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「じゃあ、またね」
実家の母の優しい声を聞き終えた私は、通話ボタンを静かに押した後、ソファに座って涙を零していた。
幸せだと疑っていない両親には、うまくいっていないことを話せていない。
裕福な家に生まれ、愛情も何もかも十分にあたえてもらったのに、そこから逃げ出したのは私。
それでも、結婚もなにもかも好きにさせてくれた。
自分で選んだ過ちは、自分で何とかしなければいけない。
私は広いリビングを見渡す。物質的には恵まれていても、小さな1Rに住んでいた時の方が幸せだった。
たった数年で、こんなにもお互いの心が離れていくものなのか。
私自身、智也に対する気持ちは、ほとんど残っていない。
どうして私はがんばってきたのだろう。自嘲気味な笑みが零れ落ちたときだった。
「あら、泣いてるの? どうしたの?」
ひとりきりのはずの家で、突然聞こえてきた声に、私は驚いて顔を上げ、そちらを見た。
そこに立っていたのは、派手な服装に華やかなメイクを施し、豪華なアクセサリーを身にまとった女性だった。
「誰!? 警察呼びますよ!」
セキュリティも完璧なこの家に、どうやって入ったのだろう。立ち上がってスマホに手を伸ばそうとしたその時だった。
「あら、警察なんて呼んでも無駄よ。だってこれ」
彼女が見せたのは、この家のセキュリティカードだった。
「どうしてそれを持っているの?」
「どうしてでしょうね?」
そう言いながら、彼女は我が物顔で家の中を歩き回り始めた。そして、棚に並べてあった本やゴミ箱の中身を笑いながらまき散らしだした。
「何をするの!?」
「こないだお母様から、きちんと掃除をするように言われなかった?」
お母さん? どういうこと?完全に頭がパニックになった私は、ただ彼女がやっていることを見ていた。
「智也のお母様に頼まれたのよ。あなたの家事を手伝ってあげてって。私は清水 美咲」
美咲、という名前に、先日義母が言っていた人物だということに気づく。この人が智也の幼馴染であり、初恋の人で愛人ーー。
「私の父は清水工業の社長なの。何にもないあなたとは違うのよね……」
そう言いながら、今度は冷蔵庫の中からミネラルウォーターをグラスに注いだり、しまってあった皿をシンクに入れたりし始めた。
「だから何なんですか? 私は別に手伝って欲しくありません。それに、あなたのしていることは……」
そこまで言ったときだった。玄関が開き、廊下を歩く足音が聞こえた。
「美咲、もう来てるのか?」
「あっ、智也!」
私が何かを言う前に、まるで自分が妻だと言わんばかりに、彼女はパタパタと走り寄った。そして、ふたりでリビングにやって来た。
「おい、沙織、どういうことだ? こんなに散らかって」
「どうって、美咲さんが……」
私が反論しようとした瞬間だった。
「智也、ごめんなさい。私が少し遅れてしまったせいで、片付けを手伝うのが遅れてしまったの」
「なっ!」
自分で勝手に来て散らかしておいて、それを言うの?ようやく彼女と義母が何をしたいのか理解した。
「だから沙織さんを責めないで」
「美咲……」
智也は完全に美咲さんの言葉を信じているようだった。美咲さんはそう言いながら、まき散らした本を拾い始めた。
「美咲がやることないよ。日中遊びまわっていたコイツがやればいいんだ」
「遊びまわるってなに?」
さすがに聞き捨てならない言葉に、私は智也を見た。
「母さんに聞いたよ。出かけてばかりで、買い物ばかりしているらしいな。お前は変わったな」
ああ、そこも繋がっているのか。完全にふたりにはめられていることを知った。
それでも、今までの私を智也は知っているはず。時間が経てば目を覚ましてくれる。そう信じたかったが。
「美咲、もういい。夕飯はまだだろう。外に食べに行こう」
「それなら、パパが久しぶりに智也に会いたいって言ってたわ。智也のお母様も呼べばいいんじゃない?」
そんなふたりを見て、泣くことすらバカらしくなり、私はただ立ち尽くしていた。
「沙織、俺たちが戻るまでに片付けておけよ」
「いやよ」
思わず私は声をあげていた。
「え?」
今まで盲目的に彼をサポートしてきた私を知っているからだろう。まさかそんな言葉を聞くとは思っていなかったのか、智也は驚いたように私を見た。
「私は悪くない、美咲さんが片付ければいいでしょ」
「え? あっ、そうよね。私が頼まれたんだもの。ごめんなさい、沙織さん」
絶対にそんなことを思っていないだろう美咲さんが、泣きそうな顔をしながらゴミ箱に手を伸ばす。
「沙織! お前……」
初めて智也は手を振り上げ、私の頬を平手打ちした。手をあげられたことで、私の中で何かが壊れる音がした。
「智也。よく思い出して。私がどれだけあなたをサポートしてきたと思っているの?今の地位に一人でなったみたいな顔しないでよ」
叩かれた箇所が熱を持って熱い。そこを自分の手で押さえながら、私は智也を睨みつけた。
「お前が何をしたって言うんだよ。まともに家事もできずに、俺の金で生活してきただけだろう」
「智也、言い過ぎよ。沙織さんだって、好きでなにもできないわけじゃないわ」
大学を卒業して、すぐに起業をした智也を手伝ってきたことは、もう忘れたのだろうか。結婚だって、智也がすぐにでもしたいと言ったからした。就職だってできなかったわけじゃない。
でも、それも自分が選んだことだ。バカなのは私。
智也にも、美咲さんや義母があることないこと言っているのかもしれない。それでも信じてくれないということは、そこまでだ。
「そうだね、私が間違ってた。あなたと結婚をしたことがね」
これでもかと二人を睨みつけて、そう言い放つ。
「出て行け! ここは俺の家だ」
「わかった」
言われなくてもこんな家にはもういたくない。
私は自分の部屋に行って荷物をまとめようとリビングを出たが、すぐに智也に引きずられるように家の外に出されてしまった。
「荷物は全部俺の金で買ったものだ」
そう言い放ち、智也は玄関のドアにカギをかけた。