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会議室から出た魔王は急ぎ自宅へと向かった。モニカが後に続いていたが、ここからはプライベートだからと中庭で別れた。ユウの安否をすぐにでも確かめたかった。
ユウが寝ているはずの客間のドアを一応ノックする。当然だが返事はない。ゆっくりとドアを開け、中に入った。いると思っていたベッドは空だった。不思議に思い、ベッドを触るが、冷たい。長い間ベッドを空けているようだ、と魔王は思った。
実際にはユウは植物であるため、人間のような体温はないからこそベッドが冷たいのだが、今の魔王に知る由はない。少し考え、ドアの方を振り向く。
「うおっ…………ユウ?」
入った時には死角になっていて気づかなかったが、ドアの裏、部屋の隅にユウは座り込んでいた。驚きと心配が同時に来る。静かにおずおずと近づいた魔王は、マントが床に擦れることも気にせず、ユウの前にしゃがみ込んだ。しゃがんでもなお、体格差故に見下ろす形になり、ユウの頭のつむじしか見えない。再び魔王は声をかけた。
「ユウ。起きているのか?」
「…………ん」
「そうか。何故ベッドに行かないのだ?ここは硬いし冷たい。体に悪いと思うがな」
「……んー」
ユウは俯いていた顔を少し上げて、魔王を見た。しかし、体格差故に魔王の顔はまだ見えない。見えるのはせいぜい、床に擦れたマントと床についている膝くらいだ。ユウはおもむろに魔王のマントを触った。サラフワしていて触り心地がとてもいい。しばらくそうしていると、耐えかねたのか、魔王が提案する。
「ユウ。せめてソファに座って話をしよう。我は貴様の顔が見たい」
「……ん」
ユウは何も言わずに右手を上げた。引き上げろ、と言うことなのか。魔王は立ち上がり、その右手を握って上へと引っ張った。その力が思ったより強かったのか、ユウの体重が思ったより軽かったのか、ユウの体は勢いよく持ち上げられた。驚いたユウがバランスを崩し、魔王にもたれかかる。ガッシリとした魔王の体に支えられて、ようやくユウは意識がはっきりしてきた。魔王の顔を見上げる。
「……ソファ、行こうか」
「ああ。そうしよう」
「ねぇ、魔王」
「なんだ?」
近くも遠くもない距離で、ソファに横並びに座り、魔王が用意したオレンジジュースを両手で持ち、ユウは問いかけた。
「あんた、名前なんて言うの」
ユウの方をチラリと見て、自分のコーヒーへ視線を移す。少したって、再びユウが口を開く。
「……言いたくない?それとも、名前がないの?」
「……言いたくないわけではないのだ。名前も、ある。はずなのだがな」
「はず……?」
「…………誰にも言うなよ?」
「うん」
「俺には、記憶がないのだ。魔王になってからの、魔界の王になってからの記憶しかない。だから、魔王と呼ばれている場面しか覚えてないのだ。故に自分の名前が思い出せない」
「…………そういうことか。じゃあ、今いる幹部の中に、魔王となる前のあんたを知る者はいないってこと」
「そういうことだ。一番長い付き合いのリオルでも、魔王城に来たのは、俺が魔王になってから三十年はたっているころだ。知るよしもない」
「あんた、何年魔王やってるの?
「……何年か……、五百三十年ほどか」
「長生きだね。人間ではあるんでしょ?」
「人間だが、魔族だからな。俺に限らず、魔族は寿命が長い。個人差が激しいが、大体の者は百年〜四百年生きる。魔力に体が馴染んでいる者ほど長生きだな。他国の人間たちはどれくらい生きるのだ?」
「うーん。帝人国は、だけど、五十年生きたら長い方だよ。徴兵が長く続く国だし、若い兵士から死んでくから」
「それは短命だな。戦争が終われば平均寿命は伸びそうだ。貴様は今何歳なのだ?」
「僕…………は、たぶん二十三くらい」
嘘である。本当は幸暦と同じ、今年で六四九歳である。しかし見た目は二十歳前半。さすが植物だ。
「若いな。まだまだこれからだ」
「そうでもないよ」
オレンジジュースをひとくち。こくりと飲み込む。
「……あんた、記憶を取り戻したいって思う?」
「……自分の基礎となる記憶が抜け落ちているのは怖いことだ。できれば、知りたいものだな」
「記憶は、何かのきっかけで目覚めることが多いらしいよ」
「なんなのだろうな。俺のきっかけとは。
……そうだ。貴様、体調はもういいのか?」
「体調は……悪くはない。さっきよりはね」
「そうか。よかったな。何故ベッドにいなかったんだ?」
「……嫌な感じがして。多分、寝ると悪夢を見るから、ベッドから離れたかったんだ」
「悪夢……それはいつから見ているのだ?」
「……ずっと、昔から。頻繁にかな」
「だからクマがあるのか。貴様、寝れていないだろう」
「あれ……クマある?おかしいな……ファンデで隠してるはずなんだけど」
「……かまかけだったのだが、本当に寝てないのだな?」
「あーー。ズルイ」
「長く生きていれば悪知恵も働く」
「……寝てないよ。寝れるもんか。お父さんが心配なんだ」
「確か、国王が父親なのだったな。今、戦況はどうなっているのか、把握しているのか?」
「……うん。多分五分五分かな。お互いに引かないから国境線が膠着してると思う。でも、何かひとつのきっかけで、どちらにも倒れうる危険な状況だ」
「……自分を責めるなよ。そこまで状況がわかっていながら、貴様は亡命を選んだ。選ばざるおえなかったのだろう?そこまで切迫した状況ならば、優先すべきは自身の安全だ。まずは心身ともに健康になってから、それから物事を考えれば良いのだ」
「…………うん」
ユウは持っていたグラスを机に置いて、魔王の体に寄りかかった。流石にこれには魔王も動揺した。
「おい……ユウ。流石に俺に気を許しすぎじゃないか?敵国の魔王。それも会ってまだ一日だぞ。貴様の危機管理能力はどうなっている」
「……平気だよ。あんたは良い人だ」
「それはまだわからんだろう」
「たしかにわからない。けど、今はあんたに縋るしかないんだ。あんたを信じていたい。その結果裏切られたとしても、僕の危機管理能力が甘かったってことでいい。何があっても自己責任。……なら、勇者が魔王に寄りかかったっていいでしょ」
「本当に、おかしな勇者だ」
「ふふ」
ユウは笑った。魔王は真横にいるせいで、ユウの顔が見えなかったが、笑い声は微かに聞こえていた。
「ベッドが嫌なら、ここで寝るか」
「……うん」
ユウは魔王にさらに近づき、魔王のマントを掛け布団のように体に巻いて魔王に寄りかかった。この時の魔王の心拍数は計り知れないだろう。
「……ん、このマントいい匂いする」
「香水だ。気に入ったか」
「……」
「ユウ?」
ユウの顔を覗き込むと、すでに目を閉じて寝ているようだった。「眠れない」が嘘のような即寝に驚く暇もなく、客間のドアが開く。
そこには、この状況に目を丸くするマーヤが立っていた。顔が驚きから不快に変わっていく様を、まじまじと見せつけられた魔王は、なんと言い訳をしようか必死に考えていた。
ツカツカと近づいてきて、魔王にひっついているユウの体をぐいっと引っ張り、自分の方へ寄りかからせたマーヤは、謎に魔王にドヤ顔をしてみせた。ユウは衝撃で目を覚ましたが、マーヤの仕業だとわかると、安心したようにまた眠りに落ちた。ドヤ顔の意図を理解する前に、悔しがっている自分に気づいた魔王は、恥ずかしさを隠すためにキッチンに引っ込んだ。