バイロンに再入国してから二日目に、とても大きな湖に着いた。森の中のぽっかりと開けた空間にある空の青を映した湖は、さざ波すら立っていなくて本当に美しい。
馬を近くの木に止めて水辺で見ていた僕は、感動で震えた。声まで震えてしまった。
「すごい…綺麗だ…」
「そうだろ。俺は辛いことがあると、ここに来ていつまでも眺めていたんだ」
僕の肩を抱き寄せて、リアムも目を細めて湖を見ている。
僕はリアムの胸に頭をつけて鼻をすする。
「王都から遠いのに…?」
「ああ。休まず馬を走らせて来ていた。俺の馬は体力があるからな」
「辛いことって…。またいつか…話してね」
「面白い話じゃないぞ?」
「いい。リアムの全部を知りたい…」
「わかった。フィーも話して欲しい。俺もおまえがどう過ごしてきたかを知りたい。辛かったことを話すのは…嫌か?」
「…僕の方こそ、面白くないよ」
「俺もおまえの全てを知りたいんだ」
「リアム…」
僕がリアムを見上げると、リアムが僕の鼻をつまんで笑う。
「なっ、なに?」
「鼻が赤いぞ。寒いのか?」
「う…寒い…よ。…だからもっと暖めて」
「よし」
リアムがマントの前を開いて、僕の背中からマントで包み抱きしめる。
リアムの体温と匂いを感じて、僕の身体が一気に熱くなった。
「どうだ?」
「もう寒くない…。ねぇリアム。ここはどういう場所なの?」
「ん?ここは俺の母親の故郷だ」
「母上の?」
「俺の母親は、この辺り一帯の領地を治める田舎貴族の娘だったんだ。王である父親が、訪問していたデネス国からの帰りに、ここの城に泊まった。その時に母親を見初めて王都に連れ帰ったそうだ」
「へぇ…。見初められるなんてリアムの母上も美しい方なんだね。母上は今もご健在?」
「いや、いない。二年前に死んだ」
「え…あ…ごめん」
項垂れた僕の頭に、リアムがキスを落とす。そして頬を寄せてクスリと笑う。
「フィーは優しいな。もう二年前の話だ。だから俺は大丈夫だ。俺よりもフィーの方がもっと辛い目にあってきたのだろう?」
「でもっ…大切な人を失うのは…悲しいよ」
「そうだな。俺が一番大切なのはフィーだ。だからフィーは、俺の前からいなくなるなよ」
「……」
「フィー?」
「…うん」
頬に触れる唇の感触に震えながら、僕はそっと胸に手を当てる。
そうか…僕がいなくなるとリアムは寂しいのか。それなら胸の痛みを隠しておくわけにはいかない。王都に着いたらリアムに話してみよう。何かいい薬があるかもしれないし。
「よし」と明るい声がして、僕はリアムを見上げる。
「フィーをここに連れて来れたし、今度こそ王都に向かうか。先ほど遭遇した魔獣が、また出なければいいけどな」
「うん…僕が襲われた時の魔獣よりは弱かったけど、出会わないにこしたことはないからね」
「フィー、次は剣を抜くなよ。俺一人で退治する」
「でも」
「式の前におまえの可愛い顔に傷がついたらどうする。ダメだぞ」
「…わかったよ」
リアムが顔を寄せて唇にキスをする。軽く舌を絡めて離れると、僕の手を引いて湖を後にした。
「見えてきた。あれがバイロン国の王都だ」
「わあ…大きい」
リアムの声に顔を前に向ける。遠くに横一帯に広がる高い塀と大きな門が見える。門の前には長蛇の列ができて、大勢の人でとても賑やかそうだ。
イヴァル帝国の王都も大きくて人が多い。だけどこれほどの賑やかさはない。国民性の違いだろうか。イヴァルは堅苦しい人が多いけど、バイロンは明るい人が多い印象だ。
僕が前を向いてそんなことを考えていると、リアムが馬の速度を落とした。
僕も手綱を引いてロロの足を緩める。
「どうしたの?」
「俺達は高官専用の門から入るぞ。あの人混みの中を進んで俺だとバレたくないからな」
「あ、そうか。リアムが人気で囲まれてしまうから…」
「違うな。俺は人気もあるが嫌われてもいる」
「リアムが?まさか…」
「まあ…いろいろと問題があるんだ。だからフィー、俺が絶対に守るが油断するな。俺から離れるな」
「うん」
リアムが手を伸ばして僕の頬を撫でる。
僕は首をすくめて笑う。
少し浮かない表情をしていたように見えたリアムだったが、僕を見て明るく笑った。
リアムは明るい髪色と同じで、笑顔がよく似合う。その笑顔を見るたびに、僕の胸がキュッと苦しくなる。人を好きになると苦しくなるなんて知らなかった。
僕はリアムにたくさんの感情を教えてもらった。だけど僕はリアムに何かをしてあげられるだろうか。
フードを引っ張って深く顔を隠し、再び速度を上げたリアムの後に続いた。
門の前の行列から離れた場所を迂回しながら、フードの陰から並んだ人々に目を向ける。
この国の地方からやって来た商人や旅人達だろうか。黄色や茶色、黒や赤みがかった髪の人達で、金や銀の髪の人は見当たらない。特に銀髪は見慣れなくて珍しいかもしれない。だから城に着くまでは絶対に見られないようにしなければと、僕は更に深くフードをかぶる。
そして視線を前に戻して小さく息を吐いた。
母上も姉上も僕と同じ銀髪だ。イヴァルで輝くような銀髪は三人だけだ。母上の遠縁だという人を城で見かけたことがあるけど、灰色に近いくすんだ銀髪で綺麗ではなかった。
幼い頃からラズールがよく僕の銀髪を褒めてくれた。嬉しかった。それに僕は自分のことが好きではないけど、この髪だけは好きだ。愛されなかったけど、僕と母上、姉上が家族だという印だから。
母上と姉上は今頃どうしてるのだろう。きっと母上は、逃げた僕を許せずに怒っている。姉上は優しいから心配してくれてるかな…。それにお気に入りのラズールが傍にいるから、幸せでいてくれるといいな。
ふいにリアムの姿がにじんだ。
僕は慌てて袖で目を拭い鼻をすする。
ちょうどその時、リアムが振り返って「あれだ!」と大きな声を出した。
リアムが指さした先に、先程の半分ほどの大きさの門があった。
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