坂を降り、看板の端にひびの入った薬局の角を曲がると、大通りに出た。エンジンの音、タイヤが路面を蹴る音が響いている。
野良猫をよけて歩道を行くと、信号の近くに、ブロンドの長髪、クッションの効いたスポーツシューズに杖をついた爺さんが見えた。近づくと、「仲よしだね」と彼は声をかけてきた。老人の皺だらけの口元には、どこか見覚えがある。ふくらんだ瞼に小さな目も、どこかで見たことがあった。健太は短い沈黙のあと、ああと言った。友達のおじいさんだ。以前はリーゼントの白髪だったので、すぐには分からなかった。
「仲良しだね」とじいさんは繰り返した。
「ただ、帰る方向が一緒なだけです」と健太は答えた。美緒も隣でうなずいている。老人の唇が横に伸びると、かさついた縦皺の隙間が広がった。間から黒ずんだ歯が見える。
「まあまあ、無理しなさんな」
大人がこういうときにする、ニヤけた顔を健太は好きになれない。大人は、思春期に入りかけた子供の心情など、すっかり忘れてしまうのだろうか。
「でも、子供はいいねえ。何の悩み事もなくってさ」
とじいさんは言う。本当に、そう思いこんでいるのだろうか。
「でも、子供もけっこう、」と健太。
「若いっていいよね」と老人。
「そんな、いいことばかりじゃないですよ」と健太。
「寒くないでしょ、若いから」と老人。
「寒いですよ、やっぱり。冬だから」健太は襟巻きをもう一度巻きなおした。
「私だって、若い頃は寒くなかったんだよ」と老人。
美緒は指先に白い息を吹きかけている。
「本当だよ。身体がぽかぽかしてたもんだ」と老人。
「それ、ホントですか?」と美緒。
老人は彼女の問いには答えず、ただ笑顔だ。
「いいね、希望に満ちてて子供は」
「キボウ?」
「私なんか」おじいさんは身体のあちこちが悪くなったこと、頭がぼけてきたこと、最近世の中が混沌としてきて悪い事件ばかりが起こること、政治家がなってないこと、税金が高すぎること、福祉が手薄いことなどを一通り話したあと、最後に「がんばって。応援してるから」と、皺くちゃな手で美緒の手を握り、笑顔を残して半歩ずつ、丸い背中を遠ざけていった。