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#スピンオフ
井川奎
170
ある夏だった。連合国と中央同盟国が争いを始めた。上の連中は国民の意志など関係無く自らの利益の為に闘いを強制させた。まだ僕は産まれていなかった。終戦の年、僕は産まれた。よく分からないが軍人一家の元だった。自分が何不自由なく生きていると知ったのは10歳の頃だった。
学校の帰り道、友人と道を歩いていた。
ある公園で僕より少し小さい男の子達が遊んでいた。いつも遊んでいるからなんと無く気になっていた。すると横から隣のクラスのアントン君が男の子達に歩み寄り、何かを話していた。バカにするような、怒るようなそんな口調で彼らに何かを言った。すると少年たちはたちまち不服そうな顔をして公園から出ていった。
僕はひどく無知だった。なぜアントン君が男の子達を公園から追い出したのか。なぜ怒っていたのか。理解できなかった。僕は追い出したことに誇らしい表情をするアントン君に尋ねた。
「なんで彼らを追い出したの?」
するとアントン君は僕を怪訝な表情で見つめた。そしてすぐにこう答えた。
「アイツらはこの国の人間じゃない。弱小国で戦争に負けるような弱っちいやつらなんだ。そんな奴らに俺たちの国を荒らされてたまるか。それともなんだ?お前は弱虫の味方かい?」
僕より一回り大きなアントンの体は僕には熊のように見えた。これ以上聞いたら何をされるか分からない。本能がそう警告してきた。
「そうなんだ。別に味方というわけではないんだけど少し気になっただけさ。」
そう言って僕はカバンを握り直して公園を後にした。
今でも鮮明なアントンの誇らしげな顔。『この国の人間』ではない少年たちの不満気な表情。
道に戻ると友人が言った。
「お前、馬鹿か?アントンに話しかけるとか。アイツは何をするか分からない。気をつけろよ。」
「ねぇ。弱小国ってどういうこと?なんで彼らは公園を使ってはいけないの?」
呆れたように友人は言った。
「俺らが産まれた年の戦争。俺たちの国は見事に勝ったんだ。でも勝ちがあるということは負けもある。負けた国があったんだ。そいつら、お金も物資も戦争に費やしてもう何もないんだよ。だから勝った国に逃げて生活してる。それを一部の奴らはよく思ってない。かつての敵が自分の生活する範囲にいることが気に食わないんだよ。」
「…難しい。どういうこと?」
「嫌いな奴、居るだろ?そいつとお前が喧嘩したとしよう。それでお前は勝った。すると負けた奴が人が変わったようにお前に擦り寄ってきた。そしたらお前はどう感じる?」
「…なんなんだよって思う。」
「そういうことだ。きっとアントンの家族はあの男の子達の国の人にそういう思いを抱いているんだろう。」
「そうなんだ。」
無知な自分にとってあまりにも大きく複雑な問題だと思った。
学校に転入生が来た。ハンスというドイツから来た少年だった。端正な顔立ちで頭も良かった。おまけに運動もできて明るい人だった。そんな彼とは正反対な僕は関わることはなかった。
僕が本を読んでいる時ハンスが隣に座ってきた。
「何を読んでいるの?」
雪のような肌と緑色がかった瞳。薄く色づいたピンク色の唇の端をあげて本を読む僕の顔を覗き込んだ。
「…東の「にほん」と呼ばれる国の話。」
すると彼は目を細めた。
「へぇ〜。その国に興味があるの?」
「まぁ、少し?」
「どんな国なの?」
「僕も全部読み切ったわけじゃないから分からないよ。」
「そっか。僕たち気が合いそうじゃない?友達になろうよ!」
その時彼が輝いて見えた。亜麻色の短い髪がかすかに風に揺れて春光に輝いた。緑がかった瞳はその髪によく映えた。
「…うん。いいよ。」
それ以来僕達は常に2人で居た。遊ぶ時も勉強する時も帰る時も。僕は毎日が楽しくてしょうがなかった。ハンスは物知りだった。毎日いろんな話をしてくれた。川にはいろいろな面白い魚が居ること。ある国ではラクダという生き物がいること。寒い地方の国では永遠に溶けることのない氷があること。無知な僕にとっては最高の時間だったと今でも思う。
ある時ふとハンスの出身について知りたいと思った。
「…ねぇ、ハンスはどこか来たの?」
「…ドイツ。ドイツ帝国ってところ。ここから割と近い国だよ。」
「なんでこっちに来たの?」
今思えば凄く失礼なことを聞いていた。どこが負けた国なのかすら理解していない能無しの僕にはこれが失礼だとは思っていなかった。
「…あの国じゃもう生きていけなかったから。」
「なんで?」
「…わざと聞いてる?負けたからだよ。君の国に。戦争で。」
不躾な僕の質問に呆れた表情を浮かべながらも答えてくれたハンスはとても優しかった。怒りもしなかった。ただ、僕の無知な質問にも答えてくれた事実だけがあった。
「…なんか。ごめん。わざとじゃなかったんだ。」
「別に。いいよ。君は知らないんだなってなんとなくわかるよ。」
「そっか。」
新緑で木々が青々しくなって来た頃。僕はアントンに呼ばれた。
「お前、あの敗戦野郎と仲良くしてるんだってな?誰だったか、弱虫の味方じゃないとか言ってた奴は。」
アントンの大きな体が僕の目の前に迫る。知ってた。分かってた。アントンが敗戦国を嫌ってたこと。ハンスがその負けた国から逃げてきたこと。でもハンスはとても優しい人だってこと。伝えたかった。『ハンスはそんな奴じゃない。』って『話せばわかるよ。』って。でも動けなかった。足が溶けない氷みたいに凍って口元は寒さに凍えるみたいに痙攣したままでろくに声が出せなかった。否定しないといけない。でももしハンスが聞いていたら?友情を裏切ることになる。でも…でも…と頭の中では言葉が浮いては沈んでを繰り返した。
「おい、なんか言ってみろよ!」
ドンって音がして僕は後ろに倒れ込んだ。数秒して僕はアントンに突き飛ばされたと理解した。視界が少し霞んで見えてきた。怖い怖い怖い怖い。助けて。助けて。声が出なかった。何をされるか分からない恐怖で足がすくんだ。
「なんとか言えよ!」
アントンの手が僕の服を掴んだ瞬間。言葉が出た。
「あんな奴、友達なんかじゃないよ!!」
これまで言ったことのないような大声が出た。本当に自分の喉から出た声なのか理解できなかった。
「あっそ。気をつけろよ。」
アントンは服から手を離した。
よかった。よかった。安堵の気持ちが身体に駆け巡った。視界の端にハンスの姿が見えた。哀しい表情で僕を見つめた後、後ろを向いて出ていった。その瞬間、僕の背筋を冷たい汗が流れた。血の気が引くような視界がグルグルと歪んだ。待って違うと叫びながらハンスの跡を追いかけた。ハンスの腕を掴むと勢いよく振り払われた。
「待って。違うの。そんなつもりじゃなかった。あれは…」
言葉を言いかけたとき、ハンスは今までにないくらい強い声を出した。
「結局君も僕を心のどこかで見下してたんでしょ?せっかく友達になれたと思ったのに。仲良くなれたと思ってたのは僕だけだったんだ。」
初めてハンスの涙を見た雪の様な肌に水が一滴垂れていく。視界がもっと霞んだ。
その後は覚えていない。狂った様に泣きじゃくって自身を酷く恨んだ。
懐かしい。苦しい思い出。
それ以来人と関わりを持つのはやめた。毎日狂った様に机に向かい勉強した。自分に言い聞かせた。無知とは罪である。と。
14になると父に呼び出された。
お見合いをしてはどうかと。
僕は何も言わなかったがそれを了承と捉えたのかそのまま話が進んでしまった。
キチンとした身の丈に合わない軍服を着させられて知らない人の家に行った。無駄に豪華で広い庭。中世ヨーロッパを感じさせる言い換えれば古臭い豪邸。中に入ると1人の女の子がいた。僕より二つほど年上だった。広い部屋に入れ込まれると2人きりで話せと言われた。
一体何を話せというのか。僕は半ばイライラしていた。この無駄な時間のために自分の勉強時間を削られたというのか?何も喋らずちまちまとお茶を飲み、時代にそぐわないドレスを着た女の人と何を喋れと?僕は頭の中でひたすら文句を言った。
結局なんの会話もないまま2時間を過ぎて僕は帰った。
父は何も言わなかった。数日後あの家から手紙が来た。お見合いの話は無しに。端的にそう書かれた紙が入っていた。
それ以来家族がお見合いの話をすることはなくなった。
4年後18になった僕は家族の反対を押し切り日本に行く事にした。
あれだけ夢を見た日本に行ける。それだけで僕には十分だった。
日本に来ると色々な人が居た。自分が思い描くより日本人は小さかった。でも、手先の器用さは僕よりも遥かに上だった。みんなが自由に差別なく生きている。まるで理想郷の様だった。住む事になった家の近くの豆腐屋の老いた女将も優しく親切だった。
「おや、外人かい。珍しいのぉ。」
軽く会釈をして家に戻る。夢にまで見た日本に居ることが未だに信じられなかった。
コメント
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うわあ…読んでいて胸がぎゅっとなりました。主人公が「無知とは罪である」と自分に言い聞せるシーン、あのハンスの涙を見た後の空白の時間が痛いくらい伝わってきました。アントンの暴力に屈して「友達なんかじゃない」と叫んでしまう少年の弱さと、その後ハンスを追いかける必死さの対比が切ないです。日本に来た主人公が少しでも救われますように。次が気になります。