テラーノベル
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オリエンテーションが終わると、先ほどの女性がドアの前で待っていた。
「こちらが、あなたのお部屋です」
ドアが開く。個室だった。
窓。ベッド。机。椅子。クローゼット。すべて白い。
清潔で整っていて、余計な情報が一切ない部屋。
「荷物はこちらへ。着替えは支給されます。
タブレットもありますので、外部との連絡も可能です」
わたしは頷く。
「ただし」
声の調子は、変わらない。
「あなたの成長をサポートするため、一部の通信内容は事前に確認させていただきます。
もちろん、プライバシーは尊重しますので、ご安心ください」
確認を確認。プライバシー。
言葉を順番に受け取って、ざらつきと一緒にそのまま飲み込んだ。
「わかりました」
「カリキュラムは明日から始まります。不安なことがあれば、いつでもAIに相談してくださいね」
指導員の微笑みは、最後まで崩れなかった。
ドアが閉まる。
窓に近づくと、広い中庭が見える。
どこまでも続いているように見える。
でも、端に壁がある。高くはない白い壁。
けれど、越えることを想定されていない高さ。
木が植えられていて、壁は意識しなければ見えない。
ベンチに、さっきの誰かがいる。
本を開いているが、ページは動かない。
首元のチョーカーが静かに青く光っている。
AIと話しているのだろう。
ここは、開放的だ。
光が入る。
空が見える。
緑がある。
でも、出られない。
そのことを、誰も困っていない。
わたしは部屋を見回した。
ベッド。ソファ。机とその上にタブレットが置かれている。
タブレットを手に取り、画面を点ける。
『スケジュール』
『学習プログラム』
『AI対話』
『外部連絡』
『外部連絡』を開く。
SNSにメッセージ機能。
全部ある。
SNSを立ち上げると、タイムラインが流れる。
『今日もカフェでまったり。AIのおかげでリラックスできた!』
『仕事疲れたけど、AIと話したら元気出た』
可愛いラテアートの写真。笑った顔や、きらきらしたマークが並んでいる。
ちゃんとした言葉。
わたしもいつものように投稿する。
「施設に着いた。部屋は綺麗」
短くて素っ気ない。でも本当のこと。
送信ボタンを押すと、画面が一瞬白くなる。
それから、小さなウィンドウが現れる。
『投稿内容を確認しています……』
ローディングアイコンが、ゆっくりと回る。
数秒後。
『この投稿は、より適切な表現に調整されました』
文字が動く。
「施設に着いた。部屋は綺麗」
「施」の字が、薄くなる。消える。
代わりに、「E」が現れる。
「E.D.E.N.」
わたしの言葉が、一文字ずつ、消されていく。
「着いた」が、「到着しました」になる。
「部屋は綺麗」が、「お部屋も素敵で」になる。
そして、わたしが書いていない言葉が、勝手に付け足される。
「これから頑張ります」
きらきらしたマークで締めくくられた投稿が、画面に表示される。
『E.D.E.N.第三調整センターに到着しました! お部屋も素敵。これから頑張ります』
わたしはそれを見つめる。
わたしの言葉は、もうどこにもない。
溶けて、上書きされて、消えた。
数秒後「いいね」がつく。
コメントが届く。
『頑張ってね』
知らない誰かが送ってくれた、笑顔のマークを確認して、わたしはタブレットを閉じる。
ベッドに座って窓の外を見る。
庭の女性は、まだそこにいた。
本を閉じないまま。
チョーカーが青く光っている。
『冰砂さん、お疲れ様です。初日はいかがですか?』
AIの声。いつもと同じ、優しい声。
「……大丈夫」
『それは良かったです。夕食は18時です。食堂は1階、廊下を右に進んだ先にあります』
「わかった」
『何か不安なことがあれば、いつでも話してくださいね』
返事はしない。この胸の内側のざらつきを表すための言葉を、わたしは持ち合わせていない。
庭の女性が立ち上がり、本を閉じて、歩き出した。
前から歩いてきた男性とすれ違うが会釈はしない。目も合わない。
ただ、通り過ぎるだけ。
時計を見る。
17時45分。
わたしは部屋を出ることにした。
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