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そのときだった。
「――国王陛下!」
貴族のうちの誰かが畏敬をこめた声を上げ、それを聞いた他の貴族たちが、一斉にホールの出入口のほうへ体を向けた。
そうして、紳士 たちは右手を胸に当てて 恭 しく礼をして、淑女たちはドレスの端をつまんで片膝を曲げて挨拶をする。それをすませると、貴族たちは言い合わせたかのようにホールの壁際に寄り、道を開けた。
一気に開けた視界の先に、レインと同じように背の高い、穏やかで美しい容姿をした男性がたたずんでいた。
肩の下まである鈍い金色の髪を黒いリボンでひとつに下結いしていて、優しげに細められた双眸は深い紺色。ふんだんに金糸の縫い込まれた豪奢な上着にベスト、膝丈のブーツを身に着けている。
若々しい容姿だけれども、この場を圧するような雰囲気があり、彼がひどく特別な地位にある人物だということがうかがいしれた。 そのあまりの迫力にうろたえてしまって、なんとなく傍らのレインの後ろに一歩隠れると、レインはそんなわたしに気づいたのか小さくささやいた。
「海春、平気だ。あの方は俺の兄上なのだ。海春がここへ来てくれたことを知って会いに来てくださったのだろう」
「――兄上!」
レインがうれしそうに彼の名を呼ぶと、彼はこちらを見て、よりいっそう優しくほほ笑んだ。
「おやおや、二人ともずいぶん仲が良くなったようではないか。ご婦人の機微にうといレインワルドが、聖女殿に失礼をしていないか心配だったのだが」
彼は低く響きのいい声で言い、くすくすと楽しげに笑いながらわたしたちに歩み寄ってくる。
彼が、かつ、と上等なブーツの 踵 かかとを鳴らしてわたしたちの面前で止まると、彼から清涼感のある香水の匂いがかすかに香った。
レインのお兄様であり、さきほど貴族の方に国王陛下と呼ばれていた彼こそ、この国で一番偉い人――国王様なのだろう。
お兄様の迫力に圧倒されてしまって、ほうけたように彼のことを見上げるわたしに、彼はやさしくほほ笑んでみせた。
「――はじめまして、聖女殿。私はこのセラフィナ王国の王、ナレシュ。我が弟の呼び声に応え、この国に現れてくれたこと、まずは礼を言いたい」
レインのお兄様――ナレシュは、わたしをまっすぐに見つめて落ち着いた声音で言う。
切れ長の深い紺色の瞳は、さすが兄弟だけあってレインと同じ色合いをしていた。
外見を見る感じ、弟のレインとあまり年が離れていないように感じる。もしかしたら、ナレシュは若くして 王座 に就いたのかもしれない。
そうしてわたしがナレシュに自分の名を名乗り終えると、レインが一歩前に進み出た。
「兄上、海春はまだここに来たばかりで、まったく事情を知らないのです。彼女を安心させるためにも、どこかゆっくりできる場所で彼女と話をさせていただきたいのですが」
「ああ、それならば西翼にある居間を使うと良い。あそこは家族の私用部屋がそろっているから、彼女も気が休まるだろう」
ナレシュはそう言うと、周囲に居合わせた貴族たちを見回してから、一度手を叩いた。すると、ところどころ話し声が聞こえていたホール内が一瞬で静まり返る。
「皆、本日は聖女召喚の儀への立ち会い、感謝する。我が弟レインワルドの功績で、無事に我が国に聖女を迎えることができた。我が国は、平和への大きな第一歩を踏み出すことができたのだ」
ナレシュがよく通る声で言った途端、会場から自然と拍手が鳴り響いた。
そのあまりの歓迎ぶりに、わたしはたじろいで一歩後ずさってしまう。
これは夢……とはいえ、自分は、この国の人たちからなにかとてつもない期待を受けているのではないだろうか。
それは、自分などが応えられるものなのだろうか。
どこか気後れして隣のレインを見上げると、彼は、堂々としていろ、とでも言わんばかりに笑んで、わたしの頭に手を乗せた。
そうしてわたしは、差しだしてくれたレインの腕をぎこちなくとり、大勢の貴族たちに見守られながらホールをあとにした。
「聖女様、聖女様!どのお召し物になさりますか?これからレインワルド殿下とお会いになるのですよね!聖女様は小柄でお可愛らしい方ですので、きっとどんなお召し物もお似合いになりますね!」
「あ、ありがとう……」
目の間できゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいる侍女の女の子たちを前に、わたしはもうどうにでもしてくれという気持ちでげっそりと長椅子にもたれていた。
あれからいったんレインやナレシュと別れたわたしは、少し時間を置いてから西翼にある居間でレインから事情を説明してもらえることになり、それにともなって、今着ている制服からこの国の衣装に着替えさせてもらうことになっていた。
そのため、西翼にあるドレスルームと思われる別室で、こうして侍女のみなさんに囲まれて着替えを始めているわけだけれど――。
「ねえ、やっぱりレインワルド様が白と青の隊服でいらっしゃるから、聖女様は、白い絹に青い宝石が縫ってあるふわふわのドレスにするべきだと思うの!」
「それもいいと思うけれど、ドレスってとてもきつくて息苦しいじゃない。聖女様はまだこの国にお越しになったばかりでお疲れでいらっしゃるのだから、そういった重たいドレスではなくて、花模様のゆったりしたお召し物にショールがいいのではないかしら」
やいのやいのと楽しげに議論している侍女さんたちに、何枚も服を着せられては脱がされ、そしてまた違う服を着せられて……の繰り返しで、正直そちらのおかげで体力を失ってぐったりしていた。
こ、このままでは、精根尽き果ててしまう……。
そう思ったわたしは、むん、と気合を入れて長椅子を立ち上がり、侍女さんたちと並んで衣装棚にある服に手を伸ばす。 すると、ひとつの服がわたしの目を引いた。 それは、袖や裾に金糸を織り込んだ白地と青地のワンピースに、短い丈の純白のマントを羽織った、騎士の隊服のような凛々しさと女性らしいしなやかさをあわせ持った服だった。ドレスのようにびらびらしていないので、とても動きやすそうだ。
「あの、わたし、この服がいいです」
あいかわらずあれだこれだと服を比べている侍女さんたちに、わたしはその白いワンピースを手に取っておずおずと差しだす。
それを見た侍女さんたちは、一度お互いの顔を見あわせたあと、手放しで喜んでくれた。
「ああ、そのお召し物は思いつきませんでした!たしか、女性の近衛士官のために考案されたものですわ王室の近衛師団の軍服を女性用にアレンジしたものなのです」
「聖女様は、王宮にいらっしゃる姫君というよりは、殿方とともに国中を駆けまわる戦乙女のようなお立場でいらっしゃいますから、このお召し物がとてもお似合いになると思います。白と青を基調としたワンピースですので、レインワルド殿下とお並びになったらおそろいのようになりますわ!」
ふふ、となんだかにやにやした様子で侍女のみなさんに含み笑いされる。
なんだか気恥ずかしくなって、わたしはそれをごまかすように顔をそっぽにそらした。
「わ、わたし、動きやすいだろうなと思ってその服を選んだだけで、レインとおそろいとかそういうことは全然、これっぽっちも、うれしくないんですけど!」
必死になるほど滑稽に映ったのか、侍女のみなさんがくすくすと笑いだす。
「あら、百歩譲って聖女様はそうだとしても、レインワルド殿下はうれしくていらっしゃると思いますわよ。なにせ、殿下が必死に力を尽くしてお呼びした特別なお嬢さまですもの。殿下は、聖女様のことをとても大切に思っていらっしゃると思いますわ」
「そ、そうなんだ……?」
侍女さんににっこりとした笑顔で言われて、わたしはどうにも恥ずかしくなってうつむく。
レインは、わたしがこの世界における『聖女』というものだから、ああやって優しく接してくれているのであって、他意はないことなどわかっているのだ。
けれど、あれだけ素敵な男の人に特別に思ってもらえているというのは、素直にうれしかった。
侍女のみなさんが、そんなわたしをどことなくにやにや見つめながら、わたしが持っていた白いワンピースを受け取る。
「さあさあ聖女様、そうと決まれば、殿下をお待たせしてはいけませんわ!」
「そうね。男性を焦らすのも女性のテクニックと言えるかもしれませんけれど、善は急げともいいますからね!」
「――それではみなさん、準備はよろしくて?」
侍女の方のひとりが他のみんなを振り返ると、彼女たちは嬉々としてうなずきながら、櫛やら化粧品やら香水やらを各々の手に取って構えてみせる。 わたしは、侍女さんたちから伝わってくる気合いにたじろいで後ずさった。 なんだろう、なんだかいやな予感が気がする―――!
「さあ聖女様、おとなしく着せ替え人形になっていただきますわよ!」
「王宮仕えの侍女として腕が鳴りますわ!」
「殿下と並んでも遜色ないほどのご令嬢に仕上げてみせますわよ!」
きらり、と侍女さんたちが目を光らせながらじりじりとにじり寄ってくる。
「ま、待って待って!」
こっちの世界のお洋服に着替えさせてもらえるのはとてもうれしいけれど、楽しみだけれど、なんでそんなに鬼気迫る感じなんですか!
自分で着替えられるから大丈夫、というわたしの必死の主張もむなしく、侍女さんたちはわたしを鏡の前の椅子に座らせると、かすかに香る程度に香水を振りかけ、髪を下で二つに結い直して、薄く化粧までしてくれた。
そうして白いワンピースに着替えて姿見の鏡の前に立つと――そこには、とても自分とは思えないほどこの世界に馴染んだ、凛々しい姿の少女が立っていた。