シリアス継続中。
もっきー視点。
若井と抱き合ってぼろぼろと涙を流し続けて、若井のぬくもりに感謝しながらも、突き付けられた現実を呪った。
若井がここに一人で戻ってきたということは、涼ちゃんの家にもいなかったということだ。
愛しい人が忽然と姿を消したって、世界は変わらずに動き続ける。俺の世界は壊れてしまったというのに。あんなにも明るくて穏やかだった俺の世界は、色を失い破壊され、寒々しくなってしまったというのに。
こんな風に突然消えてしまうなら、いっそ俺の息の根を止めてからにして欲しかった。そうすれば、君を抱いた幸福に包まれたまま消えることができたのに。君と過ごす日常の中で、終わりを迎えることができたのに。
それでも。
どれだけ辛く苦しくたって俺の心臓はまだ動いていて、俺の肺は呼吸を繰り返している。このふたつが止まるまでは、狂いたくなるほど残酷に、愛したくなるほど醜悪に、命を紡いでいくしかないのだ。
ずっ、と鼻をすすって、少しだけ落ち着いてきた頭で現状を整理していく。こんなときでも妙に冷静な自分を、頭の中の泣き喚いている俺が責め立てるが、泣いたって喚いたって涼ちゃんがどこにもいない事実だけが残るじゃないかと嘲笑を返す。
昨夜、確かに涼ちゃんは俺と一緒にいた。一緒に帰宅して、料理を作って、涼ちゃんが指に火傷をして、それでパスタからドリアに変更した。その後一緒にお風呂に入って、揶揄って真っ赤になった涼ちゃんがのぼせる前にベッドに移動して、肌を重ねた。
愛してるって囁いて、存在を確かめるように抱き合って眠って……起きたら、これだ。
幻のように、蜃気楼のように消えてしまった……そんな簡単に?
「……涼ちゃんの部屋、どうなってた?」
掠れた声で問い掛けると、びく、と震えた若井が少しだけ身体を離して俺の目を見た。涼ちゃんがいたかどうか、ではなくて、部屋がどうなっていたか、という質問を理解しているからだ。
不安げに揺れる眼差しをじっと見つめ返す。
いいから言えって。事実だけが知りたい。
「……空き部屋みたいになにもなくて……、キーボードだけ残ってた」
この答えをどこかで予想していたし、覚悟をしていたつもりだったのに、想像以上のダメージを喰らう。
昨日今日で引越しなんてできるわけがない。物の寡多に関わらず、新居を探したり契約をしたり、引越しに伴う事務処理は沢山ある。少なくとも多忙を極めていたここ二、三日では不可能だ。
そもそも朝から晩までほとんど一緒にいたのだ。のんびりまったり恋人として過ごすことができなくとも、仕事仲間として、メンバーとして毎日多くの時間を共有していた。その時間の中で世間話程度にも涼ちゃんが引っ越すなんて話は一度も出てきていないし、ましてや事務所を辞めるという話なんて出てきていない。
だから、涼ちゃんの事務所退所はもっと前から決まっていたんだ。俺の知らないところで、俺の確認を取ることなく、話はまとまっていたんだ。秘密裏に、俺に悟らせないようにして。
すぅ、と冷たいものに呑み込まれていく。
キーボードだけ残して行ったってことは、捨てて行ったってことでしょ?
Mrs.のことも、俺のことも。
ぜんぶ……全部! なにもかも捨てたってことだろ!
フェーズ2が開始してから幾度となくMrs.の今後を話し合ってきた。その未来に涼ちゃんの存在は当然含まれていた。当たり前だ。三人でMrs.なんだから。誰一人欠けることなく、未来を紡ぐ予定だった。
だど今、涼ちゃんはここにいない。何も言わずに全てを捨てて姿を消した。
「……もう、いい」
「え?」
「ついてこない奴を迎えにいく必要なんてない」
困惑した若井が目を見開いた。およそ信じられない言葉が俺の口から吐き出されたからだろう。
「全部捨てたのは涼ちゃんだ」
「元貴……?」
「いいよ、俺とお前でMrs.を続ければ。やる気のない奴を待てるほど俺たちは暇じゃなッ」
パシッ、という音と共に左頬に痛みが走る。
若井に叩かれたのだと認識して睨み付けると、ぼろぼろと涙をこぼして叩いた若井の方が痛そうな顔をしていた。
「……涼ちゃんが、何の理由もなくいなくなるって、本気で思ってんの?」
静かに訊かれ、唇を噛んだ。
思わないよ。思う訳ない。でも、涼ちゃんは何も言ってくれなかったじゃないか。
理由はあったと思うし、理由があってほしい。仕方がないって納得するかは分からないけど、とにかく説明して欲しいよ今すぐにでも。
でも、今ここにいないってことしか分からない。キーボードを置いていった、ってことだけしか分からない。顔を青くして俺たちを見守るマネージャーも、どこにいるのかなんてきっと知らない。
ねぇ、涼ちゃん。
大好きって言った言葉はなんだったの? しあわせって笑ったのは嘘だったの? 俺に黙っていなくなるほど、何かに追い詰められていたの?
訊きたいことなんて山ほどあるのに、その答えをくれる人が、今ここにいない。
「……実際そうじゃん! 俺たちに何も言わずに事務所辞めてさぁ! どこにもいないじゃん! キーボードだけ置いて……っ、そんなん……ッ」
俺たちを捨てたってことじゃん、と続けられなかった。涙が込み上げてきて、嗚咽にしかならなかった。
そんな俺を若井は優しく抱き締めて、叩いてごめん、と謝った。ふるふると首を横に振る。お前は悪くない、と途切れ途切れに伝える。
俺だって信じたくないよ、昨日までの幸福が、日常が、当たり前に続くって思ってた。
「だって……いない、じゃん……っ、いなく、なっちゃったじゃん……ッ」
俺の家にも、涼ちゃんの家にも、辞めたという事実を告げた事務所にも恐らくはいない。この世界のどこかにはいるのだろう、でもそのどこかが分からない。
「……まだ何のニュースにもなってないの、おかしいと思わない?」
「え……?」
「涼ちゃんがMrs.を脱退した、ってなったら絶対ニュースになる。でも、そんなの、どこにも話題になってない」
車の中で確認した、と若井が言う。
「スケジュールも変更済みだって言ってたし、涼ちゃんの家の合鍵も用意されてた。こうなることが分かってたみたいに」
それはそうだろう。事務所だって辞めるといった涼ちゃんを止めないはずがない。合理的に判断しても、俺のメンタルバランスを左右する涼ちゃんを易々と手放すわけがない。
それなのに受理したということは、それを押し除けてでも退所を許可するしかなかったということだ。
そんなことは分かってる、分かってるからこそ事務所を問い詰めても意味のない徒労だと、鼻で笑う。
「そんなの、タイミングを図ってるだけでしょ」
「かもね。でもさ、さっさと発表して元貴に文句を言わせないようにすればよかったのにしなかったわけだよね? 何考えてんのか分かんないけど、だからこそまずは話を聞くべきだと思う」
若井の言いたいことも分かる。俺に打診をしたところで俺がイエスと言うとは考えにくいから、こんな強硬手段に出たんだってことくらい嫌でも思い至る。
でも、若井の言うとおり、さっさと発表して外堀を埋めてしまえばいいのに、そうはしなかったのには違和感が残る。
「諦めるのはそれからでも遅くないと思う。それに……、俺は知りたいよ。こんな形で辞めなくたっていいのに、そうしなきゃいけなかった理由が、知りたい」
若井の声からも言葉からも静かな決意が伝わってきて、そっと目を逸らした。こういうとき、若井の方が俺なんかよりずっと強い。
物事を詳らかにするということは、知り得なかった事実を明らかにするということは、その過程で見たくないものを見るかもしれないということだ。目を逸らしたくなるような事実と向き合うということだ。
もしも涼ちゃんが事務所を辞めた理由が、俺たちのことが、俺のことが嫌だったからだとしたら? それを知ってしまったら、立ち直れる気がしなかった。
「……元貴はさ、真実を知って傷つきたくないんだろ」
「っ!」
その不安を言い当てられて言葉に詰まる。でも若井は、小さく笑って、俺がくしゃくしゃにした紙を俺に見せた。
涼ちゃんが残した、最後の言葉だ。
「でもそれなら……こんなの残さないよ」
「!」
ぐしゃぐしゃの『ごめんね』を優しい目で若井は見つめる。
「本当に俺たちを捨てたなら、もっと違うこと書くでしょ。悪口とか、文句とか? ……徹底して冷たくなれないところが涼ちゃんらしいよね」
呆れたように、それでも優しい声音で言う。
人は信じたいものを信じる。そうやって生きていく。
崩れた世界に小さな光が灯る。そんな俺の目を見て、若井が安心したように笑った。
「……そうだね。見つけ出して問い詰めてやる」
どこかに隠れてしまった俺の世界を取り戻さないと。
続。
若様がいてくれてよかった。
さて、そろそろ本格的にかくれんぼがスタートします。
コメント
6件
若井さんも相当来てますよね、、なのに頼りになるのかっこよすぎます...!!大森さんも、できるだけ頑張って欲しいですね。とりあえず二人で頑張って藤澤さんを探し出して欲しいですね
ピンチの時は💙がいつも頼もしくて、私作者様の💙もめちゃ好きです🫶 💛ちゃんはなんで辞めたの?!と昨日からずっと理由を考えてます🥲 ♥️くんの傷つきたくなくて、蓋をしたくなる気持ちもめちゃくちゃわかります。 作者様の文章は、🍏の歌詞並に考察しちゃいます🫣
❤️さんが諦めかけたとき、あぁ…だから…ほら…、💛ちゃん😭…てなって、理由が…理由が知りたい😭ってなって…💙様ありがとうってなって… 今日ものめり込み感想ですみません🤣