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一歩前に出ようとしたアゼルを片腕で制止すると、エリーゼはカインの前へと出る。カインに殺意や敵意は感じられないので、自分と同じで戦いを望まない気質だと思った。
「初めまして、カイン様。私はデヴィール国王アゼルの妃、エリーゼです。今日は戦いではなく、私個人がご挨拶に参っただけなのです」
アゼルも前に出て何か言おうとしたが、隣のエリーゼが小声で耳打ちする。
「アゼル、約束でしょ。私に任せて」
「……分かった」
アゼルは素直に黙って剣を鞘に収めると腕を組む。戦意はないという意思表示だ。カインも武器は構えずにエリーゼと会話を交そうとする意思表示が見える。
エリーゼは真っ直ぐにカインを見据えて、まずは場の空気を落ち着かせるために謝罪を続ける。
「護衛が過剰で失礼しました。書状の内容は手違いで敵意はなかったのです。ご無礼をお許し下さい」
エリーゼが再び丁寧に頭を下げると、カインは肩の力を抜いて微笑んだ。
「分かりました。こちらこそ申し訳ありません。レミアル、部隊を引いて」
「……はい」
レミアルは同意を口にすると、歩兵隊を引き連れてウィリアムの国境の中へと引き下がっていく。
その様子を見たアゼルが好都合とばかりに後ろから攻め入ろうとしたので、エリーゼが肘で強くつつく。
「バカ。礼儀でしょ。あんたも兵を引かせなさい」
「ぐぅ……アーサー、悔しいがここは引け」
「……承知しました」
意外にもアゼルよりもアーサーの方が悔しそうな顔をしている。軍人としては戦わずして引くのは不本意らしく、アーサーはウィリアム国内へと去っていくレミアルの背中をずっと見つめていた。
両国の軍隊が去ると国境の前に立つのはエリーゼとアゼル、そしてカインだけになった。カインは微笑を絶やさずに、その視線はエリーゼだけを捉えている。
「改めまして、エリーゼ様。ウィリアム国へとご案内します」
「……はい、よろしくお願いします」
一人で歩き出そうとしたエリーゼの腕をアゼルが掴んで強引に振り向かせる。アゼルと目を合わせると、その赤い瞳は嫉妬と心配が混ざったような複雑な色合いでエリーゼの心を愛で縛る。
何も言わなくても、アゼルが何を言いたいのかは分かる。エリーゼはアゼルの耳に唇を寄せて小声で伝える。
「心配しないで、上手くやってみせるから」
そう言って作り笑いをするエリーゼの心は罪悪感で痛んだ。
自分は今、アゼルの溺愛から逃げようとしている。もうアゼルの元に帰る気なんてなかったのに、彼の瞳を見てしまうと決意が揺らぐ。呪いのせいだと分かっていても、偽りの愛だとしても、どうしても名残惜しいと思ってしまう。
(でも、だめ……世界平和のためには、私はアゼルから離れるしかないの……)
心を読まれたのか、エリーゼの潤んだ瞳を見つめるアゼルが動いた。エリーゼの細い腰を片腕で引き寄せると、驚いて見上げたエリーゼに深く唇を重ね合わせる。
いつも欲しいタイミングでキスをくれるアゼルは本当にずるいと思いながらも、エリーゼは目を閉じて愛を受け入れてしまう。
ようやく離れると、今度はアゼルがエリーゼの耳元で囁く。
「上手くやれよ。帰ってきたら抱いてやるからな」
魂の底まで振動させるような艶やかな声色に、エリーゼの身も心もゾクゾクと震えてしまう。
返事ができずに頬を赤らめて顔を伏せると、アゼルから離れて歩き出す。アゼルの溺愛と信頼を裏切る行為に足取りが重くなる。
エリーゼは振り返らずにカインと共に国境を越えてウィリアム国へと入国する。そして二人は国境の壁の先で待機していた馬車に乗って王城へ向かう。
「あの、カイン様。私のこと覚えていますか?」
エリーゼは、恐る恐る隣に座るカインに問いかける。もしカインに前世の記憶があるなら今でもエリーゼを愛しているか、もしくは恨んでいるか……どちらに転ぶかは賭けだった。
カインは銀色の澄んだ瞳を見開いてエリーゼの顔を凝視する。
「エリーゼ様とは今日が初対面だと思いますが……不思議ですね、どこかでお会いした気がします」
その表情と言葉でエリーゼは確信した。この人は転生したカインで間違いない。だが前世の記憶は完全には取り戻していない。
前世の事情を話して信じてもらえるかは分からないが、エリーゼは今世でカインの愛を受け入れる事こそが前世の罪滅ぼしであり、アゼルの溺愛ルートから逃れる方法だと思っている。
(アゼル、ごめんなさい……私はカイン様と結ばれます)
前世でカインとは愛し合っていた関係ではない。カインは一方的にエリーゼを愛し求婚してきたが、その返事をする間もなくアゼルの溺愛の呪いで人生が狂った。
エリーゼは二度目の人生ではカインとの溺愛ルートを望んでいた。
(でも前世の記憶がないカイン様に愛してもらうには、どうしたら……)
それこそ色仕掛けで迫ればカインは前世の愛を思い出すだろうか……と考えていると、先ほどからカインの視線が気になる。エリーゼの顔ではなく胸元を見ているのだ。
「ねぇ……エリーゼ様は僕に色仕掛けしに来たの?」
「ええ、そう、色仕掛けに……え?」
まるで心を読まれたかのようなカインの問いかけにノリで返してしまったエリーゼだが、カインの瞳と目を合わせた時に息を呑む。
カインの瞳は、先ほどまでの優しく温かい眼差しではなく冷酷で冷たい。それはアゼルの悪魔の瞳とはまた違う恐怖を感じる。しかも急にタメ口になったのも気になる。
どうもさっきから気になるカインの目線を追ってみると、エリーゼは今の自分の服装に気付いた。
白いドレスは肩から胸元まで下ろされていて、胸が半分ほど見えるくらいに露出している。そういえば、さっき馬車の中でアゼルに脱がされたままだった。
「え、やだ、私……!」
「……それは僕を誘ってるの?」
「ちがう、これはアゼルがっ……!」
エリーゼが慌てて胸元を隠そうとすると、両腕をカインに掴まれた。驚いて顔を正面に向けると、そのまま横に強い力で倒されてしまう。
馬車の座席でカインに押し倒される形になって、エリーゼは碧眼を丸くして眼前に迫る彼の美しい瞳を見返す。
「最強の聖女エリーゼ様。僕は、あなたが欲しい」
カインがエリーゼに向ける瞳はアゼルの赤い瞳と色は違うが、その視線の熱さは似ている。そう……これは『溺愛』の目だ。
(え……カイン様はすでに私を溺愛してる?)
エリーゼが何も仕掛けなくても、すでにカインとの溺愛ルートを進んでいるようであった。
しかしエリーゼの胸は驚きと共に痛みを伴う。それはアゼルの愛を裏切る罪悪感と、最強の聖女ではないというカインへの罪悪感であった。
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