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11月も半ば、夜風は冷たい。都内でも比較的住宅街にある私たちの家の周りは、数人の人が歩いていた。
そんな中、なにも持たず、薄手のワンピースに素足にサンダル。先ほど叩かれた頬はじんじんと痛み、涙が零れていた。
そんな私を訝し気な視線を向けて通り過ぎてく。普通ならば恥ずかしいと思えるはずだが、先ほどのことがあまりにもひどくて、そんな余裕もない。
「ねえ、あなた、なにかあったの? 警察に……」
親切心だろう、五十代ぐらいの女性の声に、私は慌てて首を振る。
「大丈夫です」
「でも、あなた……」
警察沙汰になれば、両親にも迷惑が掛かってしまう。
だれか助けてーー。
冷静な判断ができない私は、スマホの一番は初めに出てきた「秋元陸翔」の名前を見つめ決めて通話ボタンを押していた。
一番掛けてはいけない人だとすぐに悟り、切ろうとした時、「沙織か?」もう何年も聞いていない声が聞こえた。
その声にホッとしてしまって、通話を切ることできなかった。
今までかなり自分の中でも無理をしていた。しかし、自分のわがままで家を出て、恋をしたつもりで、結婚までしたのだ。その最後がこうなったからと言って、彼に電話をしたことは卑怯なのではないか。
「沙織?」
電話をしたにも関わらず、なにも話さない私に、心配そうな彼の声が聞こえた。
「陸翔兄さま、お久しぶりです」
そんなありきたりの言葉しかでなかったが、なんとか涙声をかくして努めて明るく言ったつもりだった。
秋元陸翔は、父の会社の副社長であり、父がもっとも信頼している人だ。本人も世界的電気メーカー秋元グループの次男であり、私も小さいころから家族ぐるみの付き合いだ。
小さい頃は、本当に兄だと思っていたこともあり、今でも兄さまと呼んでしまう。
「どうした? 何かあったんだろ?」
何年も音信不通だった私の電話に、彼がそう思うのは当たり前だ。
「いえ、あの」
「沙織」
言いよどんだ私に聞こえた、鋭い声。昔から陸翔兄さまには隠し事などできない。
「実はちょっと喧嘩をしてしまって……」
喧嘩というレベルではないが、私がそう言葉を選んでいうと、陸翔兄さまが小さく息を吐いたがわかった。
「今はなにをしてるんだ?」
追い出された。困り果てて彼に電話をしていた。しかし、そう言えば心配をさせてしまう。冷静になればスマホがあればタクシーも呼べるし、ホテルも泊まれるだろう。
「大丈夫です」
「答えになってない」
何をしているという問いに、大丈夫という答えは、確かに間違っている。
「沙織」
鋭く問われ、私は静かに「外にいます」そう答えた。
「すぐに行く」
陸翔兄さまならそう言ってくるのはわかっていた、でも、彼には妻がいるはずだ。私のために動いてもらうのはよくない。
「あの、本当に急にごめんなさい。大丈夫だから」
「動くな」
言い掛けた私の言葉を遮り、それだけを言われて、電話は切られていた。
「頼る人……間違えたな……」
六歳年上の彼には、ずっと付き合って婚約していた女性がいた。兄と呼ぶのも私と彼の距離を取るためにした、私自身のけじめでもあった。
そう、陸翔兄さまは私の恋焦がれていた人だ。報われない気持ちから、逃げたくて智也の明るさに縋った。智也といて、彼のことは忘れたし、もう気持ちはないと思っていた。
でも、結局こうなった今、私は彼に電話をしてしまった。
智也のことを責められないじゃない。私も最低だーー。
そんな気持ちのまま、私はスマホをギュッと握りしめた。
数十分後、陸翔兄さまの車が私の前に到着した。彼は車を降り、優しい笑みを浮かべていた。数年ぶりに会う彼は、記憶の中より数段大人になっていた。昔から整った造形をしていたが、かわいらしい、そんな形容をされることの方が多かった。しかし、今は端整な顔立ちは知的でどこからどうみても、できる人という印象だ。
父が見込み、右腕として信頼をしているぐらいの実力を兼ね備えているのあから当たり前か……。
隣で運転する彼を盗み見て、私は視線を逸らすと窓の外を見た。
「ごめんなさい、どこかホテルに下ろしてもらっていいですか?」
信号が赤になったタイミングで私がそう言うと、彼が私の全身に視線を向けた。
「お前、もしかして手ぶらか?」
その声音には驚きと、怒りが滲んでいた。
「はい」
「喧嘩ってどんな喧嘩をしたんだ? お前、その頬どうしたんだ!」
さっき手を上げられたことをすっかり忘れていたが、頬が赤くなっているのだろう。
「まさか、あの男お前に手をあげたのか!」
「少しだけ。でも大丈夫。本当にごめんね、少しお金を貸してもらえれば、夫がいない間に、荷物を取りに行って返すから……」
「いい加減にしろ!」
陸翔兄さまの、本気の怒った声に、私は肩をビクっと揺らした。
「ごめんなさい。迷惑を……」
ずっと連絡をしなかったのに、こんな都合のいいことをした私を怒るに決まっている。そう思った時だった。
「違う。怒鳴って悪かった。でも、頼むから、そんなに無理をするな。もう、大丈夫だから」
その言葉に、私の瞳からは涙が零れ落ちた。