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これはまずい、と思った。
史上最悪のタイミングを、利緒に見られてしまったと思う。
わたしと五希は同時にぎくりと固まって、扉口にいる利緒を振り返った。
「白峰……」
「あっ……、ごめんね、海春、佐久間くん!お邪魔、しちゃったみたいで……」
利緒は、固い表情のまま片手を口もとに持っていき、声をかけた五希から視線をそらす。
利緒の少しつり上がった気の強そうな瞳が、今は動揺で大きく揺れていた。
――どうしよう……。
こんなとき、どうしたらいいのだろう。
きっと、今までわたしがしてきたことへのバチが当たったのだ。
わたしは、利緒にも、五希にも、誠意のないことをしていたのだから。
「利っ……」
「あのっ、あたし、先帰ってるね!」
利緒はわたしの声をさえぎると、肩先でそろえた黒髪をひるがえして教室を飛び出していく。
一瞬見えた利緒の傷ついた表情が、目に焼きつくようだった。
わたしは、とっさに彼女を追うこともできないまま、その場で胸もとをぎゅっと握り締める。
……わたしは、利緒が本気で五希のことが好きだと知っていた。
クラスの男子は、頭脳明晰で美人な利緒を遠巻きに見ているだけだったけれど、五希だけが臆することなく利緒に話しかけていたのだ。
もともと人見知りな利緒は、そんな彼の気さくな人柄に惹かれていたのだろう。
――わたしはそれを、知っていたのに。
利緒にとって、五希が特別な人だとわかっていたのに。
つまらない優越感に浸りたくて、自分勝手なことばっかりして……。
(わたしは、最低だ――……!)
やりきれない後悔にくちびるをかむ。
これは全部、自分が招いてしまったことなのだ。
このままではわたしは、利緒も五希も――大切な友だちを二人ともなくしてしまうかもしれない。
追いかけなくちゃ、と思った。
追いかけて、利緒に謝らなくちゃ……!
「五希、ごめん!」
わたしは、戸惑った様子でいる五希に勢いよく頭を下げると、教室を飛び出して一目散に廊下を駆けだした。
放課後で閑散としている校内は、窓から差し込む夕陽を床に映しこみ、一面 橙色に染め上げられている。
その廊下のつきあたり、利緒が階段を駆け上がっていく姿が見えた。おそらく屋上へ向かっているのだろう。
「利緒、待って!」
わたしは必死に呼びかけながら、彼女の後を追って階段を駆け上がる。
一階上がったところで、屋上の扉ががちゃんと開けられる音が聞こえた。わたしは顔を上げ、息を切らしながらさらに次の階段に足を踏み出す。
そうして、階段の踊り場を抜けて屋上の両開きの扉を開け放つと、一気に視界が開けて、明々とした橙色の夕陽が目をくらませた。
とっさに手をかざしたわたしの視線の先、奥まったところにある緑のフェンスの近くで、利緒がこちらに背を向けてたたずんでいる。
こんなとき、なんて声をかけたら……いいのだろう。
ううん、そんなことをうだうだ考えている場合ではない。
いま、すぐに、謝るんだ―――……!
「利緒、ごめっ……」
「――海春はいいよね!」
駆け寄ろうとしたわたしを振り向かないまま、利緒がつき放すように言う。
わたしはひるんで、思わずその場で足を止めた。
「利緒……?」
「昔っから、なにもしなくても友だちができて、誰からも好かれてさ。あたしなんて、どんなに頑張ったって海春みたいになれないのに……!」
かける言葉を失っているわたしに、利緒が一度フェンスをぎゅっとつかんでから振り返る。
彼女は、ひどく傷ついているような、怒っているような顔で口を引き結んでいた。
「今までだってずっとそう!あたしがどんなに勉強して良い点を取っても、それで先生に信頼されても、結局それだけで……」
「海春みたいにたくさん友だちができることなんてなかった!ましてや、誰かに……佐久間くんに告白されることなんてなかった!」
そこまでひと息で言って、利緒は目に涙をにじませて歯を食いしばる。
「あたしが、どれだけ海春のことがうらやましかったかわかる?」
嘘……、と、お腹の底がひやりと冷えるようだった。
利緒のことをずっとうらやましいと思っていたのは、むしろ自分のほうなのだ。 だって、彼女は小さい頃からずっと、何においてもわたしの前を歩いていたのだから。 だったら――、とわたしは胸もとで拳をきゅっと握る。 利緒もわたしを認めてくれている部分があって、わたしも利緒に憧れている部分があって。わたしたちは、お互いにないものに憧れて、嫉妬しているだけだったのだ。
小さい頃からずっと仲良しだったぶん、お互いのことをよく見ていたからだろう。 だったら、正直に本音をぶつけて仲直りすればいいのだ。
そうしたらもっと、わたしたちは仲良くなれるかもしれない――。
そう思って、わたしが自分の気持ちを伝えようと利緒に向かって一歩踏み出したそのときだった。
「『……―――殿』」
「え……?」
空耳だろうか。
今、誰かの声が聞こえたような。
「『……殿……聖女殿……』」
聖女殿……?
たしかに今、頭の中に、声が―――。
「海春……?」
急に押し黙ったわたしを不安に思ったのか、利緒が怪訝そうな顔でわたしを見つめる。
「利緒、なにか声が聞こえない?」
「声?」
「うん。なんか、誰かに呼ばれてるみたいな――」
そのときだった。
わたしの目の前が、深い湖に入り込んだように一面真っ青に染まったのは。
まるで、青い光の中に飛び込んだみたいだった。
利緒の顔がわからなくなるくらい辺りがまばゆく輝き、とっさに自分の両手を見れば、手の輪郭がだんだんと薄れて青い光の中へ溶け込んでいく。
なに、これ―――……!
「海春っ!」
消えゆく視界の中で、利緒がわたしの名前を叫んで駆け寄り、手を伸ばしてくれたのがわかった。
けれど、わたしはその手をつかむことなく、その場から跡形もなく消えてしまった……。
――……そうだった。
学校の屋上で利緒と話していたら突然青い光に包まれて、それで、気がついたらこの見たこともない場所にいたのだ。
唐突に辺りの景色が一変してしまったような感じだった。 ……これは本当に、夢なのだろうか。 じつはこれはまぎれもない現実で、自分は何かに巻き込まれたんじゃないだろうか。――でも、何に?
「……聖女殿? どうかしたのか。どこか具合の悪いところでも?」
黙り込んでいるわたしに、レインが心配げに眉根を寄せる。
――……そうだ、この声。屋上でわたしが聞いたのはこの声だ。
それを思いだしたわたしは、レインの言葉に首をふってから彼に詰め寄った。
「あの、レイン――とお呼びしてもいいでしょうか。わたしを呼んだのはレインですよね?」
「あ、ああ」
勢い込んで話すわたしに、レインは戸惑った様子でうなづく。 やはり、あの屋上でわたしに呼びかけたのは彼で間違いないのだろう。 ということは、彼ならばなにか事情を知っているのだろうか。
「レイン、あの、わたし……」
わたしはレインを頼るように見つめながら、自分はいつもどおり学校で友だちと話していて、いきなり目の前が青い光に包まれて気づいたらここにいたこと、ここがどこなのか、夢なのか現実なのかもわかっていないことを矢継ぎ早に説明する。 これは夢ではなく現実の可能性もあるのでは――と思った途端に、もしかして自分はひとりでどこか遠くに連れて来られてしまったんじゃ……と不安になったのだ。 急に心細くなってきょろきょろと周囲を見渡せば、わたしは見知らぬ貴族たちによって四方をぐるりと囲まれていた。 ――逃げ場がない。 そう思った途端に急激に気持ちが追い込まれて、恐怖で体が震えてきたそのとき――唐突に、ぽん、と頭に手が乗せられた。 え、と何事かと顔を上げたわたしの目の前、レインが、慣れないのかぎこちない手つきでわたしの頭をぽんぽんとなでていた。
「聖女殿、そんなに怖がらなくても大丈夫だ。誰もおまえに危害を加えたりはしない」
こちらを安心させるような優しい声音で言いながら、レインは何度も何度も頭をなでてくれる。
けれど、やはり慣れていないのか力加減が強くて、なでられるたびにちょっと痛いのだけれど、その無骨さが彼の誠実さを表しているようでなんだかおかしかった。 彼の手があたたかくて、不思議とほっと安心してくる。
強張っていた全身の力がだんだんと抜けて、今度は頭をなでてくれる手がくすぐったくなってきて、思わず、ふふ、と笑みをもらすと、レインもほっとしたのか紺色の目を細めてほほ笑んだ。
「よし、落ちついたな。なにも知らされずに突然こんなところに連れてこられたんだ、不安になるのも仕方ない。俺の配慮が足りなかったな」
レインはやさしく言うと、自分の胸に片手を当てて口角を持ち上げる。
「名乗るのが遅れてすまない。俺の名前はレインワルド。この王国――セラフィナ王国の国王の弟で、公爵位を持っている」
「事情はあとで詳しく説明しようと思うが、とりあえず、おまえをこの国に呼んだ張本人だ。迷惑をかけることになると思うが、どうかよろしく頼む」
握手、とばかりにレインが屈託のない笑顔で片手を差し出す。
国王の弟ということは、レインは王家の生まれなのだ。 そして、彼のお兄さんがこのセラフィナ王国の現国王さまなのだろう。 ということは、レインはこの国でとんでもなく偉い人なのではないだろうか。 きちんとした立場にあり、誠実な人柄のレインの様子を見るに、ここで変に疑ったり怯えたりしてしまっては失礼になるかもしれない。 それに、もしこれが夢だと仮定すれば、やっぱり本来のわたしはあっち側のどこかで居眠りでもしていて、そのうち目が覚めてこっち側のことなど忘れてしまうのだ。そう、目が覚めれば、帰れる。
だからきっと、なにも心配はいらないはず……なのだ。
わたしはそう自分に言い聞かせると、目の前で根気よく片手を差しだしてくれているレインを見上げ、自分ができうるかぎりの満面の笑みを浮かべて彼の手を握り返した。
「あの、わたし、青葉 海春といいます。正直、まだわからないことだらけでこちらこそご迷惑をおかけしてしまうと思いますが……お会いできてうれしいです。どうぞよろしくお願いします」
少し小首をかしげて笑いかけると、レインは一瞬わたしを見つめて目をまばたいたあと、光が灯ったような素晴らしい笑顔を向けてくれた。
「海春か、いい名前だな。おまえによく――……似合っている」