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夏目莉央
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くま🐻☁️
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二人で職場へと戻る廊下を並んで歩く。
「瞳子さん、李人くんの留学はもうすぐですね」
「そうね……」
李人の名前を出されると、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
応援すると決めた。
海外へ行って、自分の夢を追いかける弟を止めるつもりもない。
それでも、ずっと一緒に暮らしてきた弟がいなくなる寂しさまで、簡単に消えるわけではなかった。
そんな私の気持ちを察したのか、朝倉くんがふっと笑う。
「代わりに僕が空いた穴を埋めますから。瞳子さんは何も心配しないでくださいね」
ピカピカの笑顔が眩しい。
弟の代わりなんて簡単にできるものではない。
でも、彼なりに私を元気づけようとしてくれているのが伝わってきた。
「……ありがとう」
戸惑いながら、そう返す。
朝倉くんは満足そうに頷いた。
こういうところは、本当に優しい人だと思う。
私の生活の隙間まで埋めようとしてくれる。
少しだけ、後めたい気持ちが顔をのぞかせる。
(優しいから、好き。それでいいのよね……)
胸の奥にふっと影がよぎった。
そのときだった。
「本当にっ、何なの!」
廊下の向こうから、女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
清掃ワゴンを押していた清掃員さんが、怒り心頭といった顔をしている。
朝倉くんがぴたりと足を止めた。
「後藤さん、お疲れ様です。何かあったんですか?」
相手が誰であっても、自然に声をかける。
(さすが成績優秀な営業マン!)
人との距離を縮めるのが、本当にうまい!
「カップルが喧嘩してジュースこぼして、綺麗に拭いてくれって命令してくるのよ? 自分たちでやりなさいよねっ!」
後藤さんは額に青筋を浮かべている。
「それは大変でしたね」
朝倉くんが苦笑する。
廊下の奥には、観葉植物で仕切られた休憩コーナーがある。
そこから、男女の言い争う声が聞こえてきた。
(この声……聞こ覚えがある)
朝倉くんと目が合った。
息を顰めて、二人で、こっそり覗いてみる。
そこにいたのは──龍彦と野々宮綾香だった。
「綾香は俺が出世頭だから近づいたのかよっ!」
「彼女がいながらデートに誘ったのは、そっちじゃないの!」
「でも、いきなり結婚はないだろう? もう少し冷静になろう!」
「朝倉くんに恥ずかしいところを見られたら、会社にいられないわ! 上司にも結婚退職するって報告したからね! 責任を取るのが当然でしょっ!」
思いがけず重い話が耳に入り、胸がぐっと苦しくなる。
(関わってはいけない)
私はそっと視線を逸らした。
このまま何も聞かなかったことにして、通り過ぎよう。
そう思った──のに。
隣にいた朝倉くんが、一歩前へ出た。
「え……?」
行動に一切の迷いがない。
彼は2人の前まで歩いていくと、落ち着いた声で言った。
「こぼしたものは、自分たちで片付けたらどうですか?」
「おまえ……っ」
「後藤さんは召使いではありませんよ」
龍彦と野々宮さんが、ぽかんと朝倉くんを見る。
私は思わず息を飲んだ。
(カップルの喧嘩に、そこまで首を突っ込む?)
朝倉くんは一歩も引かない。
むしろ、野々宮さんのほうが気まずそうに視線を泳がせた。
「……しっかり責任はとってもらうからねっ!」
野々宮さんは龍彦にそう言い残し、逃げるようにその場を離れていく。
そして、私の横を通り過ぎる瞬間。
「おばさんはフラれたんだから、もう雨森さんと関わらないでくださいねっ!」
痛いくらいの鋭い視線を向けられた。
まるで私が龍彦に未練を残しているような言い方だ。
(若いって、自分に自信があって羨ましい)
悔しいというより、憐れみを感じてしまう。
私はもう、龍彦に未練なんてない。
そんなことを考えていると、龍彦がポケットに手を入れ、朝倉くんへ近づいていった。
「朝倉、お前が綾香に俺が出世頭だって吹き込んで、焚きつけたらしいな?」
「雨森さんは、同期の中で一番の成績ですよね」
朝倉くんは涼しい顔をしている。
「瞳子さんのおかげですが」
「……っ!」
龍彦の顔が引きつった。
「茶化すなっ!」
声を荒らげ、朝倉くんを睨みつける。
「お前のせいで、綾香に結婚しろって脅迫されてんだぞ! お前が責任とれよ!」
無茶苦茶な理論だった。
体育会系のノリで、いまだに先輩というだけで下の者が従うと思っている。
いつの間にか龍彦は、この会社の変化に取り残された人間になっていた。
そんな龍彦を、朝倉くんは冷静に見つめる。
「野々宮さんとセックスをしたのは雨森さんです」
「なっ……!」
「下心から手を出したあなたの責任です」
「お、おまえっ……!」
あまりにも堂々と言われて、私は思わず耳を塞ぎたくなった。
(もう……やめてよ……)
でも、それ以上に気になることがあった。
龍彦に、こんなところで油を売っている暇があるのだろうか。
「……雨森さん」
「なんだよ」
「株主のフォローは大丈夫なんですか?」
私は、どうしても気になって尋ねてしまった。
けれど、龍彦が反応したのは、仕事の話ではなかった。
「……早速、俺のことは苗字呼びかよ」
キュッと龍彦の目が細くなる。
「よそよそしいもんだな」