自分の部屋に飾られたカレンダーを捲る。ここに来てからは日にちを気にすることが少なくなった。けれど、今日を示す数字は濃くはっきりと覚えている。
「…もう3年経ったんだ…。」
長いようで短い時間。この3年間で色んな思い出が増えていった。百合乃ちゃんもすっかり元気になったし、今では外を走り回れるほどだ。そんなことを考えていれば、僅かに開けていた窓から楽しそうな笑い声が聞こえてくる。どうやら西山さんと百合乃ちゃんが庭園に遊びに行こうとしているらしい。僕も行きたいな、なんてぼんやりと考えていると、部屋の扉がノックされた。
「入ってどうぞー!」
「失礼します。」
開かれた扉から現れたのは天海さんの姿。何だか少し元気がなさそうに見える。
「どうしたの?今日何か予定あったっけ…。」
忘れっぽい僕のことだ。何か忘れていたかもしれない。
「…いえ、何も予定はございません。」
目線を下に落としたままの天海さんにやんわりと否定される。
「その…ご相談に乗って頂きたくて。…藤澤様に相談なんてするべきではないんですが、何故だか話しやすいというか…。」
何処か落ち着かない様子が珍しい。とりあえず、と僕が腰を下ろしたベッドの横を軽く叩く。意図を察した天海さんが、浅くお辞儀をして隣に座った。
「天海さんが悩むなんて珍しいね。何でも話して!」
ありがとうございます、と小さく呟いた天海さんがぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。
「…もう長い事西山様に仕えさせて頂いているんですが、氷室と違って鈍い私はかなりミスが多くて。」
言われてみれば確かに、廊下に呼び出されて氷室さんに説教されている様子をたまに見かける。
「西山様は優しいお言葉をかけて下さるんですが、いつまで経っても成長しない私に良いようには思っていないと思うんです。」
天海さんの口から初めて聞いたネガティブな言葉。そんな風に思い悩んでいたなんて。
「氷室はずっと成長して前に進むばかりなのに、私は逆に後退している…って、話しすぎましたね、申し訳ございません。」
じっ、と見つめる僕の視線に気付いた天海さんが立ち上がろうとする。真剣に聞くがあまり相槌を忘れてしまっていたようだ。去っていきそうな腕を掴み、慌てて引き止める。
「大丈夫大丈夫!全然話しすぎてないから!」
納得がいかなそうな表情のままの天海さんの腕を引いて、もう一度隣に座らせる。
「天海さんは、なんでそんなに氷室さんと比べたがるの?」
僕の問いかけに言葉を詰まらせてしまう天海さん。何故か、と聞かれると上手く分からない気持ちがよく分かる。比べたくて比べているわけじゃない、無意識に比べてしまっている。
「…人生って、後ろに進むことはないと思うんだ。どんな酷い事や辛いことがあっても、気付かないだけで僕たちは前に進んでる。それに気付けた時が、初めて止まれる時なんだよ。 」
昔、落ち込んでいる僕に若井が言ってくれた言葉だ。元気づけられたし、人生の見方も変わった。気付かないだけで前に進んでいる。若井らしい凄く良い言葉。だけど、今だけはそうは思えない。だって、僕1人じゃ上手く進めないから。
「……ありがとうございます。」
さっきよりも明るくなった天海さんの表情。
「今言うことではないと思うのですが…私、藤澤様のこと……」
真剣な瞳を向け、何かを言おうとした天海さんの声が、勢いよく開いた扉の音で遮られる。
「天海!!!また砂糖と塩間違えてるじゃないの!」
いきなり現れた氷室さんは、どうやらご立腹のようだ。片手に握られた容器には、”砂糖”と書いてある。話の内容的に、中身は塩なのだろう。天海さんらしい。
「痛い!痛いですって氷室!!」
「藤澤様、少しの間天海を借りますね。 」
「どうぞ!」
腕を引っ張られながら去っていく2人の様子を見送る。それにしても、初めて天海さんの弱い所を見れた。先程の様子を思い出しながらそう考えていると、開けっ放しの窓から冷たい風が吹いてきた。ここは4階で普通よりも風が冷える。風邪をひく前に、と窓の傍に寄った時、屋敷の外で誰かが歩いているのが目に付いた。
「……元貴と、若井…?」
地面とは遠すぎて声も姿も上手く判別できないが、感覚的に感じるものがあった。まさか、と思いながらも2人の姿から目が離せない。暫くじっ、と見つめていると、此方の姿に気付いたのか立ち止まって指を指している。今すぐにでも名前を呼びたかったが、ぐっと堪えてカーテンを閉める。西山さんの許可がないと屋敷の外には出られないのだ。
「…行かなきゃ。」
部屋の扉に手をかける。何としても2人に会いに行かなければいけない。僕が前に進むためにも。
誰にも見つからないで外に出る、という行為は思っていたよりも難しい。この広い屋敷の中には沢山の使用人さん達がいるし、僕が部屋に居ないことを天海さんが不審に思うかもしれない。まだ元貴達とは決まった訳では無いが、何をしに来たのか、どうやってこの場所を知ったのか。気になることは山ほどある。でも確実に一つ言えることは、
今の僕は希望を持てていること。
やっと1階に辿り着いた。ここの長い廊下の先に行ければ、もう外への扉はすぐだ。人の出入りを気にしながら、不振な素振りを見せないように廊下を進む。扉まで後数歩。丁度今は周りに人が居ない。絶好のチャンスに、急いでドアノブに手をかけた時、後ろから足音がした。
「こちらにいらっしゃるなんて珍しいですね。」
もう聞き慣れてしまった声に振り向く。そこに居たのは、小さな鍵を手に持った天海さんだった。
「お外に行かれるんですか。」
問いかけに何も返せない。外に出ようとした僕を責めているのか、それともただの疑問か。向けられた切なげな表情では、何も分からなかった。
「そのままでは開きませんよ。」
手に触れているドアノブを回そうとしてみるが、ガチャガチャと音を立てるばかりで回ってくれない。
「……っ、なんで…、」
「…藤澤様。」
僕の名を呟いた天海さんが一歩踏み出す。自然と後退ってしまうが、下げた片足が扉にぶつかった。焦りと恐怖からか、冷や汗が頬を伝う。
「怖がらないでください。私はただ…、貴方に進んでもらいたい。…私も貴方も、後戻りは出来ないんでしょう?」
そう言った天海さんの手のひらが差し出される。その上で光る鍵。今欲しいものが目の前にあるのに、上手く手が動いてくれない。
「…時間が無いんです。最初から貴方の居場所は、ここじゃない。」
その言葉が否定か、それとも肯定か。考えるよりも早く、手のひらの鍵を掴み、扉を開けて外に飛び出していた。最後に向けられた天海さんの瞳。青が滲んでいたのを、知っていた。
コメント
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マジかよ!?そんなことがあったのか。衝撃的すぎる!
藤澤さんのこと…って何!?めちゃくちゃ気になる~!😖自分が思ってた場面は次かなぁ🤔楽しみです🎶💓