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「……それにしてもええなぁ。俺も早く仕事に戻りたい」
美味しい料理を綺麗に食べ終わり、食後。洸くんは最近お気に入りだという紅茶を皆に振る舞ってくれた。
部屋の中に幸せで穏やかな空気が流れる中、洸くんが少し寂しそうにポツリと呟く。
「洸、あそこの美容室に勤めてから殆ど休んで無かったもんな?」
「やって、不安になるやん? 今日覚えた事を1日サボったら、次の日には忘れてるかもって。でも、カットモデルにお願いできるようになってからは研修すら楽しくて、そのまま突っ走ってきたようなもんやからな」
洸くんは両方の手のひらを僕たちに見せながら、「ほら、豆もいっぱいできてるし、カラー剤もあんまり取れてへんし」と笑いながら自分の手を触っている。
「努力の勲章やな?」
隣からしみじみとそう言った弦さんに、「楽しんだ証拠や」と、洸くんは一切の気取りのない、本当に綺麗な笑顔で言い返した。
……あかん、好きすぎる
眩しすぎるその笑顔を、僕はただただうっとりと見つめることしかできなかった。
人が羨むような美貌もセンスもすべてを兼ね備えていて。ニコッと笑うだけでいくらでも簡単に生きていけそうなこの人が、実は誰よりも努力家で、だけどどこかストイックに見えて、かっこよくて仕方がない。外見だけじゃない、中身まで完璧やねんな、この人は。
「……ネイルって、手についたカラー剤を隠す為だったんですか?」
綺麗に切り揃えられ、真っ黒に塗られた彼のマニキュアを見つめながら、僕は質問してみた。
「まぁ、初めはな? でも今は、自分を強く見せる為に塗ってるような気がする。見た目がどうしても幼く見えるから、仕事中は舐められたくないんよね。この服装もやけど」
「働き始めてから、どんどんロッカーになっていく可愛い洸くんをお兄ちゃんはちょっと心配してたんやけどな?」
ガハハと豪快に笑う弦さんを見ながら、僕はかつて見ていた、まだ制服姿だった頃の洸くんを少し思い出す。ほんま、あの頃はJUNON BOYみたいに爽やかで可愛らしかった。
でも、どんな見た目になろうとも、僕の中の「可愛い洸くん」であることに変わりはない。本当の洸くんは、ソファでクマのぬいぐるみを愛おしそうに抱っこしながら、ジェラピケのパジャマで眠る人なのだ。それを知っている数少ない人間に自分が含まれているという事実に、胸の奥がじわじわと熱くなる。
「でも……新くんも、黒ネイル似合いそうじゃない?」
不意に、洸くんの視線が僕の手元に落ちた。
「普段、ジャケットとビンテージTシャツに黒のスラックスやろ? 新くんの手……節がしっかりしてるけど指は細いし、マットな黒とか塗ったら絶対にカッコよくなりそう」
そう言って、洸くんは躊躇なく、僕の手をそっと取って指先を触りはじめた。
「……っ!?!?!?」
全身の血流が一瞬で逆流し、完全に硬直した僕を、両手で口元を隠した弦さんと空くんがニヤニヤと楽しそうに見つめている。
どうしたらいい!?緊張しすぎて、今、洸くんのことを1ミリも直視できひん。心臓の音がうるさすぎて破れて出てきそう!
「空くんも手、見せて」
そう言って、洸くんの興味が空くんの手へと移ったことに、僕は心底ホッと胸を撫で下ろした。あかん。今、幸せすぎて逆に早く家に帰りたくなってきた。一刻も早くベッドに潜り込み、今しがた起こった「推しに手を触られた」という奇跡をじっくりと噛み締めたい。
「……空くんの手、大きいけどピアノ弾いてそうなくらい綺麗。黒っていうより、桜色が似合いそう」
「わかる! 俺もいっつもピュアで綺麗な手やなって思って触ってる!」
突然の弦さんのストレートなカミングアウトに、洸くんは心底嫌そうな顔をして「生きてて1番聞きたくない事聞いてしもた」とぼやいた。
当の空くんは照れたようにキョトンとした後、僕と目を合わせて幸せそうにふふっと笑った。こんな、たわいもない会話と自然な流れで僕たちをこれほど幸せにしてしまうこの兄弟は、本当にすごい人たちだと思う。
「……やっと半月経ったけど、多分あと4、5ヶ月はハサミ握る機会ないねんな。なんか、飛び込みで流しの美容師とかしたろかな」
洸くんがそんな冗談を口にした、その瞬間。リビングにいた僕たちの意見が、奇跡のシンクロを見せた。
「じゃあ、俺の髪切ってや! 洸に言われてから、前髪自分で切らんようにずっと我慢してるから!」と、弦さん。
「俺の髪も、仕事始めるなら少し短くしようかなって思ってたとこ!」と、空くん。
「僕の髪も! 金髪もそろそろ見慣れてきたので、変えたいなと思ってたんです!勿論、指名料も込みでお支払いします!」
張り切って一斉に立候補した僕たちの言葉に、洸くんはピクリと眉を動かした。
「え、ええの? できれば週5は誰かしらカットさせて欲しいねんけど」
そう冗談めかして笑う洸くんに、弦さんが「しゃあない、にいちゃんの髪、毎日一ミリずつ切れ」と意を決した男気発言を繰り出し、全員で大爆笑した。
「えー、それじゃあ弦は限界ギリギリまでカットすることにして。空くんは、ちょっと髪色もいじってみたい! ツートングラデーションとか絶対に似合いそう。……あと、新くんはぁ……」
洸くんは僕の髪を見つめながら、ジィッと真剣な目で考え込み始めた。
あ、この角度ええかも。真っ直ぐに目を見られると緊張して動揺してしまうけれど、こうして髪型を吟味されている間なら、心置きなく洸くんの美しい顔立ちを目に焼き付けることができる。
「ん、決めた」
不意に、思考を止めた洸くんとバチィン、と視線がぶつかった。
あかん、油断してた。今、一瞬心臓もバチィンとちょっと爆発した。
「新くんは、少し暗めのカラーに戻して、ニュアンスパーマにしちゃおう」
「うわぁ、絶対似合う! もっとカッコよくなるかも!」
洸くんの提案に、空くんが大袈裟なくらいに褒めてくれる。それを見ていた弦さんは「結局、イケメンはなんでもカッコええねん」と少し拗ねたように呟いた。……結局、弦さんは毎日1ミリの丸坊主コースという解釈でよかったのだろうか。
「秀太にぃのお店、月曜日が定休日やから、使わへん日ないか聞いてみるわ」
洸くんは目をキラキラと輝かせ、すぐにスマホでメッセージを打ち始めた。秀太さんなら、洸くんのためなら喜んでお店の鍵を貸してくれるに違いない。
空くんが少し緊張した面持ちで、けれどしっかりと前を向いて口を開いた。
「俺……外に出る練習も兼ねて、お店に行ってみたい。弦が一緒やと、なんでもできる気がする」
「おう、当たり前や! 俺がしっかり護衛したるからな!」
仲良く微笑み合う2人を見ると、弦さんはニヤニヤ、空くんは少し照れくさそうにしている。
空くんの移動の負担やメンタル面を考え、当日は1人ずつ別々の日に施術してもらうことになった。
その様子を横目で見ていた洸くんが、急にフイッと僕の方を振り向いた。
「じゃあ、新くんは? 空くんと弦はそれぞれ別の日にするけど、新くんはどうする?」
……ということは。これって、洸くんと完全な2人きりになれるってことか……!?
前までは、それすら弦さんという防具を身につけてしか会ってくれていなかったのに。友達とは、なんと素晴らしい響きを持った立場なのだろうか。
脳内でオタクの血が激しく騒ぎ立てるのを必死に抑え込み、僕はできる限り誠実で、かつ大人の冷静さを装って返事を返す。
「僕も一人でお店に行きます。空くんの負担になりたくないですし……ちょっとシフトを見て、また連絡しますね」
本当は、シフトなんて僕の都合でどうとでも変えられる立場なのだ。洸くんと2人きりになれる以上に大切な仕事なんてこの世に存在しない。だけど、あまり必死すぎるとカッコ悪いから、ここは少し余裕のあるところを見せておきたい。
「……うん、わかった。こっちからも大丈夫な日連絡するね?」
よっし!! 洸くんから「直接連絡をくれる」という約束まで取り付けることに成功したぞ!!
「ありがとうございます! 楽しみにしています!」
2人きりになれる人生最高のチャンスを得て、僕の胸は期待と多幸感で今にも破裂しそうだった。
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