俺の正体が分かった途端に硬直してしまい焦ったが、何とか持ち直してくれたようだ。最初に見た時から思っていたけど、リズ・ラサーニュはしっかりした子だな。
彼女はどこまで知っているだろうか。箝口令のようなものが出ていれば、俺に対してでも口を開いてくれないかもしれない。俺が知りたいのはジェムラート家で何があったかだ。クレハが王宮に足止めされてしまう事に至った経緯と詳細……。父上の話をそのまま信じるならフィオナ嬢の様子が突然おかしくなり、原因も分からず病の可能性もあるからということだったが……
病にかかったせいでの豹変なら大事だが、そうだとしても人に感染るようなものではないだろう。もしそんな病が蔓延しているのなら、もっと騒ぎが大きくなっているだろうし、行動を共にしていた宰相の息子に特に変化は無いことからも可能性は低い。病云々はクレハを王宮へ留める事に、説得力を持たせようとしたが故の方便だと思っている。やはり俺は、このフィオナ嬢の異変にクレハが関わっているような気がしてならない。思い過ごしならそれでいいのだけれど。
「俺が君と話をしたかったのは、セドリックから君のことを聞いていたからなんだよ。クレハととても仲が良いらしいね」
「父がジェムラート家で料理長として働いておりまして……それで私もよくお屋敷にお邪魔していたんです。クレハ様はそんな私に気さくに声をかけて下さって、それから一緒に遊ぶようになったのです」
「料理長っていうと……『オーバンさん』か? 君は娘さんだったんだな」
「殿下は父をご存知なんですか?」
「クレハから教えて貰ったんだ。クレハの筋トレ最終目標は君のお父上を横抱きに抱えることらしい。お姫様抱っこってやつだな」
今思い出してもおかしい。クレハは真面目に言っているみたいだから笑うとまた怒られてしまうな。でも怒った顔も可愛いから、ついからかいたくなってしまうのだ。
「父は結構ガタいが良い方なんですけど……」
「らしいね。でもクレハは本気だよ」
「もう、クレハ様ったら……父が聞いたらどんな顔するか……」
多少なりとも緊張は解れただろうか。気丈に振る舞ってはいるが、女の子1人でこの状況は心細いだろうに……いくらセドリックと面識があったとはいえなぁ。俺もできるだけ威圧的にならないようにしないと……
「父もクレハ様をとても心配しております。お元気だと分かったら安心するでしょう」
「あんな事があって、クレハは家に帰れなくなってしまったからな。あの子にはまだ本当の理由は告げられていないんだ。俺の都合で滞在を延ばされたと思っている」
「そうなのですか……」
リズの表情が変わった。やはり彼女は何か知っているようだな。
「私達使用人にも口外するなとお達しが出ております。内容が内容なので当然なのですが」
ああ、予想通り口止めされていたか。となると……このままリズと上手く話を合わせ、俺が全て事情を把握していると思わせながら、どれだけ情報を引き出せるかな。
「俺も驚いたよ……まさかこんな事になるなんてと」
「殿下はフィオナ様とは面識がお有りなのですか?」
「交流と呼べるほどのものは無いよ。会話も挨拶程度しかした事ない。だが、彼女の評判は知っていたからね」
「殿下、どうか誤解なさらないで下さい。クレハ様は何も悪くありません。あの方はお優しくて……とても素敵な方です」
……危なかった。リズから何を言われても平常心でいられるように身構えていたのだが、それでも動揺が顔に出そうになってしまった。俺の勘が当たっていたようだな。クレハがこの件に深く関与しているのは間違いない。よし、もう少し踏み込んでみるか。
「君は今よりずっと幼い時から、あの姉妹の側にいたのだろう? 君の目には此度の出来事はどう映る。どんな印象を受けたか教えて欲しい」
「私は……他の皆さんほど驚きはしなかったです。フィオナ様があそこまであからさまに態度に出されるとは思いませんでしたが」
「それは、例の癇癪を起こして暴れたという話だな」
「はい。フィオナ様がクレハ様の婚約を許せないと思われるのは分かっていましたが、まさかあんなに取り乱されるなんて……」
「何!?」
「えっ……?」
「あっ、いや……」
フィオナ嬢の豹変の理由が俺とクレハの婚約だと? どういうことだ。俺は平静を取り戻すために軽く咳払いをして改めてリズに向き直る。
「さっき言った通り、俺はフィオナ嬢とはあまり関わりが無いからな。そこまで反対される理由に見当がつかないんだ。彼女が何故、俺とクレハの婚約に否定的なのか君には分かるか?」
「それは……」
「心配するな。ここで君に聞いた話は一切他言しない。もちろんクレハにもな。俺とセドリックの胸の内だけに留めておくから、心当たりがあるなら教えて欲しいんだ」
リズはまだ迷っているようで視線をあちこちに彷徨わせながら、口を開いたり閉じたりを繰り返している。
「じゃあ、言い方を変えよう。君から見てフィオナ嬢はどんな方だ? 友人の姉に対する個人的な印象を話すなとは言われていないだろ」
「あのっ……殿下」
「ん?」
「お答えする前に……私も殿下にご無礼を承知でお聞きしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、何だ。言ってみろ」
「どうしてクレハ様を殿下の婚約相手としてお選びになったのですか? 他にも候補の方はいらっしゃったと聞いております。その中で何故クレハ様を……」
何を聞かれるのだろうと思ったら……そうか、俺がクレハに懸想して、婚約を半ば強引に結ばせたのをリズは知らなかったんだな。
「ごっ、ごめんなさい! 困りますよね、こんな事を聞かれても……。クレハ様との婚約は殿下がお決めになった事ではないでしょうに……」
彼女は慌てて謝罪をし、俯いてしまった。クレハやリズからしたら今回の婚約は寝耳に水。公爵は候補に上がっていた事さえ伝えていなかったらしいから無理もないな。リズの表情からはクレハの事を心配しているのが痛い程伝わって来た。恐らく、友人とはいえ使用人見習いでしかないリズをわざわざ呼び出し、尋問紛いな事をしている俺の真意を測りかねているのだろう。リズのこの問いかけに俺は偽りなく真摯に答えなければならないな。
「君の周囲の人間がどんな風に言っているかは知らんが……まずはひとつ訂正させてくれ。クレハとの婚約を決めたのは俺自身だ。そして選んだ理由も単純明快。好きだからだよ」
「好き……殿下がクレハ様を……?」
「ああ。一目惚れと言ったら君は信じられるか? 俺はね、たまたまこの店を訪れたクレハを見て一瞬で恋をしたんだ。自分でも驚いたんだよ。こんな事ってあるんだね」
どんな手を使ってでも手に入れたいと思った。だから早急に、彼女を俺の正式な婚約者として定めたのだ。元々候補の1人ではあったから、そこまで難しいことではなかった。クレハへの想いは日に日に強くなる一方だ。我ながら空恐ろしいと思う。あの子のためなら俺はきっと何だってできてしまう。
「あの子の姿を視界に入れ、声を聞いた瞬間に自分の中に湧き上がった強烈な感情……あの時の衝撃は忘れられない。胸が締め付けられるような苦しくて切ない、そしてそれ以上の歓喜と高揚。好きだ、愛おしい、守りたい、側にいたい……俺はあの子を絶対に誰にも渡さない」
リズの顔を真っ直ぐに見つめてクレハへの想いを告げる。俺の真剣な気持ちが伝わるように……。クレハの親しい友人で、クレハに対しても影響力のあるであろう彼女には正しく理解していて欲しかった。
「レオン様……目が怖いです。リズさんも引いてますんで、その辺で……」
セドリックが溜息混じりに俺達の会話に割って入って来た。包み隠さず本心を伝えたつもりだったが、少々熱が入り過ぎていたみたいだ。リズは圧倒されてしまったのか、さっき俺の正体が分かった時と同様に固まっていた。
「リズさん。レオン様のクレハ様に対する想いは気持ち悪いくらい熱烈なので、そこは私も保証します。レオン様が今、この場であなたに直接対峙しているのも、ひとえにクレハ様を想うが故……。今回の事で万が一にでもクレハ様が危険な目に合ったりなどしないよう、独自に調べておられるからですよ」
おい……セドリック、俺の真剣な想いを気持ち悪いとはどういう了見だ。リズはセドリックの言葉を聞くと、安心したように息を吐いた。
「……殿下とセドリックさんはクレハ様の味方なんですね」
ぼそりと呟かれた言葉は小さくて聞き取れなかった。しかしその直後、リズの表情からは迷いが消えていた。
「殿下、先程の質問にお答えします。ですが、フィオナ様本人がそう仰っていたわけではありません。これから話す内容は、あくまで私の想像でしかありませんがよろしいですか?」
「ああ、構わない」
リズは瞳を数秒閉じてから、意を決したようにゆっくりと話し始めた。
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