな声だった。
〇〇は何か言おうとしたのか、
少しだけ口を動かして、
けれどそのまま、力が抜ける。
呼吸が、少しずつ整っていく。
その様子を見て、
やっと胸の奥に溜まっていたものが、静かにほどけた。
椅子に腰を下ろして、ベッドの横に座る。
念のため、離れすぎない位置。
目を覚ましたとき、
一番最初に視界に入る場所。
——それでいい。
窓の外では、
冬の始まりみたいな冷たい風が、校舎のどこかを鳴らしていた。
⸻
*
中学三年の春頃。
まだ校庭に桜が残っていた、あの時期にも、
今日とよく似たことがあった。
『ごめん……まなと。
勉強、しなきゃなのに』
今みたいに、
保健室のベッドで横になった〇〇が、そう言った。
「気にしなくていいって……」
そう返しながら、
顔色をうかがう。
「それより、寒くない? 大丈夫?」
布団をかけ直そうとした、そのとき。
『じゃあ……もう少し、ここにいてよ……
起きたとき、まなといないとやだから』
か弱い声で、
必死におれの手を掴んで、そう伝えてきた。
昔から、体調を崩すとこうなる。
極限まで我慢して、
結局、おれがそれに気づく。
もう何度も、この状況を繰り返してきた。
だから、慣れている……はずだった。
「うん。起きたときも、ここにいる」
そう言って、
逃げ道みたいに言葉を選んだ。
「だから、今は安心して寝て」
けれど。
どうしても、この弱った声や、
少し潤んだ瞳で見上げられると、
幼なじみとしての距離を、保つのが難しくなる。
それでも。
〇〇の傍に、
いちばん近くにいられるんだったら。
幼なじみでも、なんでもいい。
そう思い込まないと、
ここにはいられなかった___。
*
『……まなと』
名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。
ベッドの上で、
〇〇がゆっくりと目を開けていた。
さっきまで眠っていたからか、
それとも体調がまだ戻っていないからか、
視線は少しとろんとしていて。
ぼんやりと、それでも不安そうに、
まっすぐこっちを見ている。
「起きた?」
声を落としてそう聞くと、
〇〇は小さく、こくりと頷いた。
『ここ……保健室だよね』
一拍置いて、
思い出すように視線を泳がせてから、続ける。
『……運んでくれたの?』
「うん」
短く答えてから、
少しだけ間を置く。
「体調、かなり悪そうだったし」
「……正直、心配したよ」
そう言うと、
〇〇は毛布を胸元まで引き寄せて、
視線を逸らした。
「昔から変わらんね。」
苦笑しながら、静かに続ける。
「無理しすぎ」
その言葉に、
〇〇は少しだけ肩をすくめた。
『……まなとなら』
ぽつりと、
独り言みたいに呟いて。
『無理しすぎても、助けてくれるでしょ』
そっぽを向いたまま、
でも、どこか確信めいた声。
その横顔から、
目が離せなくなる。
——ずるい。
そんな言い方されたら。
胸の奥で、
自分の鼓動がやけに大きく響いていた。
返す言葉が見つからなくて、
ただ、息をひとつ整える。
*
シャッ、という音と一緒に、
保健室のカーテンが開いた。
「体調どう?」
「今日は早退する?」
保健の先生の問いかけに、
〇〇は少し困ったような表情で黙り込む。
「今日は帰ったほうがいいと思います」
迷っている〇〇の代わりに、
自然と口が動いていた。
「熱、まだ下がりきってないし」
〇〇は一瞬こちらを見て、
それから小さく頷く。
『……うん』
どこか名残惜しそうで、
それでも逆らえないみたいな声。
「ひとりで帰れそう?」
その問いに、
〇〇はすぐに答えられなかった。
——ああ、やっぱり。
きっと、
ひとりが心細いんだ。
昔からそうだった。
「おれも、一緒に帰るよ」
考えるより先に、
はっきりそう言っていた。
『え……でも』
驚いたように目を丸くして、
〇〇がこちらを見る。
『まだ授業あるでしょ?』
「大丈夫」
肩をすくめて答える。
「このあとの時間割、出なくても影響ないし」
少し間を置いて、
念を押すように付け足す。
「それより、〇〇のほうが大事」
『……ごめんね』
力のない声で、
素直にそう言われて。
胸の奥が、少しだけ締めつけられる。
——よっぽど、辛いんだな。
「気にしなくていいって」
そう言って、
いつもより少しだけ優しく笑う。
「荷物、取ってくるね」
保健の先生に軽く頭を下げて、
教室へ向かう。
背中越しに、
〇〇の気配を感じながら。
——昔と同じことをしてるはずなのに。
同じ距離で、
同じように世話を焼いてるはずなのに。
今はもう、
それだけじゃ済まない気がしていた。
*
教室に戻ると、昼休み中らしく、特有のガヤガヤした声がよく聞こえた。
ふざけ合う声や笑い声があちこちから響いてくる。
〖まなと、帰んの?〗
男友達に軽く聞かれる。
「うん、〇〇も早退するから。
先生になんか言われたら、伝えといて。」
自分の荷物と〇〇の荷物を片付けながら、目も合わせずに答える。
〖〇〇ちゃん、体調悪そうだったもんなー。〗
不意に言われて、手が一瞬止まる。
「そうだね、だいぶ無理してたみたい。
でも、おれがいるし大丈夫だと思うよ。」
少し声が強くなる。
〖なら安心だわ。お大事にって伝えといて!〗
「うん、じゃあまた。」
そう言い、足早に教室を出た。
保健室に戻ると、〇〇はベッドからドアの近くのソファーに移動していた。
「親御さんには連絡したから、もう帰って大丈夫だよ。」
保健の先生にそう言われて、
「ありがとうございます」と声をかけ、外に出る。
*
外に出ると、すっかり冬らしくなって、風が冷たくなってきた。
『あ、まなとかばん。』
腕を伸ばして、おれの手に触れてくる。
「持つよ、それよりはい。」
ポケットに入っていたカイロを渡す。
「手、めっちゃ冷たかったから。これ持ってな。」
『ありがとう…。』
少し名残惜しそうに、小さく笑う。
抵抗する力も出ないぐらい、まだ辛いんだろう。
⸻
車通りの多い交差点で信号が赤に変わる。
「〇〇、赤だよ。」
ふらつく〇〇の手を、思わず握る。
『わたし、そんなに子どもに見える…?』
少ししかめた顔に、思わず頬が緩む。
「ふらついて危ないと思っただけ。
子ども扱いじゃないから、拗ねないで。」
『なんか、まなとは大人びたよね……。ずっと一緒にいるのに、どんどん遠くなってくみたいで。』
寂しそうに目を細め、握る手に力が込められるのがわかる。
『……なんか、さみしいかも。』
俯く〇〇に声をかける。
「遠い存在だったら、こんな看病しないよ。
熱あるから不安になっちゃった? 」
『めんどくさいよね…ごめん。』
へにゃっと笑いながらそう言ってくる。
「めんどくさくないよ。謝らなくていい。」
*
しばらく歩いて、家の前に着く。
「着いたね。家、誰かいるの?」
『まだ帰ってきてないと思う。』
「じゃあ、ちゃんとベッド入るまで見届ける。」
少し明るくなった顔で、
こっちを見上げる〇〇。
『ありがとう…。あ、鍵、かばんに入ってると思う。』
そう言いながらかばんを漁っているけど、なかなか鍵は出てこなくて。
『まなと……鍵、忘れた。』
この世の終わりかのような顔で言われ、少し笑ってしまう。
「いつ帰ってくるか分かんないよね…。
じゃあ、おれんち来なよ。さすがにほっとけないし。」
手を差し伸べると、〇〇は小さく頷いた。
『ほんと、ついてない…ありがとう。』
*
玄関の鍵を閉め、そのまま部屋へ案内する。
「横になった方が楽だから、ベッド使いな。」
ベッドに軽く視線をやって、当然のことみたいに言う。
『うん、ありがとう』
そう返しながら、迷いもなくベッドに潜り込んでいく。
――ここが、安心できる場所だって知ってるみたいに。
「水、持ってくるね。」
少しだけ息を整えたくて、理由をつけてその場を離れる。
背中でドアが閉まる音がして、部屋に静けさが落ちた。
〇〇side
見慣れた天井をぼんやりと見上げながら、ふと思う。
『……なんで、こんなに優しいんだろ』
まなとは、誰が見ても優しい人だ。
困っている人を放っておけなくて、近づきすぎない距離感もちゃんと分かってる。
その優しさを、いちばん近くで、何度も何度も実感してきた。
だからこそ、
時々……少しだけ、ずるいと思ってしまうこともあった。
それでも、自分の気持ちには気づかないふりをしてきた。
この関係が壊れるのが怖かったから。
今まで通りでいられなくなるのが、何より怖かったから。
そんなことを考えていると、
まなとの部屋のドアが、音も立てずに開く。
思わず視線を向けてしまって、数秒、目が合う。
「薬飲むためになんでもいいから口にして。」
何事もなかったみたいな声で言う。
「そんなに食べられないだろうけど、
何も食べないよりはましだから。」
そう言って差し出されたのは、イチゴ味のゼリーだった。
――そういえば。
昔、まなとの家族と一緒にショッピングに行ったとき。
お子様ランチのデザートがゼリーで、
私のはリンゴ味、まなとのはイチゴ味だった。
『イチゴ味が一番好きなのに……!
いいなぁ、まなと。』
子ども特有の、素直すぎる不満。
「じゃあ、交換しよ。
おれリンゴも好きだし、いいよ。」
あの時の、迷いのない声。
それ以来だ。
まなとが用意してくれるゼリーは、いつもイチゴ味。
意識してるのか、してないのか。
分からないけど、こうして体調を崩すたび、思い出してしまう。
「ぼーっとしてたら落とすよ。」
その声に、肩がびくっと揺れる。
「なんか考え込んでる顔してたけど、どうしたん?」
少しだけ身をかがめて、覗き込んでくる。
『……まなとが買ってきてくれるゼリー、
いつもイチゴ味だなって思ってさ』
なるべく何でもないみたいに、そう答える。
「〇〇、イチゴ味好きやろ?
昔、それでめっちゃ怒ってたから。」
即答だった。
『覚えてたんだ……』
思わず、声が少し大きくなる。
「そりゃ覚えてるよ。
あんな全力で怒られたら忘れんよ。」
くすっと笑われて、恥ずかしくなって俯く。
『……もう、食べられないかも』
逃げるみたいに言って、ゼリーを差し出す。
「じゃあ薬飲んで、もう寝な。」
ゼリーの蓋を閉めながら、嫌な顔ひとつせず準備してくれる。
『まなと……寝るまで、ここにいる?』
熱のせいで、言葉を選ぶ余裕がなくなる。
少しの沈黙のあと、
「うん。
起きたときもここにいるから、 大丈夫。」
そう言って、布団を掛け直してくれる。
「寒くない?」
首を横に振ると、
「なら、よかった。」
電気を少しだけ落として、部屋を暗くする。
視線を動かすと、
ベッドのそばに寄りかかって、スマホを見ているまなとの姿があった。
――ちゃんと、ここにいる。
その事実に胸の奥がゆるんで、
安心するみたいに、ゆっくり目を閉じた。