やっとりょさん視点。
時間軸としては少し前に戻る感じです。
最初は目が霞むな、程度の違和感。暫くしてそれは、目が見辛いせいで指が回しにくいという恐怖心に変わった。次第に目に痛みが走るようになって、流石に病院に行くかと町医者に行き、大学病院の紹介状を持たされたのが先週。どうにかスケジュールの合間を縫って、こっそりと検査を受けにやってきたのがさっき。
僕の立場を考えて診察室ではなくて会議室に通してくれた医者は、やたら厳しい顔をしていた。あまりいい話を聞けそうにないなと椅子に腰掛ける。
机の上に並ぶ数字やアルファベットが並ぶ検査結果の用紙を見せて、単刀直入に言います、と前振りなく病名を告げた。
聞いたことのない病気だった。
「難病に指定された病気のひとつで、症状としてはまず……」
説明をする医者の言葉は、何ひとつとして頭に入ってこなかった。難しい専門用語だからではなくて、ガンガンとハンマーで頭を殴られているような頭痛と、自分の拍動が脳内に響く不快感のせいだった。
頭の中はうるさいのに思考はやけに冷静で、どこか他人事のように聞いている僕に医者は気の毒そうな表情を作った。
「藤澤さんがアーティストであることは承知しています。ですが、その……、現状完治の例はありません」
何も返せない僕を気にしながらも、説明責任を果たすためにも医者は続ける。言葉を選んでいるようで致命傷を与えてくるな、と冷静な部分で考えてちょっと笑った。
医者は淡々と説明をした。
薬で進行を遅らせることはできても、徐々に症状は顕著になってくること。
薬の副作用が強く、激しい痛みを伴うため服用は推奨できないこと。
薬を飲まないと病に呑まれるのに、服用するなってすごい矛盾。科学も医学も確かな進歩を遂げているのに、それを凌駕する病魔はまだまだたくさんある。でもまさか自分が罹患するなんて思いもしなかった。
何よりも衝撃だったのは、どれだけ痛くて苦しくても、死には至ることはないという事実だった。それだけが幸運だと言う医者の言葉は、叫びそうになるくらいに僕に絶望を与えるものだった。
元貴の曲が弾けないのなら死んでいるのと変わらない、生きている意味がない。元貴の世界に存在できないなら、息をしている価値すらない。僕の世界の根幹は元貴という存在で、僕の存在意義は元貴の音楽だ。
元貴が必要とする僕でいられないのなら……、元貴が必要としない僕なんて要らない。
無言の僕を怪訝そうに見た後、医者はそっとやわらかいティッシュを差し出した。不思議に思って首を傾げると、そっと頬にそれをあてられて、自分が泣いていることに気が付く。
「……月に一度、必ず通院してください。貴方と同じ病気に苦しむ人のためにも」
そう締め括った医者に、なんて返したのか覚えていない。
他の人なんてどうでもいいよ、と嘲笑ったかもしれない。誰かのお役に立てるなら、と微笑んだかもしれない。
それももう、どうでもいいことだ。
のろのろと会計を済ませて入り口前にあるバス停のベンチに腰掛け、これからのことを考える。笑えるくらい冷静に、狂いたくなるほど他人事の頭で。
まずは活動をどうするか。
弾けない自分がいたところで迷惑だから脱退するべきだ。暫くは薬で誤魔化せるだろうけど、そのうちできなくなるなら早いほうがいいに決まっている。
決意も揺らいでしまいそうだし、すぐにでも事務所に話そう。
詳しいことを話すべきなのだろうけれど、できれば言いたくない。とはいえ、辞めるとなればそれなりの説明が必要で、付き合いの長いマネージャーのことだ、話を聞いてしまえば気を遣わせてしまう。合理的な判断ができる社長が適任だろうか。
あぁ、親にも話をしろって言ってたっけ。言ったところでどうなるんだろう、泣かせるくらいなら何も言わないほうがいい。隠し通すなら、徹底的にやらないと。世界一周しようと思ってとでも言おうかな。嘘だって時には必要だよね。
元貴のおかげでたくさん稼がせてもらったから、死ぬまで十分に生きていけるとは思わないけれど、贅沢しなければ暫くは生活できるくらいの蓄えはある。
難病指定されている病気は医療費が掛からないというから、それは助かるな。部屋の手配やなんかは申し訳ないけれど事務所に掛け合おう。元貴たちに知られないように、親にも心配を掛けないようにとなると、協力してもらわないとどうしようもない。
僕個人の願いを聞き入れてくれるかは分からないけど、マネジメントするアーティストのためだと言えば、無碍に断られることもないだろう。
その間に在宅でできる仕事でも見つければいいかな。音楽から遠のきたくはないから、譜面起こしのバイトとかないかなぁ。
元貴――うん、問題は元貴だ。
元貴とはフェーズ1が完結する前から付き合っている。どっちが告白したのか論争が起こるほど自然に、いつの間にかそういう関係になっていた。日常的に「好きだよー」「うれしー俺もー」なんて軽口のように告白をし合って、「じゃぁ付き合っちゃう?」って軽いノリで付き合い始め、気付いたらかけがえのない存在になっていた。
離れるなんてことが考えられなくなっていって、今ではお互いに依存気味なほどだ。友情の延長線よりもずっと重たい感情を、実はずっと抱いていたのかもしれない。
元貴に甘えられるのが嬉しかったし、寂しさや苦しさを取り除いてあげたかったし、取り零したり取り残したりした大切なものを拾ってあげたかったし、八つ当たりされたって頼りにされているんだって嬉しかった。結局のところ元貴が何をしたって、元貴に何をされたって、可愛いかったし愛おしかった。僕にあげられるものなら、身体でも気持ちでも、なんだってあげてしまいたかった。
言い合いや小競り合いだってたくさんしたけど、元貴の傍に居られるならなんだってできた。なんでも応えたかった。
元貴と食べるご飯は美味しかったし、一緒に眠れば安心できたし、手を繋ぐだけでもたまらなくしあわせだった。肌を合わせたら、このまま溶けてひとつになれたらいいのにって夢想しちゃうくらい気持ちよかった。
「……僕が、抜けたらMrs.は……」
三人でMrs.なんだと元貴はよく口にする。もちろんサポートメンバーやスタッフさんたちも活動する上で不可欠だから大切にするけれど、三人が揃って初めてMrs.の音楽は完成する、と語る。
要らないんじゃないかって言われることに慣れていた僕としては、その言葉に何度救われたか分からない。元貴が必要としてくれる限り、なんにでもなれると本気で思った。
僕の病気を知ったら、元貴はどうするだろう。
「……休止……は意味がないから……解散……?」
――だめだ。それだけは避けなければ。
Mrs.は軌跡を重ね奇跡を紡ぎ続けなければいけない。
こんなところで終わっていいバンドじゃない。元貴が描く世界を、もっともっと伝えなければならない。
「……解散、は、やだなぁ……」
三人でやることにこだわるあまり、元貴と若井が喧嘩するなんてもってのほかだ。
自分が抜けた穴を埋める誰かなんて、どこにでもいるだろう。元貴と若井の二人でも、きっとうまくできるはず。だってあの二人は、幼馴染で戦友で、同志で、親友で……家族なんだから。二人でしあわせに楽しく生きていって欲しい。
どうしたら二人でも続けてもらえるだろう。病気の話をしちゃったらきっと元貴たちは僕を気遣って、僕も続けられる道を模索してくれてしまう。
メンバーとして心配して、恋人として守ろうとしてくれるだろう。そう信じることができるくらいには、あの二人からの信用を、元貴からの愛情を、若井からの友情を、烏滸がましくも受け取っている自負がある。
あぁ、本当に――ただ、愛してる。
本当に、心から、俺の全てを懸けて。
それ以外の言葉が見つからないくらいに、愛おしい。
元貴は俺の全てで、俺の命そのものだ。Mrs.での活動の記憶と軌跡は、僕の生きた証そのものだ。僕の人生は、元貴と共に在って、元貴と共に在る未来を信じて疑わなかった。
続けて欲しい。僕がいなくても。どうしようもないほど傲慢なわがままを、許してほしい。
これが、最初で最後のわがままだから。
「……っぅ、んぐ、ひ……ッ」
涙があふれて鼻が詰まって、呼吸が苦しくなって嗚咽が漏れる。
慌てて口と顔を覆って帽子を目深に被り直す。閑散とした郊外の病院でよかった。人目がなくてよかった。
――愛してる、愛してるよ元貴。
だからお願い、俺のことを嫌いになってください。嫌われるように姿を消して見せるから。
自分たちを捨てた俺のことなんてさっさと忘れて、若井と二人で世界を駆け抜けてください。
元貴の言葉を、音楽を、もっともっと伝えてください。
「ひっ、ふ、ぅ……ッ」
だけどお願い……、貴方を想うことだけは許してください。
身勝手な奴に好かれても気持ち悪いかもしれないけど、この想いだけが俺の生きる理由になるから。
どうかしあわせになってください。笑顔でいてください。
愛する貴方を傷つける方法しか見つけられない俺を、どうか許して。
涙を腕で拭って、空を見上げた。靄がかかったようにぼやけるけれど、目に沁みる青さが心地よかった。いつの日か元貴が好きだといった青色は、こんな色なんだろうとぼんやりと思った。
家に帰ると夕方ごろになっていたけれど、休む間もなく部屋の片付けを始めた。ごちゃごちゃとしている割に意外と物は少なかった。
段ボールに必要なものを入れ、ゴミ袋には捨ててもいいものを入れて簡単に仕分けしていく。死ぬわけじゃないから衣類や生活用品なんかは必要だけれど、メイク道具は要らないかな。
自分自身を捨てていくような感覚だった。
Mrs.としての自分を作り上げてくれた、大切な宝物たちを捨てなくてはならないなんて、思いもよらなかった。
でも未練を残さないためにも、元貴たちに進んでもらうためにも、全てを置いていかなければ。
ずっと涙が止まらなくて、明日腫れちゃうなぁ、と小さく笑う。まだ明日は会うのに、困っちゃう。
元貴の服や小物はていねいに紙袋に入れていく。シャツや下着などの衣類、スペアの眼鏡やアクセサリー類、二人で揃えたマグカップのひとつ、ディズニーに行ったときに三人で買ったキーホルダー。
数えきれないほどの思い出の数々を、余すこと全部思い出せる。
「ふふ……」
アルバムを見つけてゆっくりと開く。ミッキーの耳をつけて、僕と若井の肩を抱いて子どもみたいに笑っている元貴を指で撫でれば、すぐにあの癖のある高い笑い声を思い浮かべることができる。
無邪気で悪戯好きな、やさしくて甘い笑顔をいくらでも描き出せた。
「ふ……ッ」
ぶわっと涙が込み上げて、ぼたぼたと垂れる。鼻水も出そうになって首にかけていたタオルで押さえた。
またこうやってお出かけしたかった。やりたいことも、見たい景色も、たくさんあった。
何よりずっと、一緒に音楽をやっていたかった。
バカみたいに笑い合って、戯れあっていたかった。
ただ愛し愛されて、世界を憎みながら慈しみたかった。
元貴の横で、二人と一緒に。
次から次へと思い出があふれてきて、比例するように涙も零れた。
「もと、き……ッ、もときぃ……ッ」
アルバムを抱き締める。心臓が壊れそうだった。いっそ壊れてしまいたかった。
「……ぅ、あ……」
ずき、と胸が痛むのは、病気のせいなのか気持ちの問題なのかわからなかった。ただ呼吸が苦しくなって、胸元の服がくしゃくしゃになるくらい握りしめる。
少し耐えると痛みが引いていき、ゆっくりと息を吐くことができた。
アルバムに垂れた涙のせいで笑顔の元貴が滲む。ゴシゴシと目を乱雑に拭く。
濡れてしまったアルバムをタオルでやさしく拭いて、そっと閉じて袋に入れた。捨てることなんて絶対にできないし、だからと言って持っていくこともできそうになかった。
「……だいすき。だいすき、だよ、ずっと」
元貴と若井のことを頭に思い浮かべると、自然と笑顔になる。
僕の世界に色をくれた人。僕に生きる意味をくれた人。
僕に笑顔をくれた二人に最大限の愛情を返すために、そこからは黙々と片付けを進めていき、部屋がすっきりする頃には夜になっていた。
「……よし、社長に電話しよ」
やけにスッキリした部屋を見回すとなんだか頭も冷静になって、辛いとか悲しいとかマイナスの感情は消えなかったけれど、次にやるべきことがはっきりとしてきた。
スマホを手に取り、なんて切り出そうか悩んだ末に、率直に言うしかないかと社長に電話をかける。数コールで出てくれた相手に挨拶をする。
「あ、お疲れ様です、藤澤です。あ、違くて、ちょっと相談があって……」
明日の朝一番で社長のところに行って、今後のことを相談しよう。
愛する人を捨てる、最低な人間になるまであとどれだけの猶予があるのだろう。
続。
実在する病気をモデルにしていますが、あくまでもフィクションです。ご承知おきください。
みなさんは第1話でなににお気づきになったんでしょうか……どれのことだろう……?
コメント
6件
予想していた病名が違いました😅希望がないのかあるのかないか! 先のコメントの方と同じで、お風呂場と料理のところで「?!」って思いました 💛の思いの深さの描写が素敵で、これからどうなっちゃうの?!と次が楽しみすぎます!
💛ちゃんがアルバム抱えてだいすきだよに、、、私も゙!!と叫んでました😭 それぐらい気持ち入り込んで読んでます。 💛ちゃん、幸せになってほしいです。
ですよね…て思いながら泣きました😭 ただただ💛ちゃんのMrs.や2人への深く大きい愛に読んでいてギュっとなりました。でも2人の愛も思ってる以上に深く大きいよ、社長も知ってるよって伝えたい…😭 合ってるかわからないですが、1回目読んだときはお風呂場のところで2回目読んだときは料理作ってるところです😥