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玄関の扉を開くと、少し先の門のそのまた少し先に、大樹の姿が見える。
アプローチを抜け、門を開くと、低いけど柔らかな声が聞こえて来る。
「花乃、おはよう」
「おはよう、大樹」
大樹は門を締める私に近付いて来て、隣に立つ。
もう当たり前になってしまった朝の光景。
会社の最寄駅が同じせいで私と大樹は毎朝一緒に出勤している。
家から会社迄の約一時間は、おしゃべりしながらだと結構早い。
それに大樹と一緒だと満員電車でも安心感があるから、結構助かっていたりする。
「花乃の会社は何日迄?」
「うちは二十五日の金曜日までだよ。販売店はお正月休みも営業しているから営業マンは交代で出勤するんだけどね、私は九連休」
こんな話をしているともう年末なんだなってしみじみ感じる。ついこの前秋が始まったばかりだと思ってたのに、もう冬なんだから時間の早さには驚くばかりだ。
「俺は二十八日迄仕事だから、仕事納めの日は花乃と出勤出来ないのか」
大樹は口を尖らせ、「つまんねえ」って呟く。
その仕草は子供みたいでちょっと呆れてしまう。
でも、大樹はこう見えても仕事が出来る男だと最近知るようになったんだよね。
と言っても情報源は大樹ではない。
大樹は私に仕事の話を殆どしないし、「昨日、こんな仕事して上手くいって褒められてさ~」なんて自慢もしない。
私の情報源は主に沙希だ。
沙希の新しい彼氏の井口健君が大樹の同僚だから、その経路でいろいろと話が回って来る。
井口君の話だと大樹は同期の中でも一番優秀で、幕張事業所から本社に転勤になったのも、本社のエネルギー部門から熱烈に請われてだったらしい。
私の前ではヘラッとしてることが多いから結構意外だった。
隣を歩く大樹をチラリと見る。
百八十センチ位ありそうな長身、細身だけど筋肉質な身体。長い手足。
顔はアイドルの様に甘く整っていて、生まれつきのブラウンの髪がサラサラと揺れている。
……外見も完璧。
今までは“幼馴染の大樹”って目で見てたからあまり気にならなかったけど、良く考えれば大樹ってかなりレアな存在なんだろうな。
そんなふうに考えていると、大樹が急に私の方を向いて言った。
「花乃、来週の木曜日は空いてるよね?」
「空いてるけど……それ何回も言ったよね?」
先月、大樹と出かけた次の日くらいから、もう何度も聞かれてると思うんだけど。
そして私は何度も「空いてるよ」って答えているはずなんだけど。
来週の木曜日はクリスマスイブ。
悲しい事に、私には全く予定が無い。
仲良しの沙希と美野里はそれぞれの彼とデートだし、私と遊んでいる暇なんてないからね。
いつもと変わらない私の返事に大樹は安心した様な笑顔になる。
「クリスマスイブの夜、花乃の家に行くから」
「え? 家に……いいけど何時頃?」
「仕事終ってから連絡する」
「分かった」
クリスマスイブの予定をしつこく聞いて来るから、どこか行こうって言われるかと思ってたんだけど、予想ははずれ大樹は私の家に来ると言う。
大樹大好きのお母さんは喜びそうだけど、うちに来て何をするつもりだろう。
ニコニコしている大樹の表情からは何の企みも読み取れない。
まあ……いいか。
今の大樹は変な事はしないだろうし、どうせ私は予定が無いんだしね。
深く考えるのを止めた私は、それからは大樹のおしゃべりに耳を傾け、それなりに楽しく通勤時間を過ごした。
私の会社は十二月の売上がとても高い。
クリスマスやお正月は子供がプレゼントを貰う季節。
子供用品を扱う私の部署は特に大きく売り上を伸ばし、その分仕事量も増えている。
何件もの注文の手配を、間違いがないように慎重に進めて行く。
新人の頃、私は処理スピードばかりに気を取られ単純な入力ミスを起こし、結果的に大きな損害を出してしまった。
そのときの反省を忘れず、スピーディーかつ慎重にしないとね。
せっせと処理を進めていると、不意に目の前が暗くなりその直後頭上から声が降って来た。
「青山さんちょっといい?」
顔を上げた私の心臓がばくんと大きな音を立てる。
そこに居たのはなんとあの須藤さんだったのだ。
以前の飲み会の時に大きな溝を作ってしまった私と須藤さんは、それから一切口をきいていなかった。
まあ元々仕事上でほとんど絡まなくて会話はなかったから、傍目から違いは分からないんだろうけど。
でも、私的には、須藤さんを“避ける”意味が、がらりと変わった。
前は恋する為の“好き避け”
今は嫌な相手に対する“接触拒否”
須藤さんとは全く気が合いそうも無いし、また文句を言われたら嫌だから関わらない。
そう決めていたのに、まさか須藤さんから近付いて来るとは驚きだ。
警戒する私に、須藤さんはマイペースに言う。
「今度、若生屋に行くんだけど同行してくれないかな?」
「えっ?」
何で私が?
私は須藤さんのアシスタントでも何でも有りませんけど。
しかも若生屋と言えば、須藤さん自らが「大した売上げが無い、どうでもいい会社」って評価していた所だったはず。
不審に感じていると、私の反応の鈍さに苛立ったのか須藤さんが少し棘の有る声で言う。
「知らないのか? 今度俺の担当する恵王堂が若生屋と業務提携するんだ。その関係で若生屋も俺が担当する」
「え、私は担当から外れるってことですか?」
「いや、国内菓子販促玩具については今まで通り青山さんがやってくれ。俺は今後発生する大口案件の方を担当するから。でも一応青山さんも若生屋の窓口であることには変わらないから挨拶に行った方がいい」
私が担当する従来のお菓子のオマケ玩具については、どうでもいいって雰囲気だけど、大口案件の方はかなり高利益の仕事らしい。
張り切る須藤さんに強引に同行を決められ、私は憂鬱な溜息を吐いた。