テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
触れられないほうが、怖い
その日は、元貴のほうが忙しかった。
打ち合わせ。
電話。
スタッフに囲まれて、ずっと前を向いている。
若井はギターを抱えたまま、
少し離れた場所でそれを見ていた。
――近い。
――でも、来ない。
昨日までとは、逆だった。
「若井、ちょっと待って」
スタッフに言われて足を止めた若井の横を、
元貴が何も言わずに通り過ぎる。
目も合わない。
胸の奥が、じわっと冷える。
休憩。
若井は自販機の前で缶を開けながら、
わざと軽い声を出した。
「元貴、今日テンション高いね」
「……そうか?」
短い。
それだけ。
若井は笑ったまま、
一歩だけ近づく。
「昨日のこと、気にしてる?」
元貴は一瞬、言葉に詰まる。
「仕事中だ」
その一言で、
線を引かれた気がした。
――外では守る。
そう言ったのは、元貴のほうなのに。
若井は何も言わず、
一歩下がった。
その距離が、妙に広く感じる。
夜。
片付けも終わり、
スタジオにはまた二人きり。
沈黙が長い。
若井は耐えきれずに、口を開いた。
「……俺さ」
元貴が振り返る。
「独占されるの、嫌じゃないって言ったけど」
少し間を置いて、続ける。
「されてるって分からないと、
不安になる」
元貴の表情が、はっきり変わった。
「……若井」
「近づかないなら、近づかないでいい」
「でも」
若井は、正直に言った。
「触れられないほうが、怖い」
沈黙。
元貴はゆっくり歩いてきて、
若井の前で止まる。
「……俺が引いてるって思った?」
「思った」
即答だった。
元貴は小さく舌打ちする。
「逆だ」
「は?」
「独占欲、自覚したら」
「どう扱えばいいか分からなくなった」
若井の目が揺れる。
「触ったら、
離せなくなる気がして」
元貴は、若井の手首を取る。
でも、強くは掴まない。
「……離す気はない」
「じゃあ」
若井は、少しだけ笑った。
「分かるようにして」
元貴は、ため息をついてから、
若井を引き寄せた。
短く、確かに。
「……これで足りるか」
若井は、その距離で囁く。
「足りないって言ったら?」
「……調子に乗るな」
でも、離れなかった。
不安は消えない。
でも、確かに“選ばれてる”重さがあった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!