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︎︎◌ 太中
︎︎◌短編
『夏の暑さは君の所為』
陽光がまぶたを焼いたのは、退院した時の朝
蝉が───泣いていた
それはどこまでも喧しく
だがやけに遠く感じた
今が夏だと知ったのも、白衣の誰かがそう言ったからだ
中原中也、十七歳、高校2年生
……それ以外のことが綺麗さっぱり、思い出せなかった
頭を打ったとかで、一部の記憶が抜け落ちたらしい
それを他人事のように思うのは
俺の中に「失った」という自覚がないから
誰もかれもが知らない顔に見え、知らない名前を呼んでくる
その中に一人、やけに馴れ馴れしい男がいた
「やあやあ、中原中也くん! 随分暇そうだね、今日も」
けたたましく開いた病室の扉の向こうで、背の高い男が手を振っていた
目尻の下がったあの目に、白い包帯と細い指
……どこか懐かしくて、無性にムカついてくる
それが、「太宰治」という男だった
「ひどいなぁ、君 私のことを忘れるなんて」
俺はただ、苦笑いするしかなかった
『……悪ぃ』
「良いよ、私は…太宰治だ、太宰治は君の……なんだろうね」
そう言って笑った奴の目の奥は、酷く寂しかった
ふざけてんのか、本気なのか、それもわからねえ
けど──俺の中で
その名前だけは確かに、蝉の声のように残響していた
そうこうしているうちに
いつのまにか通っている学校では夏休みが始まっていた
担任の婆さんが
“中原くん、無理しないでね!”とか抜かして
夏休みの課題は免除、俺は正真正銘の自由の身となった
しかし今の自由は、いっそ不自由だった
記憶が無いってのは、こうも居心地が悪いものか
────考えても仕方がない
せっかくだから、この夏休みは1人でどこかに出掛けてみようかと思い立った
……はずだったのに
太宰はやたらと俺を遊びに誘ってきた
「夏といえば、やっぱり海だよねえ。あ、中也は泳げたっけ?
犬かきしか出来なかった記憶があるけど」
『……なんで俺が手前と、男二人で海に出かけなきゃならねぇんだ…!』
「もう中也ってば、昔から可愛げが無いなぁ」
言葉の応酬
口は動き
拳も飛ぶ
だが、不思議なことに、そのやりとりすら懐かしく感じた
──太宰の声を聞いていると
少しだけ夏が “戻ってくる” 気がしたからだ
その日もその前も、その後も
太宰は毎日のように俺を連れ回した
図書館、商店街、海辺、廃駅、古本屋
映画館へ、公園へ
時には彼の家にまで
どこへ行っても、彼はよく笑った
その癖に何故か、怒っているような顔もしていた
ふと見せる、睨むような、しかしどこか寂しげな瞳
そんな時、俺は不意に聞いた
『なあ、太宰』
「なに?」
『……手前、なんで時々怒った顔してんだ』
太宰はすぐに目を細めて空を仰いだ
「わかんないかなあ……」
『わかんねえよ 俺、何かしたか?』
「……いや、違うよ」
ほんの少しの静寂があって、太宰はベランダの外に目をやる
「……別に、君は何も悪くない」
『じゃあ、何だよ…その怒った顔は』
「……君が私を忘れてしまった、それだけさ」
そう言って太宰は目を伏せた
何かこいつ隠してやがる
『俺たちは…どんな関係だったんだ?』
「最低で、最高の親友───ってとこかな」
『親友か…』
その後は言葉を失って、空を見上げた
入道雲は空にしがみつくようにして、ひとところに居座っている
なぜだろうか、
その「親友」という言葉に、胸がズキリとした
俺の中では、そんな表面だけの言葉で片付けられる気がしなかったから
太宰の仕草も、声も、ふざけた顔も、全部――”知っている”
そう、知っている”筈”だった
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
夏休みも残り数日
────セミの声も、どこか落ち着いてきた
夕暮れ、俺たちは二人並んで駄菓子屋のベンチに座っていた
俺はまだ、太宰の事を思い出せていない
『……なあ、太宰』
「なに?」
『思い出せなくて、悪いな』
そう言うと太宰は、少し笑って首を横に振った
「いいんだ、覚えてなくても
記憶が無い事以外、全部前の中也のままだったし」
俺はその時、太宰の顔を見た
夕日が差し込んで、その睫毛に光の縁が生まれていた
胸が締めつけられるようだった
なぜだろう
──太宰のことが、わからない
でも
ずっとずっと”それ”を知っていた気がする
だから、俺は訊いた
『なあ、太宰 俺たちひょっとして付き合ってたりするか?』
太宰はとんでもなく驚いた顔をして
それから、取り繕うようにふっと笑った
「さあね、……どうだったと思う?」
『どうだったんだよ』
「君が思い出すまで、教えてあげない」
『……なんだよ、それ』
太宰は頑なに答えなかった
けれどその心底嬉しそうな笑みは、何もかもを語っていた
結局記憶は、戻らず終いだった
だが、確かにそこに在ったんだ
──たぶん、俺は此奴を、ずっと好きだった
たとえ、記憶が戻らなくても
否、また記憶が無くなったとしても
きっと、何度でも──此奴には惚れる気がする
此奴にはまだ言ってやらない
何故か分かるのだ、絶対に此奴は調子に乗る
だから今────
頬が熱を帯びたのは
夏の暑さのせいという事にしていたい
コメント
13件
とてもとてもとても 好きです!!もう青春という青春がここに詰まっている。。。本当にLOVEです💕 しかも何度でも好きになるって素敵過ぎる。。。 あと!!小説の表現がぁ。。。 とっても良いですね。。。 尊敬すぎる。。。
夏の暑さのせいにしてるって事は結局好きなんだなぁ…と思えて好き🫠💖 一生付き合ってて欲しいッ🌻🍉 りりちゃんの夏の表現法が豊かで青春を感じて涙腺が崩壊、、😇
ざ 青春 って感じが めっちゃ 好き です ーーー ⸜🫶🏻⸝ 最初が 蝉 だったのに カタカナに なってたのが 大好き過ぎた 🤧💗 記憶が戻るまで 教えないのは ずるいって .. 😖💓 記憶が ない間は “ 親友 ” の関係 が ずっと 続くって 考えると 泣けてきます 😿😿 最後 、夏の暑さのせい に してるところ 誤魔化してて めっちゃ 激萌え 過ぎます ‼️