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ドアがノックされる音で目が覚めた。
視界の端でデジタル時計がぼやけて見える。昼過ぎ――数字を認識した瞬間、頭の中で「あぁ、そういえば明け方まで起きてたんだった」と妙に冷静な声がした。
「せんぱーい、そろそろ起きてくださいっす」
聞き慣れた、ちょっと気の抜けた七海の声。
どうやらノックしている主は七海のようだ。
布団の中に残っている体温を名残惜しく感じつつ、私は小さくあくびを噛み殺して上体を起こす。昨夜のあれこれが、腰と太ももあたりのだるさで嫌でも思い出されて、ちょっとだけ顔が熱くなった。
ベッドから降りて、ふらつく足取りでドアへ向かう。
内鍵に手を伸ばし、カチャリと外してから、そのままドアノブを引いた。
「ごめん、今起きたところ」
「あっ、はい」
返ってきた返事は、普段の七海らしからぬ、妙にかしこまった声だった。
どこか他人行儀というか、距離を置こうとしている感じがする。何だろう、と首を傾げつつ部屋から出ようと一歩踏み出した瞬間――七海が、すっと私の前に立ちふさがった。
……うん、これは何かあるやつだ。
「あの、先輩……今の自分の姿に何か疑問はないんすか……?」
「疑問? こっちのセリフなんだけど……」
七海の発言の意図が分からなくて、思わず素で返してしまう。
自分の姿――と言われて、そこでようやく、視界の下の方にある「素肌の量」が異常に多いことに気付いた。
「あっ」
見下ろせば、肌。胸元も、腰も、足も、全部そのまま。
当たり前のように全裸で出ようとしていた自分に、今さらながら戦慄する。
「服着てないじゃんか……ありがとう、寝ぼけてた」
「気づいてくれて助かったっす。先輩の服は沙耶ちゃんが後生大事に持っているはずっすから、クローゼット漁ればあるっすよ」
「わかった、着替えるから閉めるね」
裸なんて今さら――とは思う。昨夜のメンツは全員見てるし。
でも、だからといってこのまま廊下を歩くのは、羞恥心というより単純に「光景としてどうなんだ」という問題がある。
ドアを閉めて鍵をかけ、振り返る。
布団の中でもぞもぞと動いている塊に向かって声を掛けた。
「沙耶ー。起きてー」
「……起きてる。布団がお姉ちゃんの匂いがする。助かる」
くぐもった声が布団の奥から返ってくる。
相変わらず、布団に包まりながらゴロゴロする習性は変わっていないらしい。
近づいて、その上に馬乗りになるように腰をおろす。
「沙耶。私の服は?」
「ひゅっ……それは、駄目だよ。お姉ちゃん……」
急に変な声を出して、布団の中で身じろぎする。何が「駄目」なのか分からない。
五年の間に、沙耶の中で「理解できない領域」が地味に増えた気がする。
やがて、もぞもぞと布団から顔だけを出して、沙耶が上体を起こした。ちょうど私の胸元あたりに顔が来る位置だ。視線が合ってしまって気まずくなったので、私はそっと横に退く。
沙耶はまだ眠たそうに目を擦りながら、ふらふらとクローゼットへ向かった。
腰をさすりつつ中を漁り、やがて懐かしい布の感触を持って戻ってくる。
「いてて……お姉ちゃんのせいで筋肉痛なんだけど」
「求めたのは沙耶だから私のせいじゃない」
受け取った服を見れば、よく着ていたTシャツとズボンのセット。何度も洗った馴染みのある感触が指先をくすぐる。
下着に手を伸ばして胸に当ててみるが――きつい。ホックが届かない。
「……成長、したのかな」
喜んでいいのか微妙なところだ。
結局、アイテム袋から布を取り出し、簡易的な晒のように胸に巻き付けて固定する。魔界生活で身に付けた残念スキルが、こんなところで役立つとは。
残りの服に袖を通し、ズボンも穿き終える頃には、沙耶も着替えを終えていた。
ふたりで部屋を出て、リビングへ向かう。
テーブルの上には、既に食事がきれいに並べられていた。炊かれた米の匂いと、温かい汁物の香りが鼻腔をくすぐる。
やけにツヤツヤした顔のカレンと、心なしか魂の抜けたような七海と小森ちゃんが座っている。
……何があったかなんて、あえて聞くまでもない。夜の戦績は顔色に出る。
全員が席に着き、手を合わせて、食事が始まった。
他愛ない会話と箸の音が重なって、久しぶりに「普通の朝」がそこにあった。気づけば、空になった皿と茶碗が目の前に並んでいる。
「そういえば、ハンター協会ってどうなった?」
ずっと気になっていた疑問を口にする。
「……一応あるよ。お姉ちゃんが居なくなる前ほど力はないけど」
「そうっすね。今、相田のおっちゃんが海外で日本への侵略行為を止めるように交渉してるはずっす」
「支部のようなものがこの村にあります。実質、本部みたいなものですけどね……」
「ん。やっぱり、こっちの食事はおいしい」
私の質問に、三人三様の答えが返ってくる。
状況は思っていたよりもシビアで、けれど完全に終わってしまったわけではない――そんなバランスが伝わってくる。
カレンは相変わらずマイペースに、ご飯を口いっぱいに頬張って幸せそうに目を細めていた。その姿に、思わず苦笑が漏れる。
「最近は物騒だよねぇ。ここ以外の村のスパイとかが発電所の魔石を盗みに来たりするし」
「あ、よかった。ここ以外にも人が集まってるところがあるんだね」
「うん。私の知ってる範囲だと8つかな? 規模は皆同じぐらいだと思う」
「なるほどね……あ、ここに来るまでに倒したモンスターの魔石って使う?」
さっきまでの戦闘で拾ってきた魔石の量を頭の中でざっくり数える。
道中も含めれば、数十万個は軽く超えているはずだ。魔石がインフラの中心になっている今、どれだけあっても困ることはない。
加工技術がもう少し進めば、スキルの増幅や安定化にも応用できるだろう。問題はこんな環境で「研究」に割ける余裕がどれだけあるか――だ。
「使わないなら欲しいかなぁ。昨日攻めて来たモンスターの魔石もあるから当分は大丈夫だけど」
「わかった。必要になったら言ってね」
今すぐ全部渡してしまうより、状況を見ながら供給した方が良さそうだ。
魔石は力だ。力は時として、人を暴走させる。
これから自分がどう動くか。
本当なら、ここまで荒廃していなければ、沙耶たちとふつうに暮らす選択肢もあったのだけれど――この世界は、そんな甘えを許してくれそうにない。
娯楽もほとんどなく、未来の予測も立たない閉塞感の中では、いつか必ずどこかが軋み始める。
その前に、根本から少しでもマシな方向へ押し戻さなければ。
「とりあえず私は周囲のモンスターを殲滅しつつ、ダンジョンを見つけたら攻略して発生源を潰す。でいいかな?」
「うん……自由に動ける戦力がお姉ちゃんとカレンさんしかいないから悪いけど……」
「大丈夫だよ。人を纏めるのは苦手だし、戦うだけなら得意分野だ」
自嘲気味に肩をすくめながら言うと、カレンの方を向いた。
彼女は、待ってましたと言わんばかりに鼻息を荒くして、こくこくと力強く頷いている。
よし、と心の中で小さく気合を入れる。
食事も済んだし、一仕事――いや、この世界を少しでもマシにするための「第一歩」を踏み出そう。
さっきから、遠くからこちらを窺っている“異質な魔力”がひとつあった。
それを辿るように視線を向け、方角を指で示してカレンに合図を送ると、小さく「ん」と頷き返ってくる。
私たちが動いたことに気づいたのか、向こうの魔力がすっと移動し始めた。
――けれど、残念ながら、その程度の速度では振り切れない。
「私は先回りするからカレンはそのまま追いかけて」
「ん。了解」
短くやり取りを交わし、私は地面を全力で蹴った。
風圧で髪が大きくはためく。魔力で脚を強化し、一気に“気配”の前方へと回り込む。
剣を抜き、構えたまま茂みの陰で待ち構える。
魔力反応が、ほとんど真正面に来た瞬間――姿を隠そうとする気配すらなく、目の前に飛び出してきた。
「なっ、何で前に!?」
「……日本語? 人間……かな?」
全身を、映画やSF作品で見たような機械仕掛けのスーツに覆われた人物。
無機質なヘルメットのスピーカーから、確かに聞き慣れた日本語が流れ出た。
本当なら足の一本や二本を斬り飛ばしてからゆっくり話を聞くところだけど――声色に焦りはあっても「モンスター側」の気配はない。多分、人間だ。
少し遅れてカレンも追いつき、背後に回り込むように着地した。前後を挟まれている状況を理解したのか、スーツの人物はゆっくりと両手を上げた。
「降参。まさか、私を追い抜くような力を持つ者が日本に残っているなんて思いもしなかったわ」
「……日本にってことは、海外の人?」
「所属は明かせないけど、そうね。このパワードスーツには翻訳機能も付いているの」
なるほど、と内心感心する。
姿形は完全に近未来の兵士だ。魔界で見たような魔導具とは方向性が違うが、こちらはこちらで技術が進んでいる。
じっと観察していると、向こうが私を指差した。
「あ、貴女、『銀の聖女』ね? 昔のメディアの記事と一致したわ。失踪したと聞いたけど、生きていたのね」
「つい最近戻ってきたんだよ。色々とあってね」
素性の知れない相手に、わざわざ魔界留学の話を細かくする義理はない。
適当な言葉でぼかしておく程度でちょうどいい。
「私の名前はクリス。偽名だけどそう呼んでちょうだい」
「そう。クリスさんは、何で私たちの拠点を監視してたの?」
あえて核心から入る。知らないふりをする意味はない。
「……答えないと駄目かしら?」
「拒否権は無いよ。両手足とお別れしたくなければ答えた方がいい」
わざと剣先をわずかに傾け、殺気を混ぜて告げる。
本気でそうするつもりはない。ないけれど――返答次第では、「やむを得ない」という選択肢が出てくるのもまた事実だ。
魔界で生き残るうちに、価値基準が少し物騒寄りにズレている自覚はある。
微かに漏らした乾いた笑いを、スーツ越しにどう受け取ったのかは分からないが、クリスは観念したように息を吐き、口を開いた。
「上からの命令よ。日本の生存者が暮らしている拠点を監視しろってね」
「何のために?」
「私たちの国が得をするように。強ければ同盟を、弱ければ支援を餌に労働力として飼い殺すのよ」
さらっと、とんでもないことを言う。
けれど、妙に納得もしてしまった。今の世界で“支援”できるだけの余力がある国がそういう発想になるのは、ある意味で自然だ。
……ただ、それだけでは済まなそうな気もする。
この荒廃した地球で、まだ余剰戦力を外に出せる国。
ここでクリスを始末して国を敵に回すのは、さすがに得策じゃない。かと言って、放っておけば、いずれこの拠点ごと「駒」のひとつに組み込まれる未来が見える。
さて、どう料理するべきか。
一度、私だけで判断するのはやめよう。
これはもう、私ひとりの問題じゃない。ここで五年間踏ん張ってきた三人の意見を聞くべきだ。
「……」
剣先をゆっくりと下ろし、私は息を吐いた。
「一旦、拠点に戻って相談しようか」
そう心の中で決めて、私はカレンと視線を合わせ、小さく頷き合った。