アンソルーペは舌打ちする。させたのは虚無だ。
「ぼやぼやしてっから機構に先んじられちまったじゃねえか」
大王国がひと様の土地に建てた要塞を救済機構の僧兵たちが囲んでいる。問題は、普通ならば敵対している二組が相争って消耗するのは歓迎すべきことなのだが、こと魔導書の所持者同士の戦いにおいては勝者が総取りする以上、余計に厄介な存在となってしまう可能性が高いことだ。かといって割って入るにしても、どさくさに紛れるにしても、今やかわる者派は圧倒的に不利な第三勢力であることだ。
かわる者派は機構の進軍に合わせて、ユカリの感知範囲内に入ったが、それ以上は近づかなかった。
「かわる者を手伝う代わりに祖国奪還を手伝ってもらうんだから、きちんと目的を果たしてもらわないと」とアンソルーペが答える。
「で、真の魔法少女か確かめる、だったかの結論は出たのか?」と虚無がうんざりした様子で言った。「転生したとも、していないとも言えない、魂の癒着した状態ってのはオレすら知らねえ現象なんだがな。転生も成功例は知らねえし」
アンソルーペの体は一人、心は三人で丘の頂に腰掛けていた。かわる者派の使い魔たちは少し下で各々の時を過ごしている。丘からは攻めかかる救済機構の陣営、防御を固める大王国の要塞、そして夜を迎えた暗い海が眺められた。
かわる者の封印はアンソルーペに貼っていたが、心の内でも沈黙している。まだ結論は出ていないらしい、とアンソルーペは結論付ける。
「気長に待つしかないでしょう」
「いや、そういう訳にはいかなそうだ」そう言って虚無がアンソルーペを立ち上がらせ、目を凝らす。
暗い海に巨大な帆船がやって来るのが見える。遠目でもその輪郭の異常さが分かる。巨大な防水布に覆われた何か。明らかな積載過剰で、僅かな油断で引っ繰り返りかねない状態だ。
「おい! 結論を急げ! 分かんねえならもう一度奴に会えばいい。導く者を使え」
「そう仰るだろうと思っておりました」と背後で導く者が言った。小汚い灰色の長衣を身に着けた小男の体に見合わない獅子の頭が乗っている。鬣は地面まで垂れ下がっており、諂うような笑みを浮かべていた。「既にユカリをこの場に導いております」
導く者の節くれだった指が示す先に確かにユカリがいた。
「勝手なことしてんじゃねえ!」と虚無が導く者に理不尽な蹴りをくれると導きの使い魔は小さな悲鳴をあげつつ引き下がる。
「少なくとも一人みたいです。私たちが言うことでもありませんが、不用心じゃありませんか?」
アンソルーペの言う通り、ユカリは一人で導く者の魔法の導きに従ってここまでやってきたようだった。ユカリだけが誰にも見つからずにやって来れる道を導きの使い魔は示したようだ。
アンソルーペはかわる者に主導権を渡し、ユカリと対峙させる。
「私も話をしたかったからね、かわる者と。とりあえず思い出した前世のこと、全部話すよ」
そう言ってユカリはアンソルーペや虚無にはよく分からない話をした。しかし少なくともそれが魔導書に関わる重要な話だということは分かった。それが真実ならば、だが、嘘を言っているようには見えない。
魔法の無い世界で魔法を持つ少女みどり。その空想上の友達であり、後に魔導書として命を得るゆかり。そして魔導書として死に、この世界に転生した先がラミスカであり、ユカリでもあるのだそうだ。最後のところは魂の癒着の話だ。
「わたしはラミスカなのか、ユカリなのか」ユカリは申し訳なさそうに呟いた。「どっちの魂が今こうして喋っているのか、分かる? 私は私の魂を塗り潰しちゃったのかな」
「それを思い出したのなら……。言ったでしょ? わざわざ癒着と表現したのは確かにどちらの魂もあって、でも、今の私たちみたいに区別されていないからだよ」
「かわる者とアンソルーペと、あともう一人のこと?」
その問いには答えずかわる者は続ける。
「どちらが喋っているのかという問いに答えるなら、まるで共鳴するみたいに同時に喋ってるんだろうね。全く同じ体で全く同じ人生を生きてきた、双子よりも近しい存在なんだから何も不思議じゃない」
ユカリは眉根を寄せつつも口角を上げる。
「別の存在なのに、常に同じこと考えてるってこと? それって不思議というか不気味だね」
別物だが同じように振舞う存在と聞いて、アンソルーペは鏡を想像した。
「ともかく、貴女はラミスカであり、魔法少女ユカリでもある。私たち使い魔の仕えるべき存在」
「それなんだけど、もうやめない?」ユカリはここが戦場の端だと忘れさせるようなゆるりとした表情で言う。「言ったでしょ? 魔法少女も魔導書の内の一冊に過ぎない。使い魔の皆と同じ、上も下もないんだよ。それこそ双子みたいにね。この世界のどこにもいないみどりとやらの考えた設定に従う必要なんてない。ユカリ派は解散です」
「でも封印するんでしょ?」とかわる者は突きつけた。
「その通りだよ。全ての魔導書は封印する」とユカリは突き返した。
かわる者の表情が忌むものから驚くものへと変わる。
「全て? 全てって……」
そう言ってかわる者はアンソルーペが懐に仕舞っている魔法少女の魔導書に手を触れる。魔法少女の魔導書『わたしのまほうのほん』もいずれ封印するということだ。その魔導書こそが魔法少女ユカリの魂であり、それはラミスカの魂と一体化している。
「魂が癒着してるんだよ! 封印なんかすれば……、魂を無理矢理引き剥がしたりしたらどうなるか」とかわる者が言い、「誰にも分からねえが、ただでは済まなそうだ」と虚無が付け加える。
「ラミスカのことも心配してくれるんだね」とユカリに微笑みかけられるとかわる者は睨み返した。「少なくとも私が示せる覚悟はそれだけ。魔導書の再現だって、保証は出来ない。言われるまでもなく分かってるだろうけどさ」
そう言ってユカリは振り返り、導く者の示した導きの道を逆に戻っていく。アンソルーペと虚無、かわる者はその背中を見送るが、他の者たちは違った。使い魔たちがぞろぞろとユカリの背中を追って去っていく。全て聞いていたのだ。ラミスカはユカリ、魔法少女であるという結論だ。
「かわる者はどうします?」とアンソルーペが手の甲の封印を見つめて尋ねる。
するとかわる者が答えるより先に、ユカリが立ち止まって振り返り、答える。
「やりたいことがあるなら待ってるよ。来ないつもりなら捕まえに行くけどね」そう言い残して魔法少女ユカリは立ち去った。
「いいの?」とアンソルーペは問いかける。
「うん。アンソルーペとの約束は守るよ。ガレイン半島から大王国を追い出すんでしょ?」とかわる者は答えた。
その時、ユカリの消えた方から舌打ちが聞こえる。
「消えたか。導く者とやらの魔法だな」
そう言ってケイヴェルノが闇の中から姿を現した。そのような魔法を修めているとはアンソルーペも知らなかったが、隠匿の魔法で一部始終を見ていたらしいと分かる。
「お祖父ちゃん!? いつからここに!?」
牛の鉄仮面と羊の鉄仮面が向き合う。
「もうふりはいいだろう? 巣食う者よ。我が孫娘の声でお祖父ちゃんなどと呼んでくれるな」
「ふりじゃない! ずっとそばにいたのは……。あ……」
「……どもる真似すらしなくなったか」鉄仮面に籠るケイヴェルノの声が震える。「なあ、アンソルーペはいつからそこにいないんだ? 娘が必死に生き延び、私に託した最愛の孫娘の魂は、いつまで地上にいられたんだ? 教えてくれないか? アンソルーペを名乗る者よ」
アンソルーペは息を呑み、目を逸らす。虚無は興味なさげに沈黙し、かわる者はただ傍で見守っている。
「ガレインの地を出た時には既に、あの子の魂は昇天していました」
ケイヴェルノは立ち尽くしたまま、僅かに空を見上げる。冷えた地上を冴え冴えとした月光が照らしていた。
「嗚呼、初めからか。守るべきものなど、疾うに失っていたというわけだ」
仮面の奥の涙がその声をも濡らしていた。
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