テラーノベル
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朝になっても、緋八マナの頬には昨夜の赤みが残っていた。
鏡を見るたび、胸が苦しくなる。
でも、隠すことには慣れていた。
コンシーラーを重ねて、
髪で少し隠して、
何もなかったみたいに笑う。
そうしないといけなかった。
伊波ライは、もう出勤していた。
テーブルには飲みかけのコーヒーと、
「先行く」
とだけ書かれたメモ。
昔なら、
『行ってきますのちゅー』
なんてふざけてきたのに。
マナはそのメモを見つめながら、小さく息を吐いた。
「……今日、何作ろ」
声に出してみる。
静かな部屋では、自分の声だけがやけに響いた。
マナは専業主婦だった。
ライが、
『家のことやってくれるだけで助かる』
と言ってくれたから。
最初は幸せだった。
帰ってくるライを待つ時間も、
一緒にご飯を食べる時間も、
全部好きだった。
でも今は。
玄関の音が怖い。
足音が怖い。
“今日は怒られませんように”
と願いながら毎日を過ごしている。
それでも、嫌いになれなかった。
昔の優しいライを、まだ覚えているから。
───
その日の夜。
時計はまた23時を回っていた。
マナは夕飯を並べ、玄関を見つめる。
連絡はない。
でも、帰ってくる時間が遅い日は、大抵機嫌が悪い。
胃がきりきりと痛む。
ガチャ。
扉が開いた瞬間、マナの身体が強張った。
「お、おかえり……」
ライは返事もせず、ネクタイを乱暴に外す。
顔色が悪い。
「ご飯、できてるよ」
「……腹減ってない」
「でも少しは——」
「しつこい」
鋭い声に、マナは口を閉じた。
ライは苛立ったようにソファへ座る。
スマホを投げるように机へ置いた。
「また上司に怒鳴られた」
独り言みたいな声。
「俺のせいじゃねぇのに」
マナはそっと隣へ座ろうとする。
「……ライ、お疲れさま」
その瞬間。
「触んな」
払いのけられる。
勢いのまま、マナの身体が床へ倒れた。
肘を強く打つ。
「っ……」
ライは舌打ちをした。
「わざとらしい」
その言葉に、胸がぎゅっと痛くなる。
「ごめん……」
「またそれ?」
ライは立ち上がる。
足音が近づく。
マナは反射的に後ずさった。
「……なんで逃げんの」
「逃げてない、よ……」
「嘘つけ」
ぐい、と髪を掴まれる。
「っ、ぁ……!」
頭皮に鋭い痛みが走る。
涙が滲む。
「俺そんな怖い?」
低い声。
マナは震えながら首を振った。
でも身体は正直だった。
怖くて仕方なかった。
ライはその反応を見るたび、傷ついたような顔をする。
なのに、止められない。
「……なんで俺ばっかこんな目に遭うんだよ」
ライの声が掠れる。
「会社でも怒鳴られて、家帰ってきてもお前はそんな顔して」
「してない……」
「してんだよ!!」
次の瞬間。
腹部に衝撃が走った。
「っ……!!」
蹴られた。
息が詰まる。
痛みで身体が丸まる。
「ライ、や……っ」
「俺だって限界なんだよ!!」
ライは怒鳴りながら、壁を殴る。
その音に、マナはびくりと震えた。
苦しい。
怖い。
痛い。
でも。
一番苦しいのは。
ライが壊れていくのを止められないことだった。
「……ごめんね」
涙混じりの声。
するとライの動きが止まる。
「……は?」
「支えられなくて、ごめん……」
その言葉に、ライの顔が歪む。
まるで、自分が責められたみたいに。
「……もういい」
吐き捨てるように言って、ライは寝室へ向かった。
扉が閉まる。
静寂。
マナはその場でうずくまった。
お腹が痛い。
呼吸が苦しい。
でも、それ以上に心が痛かった。
ぽろぽろと涙が落ちる。
「……ライ」
小さく名前を呼ぶ。
返事はない。
マナは震える身体を抱きしめながら、静かな部屋でひとり泣き続けた。
コメント
1件
(ゆっくりと息を吸って、静かな口調で)……この第2話、心がぎゅっと締め付けられましたね。マナさんが「隠すことには慣れていた」という冒頭から、もう胸が痛かったです。彼女が笑顔の裏でどれだけ耐えているか、丁寧に描かれていて。ライさんの苛立ちも「会社でも怒鳴られて」の台詞で、彼自身も追い詰められているのが伝わりました。でも一番刺さったのは、マナさんが「支えられなくてごめん」と謝る場面。加害者なのに自分を責める姿が切なくて。しろまるさん、この渦中にいる人の葛藤を、とても繊細に書かれていますね。