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🌙瑠海🎧@ひまがく
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第八章 精霊召喚の儀 ~凡霊に隠されし神の力~
一、校長の新たな試み 精霊とは何か
猫世話部に入部してから、一週間が過ぎた。
高木暸にとって、この一週間は本当に天国のような日々だった。朝はゆっくり起きて、Fクラスで雫の冷たい授業をボーッと聞きながら眠り、放課後になれば古びた部室で二十匹以上の猫たちに囲まれて過ごす。餌をやり、毛づくろいを手伝い、ただひたすらに猫のゴロゴロ音を聞きながら日が暮れるのを待つ。部長の緑川翠は物静かで必要以上に干渉してこないし、副部長の森下ひまわりは明るくて猫の話題でいつも盛り上がってくれる。誰も彼のFランクを馬鹿にすることもなければ、能力のことを詮索することもない。
翠は時折、物思いに耽ったような瞳で暸を眺めることがあったが、それ以上踏み込んでくることはなかった。猫たちが暸に異常なほど懐くことについても、「君は猫が好きなのが、心から伝わるんだわ」と微笑むだけで、深くは追求しない。暸としては、これ以上の理想的な環境はないと、心の底から満足していた。
そんなある日の朝。
校内のスピーカーから、いつもの穏やかだがどこか悪戯っぽい天城蒼校長の声が流れた。
「――全校生徒、教職員の皆さん。おはようございます。本日は、この天叢雲学園の歴史に新たな一ページを刻む、画期的な試みを発表いたします。来る週末、私が特注で設計した魔法陣を用いて、全校生徒対象に『精霊召喚の儀』を執り行うことに決定いたしました!」
会場は一瞬、どよめいた。精霊召喚――その言葉は、能力者の世界でも古くから伝わる伝説的な儀式であり、近年では殆ど実施されることのない、極めて特殊なものだった。
暸はFクラスの机に突っ伏しながら、半分寝たままの頭を少しだけ上げる。
「…精霊召喚? なんだそりゃ、まためんどくさいイベントが始まるのかよ…」
教壇に立つ白銀雫も、思わず眉をひそめていた。白金の髪をかきあげながら、碧色の瞳に驚きと疑問が宿る。彼女は財閥令嬢として、あらゆる秘伝の儀式についても知識を持っていた。精霊召喚がどれほど危険で、どれほど貴重なものか、彼女はよく知っていたのだ。
校長の声は続く。
「まず、精霊について簡単に説明いたしましょう。精霊とは、我々人間の能力や魂、そして潜在意識に深く結びついた、別次元の存在です。人それぞれに、相性の合う精霊が必ず一人存在し、儀式によってその絆を結ぶことができれば、二人は互いに力を高め合う最高のパートナーとなります。」
「――ただし、注意点もあります。もし召喚された精霊があなたよりはるかに強大な存在であった場合、逆にあなたの方が精霊の眷属として従属する可能性もゼロではありません。ですから、この儀式は自分の実力と心に自信のある者だけが、真剣に臨むべきものなのです。」
会場から、緊張のどよめきが広がる。友達になれるか、それとも自分が奴隷になるか――そんな紙一重の儀式に、誰もが身震いした。
「次に、精霊の強さのランクについてです。大きく分けて全部で5段階あります。」
大型スクリーンに、ランク分けの一覧が表示された。
【精霊強度ランク 全5階級】
1. 第1階級・神霊級:神話や伝説に登場するような、天地を揺るがす力を持つ精霊。千年に一度現れるかどうかの、最も希少な存在。召喚できれば、その力はZランクをも凌駕すると言われる。
2. 第2階級・聖霊級:天使や聖獣、古代の英霊など、正義と秩序を象徴する強大な精霊。Zランク~Sランク上位の実力者が稀に召喚できる。四天王クラスが相応する。
3. 第3階級・英霊級:歴史上の英雄や強力な幻獣など、一騎当千の力を持つ精霊。Sランク~Aランク上位の生徒が主に召喚する。
4. 第4階級・精霊級:一般的な精霊や、比較的強い動物・自然の精霊。Bランク~Dランクの生徒が召喚することが多い。
5. 第5階級・凡霊級:弱い精霊や、普通の動物、小さな自然の精霊など。殆ど戦闘力はなく、ただ一緒にいてくれるだけの存在。Eランク~Fランクの生徒が召喚するのが殆ど。
「今回の儀式は、全生徒強制参加です。自分の精霊と出会い、互いの力を知り、これからの学園生活をより豊かなものにするための、絶好の機会ですからね。――さあ、週末に控えた儀式に向けて、各自心の準備をしておいてください。」
放送が終わると、Fクラスの教室は暸一人だけなのに、妙にどよめいたような空気に包まれた。暸は大きなため息をつき、机に顔を埋める。
「はあーあ。まためんどくさいのが来たわ…精霊だの召喚だの、俺には全く関係ないのに…強制参加だって? どういうことだよ、この学園は生徒の平穏を侵害することにかけては天才なのか?」
彼は頭の中で、儀式のことを色々と考え始めた。まず、何が一番問題か? そうだ、俺の本当の力に相応しい精霊が出てきたら、それこそ一発で正体がバレる。神霊級なんてものが出てきた日には、生徒会も四天王も校長も、そして世界中の政府までが群がってくるに決まっている。
(どうしよう…。適当に手加減して、凡霊級のどうでもいい精霊を出せればいいんだけど…校長特注の魔法陣って、そう簡単には改竄できないのかな?)
暸はぼんやりと黒板を眺めながら、自分の能力の使い方を思い巡らせる。概念干渉――この世界のあらゆるルールを書き換える力。魔法陣のルールだって、書き換えようと思えばいくらでもできるはずだ。
(よし。作戦はこうだ。儀式の時、俺の番が来たら、魔法陣の「召喚者の能力に相応した精霊を呼び出す」という概念を、「召喚者が望んだ通りの精霊を呼び出す」に書き換える。そして俺は、心の底から「一番普通で、一番弱くて、誰も振り向かないような、可愛い猫の精霊がいい」と願えばいい。そうすれば、誰も疑わない。Fランクの俺が凡霊級の猫の精霊を呼び出したって、「ああ、やっぱりね」で終わる話だ。)
暸はにっこりと笑みを浮かべる。
「これで完璧だ。誰にもバレないし、むしろ猫の精霊が一緒にいてくれるなんて、むしろラッキーすぎるくらいだわ。猫世話部で猫と一緒にいて、寮でもどこでも精霊の猫と一緒にいられる。最高だな!」
彼の頭の中では、既に儀式の成功シミュレーションが完了していた。
二、各陣営の思惑 ~召喚への期待と不安~
放課後の生徒会室。
神無月凛を中心に、四天王の四人が集まっていた。机の上には、校長が発表した精霊召喚の儀式に関する資料が広げられている。
「精霊召喚の儀か…。伝説では聞いたことがあるが、実際に大々的に実施するなんて、校長先生は本当に何を考えているのか分からないわね。」氷室雪菜が腕組みをして、眉をひそめる。
御手洗叡智がタブレットを指で滑らせながら、冷静に分析する。
「メリットは大きい。精霊との絆が結べれば、能力の相乗効果で実力が数段階上昇する可能性がある。特に我々Zランクにとっては、聖霊級以上の精霊が現れれば、校長先生にすら勝てる可能性が出てくる。」
「ハハハ! そうだろ! 俺はきっと、伝説の闘神みたいな男前の精霊を呼び出してやる! そして二人で、世界中の強敵と戦いまくるんだ!」黒鉄剛が拳をガシガシと鳴らして、やる気満々だ。
天宮詩織がぴょんぴょんと跳ねながら、夢見心地で言う。
「私はね~、可愛いお姫様みたいな精霊がいいな~! お花がいっぱい咲いて、一緒にお茶会ができるような、すごく可愛いの! きっと私の幻覚と一緒に、もっともっと素敵な世界を作れると思うの~!」
最後に神無月凛が、静かに資料に目を落としながら、低い声でつぶやく。
「…だが、校長先生がこの儀式をわざわざ導入したのには、何か別の目的があるはずです。ただ生徒たちの実力を上げるためだけではない。――もしかしたら、あの『真の最強』の存在を炙り出すための、もう一つの罠なのかもしれませんわ。」
彼女の黒い瞳が、鋭く光る。
「あれほどの力を持つ者が精霊を召喚すれば、必ずや神霊級、あるいはそれ以上の存在が現れるはずです。その瞬間を捉えれば、正体が一発で分かります。校長先生は、それを狙っているのでしょう。」
「なるほど…! だとしたら、我々は儀式の全ての様子を、一人残らず監視する必要がありますね。」御手洗が眼鏡を押し上げる。
「そうよ。どんなに上手く隠していても、精霊だけは嘘をつかない。絶対に、あの人物を見つけ出してみせるわ――。」
凛の指が、資料の「神霊級」の文字を、強く押さえつけた。
一方、教師室の自分の席で、白銀雫は一人、精霊召喚の資料を読み耽っていた。彼女の机の引き出しには、今でもあの布切れが大切に保管されている。
(精霊召喚の儀…。もし、あの人がこの学園にいるのなら、きっとこの儀式で彼の精霊はとんでもないものになるはず…。)
彼女は自然と、頬が少しだけ赤らむ。乙女の妄想が、再び頭の中に広がっていく。
(もし彼が神霊級の精霊を召喚したら…それはきっと、光に包まれた、とても大きくて優しい竜とか、あるいは伝説の天使とか…。そして彼はその精霊と共に、私の前に現れて、「ずっと探してくれてたんだね」って言ってくれるの…。私も、私だけの精霊を召喚して、彼の精霊と並んで戦うの…。二人と二人の最強のペア…。きっと、誰にも引き離せない絆が生まれるわ…。)
「きゃああ…!」
雫は思わず両手で熱くなった頬を覆い、小さく悶える。周りの教師たちが「?」と不思議そうにこちらを見るが、彼女は慌てていつもの冷徹な仮面を取り戻し、咳払いを一つする。
「…くそっ。またこんな子供じみた妄想を…。だけど…もし本当に…。」
彼女は資料の「神霊級」の文字を、愛おしそうな瞳で見つめる。
「私は絶対に、あなたの精霊を見逃さないわ。どんなに小さな気配でも、どんなに上手く隠されていても――私の目は、あなただけを追い続けているのだから。」
そして、学園の一番奥の古びた部室では、猫世話部の三人が猫たちに囲まれながら、儀式の話題で盛り上がっていた。
「精霊召喚だってー! わー、楽しみ! 私はきっと、お花の精霊とか、可愛い小鳥の精霊が来るといいな~! みんなで一緒にお花畑を作りたいの!」森下ひまわりが目をキラキラさせて、両手を組む。
緑川翠は、膝の上で眠る白猫の頭を優しく撫でながら、静かに微笑む。
「私は…どんな精霊が来るかしらね。森の精霊か、それとも大きな木の精霊か。どちらにしても、きっとこの子たちとも仲良くしてくれるわ。」
そして暸は、心の中で「可愛い猫の精霊が来ますように…」とひたすら祈りながら、にっこりと笑っていた。
「…私は、猫がいいですね。普通の、可愛い猫が。」
「えー? 高木くん、また猫なのー? まあでも、猫の精霊だったら絶対可愛いに決まってるもんね! きっとみんなとも仲良くなれるよ!」ひまわりがニコニコ笑う。
翠は、そんな暸の笑顔を静かに眺めながら、薄い緑色の瞳の奥に、微かな謎めいた輝きを宿らせていた。
(…あなたがどんな精霊を召喚するのかしら。猫たちがあれほどまでに心を開くあなたは、一体どんな存在を引き寄せるのか…。私は、とても楽しみにしているのよ。)
三、儀式当日 上位ランクの華麗なる召喚
週末。
ドームアリーナの中央には、校長が特注で設計したという、直径十メートルもある巨大な魔法陣が描かれていた。複雑な紋様が幾重にも重なり合い、七色の淡い光を放っている。その周りには全校生徒と教職員が集まり、固唾を飲んで儀式の様子を見守っていた。
天城蒼校長が魔法陣の隣に立ち、杖を高く上げて大きな声で宣言する。
「――それでは、第一回 天叢雲学園 精霊召喚の儀、開始いたします! ランクの高い順から、一人ずつこの魔法陣の中央に立ち、心の底から自分の精霊を求めてください! 魔法陣が自動的にあなたに相応しい精霊を召喚してくれます!」
最初に呼ばれたのは、生徒会長の神無月凛だ。
彼女は静かに魔法陣の中央に立ち、目を閉じて深く息を吸い込む。全身から、因果の糸が見えるような淡い光が滲み出る。
「――我が魂の片割れよ。我が元へ、現れよ。」
キラン!
魔法陣が真っ白な光に包まれ、次の瞬間、凛の背後に一対の大きな翼が広がった。銀色の羽根を持つ、女性型の天使の精霊が、凛の頭上に静かに舞い降りる。彼女の手には正義の剣を携え、周りの空気を清らかな光で満たしていく。
校長が声を上げる。
「――第2階級・聖霊級! 『秩序の天使 セラフィナ』! 見事です、神無月くん!」
会場から割れんばかりの歓声が上がる。生徒会長に相応しい、圧倒的に美しく強大な精霊だった。凛は天使の精霊と静かに目を見合わせ、互いに深い絆で結ばれたことを確かめ合うように、微かに頷き合った。
続いて四天王の番だ。
最初に黒鉄剛がドシンドシンと魔法陣に上がる。彼は大きな拳を胸に当て、雄叫びを上げる。
「俺の相棒よ! 最強の戦士よ、現れろー!!」
ゴウン!
魔法陣が真っ赤に燃え上がり、炎の中から、角と牙を持つ大男の戦士の精霊が現れた。全身に戦闘の傷を負い、それでも不屈の笑みを浮かべる、まさに闘神のような姿だ。
「第2階級・聖霊級! 『戦神 ヴァルカン』! 黒鉄くん、相棒として最高の相手ですね!」
「オオオオオ! いいぜいいぜ! これから共に最強を目指そうぜ、相棒!」黒鉄が精霊の肩をぺしゃんと叩き、二人は気が合ったように大笑いする。
次に氷室雪菜が、静かに魔法陣に立つ。彼女は目を閉じ、冷たい呪文のようなものを呟く。
「――我が元へ、氷の眷属よ。」
パチッ。
魔法陣が青く凍りつき、その中央から、一匹の大きな白い狼の精霊が現れた。全身が氷の結晶で覆われ、瞳は蒼く冷たく輝く。彼女の周りに立つだけで、空気が更に冷え込んでいく。
「第2階級・聖霊級! 『氷狼 フェンリルの末裔』! 実に雪菜くんに相応しい、気高き精霊です!」
雪菜は静かに狼の精霊の頭を撫でる。狼は彼女に甘えるように喉を鳴らし、その爪からは冷たい氷の粒がこぼれ落ちる。
続いて御手洗叡智が、眼鏡を押し上げながら魔法陣に立つ。彼は冷静に、自分の知識と知恵を精霊に求めるように、心の中で呟く。
「――全ての知恵を司る者よ。我と共に、真理を究めよう。」
パラパラ…。
魔法陣が金色に輝き、無数の本のページが舞い上がる中、頭にフクロウの羽根を飾った、長老のような姿の精霊が現れた。彼の手には古びた書物を持ち、瞳は全てを見通すような深い知恵に満ちている。
「第2階級・聖霊級! 『知恵の長老 ソロモン』! 御手洗くんの分析力が、更に飛躍すること間違いなしですね!」
「…ふむ。悪くない。共に、この世界の全ての謎を解き明かしましょう。」御手洗が精霊に頷き、精霊も静かに書物を開いて応える。
最後に天宮詩織が、ぴょんぴょんと跳ねながら魔法陣に上がる。彼女は両手をいっぱいに広げ、夢見心地で叫ぶ。
「可愛いお姫様みたいな精霊さーん! こっちに来てくださーい!!」
キラキラキラ~!
魔法陣がピンク色の可愛い光に包まれ、お花と蝶々が舞い踊る中、小さな妖精の王女のような精霊が現れた。透明な羽根を持ち、ドレスは花びらで出来ていて、にっこりと笑うと周りに花が咲き乱れる。
「第2階級・聖霊級! 『花の妖精姫 リリア』! 詩織くんの幻覚能力と合わせれば、誰も逃れられない美しい世界が作れますね!」
「きゃあああ! 可愛い! 可愛すぎる! ねえねえ、これから一緒にお茶会しようね!」詩織が妖精姫を抱きしめ、二人はくるくると回り始める。会場は、四天王全員が見事に聖霊級を召喚したことに、大きな感動とどよめきに包まれた。
その後も上位ランクの生徒たちが次々と召喚を行う。Aランクの九条覇斗は、第3階級・英霊級の「重力の巨人 アトラス」を召喚し、「ハハハ! これで次こそは最強だ!」と得意げに胸を張る。白銀雫は魔法陣に立ち、心の中で「あの人の精霊は…」と思い巡らせながら静かに目を閉じると、第2階級・聖霊級の「銀の龍 ルナ」を召喚し、会場を更に沸かせた。彼女は自分の精霊を眺めながら、どこか物足りなさそうな表情を浮かべていた。
そして、次第に下位ランクの生徒たちの番になっていく。第3階級、第4階級、そして第5階級の凡霊級の精霊たちが次々と現れる。可愛い小鳥、小さな花の精、普通の犬や猫、時には石ころの精霊なども現れ、上位ランクの華やかさとは対照的に、ほのぼのとした、それでいて微笑ましい光景が広がっていた。
やがて、殆どの生徒の召喚が終わり、最後の方に残ったのは、最下位ランクの生徒たちだけになっていた。
暸はアリーナの端で、ずっと順番を待っていた。心の中では、作戦を何度も何度も繰り返し確認している。
(よし、いよいよ俺の番だ。魔法陣のルールを書き換えて、誰が見ても一番普通で一番弱い、可愛い猫の精霊を召喚する。誰も疑わない。誰も気に留めない。これでまた平穏が続く――いくぞ!)
アナウンサーの声が、暸の名前を呼ぶ。
「――次! Fランク 一年生 高木 暸!」
会場のどよめきは、一瞬だけ小さくなる。誰もが、Fランクの落ちこぼれがどんなしょうもない精霊を呼び出すのか、冷ややかな目で見物しようとしていた。
暸はゆっくりと、あくびを一つつきながら魔法陣の中央に立つ。両手をポケットに突っ込み、いつもの眠そうな半目で、校長の方をちらりと見る。天城蒼校長は、にっこりと悪戯っぽい笑みを浮かべながら、暸を見つめ返していた。
(このジジイ、何か企んでるな…。まあ、俺の能力の前には、どんな魔法陣も関係ないんだけどね。)
暸は心の中でそうつぶやき、静かに目を閉じる。
そして、自分の能力のごく一部を、魔法陣に向けて静かに解放した。
――概念干渉・発動。
「この魔法陣が『召喚者の能力に相応した精霊を呼び出す』というルールを――『召喚者が心から望んだ姿の精霊を呼び出す』、というルールに書き換える。」
ビクリ、と魔法陣の光が一瞬だけ、誰も気づかないほどの微かな歪みを見せた。だが、周りの誰一人、その変化には気づかない。
暸は、心の底から、強く、何度も何度も願う。
(――猫。猫。猫。とにかく猫。一番普通で、一番弱くて、一番可愛くて、誰が見ても凡霊級だと分かるような、ただの猫。他の何者でもない、ただの猫。お願いだ、ただの猫を出してくれ――!)
次の瞬間。
魔法陣が、ほんのりと優しい黄金色に輝いた。
ポフッ。
小さな、柔らかい光の玉が、魔法陣の中央からひらひらと浮かび上がる。そして、その光がゆっくりと解けていく中に、一匹の小さな猫の姿が現れた。
――真っ白な毛並みに、黄金色の瞳を持つ、まるで雪のような小さな子猫だった。
その子猫は、ぽかんと暸の顔を見上げ、それから「にゃー」と、小さくて可愛い声で鳴いた。
会場は、一瞬の静けさの後、どっと笑い声と安堵のどよめきに包まれた。
「あはは! やっぱりただの猫だ!」「Fランクらしく、凡霊級の猫か!」「まあ、可愛いには可愛いけどさ、戦闘力はゼロだろうな」「落ちこぼれには、これくらいが丁度いいんだよ」
誰もが、「ああ、やっぱりね」という反応だった。第5階級・凡霊級の、ただの可愛い猫の精霊。誰の目にも、それ以外の何物にも見えなかった。
暸は心の中で、盛大にガッツポーズを決める。
(やったー! 大成功! 完璧! 誰も疑ってないし、むしろ可愛いと思ってくれてる! この子、本当に可愛い! 最高だわ!)
彼はゆっくりとしゃがみ込み、そっと子猫を抱き上げる。柔らかい毛並みが手のひらに心地よく、子猫は暸の首元に顔を擦り寄せて、再び「にゃー」と甘えるように鳴く。
「…よろしくな。俺の名前は高木暸だ。これから、一緒にのんびり過ごそうぜ。」
暸はにっこりと笑みを浮かべ、子猫の頭を優しく撫でる。
だが――。
この時、会場の中でたった二人だけが、この子猫の本当の姿に、薄々と気づき始めていた。
一人は、天城蒼校長だ。彼は杖をつきながら、その小さな白猫の姿を見て、穏やかな笑みの奥に深い驚きと興奮を宿らせていた。
(…ほう。これは…驚いた。凡霊級の猫の姿を借りてはいるが、この気配は…。まさか、あの伝説の…。)
もう一人は、猫世話部の部長、緑川翠だ。彼女は、自分の能力「森の言葉」を通して、この子猫の心の声に、ほんの少しだけ触れてしまっていた。その声は、あまりにも大きく、あまりにも深く、あまりにも古くて――彼女は思わず息を呑み、薄い緑色の瞳を大きく見開いていた。
(…この子…。一体、何なの…? この子の心の奥底に眠っているものは…。)
そして、暸自身もまだ知らなかった。
彼が抱き上げたこの小さな白猫の精霊が、実は人類が長きに渡って伝説として語り継いできた、とある最強の精霊の、ほんの仮の姿に過ぎなかったことを。
その潜在能力は、神霊級をもはるかに超え、天地創造のレベルにまで達すると言われている――。
四、驚異の潜在能力 ほんの少しだけの奇跡
儀式は無事に閉幕し、生徒たちはそれぞれの新しいパートナーと共に、興奮冷めやらぬ面持ちでアリーナを後にした。
暸は、新しく迎えた白猫の精霊を腕に抱きながら、誰にも話しかけられることなく、すたすたとアリーナの出口に向かって歩いていた。彼の心は満足感でいっぱいだった。
「よし、これで一件落着だ。名前は何にしようかな…。真っ白だから、シロ? ありきたりだけど、それがいいよな。シロ、いい名前だ。」
腕の中の子猫は、暸が「シロ」と呼びかけると、「にゃー」と嬉しそうに鳴いて、彼の胸に顔を埋める。
「うん、シロで決まりだ。これから猫世話部に行って、みんなに会わせてやろう。きっとみんな喜ぶぜ。」
暸はウキウキと足取りを速め、校舎の裏手にある猫世話部の部室に向かった。
部室のドアを開けると、既に翠とひまわりが待っていた。二人の後ろには、いつもの猫たちがゴロゴロと寝そべっている。
「高木くん! おかえりー! どんな精霊が来たのー?」ひまわりが飛び跳ねながら近づいてくる。
暸はにっこりと笑い、腕の中のシロをそっと見せる。
「この子だよ。名前はシロにした。凡霊級の、ただの猫の精霊なんだけど、可愛いだろ?」
「わー! 本当だ! すごく可愛い! 真っ白でふわふわだねー!」ひまわりが大はしゃぎでシロを覗き込む。
だが、シロはひまわりの方をちらりと見ただけで、すぐに暸の胸元に顔を埋めてしまう。まるで、暸以外の人間にはあまり興味がないかのように。
「あらー、恥ずかしがり屋さんなのかな? でも、高木くんにはすごく懐いてるねー! やっぱり猫好きな人って、精霊の猫にも好かれるんだね!」
翠はゆっくりと近づき、静かな瞳でシロを見つめる。彼女は、自分の能力をごく僅かだけ解放し、この子猫の心に触れてみようとする。
すると――。
ドクン。
まるで天地が鳴り動くような、大きな鼓動のようなものが、彼女の心に伝わってきた。それは、小さな子猫のものとは到底思えない、あまりにも巨大で、あまりにも深遠で、あまりにも永遠を感じさせる存在の気配だった。一瞬だけ、翠の視界の中で、この小さな子猫の姿が、光り輝く巨大な存在の幻影に重なって見えた。
「――っ!」
翠は思わず一歩後ろに下がり、手を胸に当てて息を呑む。
「翠先輩? どうしたんですか? 顔色が悪いですよ?」暸が心配そうに声をかける。
「…いえ。大丈夫よ。少しだけ、驚いただけ。」翠は慌てて笑みを取り戻し、静かに頭を振る。「この子は…本当に、不思議な子だわ。ただの猫の精霊には見えない、何か大きなものを秘めている気がするわ。」
「え? そうですか? 俺には、ただ可愛い普通の猫に見えるんですけど…。」暸はシロの頭を撫でながら、首をかしげる。
シロは気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らす。見た目は完全に、ただの可愛い子猫だ。
その時だった。
部屋の奥で寝ていた、一番気性の荒い野良猫のトラの助が、突然起き上がってシロの方を見た。トラの助は、今まで新しい猫が来ると必ず威嚇して、一番最初に喧嘩を仕掛けてくる、いわゆるボス猫だった。
トラの助はゆっくりとシロに近づき、鼻を鳴らしてにおいを嗅ぐ。暸は「あ、やばい、喧嘩になるかも…」と思って慌ててシロを守ろうとしたその瞬間。
トラの助が、ぺたりと地面にお腹を見せて、ひれ伏したのだ!
「え…?」
暸もひまわりも、その光景に呆然と立ち尽くす。
今まで誰にも頭を上げなかったあのトラの助が、まるで王様に服従するかのように、完全に降伏のポーズを取っているのだ!
次に、他の猫たちも次々と起き上がり、シロの周りに集まってきては、それぞれお腹を見せてひれ伏したり、そっと鼻先を擦り寄せたりして、恭しい態度を示し始めたのだ!
「な、なんでだよ…? みんな、急にどうしたんだ…?」暸はきょとんとして、抱いているシロを見上げる。
シロは相変わらず、暸の胸元で気持ちよさそうに目を細めているだけだ。ただ、その黄金色の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、王者のような輝きが見えたような気がしたのは、気のせいだろうか。
翠は、その光景を静かに見つめながら、心の中で確信を深めていた。
(間違いない。この子は、ただの凡霊級の猫なんかじゃない。この子が秘めているものは、人類が今まで見たこともないほどの、驚異的な力なのだわ。――そして、この子がこれほどまでに心を開いている高木暸という少年も、決して普通のFランクの落ちこぼれなんかじゃない。)
彼女は、薄い緑色の瞳に決意の光を宿らせる。
(いつか、この二人の真実を、私は全部見届けてみせるわ。――この猫世話部で、共に過ごしながら。)
その頃、アリーナの最上階のVIP席から、天城蒼校長が夕暮れの空を眺めながら、にっこりと笑っていた。
「…まさか、あの『創世の白猫 ルミナス』が現れるとはな。これは本当に驚いた。概念干渉の能力者が、心の底から『ただの猫』を望んだ結果、最強の精霊が自らその姿を借りて現れるとは…。実に面白い。」
校長は杖で床をコンと叩き、更に笑みを深める。
「さあ、これからどんなドラマが始まるのかな。最強の落ちこぼれと、最強の白猫の精霊。――私は、とても楽しみにしていますよ。」
夕暮れの黄金色の光が、校長の白い髪を優しく染め上げる。
こうして、暸の平穏な生活に、小さな、それでいてとんでもない大きな変化が訪れた。見た目はただの可愛い子猫だけど、実は天地を創りし最強の精霊――シロとの、波乱に満ちた(といっても暸にとってはただのめんどくさいだけの)日々が、今、静かに幕を開けたのだった。
(次回に続く)
コメント
1件
おお、第8話読み終えたわ! 精霊召喚の儀、めっちゃ熱かった🔥 暸が概念干渉で「ただの猫の精霊が出ますように」って願った結果、まさかの伝説級の精霊「創世の白猫ルミナス」が現れるの、裏目に出る系チートの極みで笑ったわ。見た目はただの可愛い子猫なのに、猫たちがひれ伏すシーンはゾクッときたね。 校長と翠が気付いてるのも伏線として美味しすぎる。今後の展開、マジで楽しみ!