テラーノベル
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あれから数ヶ月が経った。
涼ちゃんとリョーカが人格統合を行ったあの日のうちに、俺は涼ちゃんとの同居を解消した。表向きは、もう同居の必要がないほど、仲良くなれたから。でも、本当の理由は…。
俺が、夜になると、きっと、リョーカが部屋をノックしてくれるのを待ち侘びてしまうから。
同居を解消しても、しばらくはあの部屋に住んでいたが、とてもじゃないけど自分の部屋では眠れなかった。あの部屋で夜を過ごすと、君を待ってしまう。君を思い出してしまう。いつも君と寝ていたベッドで1人でいると、気が狂いそうになった。
だから、俺は新しい部屋へ引っ越すまでの間、ずっとリビングのソファーで夜を過ごしていた。
『俺、後腐れない方よ?』
あれだけ大きな口を叩いておきながら、俺はまだ、カチューシャを見ては泣いてしまう。スマホの中のリョーカとの写真は、もちろん消せてはいない。
表面上は、明るく過ごせていると思うし、元貴や涼ちゃんとも、問題なく接していると思う。2人はとても俺に気を遣ってくれてるのがわかるし、いつまでもこのままじゃいけないとも、頭では理解していた。
俺は、あの指輪を買ったお店に行って、リョーカの青い指輪をネックレスにしてもらった。俺の左手には、黒い指輪が光っている。
俺は毎日、その二つを身に付けて、ネックレスにキスをしては、涙をこぼす。
ある日、元貴に誘われて、俺の部屋でゲームをすることになった。
「若井、俺のせいで、本当にごめん。」
部屋に入るなり、元貴が俺に謝ってきた。きっと、『期限付きの恋をして欲しい』と、自分が言ったものだから、責任を感じているんだろうな、と思った。俺が苦しんでいるのと同じように、元貴もまた、苦しんでいる。
「元貴のせいじゃないし、誰のせいでもない。ってずっとそう言ってんじゃん。」
「そう…だけど。でも、やっぱり、心配なんだよ、お前が。ずっと眠れてないんだろ?顔ひどいぞ。」
「…しょーがないよ、気持ちだもん。頭でわかってても、どーにもできないよ。俺も正直、あそこまで人生本気の恋になるなんて思いもしなかったし。」
元貴が、より苦しそうな表情を浮かべた。
「だから、先生が言ったように、時間が解決してくれるのを待ってるかな、今は。それに、元貴と涼ちゃんが幸せでいてくれることが、俺にとって一番の薬になってるんだよ。」
だから頑張ってよ、と元貴の肩を叩く。元貴は、そこは任せろ、と力強く答える。俺はフッと笑って、ゲームの準備を始めた。
その夜、夢を見た。リョーカがいなくなって、初めての夢。俺は、リョーカとのデートを楽しんでいた。手を繋いで歩いている。楽しそうに会話もしている。ただ、リョーカの姿が、とても曖昧で、ハッキリとしない。髪が長いのか短いのか、背が高いのか低いのか、男か女かもわからない。顔なんてもっとわからない。でも、俺は確かにその人をリョーカと呼んで、リョーカも嬉しそうに笑いかけてくれている。その左手には、青い指輪が光っていた。
目を覚ますと、泣いていた。
俺は、本当のリョーカの姿すら、知らないんだ、と思い知らされた。
涼ちゃんの身体を介してしか、愛し合えなかった俺たち。涼ちゃんの身体に合わせて『俺』と言っていただけで、本当は女の子だったのかもしれない。はたまた、もっと屈強な男だったのかも。リョーカに、自分のビジョンはどんななのか、聞いておけば良かったかな。
涼ちゃんに言わせてみると、リョーカの姿は元貴であり、俺でもあった、と。
そう考えると、俺は一体、誰と恋をしたんだろう。
涼ちゃん?元貴?俺?
リョーカという人格は確かに存在して、俺は人生をかけた恋をした。あの時は、確かに手の中にあった光が、今はもう定かではない。いつもの失恋とは桁が違うほどの大きな穴が、胸に残って消えてくれない。
俺は布団の中に潜り込み、ネックレスを握りしめて、もう一度夢で会えるようにと、それだけを願って目を閉じた。
その日からしばらくのち、俺は、意を決して元貴にメッセージを送った。すぐに返事が来て、手配してくれる、との事だった。
その後、スケジュールが送られてきて、スタジオに入る日が決まった。
「今日集まったのは、若井の希望で、『庶幾の唄』をやりたいって事なんだけど、大丈夫ですか。」
元貴が、スタジオ入りしたメンバー全員にそう話す。サポートメンバーは顔を見合わせて、まあそういう連絡が来たから練習はしてきたけど、と言った。涼ちゃんなんか、すでに泣きかけている。
「実は俺、めっっっちゃ個人的な事なんですけど、数ヶ月前に、人生かけた恋をして、見事に散りまして。」
俺が話し始めると、サポートメンバーやスタッフが、驚いた顔をして俺を見る。
「どーにも…うまく切り替えが出来なくて。俺、自分はもっと器用にできるかなって思ってたんですけど、なんか全然ダメで。」
こんな事で、って正直怒られるかなって思ってたけど、意外とみんな真剣な眼差しで俺の話を聞いてくれる。
「この、『庶幾の唄』は、その人が、好きだって言ってた曲で…。その人は、もうこの世界にはいないんですけど…、歌詞が、すごくその人そのものって感じで。俺、その人がいなくなってから、この歌聴けなくなってて。」
涼ちゃんが涙を流す。他の人たちも、まさかの死別…?というような神妙な面持ちで、俺の話を聴いていた。
「ダメでしょ、ミセスのメンバーとしては。できない曲があるなんて、致命的だなって。俺はまだまだ甘えてるんだって思って。だから、ここで今日、ハッキリと引導を渡そうと。ウジウジした自分に。そのキッカケを、ください。」
俺はみんなに頭を下げる。涼ちゃんの泣きすぎで、周りがオロオロしている中、元貴がパン!と手を叩いた。
「よっしゃやろう!!!」
それだけを言って、マイクを用意した。サポートメンバーも、よーし!!と大きな声で、賛同する。
涼ちゃんも、スタッフから渡された冷やしタオルで顔を拭いた後、両手でほっぺたを叩いて、気合を入れたようだった。
俺は、ネックレスを外して、スタジオの鏡の前の、予備スタンドマイクに引っ掛けた。
それぞれの音出しを終え、いよいよ合わせる時が来た。
俺は深呼吸をして、ネックレスに向かって、リョーカ、聴いててね、と心の中で語りかけた。
前奏の同期が流れ始め、涼ちゃんのフルートが音を響かせる。俺もそれに合わせて、ギターを鳴らす。元貴がそれぞれの顔をしっかりと見て、歌に入る。
『ワタクシのお仕事は
・素材になること
全てになんかなれずに
・一部になること
どうかずっとこの世界を大好きでいてね』
リョーカは、涼ちゃんの『一部』で、最後には涼ちゃんを形作る『素材』になったんだ。涼ちゃんが、この世界を愛して生きていけるように。
『汚いけど愛すべきな生き物なら
世間に甘やかされ今、恥をかくとこ
「まるで普段目には見えぬ 妖精みたいね」
って 気づいてくれたから 未来のために
会いに来たんだよ』
そして、俺に恋をして、会いに来てくれた。俺もリョーカに気付いて、恋に落ちた。
『good morning, good night
I love youでgood-bye
傷は絶え間ない
お気に入りの服で
今日くらいは幸せになろう
ほら 愛に満ちたこの日々
では また会いましょう』
最後の日、リョーカも俺も、確かに幸せになったよな。誰にも気兼ねせず、一生懸命に愛した。
そして、君は『では また会いましょう』なんて無責任な酷い言葉を残して、消えた。
ちがう。
無責任じゃない。
あれは、
リョーカのたった一つの希望だったんだ。
いつも、涼ちゃんの為にって、そればかり優先していたリョーカが、最後に、たった一つだけ、また俺に会いたいと、ワガママをこぼしたんだ。大好きな曲の歌詞になぞらえて。
俺は、結局涙でぐしゃぐしゃになって、碌な演奏ができなかった。涼ちゃんもボロ泣きしてるし、サポートメンバーもスタッフもなんでか泣いてる。元貴だけが、最後まで力いっぱいに歌い上げた。いつもは明るく、朗らかな歌なのに、今日はすごく鬼気迫る『庶幾の唄』だった。
「………これじゃあ、まだまだお客さんの前ではできません。」
元貴が、マイクを通してみんなに言った。涼ちゃんは俯いて、俺はうずくまっていた。
「でも、今日くらいは、このぐらいがいいんじゃないでしょうか。」
そう言って、元貴が俺の横にしゃがんで、俺の肩を抱いた。俺は、みんなの前で、声をあげて泣いた。小さい子どもみたいに、元貴に縋り付いて、泣きじゃくった。
涼ちゃんが飛んできて、元貴の反対側から、俺を抱きしめた。涼ちゃんも、すげーでかい泣き声だった。ついでに、サポートメンバーもスタッフも、全員俺の元に飛んできて、ぎゅうぎゅうに抱きしめられながら、俺は声が枯れるまで、泣き喚いた。
家に帰り、俺は、ネックレスとカチューシャとミッキーサングラス、それにスマホの写真を印刷したもの、全てを箱の中に閉まって、収納の奥深くに入れた。
スマホの中の写真は全て消去して、俺は一息ついた。
まだ、俺の中からリョーカの全てを綺麗に昇華することはできない、できるはずもない。でも、今はまだこれぐらいでいいんだと、元貴の言葉で少し救われた。
また、君の夢を見ては落ち込むんだろう。
また、君を思い出しては、胸を痛めるだろう。
だけど、いつかは、きっと、俺の『一部』で、俺の『素材』にしてみせるから。
だから、君のいないこの世界も、きっと、ずっと大好きでいてみせるよ。
俺は、左手の黒い指輪を、右手に嵌め直した。
今はまだ、これは外せない。
でも、
きっと、
そのぐらいがいいや。
コメント
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初コメ失礼いたします。初めて七瀬さんの小説を読ませていただいたのですが、もう、号泣してしまいました...。最初はえ、涼ちゃん浮気?!と思ってしまった自分を殴りたいです。確かに存在はしていたのに、恋をしていたはずなのにほんとうのリョーカの姿もわからない、俺は何を知っていたのだろうか、と問いかける若井さんを見ていて胸が苦しくなりました...。まさかこんな歌詞のつながり方をしているとは思わなかったので本当にびっくりしました。完結お疲れさまでした✨
あの…記憶ないんですけど多分初コメ…?大号泣ですよ。多分涼ちゃん並に泣いてる気がします、好きすぎて不登校なりそうです。私めっちゃ思い出し笑いとか泣いたりとかする人なのでたぶん今後もずっと泣いてます。大好きです、!
前回に続きコメント失礼します! ダメですね、もう自分の涙腺が弱くて弱くて耐えられませんでした。歌詞と物語を繋げあわせる部分が全ての伏線、セリフ、導入の仕方、結末全部が合体したような達成感が物凄く心に響きました。 また、若井視点から見ると気づけなかった部分や、そんな事思ってんだ。と新たな発見もあり、凄く面白味もありました。けどえっちな事すら悲しくて愛おしくて辛くて気持ちよくて耐えられなくて、一体どんな気持ちで行為をしているのか考えるだけで胸が締め付けられます。若井は装飾品をよく着けてますよね、本当にこの物語があるなら、きっとそれはまだ滉斗の中に永遠に残っていることですから、まだ離れられない自分と戦った答えの装飾品なのでしょうね。あの人は、すごく感情性豊かで涙脆いですから…。会ったことないはずなのになぁ、リョーカ がいないんだって思うだけで寂しくなってしまいます。 そして、本当にこんな素敵な物語を見つけられて嬉しく思います!! これからも応援しています!!