僕はいつからおかしくなってしまったんだろう。
いや、僕たちか。僕たちはどうしておかしくなってしまったんだろう。
何も見えないんだ。何も分からない。これが百の気持ちだったんだろうか。
あれは冬の日の事。
何気なく妹と俺でニュースを見ていた。
「12月頃から流行している新型の感染症『機縁病』に関して、神奈川県は緊急事態宣言を発令し、不要不急の外出を控えることを呼びかけーー」
「機縁病か。最近ニュースにはなっているけど、どんな病気なんだろね、お兄ちゃん」
「調べろって言ってる?百ちゃんの時間制限切れたの?」
「そうなの!一日3分って頭おかしくない?なんで?」
「百ちゃんがpのアイコンのアプリばっか見てるからじゃ?親がシステムエンジニアなのに見る度胸は褒めれるよ」
「だからやましいものは見てないって!!というか調べてよー!」
「まあいいか。えっとーー」
「ーー機縁病は死の機縁になる神経病で、初期は軽いめまいなどから始まり、1週間後には幻覚症状、激しい頭痛・めまい、妄想、普遍的な記憶喪失などの症状が現れ、さらに1週間後には90パーセントの確率で死亡。治療法は現在見つかっていない」
「え、こわ。絶対罹りたくないんだけど」
「俺のクラスに罹ってる奴いたんだよな」
「えー、移ってるかもよ」
「怖い事言うなよ。……でも、感染力は高いらしいな。近くの人になら余裕で移るらしい」
「お兄ちゃん、持ってこないでね」
「当たり前だろ」
あれから、百と僕はそれぞれの部屋で宿題をしていた。
テストが近いからと、ほぼ無限に思える宿題をこなし、指を動かす作業に疲れてきた頃だった。
百の部屋から悲鳴が上がったのは。
「百?どうしたんだ……?」
「だ、誰!?私、お前、僕、あ、あ……」
百は、意味不明なことを呪文のように呟きながら地面に頭を打ち付けている。
痛みなどを感じていないのか、一定のリズムで頭をガンガン打ち付けるその姿は、まるで人間ではないかのようだった。
僕の脳裏に一つの可能性がよぎる。
「機縁病」。
最初は微々たる症状。
次に幻覚が見え始める。
行動がおかしくなる。
そして、終いには悲惨な死を遂げる。
悲惨な死の機縁となる病、機縁病。
百はほぼ確実に。
僕は真っ先にどうすべきか考えた。
とにかく親に連絡しようとスマホを取り出す。
しかし、先ほどの病気を調べたことで制限時間を超過し、僕のスマホは使えない状態に。
親は共働きで、いつも深夜に帰ってくる。
しかもとても忙しいから、僕がスマホを直してと申請を送っている間に手遅れになる。
僕が考えている間にも百は死への道をたどっている。僕はとりあえず百を抑え込んだ。
百は暫く僕の腕の中で暴れていたが、途端に落ち着き、瞳孔をかっと開いて動かなくなった。
僕は最寄りの病院の「輝煌第六病院」へ向かった。
第六病院にて、僕が機縁病の話をすると急患として真っ先に通してくれた。
いくつかの検査を百に行い、それらの結果が出たとして僕は診療室に呼ばれた。
「まあ、機縁病で間違いないとは思いますね」
「……」
「機縁病は飛沫感染が主ですから、家族や学校から感染したのではないでしょうか。もしかすると、貴方も感染している可能性がありますし、あとで検査を受けてください」
「あ、あの……百は、今どんな状態ですか」
「幻覚症状が末期までに達してますね。残念ですが、数週間後には亡くなっていると思われます」
「なんとかできないんですか」
「……」
担当医は、手で追い払うような動作を見せ、周りにいた看護師をはけさせる。
更に、奥のカーテンも閉めだした。
「なんとかしたいですか?」
「え……そりゃそうで」
「たとえどんな方法になってもでしょうか」
「ど、どんな方法って……」
「貴方の人生の多くを奪ってしまうかもしれない、という意味です」
「……僕の人生を」
一瞬躊躇った。
僕の人生。唐突に大きくなった規模に、ただただたじろぐ。
しかし、あの頃の僕はまだ無知だった。
妹を助けられるなら何をすることになってもいいと思っていた。
「ーー大丈夫です」
「そうですか。では、説明しますね」
「貴方にやっていただきたいことは二つあります。一つ目は、妹さんの人格を受け入れられるような体質になる手術を受けていただき、その後妹さんの人格を貴方の体に宿していただく」
「……はぁ」
「要は、二重人格になってもらうわけです。その片方の人格が貴方、もう片方が妹さん。そうすれば、妹さんは死ぬことが無く貴方の元に」
「なるほど……?」
「もう一つは、僕の実験に参加してほしいということです。僕は今、機縁病や霊媒体質に対する実験の被験者を募集していまして、二重人格の手術代の代わりとして被験者になってもらいたいんです」
「じゃあ、手術自体は無料と?」
「はい。実験自体も直ぐに終わりますし、貴方に害を及ぼす実験でもありません。今ちょうど一枠開いてるんですよ」
「そ、そうですか」
「では、とりあえず機縁病の検査からですか。少し準備が要るので、そこでお掛けになってお待ちください」
「あの……失礼だとは思うんですけど、名前は」
「ああ、名乗るのを忘れていました。坂巻透です。よろしくお願いします」
彼は、小さく礼をした後検査の準備に取り掛かった。
しかし、その検査の結果含め僕には一切記憶がない。
確実にあいつのせいだろう。坂巻透と名乗る医者。
気付けばネームドになっていた。
ambitionとなってからは、非常におかしい人生を送った。
ネームドのみんなからゴミ捨て場扱いされ、関わることすら禁じられた。
最下層から動けない僕はひたすらに友達を欲していた。
落ちてくる奴らは僕を見て化け物だの悪魔だの散々言った後僕に吸われていった。
こんなの本望じゃない。願わくばみんなでネームドに反乱したかった。
でも、僕がみんなを殺さないためには人格にするほかない。
許してくれ。許してくれないとは思うが。
衣川がネームドに反乱すると聞き、俺は協力を申し入れた。
しかし、彼はたった一人で計画まで立て、それを実行に移しているらしく、僕はどうやらお邪魔虫だったみたいだ。
だから、僕も別の方向から反乱しようと、messiahの中にいる黄楽天を使って無理やり飛行船を墜落させようとした。
でも、それを止めに来たのは衣川だった。
彼はものすごい勢いで僕を殺しに来た。
僕の人格は亡くなっていった。
彼の弟を失うかもしれない怒りは痛い程分かった。でも僕は、messiahと衣川が兄弟なんて知らなかった。
本当はお前の味方なんだ、お前を傷つけるつもりはなかった、信じてくれ!
そう叫んだはずだが、言葉がうまく出てこなかった。
おかしい。すべてが何かに見える。
何かではある。でも具体的に何も分からない。
何か。何かないか。
衣川に追い詰められる度、僕は思った。
機縁病の検査。あれは陽性だったんだ。
これは幻覚なんだ。
現実の俺は意味不明なことを言っている。
夢の中の私は普通に話していない。
彼も。彼女も。
百。
ごめん。
ambitionこと七瀬正は、全てにおいて死んだ。
*
なんてくだらない勝負なんだろうか。
こんな戦い、俺が勝つに決まってる。
なんなら、ambitionは素で戦った方が俺に勝てると言うのに。
やはり”あの病気”の影響が出たんだろう。
あの病気について説明するには、このプロジェクトの創設期から話さないといけなくなる。
約100年前だろうか、このプロジェクトが始まった際、神化人を人工的に作り出すという目的のほかに、もう一つの目的が動いていた。
その目的というのが、あの病気について調べ、研究し、治療法を見つけること。
この目的にたどり着いたのはつい最近の話だ。
神化人の話はネームド全員に知らされていたが、bloodは病気に関して一切話さなかった。
というのも、神化人担当がbloodで、病気担当がemptyだったらしく、彼はそこまで詳しくなかったという理由もあった。
その病気の症状がかなり不可解で、おそらく神経系の病気と考察されているものの、人によって症状が変わる。
幻覚が見え始める、不可解な挙動を取るなどが多いが、その他にも欲望を解放しやすくなったり論理的思考ができなくなったりするらしい。
そして、それらの共通項が「悲惨な死を遂げる」こと。
なんとも胡散臭い話だが、100年前にはこの病気が大流行し、何千人も亡くなった。
人外も人間も動物も、種族問わずにかかり、終いには海外にも魔の手は向かった。
その病気にかかる原因も分からずじまいで、当然治療薬もない。
これを打破すべく、坂巻は病気の研究を続けていた。
おそらく、ambitionはこの病気の被害者だろう。
彼には幻覚が見えていて、妹が助けてくれる、自分より妹のが強いということを思い込んで、このようにわざわざ勝率が下がる不可解な行動をした。
そして自殺。これも悲惨な死カウントとするなら、あの病気の症状をそのままなぞっている。
止める方法が分からないのが辛い。このままだと、”あいつ”も。
しかしこんなことを考える暇があるほど、百の攻撃は簡単に躱せる。
攻撃するまでの素振りに5秒も使ってるせいで、超お疲れの俺でも余裕で食らわない。
それに、彼女は無理やり呼び出されたからか本調子ではないらしく、自分が攻撃した時に自分にダメージが入っている。
彼女が振りかぶり、俺が避け、彼女にダメージが入る。
そんな簡単な事を何度も繰り返して、気づけばあの兄妹はいなくなっていた。
この兄妹の結末こそが悲惨な死なのだろうか。だとするなら、二人して病気なのか。
でも、俺にはもっと重要なことがあった。
ambitionを殺したことで、切斗が返って来たのだ。
ToDoリストは殆ど終わった。
ここから俺の計画は最骨頂を迎える。
まるでぐっすりと眠っているように、穏やかな表情で目を閉じている弟。
その表情とは裏腹に、全身が血で染まっている。
どうやら返り血のようで、彼自身にダメージが入ったわけではなさそうだ。
ゆっくりと瞳を空気にさらす。
寝ぼけているのか、少し戸惑っているようにも見える。
「……衣川」
「よかったな、切斗」
「切斗……そっか、私は切斗って名前か」
「記憶は戻ってきたんだな」
「そうだな。でも私は……かなり取り返しのつかないことを」
「しょうがないだろ?お前は事情を知らなかったんだから」
「で、でもこれは実質私のせいで……その……病気とかもそうだし……」
「だから、それに関してお前を責める奴はいないだろ」
「……そうか?」
「そうだろ。……なぁ、切斗」
「どうした?」
これは、俺にとって究極の選択ともいえる択だった。
この後、俺は計画によりbloodと同化する。
つまり、俺と切斗は敵対する。
その直前に、計画の話をするのか?
いや、もっと言えば兄弟であるという話をするのか?
切斗は、俺と星斗と別の場所に住んでいたから、正直あまりかかわりはなかった。
切斗の家がだるい方なのもあって、俺もプロジェクト前に彼に会ったのはせいぜい2、3回。
俺が彼に「俺は実は兄なんだ」と言わなければ、彼は俺のことに気付かないだろう。
というか、覚えていないかもしれない。
それもそうだ、俺と星斗は無いものとして扱われていたから。
もし兄弟だからと言って攻撃を躊躇されたら、計画に関わる。
彼に兄弟の話はしない方がいい、という結論になった。
はずだった。
「俺らがネームドになる二年前くらいかな。俺達、実は一回会ってるんだけど、覚えてる?」
「……!」
切斗は、その言葉を待っていたと言わんばかりに俺との距離を詰めてくる。
そして、目をキラキラと輝かせてこう言った。
「覚えてるに決まってるよ、兄ちゃん!!」
「え」
「ずっと一人っ子って言われてきてたからさ、凄い嬉しくて!兄ちゃんも弟もいたって、ビッグニュースすぎて覚えまくってる!」
「……マジか」
「覚えてたらダメだったのか?」
「いや……嬉しいけど、ちょっと……辛い事をさせてしまうかもしれない」
「辛い事?」
切斗は、あの頃と変わらないような純粋な瞳でこちらを見つめてきた。
その瞳を見られるのは今回が最後。それがとてもつらい。
「私を誰だと思ってるんだ、最強の救世主だぞ!!主人公格の強さを持ってるからな、不可能な事なんて何一つない!!」
「……そうか。あのな、実は俺は、これからbloodと同化して、お前たちと敵対しなきゃいけない」
「え……?」