テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
忘却の谷を降りる三人の前に、一本の道を防ぐように立つ巨体があった。
白髪混じりの髭を蓄え、右袖を風になびかせた老剣士・バド。
彼はかつて、人間に追われていた獣人の親子を逃がすために右腕を失ったという、伝説の落人だった。
「……薬師の庵から下りてくるとは、命知らずな奴らだ。
特にその黒耳の小僧、お前からは『琥珀の核』が燃え尽きようとしている匂いがするぞ」
若井が不自由な右腕を庇いながら、一歩前に出た。
「……あんたが誰かは知らないが、元貴のことは俺たちが守る。どいてくれ」
「守るだと? 片腕も動かせん若造が、どうやって典礼局の軍勢から仲間を守るというのだ」
バドは手にした大剣を地面に突き刺した。その衝撃だけで、若井は足がすくむのを感じた。
「……若井、下がって。僕が……」
元貴が震える足で前に出ようとするが、バドの鋭い眼光に射抜かれる。
「歌えなくなった歌い手に用はない。……小僧(若井)、お前に教えてやる。
片腕を失ったのは絶望ではない。余分な力が抜け、魂の重さを剣に乗せるための『好機』だということをな」
それから数日間、三人はバドの隠れ家で過酷な修行に身を投じることになった。
若井は、動かない右腕の代わりに、左手一本で剣を振るい、同時にリュートの弦を弾く奇妙な「演武」を叩き込まれた。
「音を聴け! 敵の呼吸も、風の揺らぎも、すべては音楽だ。片手で足りぬなら、全身を楽器にしろ!」
一方、涼ちゃんは左耳が聞こえない分、右耳の感度を極限まで高める修行を行った。
地面に耳を当て、数里先の敵の足音を「リズム」として捉える。
そして元貴は、記憶を失った真っ白な心で、バドから「獣人の真実」を教わっていた。
「元貴、お前の黒い耳は、ただ音を聴くためのものではない。
……大地が流す涙の音を聴き、それを『祈り』に変えるためのアンテナだ。
……自分を責めるな。お前が笑えば、世界は鳴り響く」
修行の最終日。
若井は、左手一本でバドの打ち込みを受け流し、同時に背負ったリュートから鋭い一音を奏でて見せた。
「……できた。……右腕がなくても、俺の音は死んでねえ!」
涼ちゃんも、目を閉じたまま、茂みに隠れた小石の場所をフルートの音色で正確に射抜く。
そして元貴が、三人のために新しく書き始めたノートを開いた。
そこには、バドとの修行で得た、強く、気高い旋律が刻まれていた。
「……若井、涼ちゃん。僕、わかったよ。……失ったものは、僕たちがもっと強くなるための『余白』だったんだね」
元貴の黒い猫耳が、誇らしげにピンと立つ。
琥珀色の瞳には、かつての怯えはなく、静かな闘志が宿っていた。
その時、ノートに八つ目の音符が刻まれた。
『不屈』。
「……行け、若井。
その獣人の小僧を、エデンまで連れて行ってやれ。
……お前たちの不協和音なら、この狂った世界を変えられるかもしれん」
バドの激励を背に、三人は再び歩き出した。
その背中は、谷を降りてきた時よりもずっと大きく、逞しく見えた。
昨日おやすみしてすいません(;_;)