超絶お久しぶりです。
超時間かかっちゃったんで。すみません。
ちょいグロ入りまーす。誤字脱字は…黙認で
おなしゃす!
乾燥した冷風が頬を撫でて縋り落ちる涙に拍車を掛ける中、設置されている松明から火の粉を溢す。
目の前から愛いていた幼馴染が遠くへと進んでいく。
俺はそれをただ、役人共に取り押さえられながら傍観するだけの罪人になってしまった。
そして口をはくはくと動かした動作に気付いた。
しかしそれに気付いた頃には俺の首には矛先が据えられていた。
「ーーーーー」
空になった台詞は今でも思い出せない。
神社に閉じ籠り始めて数百年。
元人間だった俺は死んでからその魂は天に昇り神によって地獄での過酷の労働を背負わされることや、天国で楽園を見ながら浄化される事なく恨み辛みの思いのままこの世に残留していた。
まぁこうして妖の烏天狗として怨みだけで生み出せる程の感情を引き出せる自分が誇らしくもある。
自分で言うのもなんだが、俺はかなり上級の妖だ。
この山奥に建てられていた祠から漏れ出す俺の妖力が周りの妖共を牽制しているらしく生活の邪魔をしてきたことは一度もないので、俺はこの山を3日に1度、見周りをしている。
寿命が短い訳でも長い訳でもない俺は自身のやるべきことがなかった。
少しでも生きがいをと、こうして翼を広げ空を飛ぶ。
そのことだけが今生の娯楽なのだ。
錫杖の揺れる音、風を切り前に進もうとする翼がはためく音。
そして、肌にその風が当たり、それをすり抜けていく感覚。
これだけは本当に心地がいい。
しかし、天気の方はそうでもないようで先程から黒雲が唸り、先程遠くの木に落雷したところを目撃した。
今日は早めに切り上げよう。
そう思っていた矢先背中に焼けるような激痛が走った。
太刀で貫通されたような、はたまた火に焚べた金属を押し付けられたような熱さと痛みが俺を襲い木々の枝を折ながら地面へと落ちていった。
無様にも這いつくばっていた俺はなんとか立ち上がり、緩く降りかける小雨に舌打ちをしながら雨宿りの場所へと足を進める。
赤く染まった羽と地肌を押さえながら自然に作られた洞穴に倒れ込むように避難する。
荒げる息とドクドクと痛む傷口から流れる血液が止まることなく地面へと溢す。
自然治癒能力なら備わってこそいるが、こんな時に瞬間的に爆速で廻る程身体の機能は便利ではない。
壁に体を押し付けながら奥へと潜み、腰を下ろす。
すっかり豪雨となってしまった外の状況に頭を抱えた。
「……大丈夫?」
小さくか細い声が空洞へと響く。
声の方に顔を向けるとまだ幼く、酷く汚れた様子の白狐が震えながらこちらへと歩いてきた。
見たところ妖力はまだまだ低級の存在で快調であれば指の一振りで捻れる相手だろうが、生憎負傷状態で回復に妖力を回している。
「…まぁな」
「そっか大変だなぁ、アンタも……俺、白狐。まだまだ見習いだけど」
凡の妖怪か。
そう思えど口に出すことはなく適当な返答だけをしてから洪水が起こりそうな程の強い勢いの雨の轟音が空洞へ反響しそこまで良くもない耳に伝わる。
白狐は狐の中でも下級の妖。
できることは精々怪奇現象を小さな集落で流行らせるぐらいだろう。
しかしこの森は中級が彷徨いているのは知っていたがここまで威勢のいい下級は始めて会う。
相手を圧巻する程の妖気あるとかないとか何処の風の噂は真偽不明だがこの場合は正常に機能していないらしい。
「あ、そうだ。お腹空いてない?」
「は?阿保か?お前外は雷雨やで?」
「へーき。で?空いてるの?空いてないの?」
「…まぁ、減ったちゃ減ったけどなぁ」
「うん、わかった」
待っててというなり穴から飛び出た白狐は雨に打たれながらぴちゃぴちゃと素足であるのに関わらず大きく活気の良い音を立てていた。
腹と空が鳴き声をあげていること数分、雨音は治ることなく強まっていた。
落雷の回数も増え、時折動物の足音が近くを通る。
「……あの白狐、死んだか」
焦げて少し拙い黒翼を手で砂粒を払い立ち上がり洞穴から頭を出そうとする。
親切な心を持っていた白狐だったが、死んだらそこまでだ。
そんな奴がいたということは覚えておいてやろう。
「烏天狗ー?待たせてごめんな。持ってきたよ」
ずぶ濡れで髪も服も肌であっても笑顔…というべきかわからない顔で白狐が衣服の端を伸ばして運んできたのは所々が黒く変色した林檎の山だった。
こんな森奥でとれるものでは無いだろうに何処まで行ってきたのやら。
「まだ熟れてないやつもあるけど、美味しいと思うよ」
ほら座ってともう一度洞穴に押し戻され、髪と顔に付いた雫を拭いながらあれこれ手に取り本当に駄目なものは外へと投げ捨てていた。
「…あ、これ良いな。虫が入った跡もないし腐った匂いもしない…ほら、これあげるよ」
目の前に出されたのは小さくはあるが雫を弾いた真っ赤で立派な果実だった。
自分の持っているものの大半はまだ青くきちんとした林檎とも言えない果物に齧りついている白狐は山のようにある林檎の中から一番の良作であろうものを他の誰でもない俺に渡してきた。
「ありがたくもらうわ」
「それ一個で勘弁してよ?後のやつ全部俺のだから」
きちんと質と量に仕切りを付けたらしい白狐は芯の周りだけを綺麗に食い尽くし、竹の水筒で水を飲み干していた。
俺は手渡されたその果実へと齧りつきその甘さと果汁の多さに驚きながら一個しかない小さな林檎を丁寧に食した。
「…ええ林檎やった」
「でしょ?雷雨の時は林檎が落ちやすいから偶に採りに行くんだ」
掻き集めた雨水を俺にも分け与えてもらいこの悪天候をこの洞穴で何刻かやり過ごしていると、時期に陽の光が差し込み始め雲からの雫は止んだ。木々達の葉からのお零れは時々あれども十分に移動は出来る範疇だろう。
「えらい世話になったな、白狐」
「位高いやつに借り作れたってこと?いいね。俺の作った恩を忘れるなよ、烏天狗」
羽を振るわせれば、空へと浮かび上がるため白狐を見下ろしてやると小さく手をこちらに振り続けていた。
はっと笑い飛ばし数時間放置していた神社へと急いだ。
あの事故の後も白狐との交流は続いていてその翌日には三日分は持つであろう食料を贈呈してやると腹を抱えて笑い出した。
あんな林檎一つでお前、大袈裟すぎでしょと言い出したのだ。
涙が出るほど笑い散らかした白狐を木の上に干してやればごめんなさいと素直な謝罪が届いた。
「…わかればええねん」
「そんな怒んなくてよくない?俺、一応命の恩人だよ?」
「命は助けられとらんわ」
「そーだっけ?」
ぶちっと枝が折れる音がなる。
空中で説教をしていた俺は叫びながら落下していく様に俊敏に対応し、なんとか地面につく前に頭から拾い上げ、腕の中に入れてやる。
小さく体温が高い生命体は怪我をした状態ではなかったが目を瞑っていて痛みがないことに疑問を抱いたのか恐る恐る目を開けていた。
「…借りはこれで返してもええか?」
「だ、…めに決まってんでしょ。これ、烏天狗の方が悪いし」
「はぁ?お前がいらんこと言うからやろ。もっかい落としたろか」
「やめてよ?本当にそんなんしたら次こそ知らないからな」
もうと不貞腐れた頃には俺の足は地に足を着けていた。
「烏天狗!1回のお願い!俺も空飛びたい」
「嫌やわ。なんでお前なんかと飛ばなあかんねん」
突然神社に押しかけられた開幕の一言はそれだった。
まるで子供の強請りのように言われた言葉はぐずぐずと何日も続いた。
どこに逃げようとも押しかけられて、空を飛ばせろと何度も強請りかけてくる。
ある時の俺は最高潮にまで苛立ちが達して、羽を操作し、壁に縫い付けてやったこともある。
「…あかん」
「なんで」
「……」
そう聞かれてしまえば、何故かは答えられなかった。
確かに最初に言われた時でも嫌だと頭には浮かぼうとも理由までは出てこなかった。
「……俺、1回でいいからお前と飛びたいんだよ」
頼むといつもの茶化した言い方ではなく真剣な様子で言うので今回だけ、は折れてやることにした。
衣服を引っ張り、首元に手を回させてから膝裏に腕を通し、羽を広げてゆっくりと加速させながら上空へと駆け上がる。
負荷がかからないように慎重に。
森の木々の高さを追い抜かし雲がない晴天であったため、ある程度苦しくならない高度まで飛んでやる。
白狐はというと目を輝かせながら下を眺め、すごいとはしゃいでいた。
「…烏天狗、俺嬉しい。お前とこんなすごい景色見れた」
「そうかいな。じゃあもう借りはいらんな」
「……まぁ、いいよ」
夕日はすごく眩しかったのを覚えている。
森の牽制も繰り返しているうちに近くの人里で狩猟者や祓人やらを雇い、近々ここに放つという風の噂を耳にした。
どんな手段を使用するかが分からず仕舞いであるため周りの奴らに注意喚起をするぐらいしか対策は無かった。
「そういうわけで、気ぃつけろよ……って聞いとんのか」
指をしなやかに動かし、そこらじゅうに空いた穴を塞いでは開けてを繰り返す先は、陶器か何かでできた横長い楽器を吹いていた。
その旋律は胸の内を掬うような、何処か燻るような妙な感性を与える不思議な曲だった。
「……了解、いやぁ嬉しいね、あの烏天狗が下級妖怪へ直々に伝達してくれるとはね」
一通り吹き終わった後、切ない瞳をするもけろりと話出す。
「…狩猟者は兎も角、祓人は困るなぁ」
ピンと耳先を立てた白狐は欠伸をしながらもその瞳から閃光を消さなかった。
祓人は妖怪を聖力で抹消する、こちら側からするとただの暗殺者のような存在なのだ。
対処法は一つ。
出会わないことのみ。
「ん、…そろそろ嵐が来る。帰るなら早めにしたほうがいいよ」
澄ましていた耳から取り入れたのはこの頃降り続けている雨や雷の素である嵐が来襲していたからだ。
白狐…狐や猫といった動物達は力こそ弱けれども、こういった探知や捜索能力は頭ひとつ抜けているらしく、前の嵐に飛び出したこともこの説明で納得がいく。
匂いや風向きで落雷の機会や場所もわかると言う。
「……なら、俺もかえ」
そろそろ帰ろうと地面に着けた足を離そうとした途端、パン!と大きな発砲音が響いた。
その銃撃に対して何匹もの動物達が逃げ出す。
勘が良く、素早い行動ができる彼らならこの辺りからは簡単に逃げられるだろう。
白狐は冷静にこっちと俺の手を引っ張り発砲音とは真逆の方向へと連れて行く。
強く、固く握られた手は何処か既視感があり、抵抗する気力を削ぎ落とすも度々音を鳴らす雷や重音がこちらの気を立たせ、緊張感を生ませる。
「………ねぇ、烏天狗」
ある程度奥まで入り込んだ森でぽつりと足を止める。
顔を俯かせて意を決したのか表をあげた。
綺麗に、正確にその刹那は無音で。
鮮やかに舞う血が左側頭部から噴き出た。
その身体は地面へとへたりこんで、流れる血液は地面に染み込んでいく。
は、と息を吐いた頃にようやく体は飛びつくように動きを許した。
もう意識が無いのか、声をかけるも返事はなく。
数秒程放心していたが直ぐに膝を着いて体を揺らして見せる。
が、土と混ざった布の擦れる音がじゃりじゃりと聞こえるだけだった。
「おっ、こいつは白狐じゃねぇか。珍しいな」
近くで草を掻き分けて忍び寄る音が耳に入り、そちらを睨んでやると狩猟者が数人、銃口を向けながら歩いてきた。
「毛皮は高く売れるぞ。しかも白色だと何にでも染めれるからな」
「上級貴族ならどんな値段でも買いだし、今日は豊作だ」
下世話な会話に舌打ちをしたくなるが、心境はそれどころではない。
普段は馬鹿にされてもふいと目を逸らしてしまえばそれで気は紛らせたがこの怒りはどこかにぶつけてしまいたい気分だ。
「……屑が」
羽を広げ、攻撃をしようとした。
…確かにした。
だが身体機能は反応を示さず静寂を貫く。
「…は?」
「残念だな。烏天狗。お前の力は使えないんだよ」
まさか。
と冷や汗が額から伝う時には、突然重力よりも強い圧が真上から降りてくる。
羽を畳み、白狐の真横に倒れ込むと狩猟者とは違う服装をした奴らがちらほらと見える。
「…祓人かい」
札を持ちながらぶつぶつと何かを呟く姿に吐き気を催すが、俺を気にも留めずに絶命した隣の狐に手を伸ばしていた。
「金緑石か」
瞼をこじ開け、瞳の色を確認したと思えば大きめの針を取り出す。
その鋭い金属の先端は眼球に向いていた。
「……おっま、何するつもりや」
「え?まだ喋れんの?すごい妖怪やなぁ」
「質問に、答えろや!」
「んぅ、まぁ、簡単に言えば……死骸漁り?」
喉が焼けるような激痛に見舞われながらも返ってきた答えはまるでごく普通と言うように残酷なことを言い放つ人間は、本当に人間なのだろうか。
妖怪の皮を被ってはいないのか。
思わずアホらしいと、この状況でも妖怪の方が人間より優しいやんけと1人で苛つきながら歯を食いしばる。
見ず知らずの何処に住んでるかもわからん奴に手を貸すことを躊躇わん奴がなんで今屑に目玉抜かれなあかんのや。
「なんで、お前は」
俺を、助けようとした。
ほっとけば俺は空を飛んで、お前はすぐにでもこの森から離れられたかもしらんのに。
疑問は行く行く悔しさや怒りとなって妖力が溢れてくる。
それに勘付いた祓人は結界の出力を上げ押さえつけようとするも俺の視線が白狐の方にあるからかそいつが目をやり、首根を掴み持ち上げる。
ほれほれとまるで玩具のように死体を揺らすと乱れた衣服から一つ、見覚えのある陶器のようなものが落ちる。
「あ?なんだ……これ、笛か?」
「ちげぇよ、異国からきた……オカリナだっけか」
オカリナとやらの姿を見て、何故か頭には白狐が絶命する前に聞いた曲が流れていた。
歌なんて興味も微塵ないのに、嫌に曲調だけが頭で何度も流れる。
演奏する様子が、頭に。
『死なないで。』
それは誰の言葉かわからないーー蓋をされてしまった記憶の底から溢れた声だと思う。
ーーいや、もうわかる
ーーーーーー俺の、初恋の声だ。
最後に聞いた、あのヒノキの檻の中の台詞。
ーーーーーー『大丈夫、俺が何とかするから。
だから、ずっと、ずーっと烏は』
「信じて待っとけ」
ふと口にした言葉は蓋をしていた排水口から水が抜けて行くような爽快感を溢れさせた。
何度考えても詰まったような思考が、端と端が繋がるような感覚に笑いが出てくる。
「……そうか。お前、ずっとおったんやな」
腹の底から湧き立つ怒りと自身で抑えていた妖力で祓人が張った簡易結界をぶち破る。
そっからは簡単に、先程のような自傷行為は辞めにし即座に攻撃を撃ち込む。
もう動揺して動作が遅れるなんてことは無い。
顔面を切り刻み、皮と筋肉を綺麗に切り離してから、心臓にゆっくりと羽の刃を差し込んでいく。
躊躇も油断も隙もなく自分で出した攻撃手段を呆然と眺めながら白狐の……かつての親友の死体を持ち上げる。
「ごめん」
なんで俺は、いつも、お前に何かされるまで気付きもしやんのやろうか。
独り言は空から鳴る嵐の前触れによって掻き消されるも、雨はしとしとと音を立てながら威力を上げて行く。
痛い程の粒の大きさと勢いがありつつも羽を広げて上空へ飛び上がる。
滑空すると圧迫される身体と呼吸器官に苦しさを感じつつも雲を突き抜け、下を見下ろす。
「はは…黒い雲やなぁ。お前には、似合わんな」
白髪を撫で、苦笑いをしてももう前のような笑顔は返ってこない。
息をまともに吸えなくなる頃、身体が勝手に脱力を始め頭から地面へ、地上目掛けて落ちて行く。
「俺も愛してる、乙夜」
冷たくなってしまった体を抱きしめて目を瞑る。
そしてバチン!と淡白な轟音が耳元で響く中焼けるような感覚だけを身体に纏っていた。
とある山の近くに小さな集落があった。
商売で賑わっている大阪にしては珍しい本当に小さな集落だ。
そんな場所にとある一家が引っ越しをしてきたそうだ。
俺はそれを見に行った。
全員が暗い顔で、荷物を解いて新居に決まった動きのように行動をしていた。
不気味な光景の中、ふとこちらに気付いたのか若い白髪の青年が視線をこちらに向けた。
「…誰?」
金緑石に見つめられてしまえばうっと声をあげて大人しく現れてやる。
「………ちゅーっす。俺、乙夜。お前は?」
「……烏や」
「うん。よろしく烏…早速で悪いけどさ……今から、ちょっと悪いことしない?」
口端を吊り上げ、手を引く乙夜に驚きつつ、暇を持て余していて悪戯心が膨れつつある俺は答えは言わずに頷きだけを返した。
荷解きはいいのかと聞けば俺の荷物は無いよ。
と淡々と述べられてしまいあっそとだけ返す。
とある家の裏から街道を歩く小さな集団を覗いていた。
「お、いたいた。役人様」
「はっ、お前、偉い方になんかする気か?」
下剋上の気でもあるのかと思えば違うしと口を尖らせる。
その辺の石を手繰り寄せ、2、3個程を軽く手の上で上下させるとその内の1つを草履と足の瀬戸際に投げつける。
すると迷うこと無く、近くの壺にもう1つ。
「走るよ」
咄嗟に俺の手を握り、役人を躱す方向へと走る。
速度はなんとか付いていけるという程早かったが、乙夜は途中で背中を振り返りながら大丈夫と声をかけてきているので少し加減しているのだろう。
「……別に」
「あ、ごめん。止まる」
と、片足で滑りを止めると慌てて近くの物置の引き戸を素早く開け、に俺を押し込む。
「早く入れ!」
「わかっとるわ…って押すなや!」
なんとか2人でぎゅうぎゅう詰めで物置に入ると足音が聞こえてくる。
先程の役人が追いかけてきたのであろう。
「…ねぇ、今どんな」
お喋りな乙夜の口を手で塞いで聞き耳を立てるが足音は大きく、増えるばかり。
今俺達2人は袋の鼠や。
手汗が滲むも状況は少しずつ悪化していく。
「おい、本当にこっちに来たんだろうな。さっきこの俺に石を投げたやつは」
「はい!あの餓鬼には因縁があるんでよく覚えてますよ」
この声は、俺の家の近所に住んどる……違法物ばっか密輸しとる奴やん。
薬物でもやりすぎたか、その腹は膨れ上がっており、衣服は随分と質の良い、綺麗なもの。
しかしその内側は見た目なんかよりも断然に泥や糞なんかより汚物である。
何度も密告しようとした人間を財力使って口封じして胡座かきながら上から人を見下す屑。
…なんで役人と連んどる。
ふと腕に感触が訪れる。
目をやってやると震えながら微弱の力で俺の手を引き離そうとする涙目の乙夜が訴えていた。
恐怖からの涙なのかは知らないが口を塞いでいたので思わず手を離す。
「あ、わるい」
ゴンと足元にあった鍬が壁に当たる。
木壁でできているとはいえ、音は反響し外に漏れる。
「っ、逃げるぞ!烏!」
足で引き戸を雑にこじ開けると何人かの役人が突然の子供の登場に驚きつつ武器を抜こうと腰元に手を添える。
無意識に喉が空気を吸って音を鳴らすが乙夜は先程よりも早く足を回して、固く、強く手を握っていた。
「喋ると舌噛むぞ!」
ほぼ俺を引き摺った状態で最初に隠れていた家の方面へと逃げる。
後ろからの役人達は声を上げながら俺達を追うも隙間道ばかりを使う子供に大道しか使えない大人は回り道をせざるを得ないため、時間を上手く稼げていた。ある程度の距離をとり、休憩を挟もうと足を止めかける乙夜は俺に気を配った。
「…はっ、はぁ……はっ!………烏、大丈…!」
ぶ、と最後の1文字は目の前ににゅっと現れた罪人によって阻まれた。
「おや、駄目じゃないですか。烏君。大人の偉い様に石なんて投げちゃあ」
にやにやと気色の悪い笑みを向ける肥満屑を相手に乙夜は怯むことなく、俺から手を離した。
「投げたの、俺だし。烏は関係ない。退けよおっさん」
睨みを効かせる乙夜に屑は逆上したのかずかずかとわざわざ足音を立てて俺達の前に立ち塞がり、乙夜の髪を掴み上げた。
「っ!!」
「餓鬼がなんて口聞いてんだ!?あぁ!!?」
ぶちぶちと何本か髪の毛が落ちて行き、乙夜と声をかけようとするがあいつの手は俺に待てを命じ、着物の帯に隠した最後の1つの大きい石を取り出した。
「人の見分けもできねぇとか、やっぱやりまくってんなぁ……薬中のおっさん」
と両足を腕に絡ませ、鋭利な石で毛束を断つと踵で肘を蹴ると同時に拘束から逃れた。
「よっ、と。諦めろよ、おっさん。あの役人さんは俺達とは違う方法でこっちに来るけど?いいの?」
「あ?何言って」
「俺達は小道を使ってここに来た。で、アンタは保身の為に自分の家の所からこっちに来たなら尻追いかけられるのは当たり前でしょ」
ばたばたと騒がしい足音が聞こえると乙夜と一緒に物陰に隠れ、影から元の位置を覗いた。
「貴様!これは一体なんだ!!」
と傷のはいった壺を突きつけていた。
その口からは褐色の液体が溢れ落ちていた。
あれも違法な液体だ。
「そ、それは!」
「これが本物なら刑だけでは済まんぞ!」
「いやぁ、君達のおかげで助かったよ」
覗き見していた俺達は役人に捕まり、尋問でもされるかと思いきや罪人を追放したとして多額の報酬を頂いた。
どうやら役人達は最初に石を投げつけた壺から漏れ出していた液体が違法物だと気付いたのだろう。
そしてその壺の持ち主は、家の住人てある。
「でも人に石は投げちゃ駄目だぞ?」
「はぁーい、気をつけまーす」
麻袋に入った小判の数枚を数えた乙夜が気と行動を止めずそう返事をする。
帰路に着いている俺達は金に興味津々で地面で小判をもう一度数え直す。
「……お前、最初っから金目的で役人にちょっかいかけたんやな?」
「うん。顔見知りを追いかけるのは簡単だろうからお前を呼んだだけ」
つまり、俺は餌と。
「…いつから薬あんのに気付いたんや?」
「さっき。変な匂いしたから。何度か嗅いだことあるし……直接は吸ってないよ?」
「へいへい。んで、どうすんねんこの大金」
地面に砂をつけた全ての小判を拾い上げた乙夜はそれを押し付けてきた。
「ん、やる」
「、は?」
「…あんまり深くは聞かないけど、頑張って」
んじゃあ、と手を振って帰る乙夜の背中は夕焼けの光を遮って、凄く輝かしく見えた。
これは、憧れか、初恋か。
俺の両親は病気を患っていた。
母は足の骨が抜けていて上手く、早く歩けない上に脊椎を酷く痛めている。
父は内臓には外国製の銃弾が残っており取り出す術がないとのことで放置され、免疫が弱くなり肺炎に。
働き手は俺と姉だけで、病気の治療法はどうであれ金が必要だ。
しかし収入はあれども、その金は1日を過ごすことでほとんどを費やしてしまう。
姉も仕事の量を増やしてはいるが、やはり労力に身体がついていかない。
俺のような年齢の餓鬼が働ける所など給金は安いのでなんの足しにもならない。
…だが、この金があれば、両親を助けられるかもしれない。
姉と話し合い、この特別手当をひとまず父の為に使うことにした。
軍医を呼び寄せ、高度である銃弾の摘出に肺の状態や進行度が未知数な箇所が多い為、金は高く積まれてしまったが出し惜しみすることなく出費をした。
…結果として言えば父は助かり、以前の…病を患う前の父親に戻っていた。
母もそのうち病院へと入院でき、以前よりも楽に暮らせるように鳴さなるだろう。
家族はその日泣きながら食卓を囲んだのを鮮明に覚えている。
父は乙夜に感謝をしたいと、何か礼の品物を用意したいと言い、要は俺に乙夜の欲しいものを聞いてこいとのこと。
全く人使いが荒いやっちゃな。
俺と乙夜の交流は続いていて自然と俺の足が乙夜の家に進んでいる。
引き戸を叩けば眠そうな乙夜が出てきて俺を見るなりうとうとと舟を漕いで欠伸を飛ばす始末だ。
「から、す…ぅん……おはよ」
衣服もはだけ、鎖骨を晒す姿は刺激が強く、心臓が大きな音を立ててはいたが服の位置を直して頬をぺちぺちと軽く叩いてやればぼんやりと瞳を開く。
「…今日時間空いとるか?」
「また金稼ぐの?」
下から覗く乙夜の顔は少し暗く沈み、呆れたというような表情を見せる。
だが目的はそれではない。
「ちゃうわ。俺は、お前を知りたい。おもろいやつの中身は知りたくなる性分でな」
「…変なの。でも、嫌いじゃないよ」
木戸を静かに閉めると行こと俺の手を握る。
「じゃあ俺から目移りしないでね」
それは出会って後日の話だ。
それからというものの、俺と乙夜は巷で有名と言えるような金稼ぎの餓鬼と呼ばれるようになった。
元々身体能力は良い方だった俺は乙夜と最高の連携を決めて罪人達を陥れては役人から金を貰う。
その繰り返しで街にも近所や役所にも名前は知れ渡った。
「最近は逆にそういう奴らはおらんなぁ」
「ね、…まぁそれだけここは平和ってことで」
「平和か…俺らからしたら……どうした?乙夜」
菓子を頬張りながら街を歩いていたが突然足を止めた乙夜を見やると、とある店屋の店頭に釘付けになっていた。
そこは古びた建て付けでこそあるが扉は無く、暖簾の下から確認できる店内は様々な琴や三味線、尺八といったものが飾られていた。
「楽器か?」
「え…あ、いや。別に」
「……見るぐらいの時間はあるやろ。なんか欲しいのあればまた今度来ればええ」
うんとか弱く頷きをする乙夜はお邪魔しますと店に入る。
「いらっしゃい。おや、大阪の用心棒君達やないの、よう見て行ってな」
用心棒て…大分と顔広まってきとるな。
入って左側には様々な大きめの楽器が自由に置かれており、反して右側には小さな笛等が並んで横に整列していた。
値段は…言わずもがなそりゃあ偉い大層なお値段で売られていて手を伸ばすことでさえ躊躇する。
「あ、これ」
と乙夜が指差したのは小さくも大きくもない箱だった。
「…なんや?木箱かなんかか?」
値段はそこそこで財布を少し吐かせれば買えないことはないものだった。
「これ…欧米かどっかのかな?」
飛び出しているぜんまいを何周か巻いてみるところん、ぴろんというなんとも聞いたのない音が旋律を紡いでいた。
俺達はその音楽に聴き入ってしまいはっとした時はもう音が止まっていた。
「おや、珍しいものを手に取るね。それ一応古いやつだからあんまり誰も買いたがらないんだ。どうだい?買うかい?」
顔を見合わせ、どうしよかと聞けば商品は元の位置に戻され、首を横に振った。
「いらない。でも、また聴きに来てもいい?」
「あぁもちろん。用心棒君達の行きつけなら客も増えるだろうさ」
言質を貰い、店から出ようとした時、乙夜は横目であの木箱とは違うものを見てから外に出たことを知らなかった。
あの木箱はオルゲンと言うらしく、なんでも蘭の国から来た凸の付いた円柱が金属棒を弾くことによって奏でられる楽器らしい。
使用者はぜんまいを巻くだけでその音を聞くことが可能…とのこと。
乙夜は毎度あの店に訪れ、音楽を聴く。
むしろ興味の無かった俺まで鼻歌で歌える程覚えてしまった。
それを父に報告すればならそのオルゲンを渡すか?と聞かれてしまった。
しかし、俺はそれを贈呈しようという考えにまではいかなかった。
確かに第三者から見れば欲しがっているような背景に見えるが、俺は、そうは思えなかった。
それに、この間は店を出る前、渋っていたことを知った。
オルゲンよりも魅力のあるものがきっとあの店にはあるのだと、勘が訴えていた。
ある日、俺と父親の2人でその楽器屋へと向かった。
いつもの通りにオルゲンの元へ行こうとする足は歩を止めた。
「?どうした」
父は目的の所へと進まない俺を呼ぶが俺の目には全く別のものが映り込んでいたのだ。
「…これ」
白い、陶器のようなもので尺八とは言い難いなにか笛状のものが俺の目には焼きついていた。
新物なのか値段は他の何よりも高いものではあるが、それと同時に他の何よりも魅力を放っていた。
「それはね、また別の国から来た楽器でね。たしか……オカリナ。だったかなぁ?」
綺麗だ。率直に言って美しい。まるでこれ自身が乙夜のようで。迷い無く、それに手を伸ばした。
「……これでも、いい?」
「あぁ、きっと喜んでくれるよ」
風呂敷に包まれたオカリナを大事に腕で閉じ込め、乙夜の家にいち早く行きたいと思っていた矢先に父は仕事の部下に緊急呼び出しをくらいそれを頼むぞと言いうなり折角の休みを潰されに行った。
走りながら乙夜の喜ぶ顔を想像した。
絶対今まで見たものより良いものだろう。
近道を抜けた先にある乙夜の家を訪れると、何やら怒号が飛び交っていた。
「ちょっと、どうするの!!また騒ぎを起こしてあいつに勘づかれたらこのお引越しの意味ないでしょ!?」
「そうだぞ!俺達は、お前のためにわざわざ大阪まで来てやったんだぞ!!」
バチン!と大きな音が立つとその怒声は止まり、静けさが戻ってきた。
「…ごめん。母さん、父さん。でももう引越しはいいよ。俺が行けば解決するんだから……気にしないで」
気弱な程に、小さな声だったのは乙夜だ。
普段からは見られない様子に覗き見をやめ、玄関から入るように戸を叩いてみる。
「乙夜?おるか?」
震えた声で呼んでみるとどたどたと騒がしく音を立ててぴしゃんと勢いよく戸が開いた。
「…なんだ烏か。どうしたの?今日はなんか予定あるって…」
片頬は赤い跡を主張しつつ明るい様子を振る舞う乙夜に思わず口は力んでしまう。
「………これ、お前に」
風呂敷を突きつけるように渡し、逃げるように帰る俺は家で号泣した。
事情は深くは知らずとも優しさと察しの良さは俺が1番よく知っている。
俺に相談もできないほどの重大なこと。
それを共有してもらえない自分の情け無さに悔しさが込み上げてくる。
「……乙夜」
謝ろう。
何も説明せずにオカリナを押し付けてしまい、何も聞いていない俺は話し合わなければならないと乙夜と会うことにした。
居場所は家ではまずない。
行けば…なんて言葉を聞いて仕舞えば在住はまずないだろう。
なら、何かの呑みどころか?
違う。
それならあんな悲壮な会議はしない。
騒ぎを起こす…という乱戦にも発達する場所も除外だ。
それに…最後に見た乙夜の格好は清楚な大人しい色、普段は特に着飾らないあいつが正装ということは目上の奴との接触。
…1番考えたくない可能性は、男娼事だ。
いやむしろそれしか頭では反芻されない。
行けば解決、引越し。
粗方目星はつく。
前の住居では幸せに暮らしていたがその場所で面倒な奴に付き纏われるので引越し……娼館で働くやつは大概そんな理由で逃げる。
ちゃんと、見てきてしまったから。
じゃないと、俺達は金稼ぎの餓鬼とは言われない。
役人や罪人の挙動に、思考といったものの予測は幾万通りはあるのだから。
今までで鍛え上げられた運動能力で屋根から屋根を経由し、乙夜を捜す。
完全に黒い街中で地面に足を着き、そこらを歩く。
提灯がぶら下がった店達の間道を抜けて悪い可能性を排除したくて助ける襖から見える人影を把握しては次へを繰り返す。
女性と男性のまぐわいなど一寸の興味も無いのだが、乙夜は、別だ。
嬌声が響く街中、無感情で道を歩く。
たった1人の声と姿を求めて。
「やめてっ!うっ、あっ!!」
瞬間的に聞こえた女物ではない声に耳を澄ませてみると一際大きな建物からは1人の声だけだった。
「はやく、おわって!!」
幼さのある声に舌打ちをしたくなる。ここは子供でも抱くんか。
「乙夜君、変わらくてなによりだよ。はぁ、気持ちい」
は、?乙夜?今、乙夜言うたか?
下卑た考えが声だけでわかる。
感情で表せない心境が渦巻く。
死ね。
触るな。
乙夜から離れろ。
唇を噛み締め拳を握り込む。
「……屑が」
ただ指を咥えて変えられない状況を見ることしか出来ない俺が何より許せなかった。
その場から離れることができず、朝を迎えた。
地面に座り込んで壁に背を預けて、一睡もせずに日の出を見た。
結局、日が出る数刻前まで声は耳に入った。
掠れて小さくなっていく声に頭が揺さぶられた。
寝ることは許されなかった。
ガタンと音がする。
誰かが店から出た音だ。
「…じゃあまたね」
と出ていく姿は高貴で、随分と体付きの良い男だった。
どうも花街には合わない人間で、その顔だけで飯が食えそうな奴だった。
ただ…その声は昨日の乙夜と居たであろう男と同じ声だ。
「……嬉しい限りですよ」
そして、もう1つの声は、夜に聞いた、乙夜の声だ。
「では、また次の週で」
すたすたと足早に建物から離れようとする男を乙夜は壁にもたれながら見送っていた。
だが、角を曲がり、誰からの目も付かなくなった瞬間、地面へと倒れ込んだ。
「乙夜っ!!」
頭と地面が衝突する前になんとか頭部を拾い上げ、声をかける。
「……ん、烏?…なんで、ここに?……まぁ、いっか。ちょっと、疲れた、肩、貸して」
目の下には真っ黒な隈を付け、所々から見える肌には噛み跡や鬱血、指で強く絞められた跡が痛々しく残されていた。
それに真っ青は顔色と足元に垂れる透明な水溜りに混ざる白色の液体に心が詰まるような感覚に舌打ちをする。
「…あいつは、誰や」
「……偉い様だね、役人よりよっぽど。だから、あいつからは、巻き取れない、おすすめ、しない」
「違う……そんな意味で聞いとらんわ。お前を、こんなんにした奴を、俺は、殺してやりたい」
枯れた喉から鳴る空気の音にも苛立ちが募る。
肩を掴み抱き留めると、とくとくと鼓動を打つ心臓に耳を当てる。
「烏」
呼ばれた声に耳を澄ませれば乙夜の手は俺の頬にあった。
「……殺すなんて、言わないで。俺は、烏には、幸せで居てほしい」
そう見つめられてしまえば、口に溜まった恨み辛みは何処かへ逃げてしまいもう一度、強く抱きしめた。
「痛っ、腰はやめてよ」
「あっ、わるい」
「冗談…帰る?」
「…もうちょい。このままでええか」
「…欲張りだなぁ。大丈夫だよ、俺は烏を1人にして死なない」
「…言うたからな。破んなよ、それ」
「うん。絶対だよ」
諭された俺はその日大人しく、家に籠った。
家族は一晩中帰ってこなかった俺を心配してくれたけど、心境はそれどころじゃなかった。
やはり深く沈んだ所にあるものは泥々に黒く染まった殺意だけだ。
ずっとそれが腹の底に溜まっていた。
「次、言うてたけど、またあるんか?」
「……あるよ。なんで烏が来てくれたのかわかんないけど、次は駄目だよ」
「…わかった」
その次とやらは後6日もすればやってくるらしく、奥歯を噛み締めたのを覚えている。
だが、決心は変わらない。
絶対にあの男をこの手で殺す。
絶対に絶対に絶対だ。
乙夜を抱きに来た日に殺す。
「ーい、烏?」
そん時に使んは、刃物?麻縄?それとも壺かなんかで殴るのも。
「かーらーす!」
ぺちんと額を弾かれた痛みで思考を止めれば目の前で上目をする乙夜がいた。
「……大丈夫か?」
「……放心しとったわ…で?何や?」
「話聞いてなかったな、烏……ほら、これお前がくれたやつじゃん」
オカリナを大事そうに持つ乙夜は口を止めず神聖な姿でそれを撫でる。
「あの音楽歌えたよな?俺が吹くから歌ってよ」
軽く息をいれる乙夜は指を巧みに動かし、音を次々と鳴らしていく。
「…やけに手慣れとんな」
「前は……笛吹きで働いてたから。そっから目つけられたんだけどね」
悲しそうな顔でふーと息を入れ、再び音を鳴らす。
「ん、大体わかった。じゃあ俺に合わせて」
さんはいと巫山戯たように指を振ると鼻で旋律を口ずさむ。
すると美麗な音が乙夜から流れる。
歌うのを止めずにいると突然知らない別の音が鳴りだす。
しかしそれはより一層綺麗なものとなり口が綻ぶ。
一通りを吹き終わるとぱちぱちと手を叩いてのくできましたと茶化すように俺を褒める。
「すごいね、よく和音に釣られなかった…褒めとく」
撤回。
嫌々言っとるわ。
ほんま、変わらん奴やな。
「お前は上手いな…初めてなんちゃうんか?吹くの」
「うーん…なんて言うんだろ。音はある程度耳に入ってるから、ちょっと練習すればすぐできた」
「才能やんけ」
「なんとでも言ってくれていいよ」
ひゅるひゅると音を鳴らし、指を素早く動かす様に乾いた笑いをしてやる。
…こんな日々をずっと、大人になっても、死ぬ寸前でも繰り返していたい。
そのために、やっぱりあいつを殺す。
夜遅く、両親と姉が寝静まった頃。
布団から抜け出して包丁を掻っ攫い、倉庫にあった長棒に括り付ける。
布で刃を覆い、背中に携えてまた花街へと出向く。
足音は立たせずに地面と草履の擦れる音だけが夜の街に響く。
心は落ち着いて、この前のような激情で波のような殺意は湧いておらず、沸々と小さく大量の泡を立てたような殺意だけが胸で暴れていた。
また同じ場所だろうと目星をつけ、屋根から下を覗くと未入店の乙夜と例の屑がいた。
「乙夜君、久しぶりだね」
吐息をぜぇぜぇと漏らす変態屑野郎に殺意が湧くも、まだだ、最高の機会を待て。
首元に鼻を寄せ、舌を這わせる様に瓦を掴む力が強まっていく。
手首を壁に押さえつけて逃げ道を塞いだ子供相手には絶対逃走できない拘束法だ。
「可愛いね、やっぱり尾張に戻ってきなよ」
「いや、っ、」
腰元を両手で掴んだ瞬間、背中から簡易的や槍を取り出す。
布を剥がし男の心臓目掛けて刃先を向けて屋根から飛び降りる。
落下と重力の二連的な圧力で子供の俺でも骨までとはいかずともある程度の箇所は突き破れる。
確実に致命傷を与えられる。
ぐしゃりと粗末な音が聞こえ、地面に足を着く。
血溜まりがあり派手な水音が鳴るも目的の男は背中に長物が刺さっており、綺麗な正角を作り、地面に倒れた。
「…か、らす」
怯えたような声を出す乙夜は地面にへたり込んでいて俺を見上げていた。
顔に付いた血を拭ってやり、抱きしめる。
「なんで、きちゃ、だめって」
馬鹿、馬鹿と涙ぐんだ声で罵倒しながらもあいつの手は俺の背中に回っていてしっかりと力が籠っていた。
「でも、ありがとう」
それだけははっきりと聞こえ、気付けば、俺は四方八方から槍を向けられていた。
俺の玩具物とは違い、きちんと嵌め込まれた刃が首元へ向いている。
「……張り込んでたか…乙夜、はよどかんとお前も死ぬで?」
俺は引き剥がそうと肩を押すも、一貫にして弱まらない握力に眉が下がる。
「いや、いや……いる。俺も、いるから…まだ、死なないでよ……死なないで」
涙が俺の手の甲に落ちる。
次第に服を濡らしていくほどの量になっていく。
こんなに感情を見せつける乙夜も珍しい。
頭を撫でて目元を拭ってやっても、その雫は止まることを知らないようだ。
「…〜〜〜…〜〜」
あの曲の鼻歌を歌って、背中を一定間で叩いては摩ってやる。
ぐすぐすという声は薄れていき、力は緩くなっていく。
「…じゃあな、乙夜」
じゃあな、俺の初恋。
乙夜から引き離され、地面に顔を伏せられ手を拘束される。
立てと強い怒号で言われ、素直に従う。
大きな建物と人の表情を何個も見送りながら連れてこられたのはとある牢…ヒノキでできた木柵の檻だった。
手首を固定された状態でそこへ押し込まれ戸を閉められれば緊張していた身体が力をふっと抜く。
「…このまま死ぬか」
恐らく、刑罰は処刑一択だろう。
この間警告された通りならば皇族か何かの人間だろうからそんな人間を殺したなら処刑…斬首や切腹だろうか。
ただ、乙夜のあんな顔は見たく無かったなぁ。
日が経ち、俺に告げられたのは公開処刑まで後3日と言うことだけだった。
それまでは水しか渡されずに飢え死ぬかと思ったが、案外人間は身体が丈夫らしい、とてつもない空腹感だけが残り、夜を明かす寸前まで生き残っている。
思考が鈍り、筋肉の節が軋む感覚に眩暈がする。
乙夜。
最後くらいは来てくれるよな。
……天窓近くで音がする。
きりきりという木を伐採するような音に目をぎょろぎょろと動かすことしかできない。
ばこんという大きな音を最後に騒音は鳴りを潜めた。
「…生きてる?烏」
愛しい、あいつの声がした。
首をなんとか動かし、縦に振る。
「……重症だな。やっぱり想定しとくべきだった」
風を切る音を最後に天窓から姿を消した乙夜は俺と同じ牢の中に入っていた。
あんな小さな窓から…相変わらず細い奴やなぁ。
そう言いたいがもう水すら提供されなかった環境では喉を鳴らせなかった。
「烏…痩せたけど、取り敢えず生きててよかった…聞いてくれ、俺が絶対にお前を助ける。殺させない、絶対。約束は守るよ…大丈夫、俺が何とかする。だから………だから、ずっと、ずーっと烏は、信じて待っとけ」
約束だぞともう動かせもしない指に乙夜が指を絡める。
「…〜〜〜…〜〜」
と鼻歌を口ずさむ乙夜は俺の額に優しく、そっと唇を落とした。
「……おまじない。烏は、処刑で死なない」
髪を撫で、最後に小さく笑うと天窓から何事もなかったように出て行った。
そして、処刑当日。
周りは子供の俺の処刑に目を光らせ、人混みを作っていた。
藁の下敷きの上に膝をついて座らせられ刀を持った奴らが周りに群がる。
乾燥した冷風が頬を撫でて縋り落ちる涙に拍車を掛ける中、設置されている松明から火の粉を溢す。
目の前から愛いていた幼馴染が遠くへと進んでいく。
俺はそれをただ、役人共に取り押さえられながら傍観するだけの罪人になってしまった。
そして口をはくはくと動かした動作に気付いた。
「絶対助ける」
しかしそれに気付いた頃には俺の首には矛先が据えられていた。
「これより!罪人の処刑を始める」
どっと騒いでいた声が鳴り止み、俺は自身の死を悟る。
もう、死か、と。
「言い残すことはあるか?罪人」
うっさいわ。
こちとらお前らに碌な生活させられて喉潰れとんねん。
無言の俺に見切りをつけたのか、そうかと声を溢す。
「あの世で罪を償え」
刀が首の真横まできた瞬間、刹那だった。
ぐちゃり、と何かが歪む音が隣で鳴った。
それは脳天から黒い刃物を突き刺す乙夜だった。
「……約束だろ?迎えにきたよ」
それを抜く血飛沫が舞い散る。
顔に飛び散る血は気にもならずただ、その一瞬で人を殺してしまった乙夜に惚れ直してしまった。
「逃げるぞ!烏!」
あの日、出会った時と同じように手を引く乙夜は俺の手の拘束を切り離し、俺を背負うと人混みを抜けていく。
行き先は何処か、あてはあるのか。
そんなこと、頭から抜けていた。
今、この時間が俺にとっての幸せだと、思っていた。
街を抜けると山々が見え始めるも後ろから追っ手もそれは同じようだ。
舌打ちをする乙夜は、進行方向を変え途中にあった獣道へと入った。
木々とぬかるんだ地面に体力が持っていかれるだろうに足を止めずに前だけを向いて走っていた。
「大丈夫、大丈夫…」
その言葉だけを呟く乙夜はとうとう体力の限界か、木の根に足を引っ掛け、転ぶ。
「かっはっ、!えほっ、けほ……」
おかしな呼吸をする背中を摩り、仰向けにしてやる。
「ごめん、ありがとう」
ごほごほと喉を震わせる乙夜に申し訳なくなる。
もう日が暮れ始めていてこんな所で野宿すれば野犬に襲われるだろうと、乙夜を引き摺りながら安全な場所を探す。
歩こうとするが一応止めておき丁度見えた洞穴に乙夜を押し込んだ。
これじゃあ、あの時とは逆やな。
「……これから、どうしよっか。ここで、2人で暮らす?」
笑いながらそう言った乙夜は随分と苦しそうだった。
「あぁでも…俺の話…聞いてくれる?俺の、全部。これで、最後かもしれなかいから」
白髪の青年が生まれた。
その家では暗殺業を家業としていた。
そして自然にその男は暗殺者へと育てられた苦無の振り方、手裏剣の投げ方、身体の使い方、会話術。
全てを叩き込まれた。
顔に感情を出さないようにってよく言われ続けた。
どうやっても、やりきれない自分が段々嫌になっていた。
だから、母さんが仕事場として潜入先に使っている娼館の子供である男娼館を紹介してもらった。
そこでなら、上手く動かせない身体も、先の先まで考える頭脳も思考も何いらないから。
ただ、相手を奉仕するだけの環境は自分が楽だと思ったから。
最低限の見せ物や芸事を覚えて仕事疲れの男共を捌く仕事は正直やりがいがあった。
ずっと働きたいと思う程、没頭した。
禿から始まって、今はしっかりとした売れっ子になった。
夜の奉仕はしたことが無いけれどそれでも客と楽しむのは俺の天職だった。
金のことなんかよりもどうでもいい。
暗殺のことも考えなくていい。
あぁ、ここは、天国だろうか。
そう思っていた矢先に、悪い知らせが来てしまった。
尾張の偉い方は、この娼館に用があるといい、急いで館内の整備や芸っ子の確認をしてもてなしの万全を揃えていた。
しかし、それでは満足がいかなかったようで、このままでは別の店に行ってしまうと考えた店長は欲しいやつを選んでくれと用意していた人間とはまた違うこの娼館の全員を候補にして売りつけたのだ。
…あれ、ここまで言えばわかる?
そーだよ、選ばれたの俺が。
真っ直ぐ、ただ視線の直線状に俺はいた。
そこからはしたことのない、俺も知らない夜の遊びが始まった。
手を引かれて布団に押し倒されて、思ってもいない言葉を互いに吐きながら朝を迎える。
その日俺は、大事な物を失ったんだ。
あれから、皇族様はいらした。
何度も俺を呼んで、高い金を支払う羽目になっても俺を買った。
店側はさぞ繁盛しただろう。
あの男から渡される金銀財宝はどれも高そうだ。
でも、日に日に俺の心は死んでいった。
危ない薬を使われたとかでそんな理由なら喜べた。
何度抱かれても、快感に身を委ねても、高価な物で着飾られても、満足はしなかった。
だから、等々家族に吐き出してしまった。
「俺、この尾張から、出たい。あの男から、逃げたい」
それで何かが変わると思った。
母はあの場所から足を抜いて父は暗殺業を一時的に辞めてから場所を見繕ってくれた。
姉は俺の容姿を前とは違うものに変えてくれ、妹は気分を晴らそうと色々なことをしてくれた。
愛されているなぁと内心思いながら、ずっと引越しの後のことを考えていた。
俺はあの娼館で金を稼いでいたけれど、貰ったことは何気に無いと。
そう俺の金はまだ未成年ということもあって稼いだ分の8割を店に搾り取られていた。
まぁ、あんな大金も別にいらないのだけれど。引越しは意外と粗末なものだった。
全くと言っていいほどに無い荷物を俺以外が運んで大阪という栄えた街に移動した。
…俺の荷物とか、服とか、仕事用具とか、全部娼館にあるんだもん。
大阪の小さな集落。
身を隠すには都合が良いものだった。
家族は皆暗い顔をして、荷解きを始める。当たり前だ、故郷から離れた土地ですぐにいつも通りの生活なんてできる訳がないんだから。
…後ろから、視線を感じた。
殺気はない。
そう見下ろされてない。
同じ高さからか?歳は?そう思って後ろを向けば
……そうだね、お前がいたよ。
烏。
そこからは、まぁお前も知ってる通り。
烏と過ごして、遊んで、笑ってた。
心の底から、幸せを実感した。
ずっと、このままがいいなって思っちゃうくらい。
本当に楽しかった。
何回日が終わってもお前に会いたいって思った。
でも、やっぱりこの世に天国なんて無いんだ。
用事があると言っていた烏がいない中、楽器屋に行くと白い笛が置いてあった。
俺も笛吹きだ。新しい笛だなと思ったけど、それはまるで、監視するかのように置かれた様に寒気がした。
だけど、そんなこと、ある?
元々尾張に住んでいたけれど、ここは大阪で、俺のことは何一つ情報が無いはずなのに。
「…おじさん、この笛って、いつから」
「ん?それね。古いものだけど別国から来たものだからここで売って欲しいって偉い様が来たんよ昨日の夜だったかな」
あぁ、嫌だ。
これは、俺への当てつけだ。
絶対に逃さないと言われている気がした。
「…そっか、ありがとう」
それだけを言って俺は店から逃げるように帰ろうとすれば、暖簾越しに嗅ぎ慣れたしまった男の匂いを把握してしまった。
「あっ、」
足がすくんでしまった俺は目の前の皇族に圧倒された。
「やぁ、見つけたよ」
絶望はなんでこんなに簡単にやってくるんだろう。
逃げたい、と本能的に察知して身体に力をこめると耳元で優しく、壊れ物に吹き込むように囁かれた。
「君のお友達の母君はね、今すごくいい所の病院で入院してるんだ。俺はそこの支援をしてるけど…いいの?金が止まって運営できなくなっても」
背筋が凍るような思いだ。
汚い手だろうと毒事を吐いてやりたかった。
でも、俺は…やっぱり、折角できた友達の幸せを奪いたくなかった。
両親に伝えれば母さんからは平手を喰らって父さんには正論を言われてしまった。
あいつには一晩中腕の中に閉じ込められた。
俺には、何もなかった。
こんなに、空っぽなのは初めてだった。
だから嬉しかった。
お前があいつを殺しに来てくれた時は嬉しかった…と同時に察してしまった。
これから、烏は処刑されるって。
そしたら怖くなって、離れたくなくなった。
1人で死なないって約束したからとかそんなんじゃない。
俺の欲が初めてちゃんと出てきた瞬間だったよ。
状況最悪だったけどね。
「…こんなところかな」
吐き終わった乙夜の全部は、想像を絶した。
でも、それと同時に歓喜してしまった。
俺のことをこんなにも思ってくれていて、心から嬉しかった。
「……じゃあ俺、水か何か探してくるよ。ここで休んでて、烏」
何かあったらこれ使ってと苦無を置いて足を痛めているにも関わらず外へぴょんぴょんと残像を見せて移動する姿は暗殺者というより、御伽草子の忍者だ。
掠れていく視界に瞬きをするも、回復はせずにどんどんと黒く染まっていく
。脱力していく体に歯止めが効かず、床に転ぶ。いや倒れてしまった。
しとしと。
しとしと。
呟かれるような音に目を開ける。
「…あ、おはよう。って今は夜だけど」
目の前には焚き火を付けられていて、竹ででき水筒が2つ分、そして山のように積まれた真っ赤な林檎があった。
けほっと咳払いをして、水筒を無言で奪い取るように引ったくり水を勢いよく煽いだ。
久しぶりの水は喉にも体にも良いな。
次は林檎を1つ手に取って齧り付く。甘さが上質であり、果汁が溢れるほどに詰められている。
こんなにも上手い林檎は初めて食べる。
しかし引っかかる。
野山育ちの物がこんな美味さを秘めているなんて幸運は早々ない。
だとすれば、可能性は1つ。
盗難でもしてきたか。
「お前、こんな林檎、山で採られへんやろ…どないしてきてん」
「やっぱわかるか。それは山の育ち物じゃない。農園からもらってきたんだよ。とはいっても無許可だけど」
諦めたようにへらへらと言う乙夜はまだまだあるよと綺麗で真っ赤な林檎を次々に薦めてくるのだった。
実際3日ぶりの食料は腹へと容易く流れ込み、林檎の残り個数は手で持てるほどになってしまった。
「すごい食べたね」
「しゃーないやろ、久しぶりやったんやから」
「じゃあ次はもっと持ってこないと駄目だな」
「…次って、お前、ここからどうするねん」
洞穴の外で振り続けていた小雨がいきなり勢いを増した。
ざあざあ。
ざあざあ。
声すらも掻き消せそうな轟音の中、迷いなく言い放った。
「烏といるよ。何処へ行こうとも、何度死にかけたとしても、いつでも、ずっと。一緒にいる…お前が死ぬまで」
それは曇らされることなく、はっきりと聞こえた。
「何度死んで、生き返っても、お前が死ぬまで。俺はお前といる」
静寂の内時間は流れるだけであって、外は激音な雨に包まれていたはずだが、俺の鼓膜はその振動を拾わずにこの2人の空間だけを捉えていた。
「…あれ、もしかして、気持ち悪かった?なら謝るけど…、あ、え!ごめん!!なんか俺だけが重かった」
「うっさいわ!!絶対ここで吹っ切れるとこちゃうやろ!何羞恥心から手のひら返しとんねん!!」
甘酸っぱい雰囲気は空気を読めない乙夜の台詞で台無しになった。
が、顔の熱までは奪えなかった。
お互いの顔は真っ赤で、乙夜は耳の端まで赤かった。
「別に、俺もお前とおって嫌やないし」
「え、それって」
「ここで暮らしても構わん…さっきから言うとるやろ!」
全く……顔が熱いまんまやわ。
「…なんか言えや」
「あ、いや、その……よ、よろしく?」
挙動不審で頭を下げる乙夜をしばく。
もう1回寝ようと乙夜の腕を引き、地面に一緒に倒れ込む。
「とりあえず、寝るで」
「……うん」
ばたばたと何かを擦るような音に目を開けると、乙夜が体を激しく揺らしてきた。
「起きろ!烏!場所変えるぞ!!」
飛び起きた身体が洞穴から突きつけるように走ると所々に役人が確認できた。
足音を殺しながら走る乙夜は途中で木の上にひょいと登り指示を出す。
「…北は3人、東に1人か。南に戻ったら生活痕で位置が割れる。西は絶対無し………東に1人は囮だろうけど。行くしかないかな」
木の枝を伝って地面に降りた所からこっちと走り続ける様はまさに暗殺者の類だろう。
苦無を手に握り締める姿はとても苦しそうだ。
「…烏、何かあったらすぐに北に逃げろ」
強い眼差しを向け、辛い口を使う後ろ姿に肯定の言葉しか出てこなかった。
…行き先は東らしくここは先に偵察すると乙夜が先走り、俺はまた待機を余儀なくされた。
正直、悔しさが残る。
俺は何かをされてばかりで情けなかった。
唇を噛み締め、中々帰らない乙夜を待つ。
…数刻がだっただろう。
足音の1つも聞こえない。
これは異常事態だ。
そう頭ではわかっていても体は、乙夜の痕跡を辿っていた。
綺麗でよく観察しなければ見抜けない足跡、それを踏みしめて姿を捜す。
嫌で最悪な予感しかしない。
「…乙夜」
限界を告げる身体に鞭を打ちながら走った。
そして、道の所々に飛び散った血があることに気付いた。
それを見て、焦燥感が現れ始める。
無事でいて欲しい。
頼む。
なんともないと安心させてくれ。
「…、…ーー、!」
途切れ途切れの声をなんとか拾い上げそちらの方へ行く。
足元でぐちゃりという音がなった。
視線を下げると、人の死体があった。
首筋の横一線から血が吹き出していてどうやら俺は顔面を踏んだらしい。
それが点々と続いていき、一騒ぎがある様子が見えた。
金属音が時折聞こえ、交戦中だと疑える。
「さっさと投降しろ。そうすればお前の命だけは見逃してやる。あの方の命令だ」
木陰に隠れてよく目を凝らせば乙夜は傷だらけで地面に伏していた。
真っ白な髪は返り血と自身の血で赤く汚れていて相当な量を捌いたと理解できる。
「は、ははっ、もうなんも聞こえねぇ……何言ってんだか…俺は烏を裏切らない」
震えながら身体を立ち上がらせる姿はまさしく戦士のようだった。
手足は擦り傷と切り傷で赤く染まり、顔の横からはあるべきものである耳が無く、それは左右のどちらも無いのかはわからないが血が止まることなく流れ続けていた。
多勢から果敢に飛び掛かる剣士達を苦無1本で立ち向かい、確実に殺しをしていく。
キレが無くなることはなく多方向からの攻撃を避けては首元に一撃を。
その光景は酷く美しかった。
そして、誰かの刃が乙夜の顔面目掛けて振るわれる。
それを間一髪で避けようとするも反応が鈍くなっていて、深くは喰らわずとも、傷を負っていた。
それは、不幸なことに目玉を2つとも切られたらしい。
顔に赤い線を付けられるとふらつき、行動を止めてしまった。
そこを敵は見逃すことなく、躊躇もせずに背後から、一閃。
うつ伏せに倒れていく様子を見ても俺は動けなかった。
本来なら北に逃げていたはずの俺は、ここにいる。
乙夜の死に様すらも知らずに逃げ延びていたかもしれない。
だから、許してほしい、俺がもう一度、欲張ることを。
預かった苦無を握りしめて俺は数人へと減った集団へと飛び込んだ。
吐息だけが周りに反響する中、地面に倒れ込んだ乙夜を木へともたれかけさせる。
「……乙夜。ごめんな。お前はこんなに頑張ってくれたのに、俺はなんもできとらん」
髪を撫で、もう視覚も聴覚も機能しない体に罪悪感がむせ返る。
「…か、らす?」
霞んだ声はちゃんと耳に入り、口元を確認してしまった。
薄く、小さく動いた口の動きは確かにあった。
「……もう、わかんないや。でも烏だったら、嬉しいな」
手を周囲に広げながら喋り続ける乙夜はすぐにでも死んでしまいそうなぐらい儚いような雰囲気を放っていた。
「けほ、……からす、俺な、お前のこと、好きだったんだよ、……最初は、友達の好きとか、そういうのだって、思ってた。でも、違った…俺はずっと烏を考えてる。今も、多分、これからも」
だからと続ける乙夜は、俺の手へと手を伸ばしてそれを辿って、頬まで上ってくる。
「…これ、は、俺の、欲しかったものなんだって、他の何よりも、欲しかったものをお前だけが持ってたんだ、それをお前がくれた、気がする。はあ、っ…げほっ!」
大量の血を吐いた乙夜は顔を蒼白にしながらも、言葉を続けた。
「俺、多分、誰かから、愛されたかったん、だと思う。お前がくれたのは、心地よかった。から、俺は何もいらない。お前がくれた、愛だけが欲しかった…だから、返すよ」
頭を撫でる手つきはもう殆ど力は入っておらず、抵抗を簡単に許してしまえるほどか弱かった。
「愛して、くれてありがとう。烏、愛してる」
ゆっくりと頭を口元へと運び、唇同士が重なった。
鉄の味がしながらも幸せを噛み締めるように、お前の命がなくなるまで、このままでいてやろうと流すがままで身を委ねた。
力が抜けた頃には、口を開けながら、素晴らしいほど綺麗な死に顔でこの世を去った。
気付いた時には目から涙が溢れ出てきていて声は枯れるまで叫び続けた。
死体を抱きしめながら、ずっと。
「……返さんくてもええわ、乙夜。俺は、腐るほど持っとんねん」
だから、側にいてくれればそれでよかったのに、と強く抱きしめる。
するとぽろんと地面に何かが落ちる音がする。
そこには、ここの惨状には似合わない程、真っ白なオカリナがあった。
まさか、ずっと持っていたのか。
こんな戦場に、命の危機であったのにも関わらずずっと、これを。
「…ごめんな、乙夜」
俺はこんなにも、お前に愛されていた。
だから、仇は撃ったと、誇れる訳じゃない。
俺はこれから、どうすればいい。
生きればいいのか、死ねばいいのか。
わかはない。
何が正しいか。
「……でも、お前と何もできへんのは、つまらんよな」
最後に額に接物を落として俺は崖へと向かった。
ここでなら死ねると、そう思って床に座り込む。
だが身体は動かなくて、そのままで夕刻まで時間は過ぎた。
「何しとんねん、俺」
何も気力が湧かなくなったらしい体は面倒なことに早く死にたいと叫んでいた。
ならば死ぬべきだろうと言いたかった。
「寂しい人生やったと思う。だから、お前と逢って、人生が変わった。毎日は退屈なんてしやんくて最高に楽しさで溢れかえってた。やから……お前がおらんと」
と口は動きを止めてしまった。
「……会いたい、次はちゃんと。愛してるって、言い合って、爺とかになるまで」
一緒に居たい。
そう思ってしまうのは幼稚だろうか。
「…〜〜〜…〜〜………」
歌うと、思い出が溢れる程に彩られた様子が鮮明に浮かぶ。
「…だから、もう一回、会えたら、そんときは」
愛してるって言いたいな。
乙夜、今から俺はお前に会いに行く。
俺もお前から貰う愛が欲しい…いやちゃうな。
それだけ、
お前からの愛だけが欲しい。
「…昨日の子もダメかな。はぁ、どーしよ」
「別にお前どっちもいけんだから、今度抱かれに行こうぜ?」
「んー…そりゃあ、確かに?」
「……誰だ?あれ」
「……からす?」
「よぉ、乙夜、捜したで」
コメント
2件
めちゃ好きです!! 長い文章書く方あまりいないので… 表現や距離感が大好きですーーーー!!!
うわぁぁぁぁ、好きすぎますぅぅぅぅぅう、、 文才とかセンスありすぎてマジ泣きしました。 初コメですが 続きがあるのならば楽しみにしていますー!!!!!!!!!!!