「会いたい人がいるから屋敷を出るのを協力して欲しいと……ニコラ・イーストンが頼んできたのだそうです。恋人と駆け落ちはエラ・ブリームが勝手に思い込んでいただけですよ」
「その『会いたい人』っていうのをエラさんは恋人に違いないって、ロマンチックな方向に解釈しちゃったのね。だから乗り気で協力したと……」
「仰る通りです。フィオナ嬢に同行しなかったのも、その恋人の存在があったからではと思っていたらしいです」
体調不良というのはもちろん嘘。ニコラ・イーストンが自室で療養しているように見せかけていたのも、エラという侍女だった。世話係を自ら志願して、他の人間がニコラ・イーストンの部屋に近付かないようにしていたのだという。
まさかの展開だった。失踪の理由が恋人だなんて……いや、まだ決まったわけではないか。あくまでエラ・ブリームがそう思い込んでいただけのこと。早合点は厳禁だ。『会いたい人』自体が、屋敷から逃げ出すための作り話かもしれない。
「ジェイク、引き続きリアン大聖堂周辺の捜査を行ってくれ。ニコラ・イーストンの交友関係も更に深掘りしろ。彼女の『会いたい人』とやらが何者なのか……そのような人物が本当に存在するのかを明らかにするんだ」
「御意に」
「あっ、バルト。すまないが、二番隊のフェリス隊員にも話を聞いてみてくれないか?」
「二番隊の? それはどうしてだ、セドリック」
「フェリス隊員はリアン大聖堂に定期的に足を運んでいるんだ。ニコラ・イーストンを目撃している可能性がある」
彼女は出店の商品入荷時期まで把握するほどだ。リアン大聖堂にニコラ・イーストンが何度も訪れていたのだとしたら……フェリスが覚えているかもしれない。
「なるほどな。それなら話を聞いてみる価値はある。了解した」
「ありがとう。頼んだぞ」
「それにしても、ニコラさんの謎はどんどん深まっていくね。一体どれが真実なんだろう」
確定したのは、ニコラ・イーストンは自分の意思で公爵邸を抜け出したということ。何者かに拐われたわけではなかった。
俺たちは釣り堀で起きた事件に彼女が関与しているかもという、側から見ればあり得ないと笑われてしまいそうな可能性をずっと追ってきたのだ。ニコラ・イーストンの不自然な行動の理由が、男女間のごたごたによるものだとしたら……なんとも呆気ない幕切れである。
「手がかりをひとつずつ丁寧に辿っていけば、おのずと明らかになるはずです。ニコラ・イーストンは我々が必ず見つけだしてみせます」
バルトはレオン様と先生に向かって宣言した。迷いのないきっぱりとした物言いは、素直に頼もしいと感じる。バルトの言葉を聞いて、先生は破顔一笑の表情を見せる。
「さすが、王宮警備隊の隊長ですね。心強いです」
「いえ、当然のことですので……」
今のははっきりと分かった。バルトが照れている。常に仏頂面で滅多に表情を崩さないこの男が……先生の笑顔を直視出来ずに逸らしたのだ。またしても先生の笑顔の破壊力を思い知る。
バルトも他の皆と変わらなかった。この様子であれば今後も先生とは友好的な関係が築けるだろう。それなのに……何故かイライラする。先生に失礼な態度を取られた方がよっぽど腹が立っただろうに。意味がわからない。俺は本当にどうしてしまったんだろう。
「ルーイ先生、ジェイクの話を聞いてどう思われましたか?」
その後。捜査報告を終えたバルトは、先生の部屋から退室した。部屋にはレオン様と先生と俺……3人になる。
レオン様は先生に報告内容について感想を求めた。初対面であるバルトがいたので、悪目立ちするのを避けるためか、先生は発言が控えめだったからな。
「正直に言うと、ここにきて新たな説の浮上で困惑しているよ。俺たちの推測が完全に的外れだったかもしれないからね」
「……取り越し苦労感は否めませんが、ニコラ・イーストンが事件に無関係なら、それは喜ぶべきことですから」
「だよね……でも、ニコラさんがミシェルちゃんを見て異様に怯えていた理由とか、その辺の疑問がまだ残ってるからさ。早とちりはしちゃダメだね。やっぱり鍵になるのは『会いたい人』かな」
恋人にしろ何にしろ、そのような人物が存在しているのかどうか。そしてニコラ・イーストンは本当に『会いたい人』とやらに会いに行ったのかどうか……
「ええ。ジェイクたちを信じてもう少し様子を見ましょう。あいつの言う通り、手がかりを順に追っていけばいずれ真実に辿り着くはずです」
「そうだね。焦りは禁物だ。それはそうと……ジェイク隊長だよ。セディたちが脅すからどんだけ怖いのかと思ったら、全然いい人だったじゃんよ」
身構えて損したと、先生は子供のように頬を膨らませる。
「セドリックは隊員たちと揉めているジェイクを見慣れていますからね。その印象に引きずられてしまうのでしょう。実際、彼が気難しい性格なのは事実ですので。だから俺も驚いたんですよ。ジェイクが先生を気遣う素振りを見せたことに……」
「そういえば、隊同士の仲が悪いんだったね。確かに以前セディが言ってた通り『クソ真面目』って感じだったけど、不器用なだけで優しい人なんじゃないのかな。俺は嫌いじゃないよ。クソ真面目同士、セディとちょっと似てるしね」
俺は先生とレオン様の会話を黙って聞いていることしか出来なかった。口を開いたらこの場の雰囲気にそぐわない言葉を言ってしまいそうだったから。先生はバルトの印象を語っているだけなのに……
ようやくこのもやもやした不快な感情の正体が分かった。これはただの嫉妬だ。バルトに興味を示し、会いたいと言う先生が気に入らなかったのだ。加えて、実際に会話をしたふたりは意外にも相性が良さそうだったので、見ているのも辛かった。
バルトへの嫉妬……そして先生に対しての独占欲。理解した瞬間、激しく羞恥を覚える。自分はこんなにも心が狭い人間だったのか。
最悪だ……知りたくもなかった己の一面に気付かされてしまった。
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