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「化け物」
🟦🏺
※恋愛要素はない。シリアス寄り、微ホラー。
作者は作者の読みたいものを書いてます。
つぼ浦による本署内無差別乱射事件から一週間が経った。
本人も含めダウン者5名にもなる惨事だったが歩く火薬庫のような彼からすれば日常でしかなく、取り立てて問題視されることもなく罰金とゲンコツで処理された。
そして忙殺される日々に押され、そんな事件があったことなど全員が忘れた。
1
本署前の道を歩いていく青井とキャップを見送り、つぼ浦は駐車場の角、裏口との境の植え込みの陰から署内の様子をそっとうかがう。
エントランス前の階段に「それ」はいた。背丈は人と同じくらい、だが全身は白と黒の細かい紙片をごちゃ混ぜにしたような色だ。かろうじて人型をしているように見えるが輪郭が常に不定形に歪んでおり、よく見ようとすればするほど焦点が合わなくなる。全身が腐敗し蛆の塊と化した死体のように、細かなノイズの集合体が神経を逆なでする。
その化け物は滑るような動きで本署の中へと入っていった。つぼ浦は息を呑むが、いくら待っても中から悲鳴や銃声が聞こえることはなかった。
「……チクショウ、やっぱ俺にしか見えてねぇんだな」
愚痴る声は後ろを通り過ぎる心無きの車の音でかき消された。
一週間前のあの日、つぼ浦がキセキの世代の二人や成瀬たちとロビーで談笑していたところに突然あの化け物が入ってきた。壊れたスピーカーがハウリングしたような割れた音に、ホラーが大の苦手なつぼ浦は驚いてとっさに銃を抜いてしまった。
他にも何人か巻き込んでグレネードで吹き飛ばしてしまったのは御愛嬌だ。結局つぼ浦も爆発に巻き込まれ、目が覚めるとそこは病院。説教の後にキャップにぶん殴られ、スマホを見れば5人分の治療費が請求されていた。
それで終わればただの気のせい、錯覚、勘違い。しかし翌日気を取り直してOn Dutyした本署にはまたその化け物がいた。それも2匹。
つぼ浦も最初は目の異常かと思った。何かがそう見えてしまっているのだろうと。しかし何度瞑想しても治らない。さらに誰に聞いても理解してもらえない。だが間違いなくそれはそこにいた。
幽霊なのか、実態のある怪物なのか。触れてみればわかるかもしれないが、不快な音を発して不定形に歪む異形に手を伸ばす勇気はつぼ浦にはなかった。
植え込みから首を伸ばしてみると、化け物が玄関ドアの向こうにいるのが見えた。署員はまるで見えていないかのようにその横を普通に通り過ぎている。つぼ浦は大きくため息をついた。この境遇を共感し合える相手は今日もいそうにない。
「やっぱ幽霊…?んなわけねぇよな……」
打ち消すように呟くが、ぞわりと寒気が押し寄せる。
つぼ浦は以前、オルカたち女性陣がしていた話を思い出す。よくある七不思議の怪談話だ。つぼ浦は遠くで聞こえないふりをしていたが、わずかな好奇心が聞きつけた途切れ途切れの断片を思い出す。
曰く、強制瞑想直前に取調室の鏡を見るともう一人写っているとか。自分以外誰も繋いでいない無線機から声がするとか。階段の段数が違うとか、壁の中にスタッシュがあるとか。
そして、本署には”化け物”がいるとか。とかく警察署という場所は恨みつらみが溜まりやすい。犯罪者の怨念が化けたとか、警察官への呪いだとかそれっぽい理由をひのらんが言っていたような気がするが詳細までは思い出せない。
怪談の正しい続きを、いやそもそも自分がこんな状況に陥っていることを、誰かに相談するのが一番の解決策だろう。だがつぼ浦にはそれが出来ない理由があった。
ふと振り向くと、裏口の前の薄暗い道を青井が歩いていた。通り過ぎていく後ろ姿を見て足がすくんだが、意を決して駆け寄る。
「アオセン!」
大声で名前を呼ぶ。しかし青井は振り向かず、足も止めない。胸がチクチク痛むが前に回り込み、もう一度名前を呼ぶ。
「あ、アオセン!!待ってくださいよ!」
「なに?」
やっと青井は足を止めた。鬼の面の向こう、どんな表情を浮かべているのかはつぼ浦にはわからない。それでもその声に色がないことだけはわかった。
「アー、えっと……やばいんっすよ、本署の中に化け物が」
「邪魔、あっち行って」
返ってきたのは冷たく無機質な声だった。わずかにあった期待が崩れ、つぼ浦は頑張って持ち出してきた勇気が今回も無意味だったことを悟った。
まるでプラスチックの人形にでも話しかけるかのような手応えのなさ。あの化け物が現れるのと同時に、親しい人たちがまるでつぼ浦のことを存在しないかのように扱うようになったのだ。
化け物についていくら相談しても、いや話したことがなくても、次に会うと突然こうなってしまう。無理矢理呼び止めなければ会話もしてくれないし、したところで話にならない。
警察全体でつぼ浦をのけ者にしよう、などということになっているのでなければ、やはり化け物の能力のせいなのか。つぼ浦しか化け物を見ることが出来ない代わりに、青井たちからはつぼ浦という存在の認識が欠落してしまったかのようだ。
もしこれが呪いや怨念の類なら、自分だけが化け物を知覚できることを化け物本体に悟られたらどんな目に合うかわからない。かといって放置しておけば同僚たちに危険が及ぶかもしれない。つぼ浦が手をこまねいているうちに一週間が経った。そして状況はどんどん悪化した。会話にならない人と同時に化け物はじわじわと増え、今では外から見ただけでも5匹はいる。
「あ、その……」
言い淀んでいるうちに青井はつぼ浦を無視して歩いていってしまった。こんなやり取りを何度も繰り返した。最初のうちはそれでも何分も食い下がったが、ここ数日は変化の無さを確認するだけで気力が折れてしまう。
足のつかない深いプールに落とされたかのようだ。どこに手を伸ばしても何も届かない状況はつぼ浦の心をひどく摩耗させた。
*
つぼ浦は本署横の橋の欄干にもたれかかる。相変わらず化け物は不定期に本署の中を徘徊している。もうつぼ浦にできるのはせいぜい本署の近くで様子をうかがって、まだ話の通じる味方を探すことくらいだった。
スマホのステートアプリに並ぶ同僚たちの名前を睨む。会話にならない人の数が正常な人を上回るのも時間の問題だ。
そのうち消えるだろう、自分で解決できるだろうとたかをくくっていた頃が恨めしい。対面が駄目なら、と電話をかけてみてもノイズ混じりの割れた音がするばかりだった。もしこれがなにかの呪いや悪意なら、まるでつぼ浦を孤立させるのが目的かのようだ。
車のエンジン音が聞こえる。振り向くと成瀬が普通の車に乗って走っていくのが見えた。相変わらずつぼ浦のことは視界に入れようともしなかった。
今日も何の進展もない。話は通じず、化け物は我が物顔で動き回っている。つぼ浦はもう帰ろうと欄干から身体を起こす。今日もまたきっと知らないうちに会話にならない人が増えている。誰が”向こう側”に行ってしまったのかを毎回確認する気力は数日前に尽きていた。
最初から孤独なのと、はしごを外されて孤独になるのとはわけが違う。仲が良いと思っていた人たちの豹変は精神を追い詰めるには十分だった。
ガレージにこっそり車を取りに行こうとすると、正面からドリーが歩いてきた。この一週間でドリーに会うのは初めてだ。どうせ会話にならないだろうと顔を伏せて横を通り過ぎようとしたが、ドリーは明確につぼ浦に向けて近づいてくる。
「ど……ドリーさん?!」
「どうしたのそんな、驚いた顔して」
いかつい見た目に反するのんびりした声を聞いてつぼ浦は思わず胸が熱くなる。会話が通じる相手に会うのは久しぶりだった。
「ドリーさんは普通なんっすね!」
「え、本当にどうしたの?こんなところでずっと見てるから、なにかあったのかなーって気になって」
「こ、こっちの台詞っすよ!本署、やばいのにみんな気づいてなくて……」
「落ち着いて。なんのこと?」
真剣な顔で問われ、つぼ浦は話が通じた喜びを一旦飲み込んで一息つく。何から話そうかと悩む視界の隅に蠢くノイズの塊が見えた。それは本署の屋上の上を滑るように移動していた。まさか監視されているのか?と思って声が詰まった。しかし久しぶりに会話のできる相手、しかも物わかりの良いランキング上位のドリーに出会えたチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「……化け物がいるんです。本署の中に」
「え?」
なるべく声を殺してつぼ浦は言った。ドリーは当然怪訝な顔になる。そしてつぼ浦が警戒するように見ていた屋上と、つぼ浦の顔とを交互に見た。その胡乱な仕草を見てつぼ浦は声を荒らげる。
「一匹じゃないんすよ、たくさん!毎日どんどん増えてて、でもアオセンに何度言っても無視して全然聞いてくれねぇし、キャップも……他のみんなも俺のこと、い、いないみたいに」
自分の境遇を自分で口にすると惨めで胸の奥がきゅっと痛む。いつもの威勢の良さは鳴りを潜め、明らかに憔悴しきった顔をしているつぼ浦にドリーはひとまず優しく声を掛ける。
「そうだったんだね、大変だったね」
「そうなんすよ!敵なのかなんなのかわかんないっすけどとにかく不気味で……なんか、警察内部では問題になってないんすか?」
「うーん、俺は聞いてないけどなぁ」
「チクショウ、やっぱ俺にしか見えてねぇのかよ」
苦々しげに愚痴を吐く姿をドリーは眉をひそめて見ていた。つぼ浦が警戒していた屋上をいぶかしげに眺め、首を振る。
「そうだね、状況はわかったよ。俺、ここ何日か休んでたし、ちょっとみんなにも確認してくるよ」
「ありがとうございます、……本当に誰も信じられなかったんで助かりました」
「つぼ浦君も、無理しないようにね」
柄にもなく頭を下げるつぼ浦に手を振ってドリーは本署へと戻っていった。その後姿を見送ると腹の底からため息が出た。
化け物についての話はオルカやまるん、成瀬ともした。だがこの話をすると必ず、次に会うとその人はまるで証拠隠滅でもされたかのように会話の通じない存在になってしまっていた。
メンタルもフィジカルも強いドリーならばあるいは。つぼ浦にできるのは事態の好転を祈ることだけだった。
2
事件対応が一段落し、階段を降りた青井は1階の廊下でキャップと遭遇した。軽く挨拶を交わし、一度は通り過ぎようとしたがふと気になって足を止めた。
「キャップ、最近つぼ浦ちゃんと働いてます?」
「ああいや……ということはらだお君も気になっているのか」
「多分そっす、なんか変ですよね」
鬼のマスクとサングラス越しに怪訝な視線がぶつかった。
人のかたちをしたかんしゃく玉が暴れていないのは物足りなさがある。それ以前に本署の中に入ろうとせず、遠巻きに見ているのには二人とも気づいていた。
青井はあまり興味はなかったが、原因を探ろうと一応記憶をたどる。たどろうにもつぼ浦に関する見出しは少なくすぐに可能性に行き当たった。
「そういえばあいつ、署内で暴れましたよね。一週間くらい前に」
「ああ、そんなこともあったな。らだお君も巻き込まれてたよな?」
「ダウンしましたよ、いきなり撃たれて。しかも豆みたいにグレ撒くんだから……」
銃声、爆音、クソデカ大声を思い出して青井はため息をつく。どれもつぼ浦匠に付き物の、災害のようなものだ。だがあの日の暴挙はいつもの暴走とはどこか違ったように思えた。
「もしかしてそれが関係あったりします?なんか、メンタルの不調とか。いやあいつに限ってそんなわけないか」
「ああ見えて繊細な部分もあるがな、しかし…」
青井に続けてキャップも首をひねる。最終的にグレネードで自爆してダウンしたつぼ浦を捕まえたのはキャップだ。病院でまだなにか喚き散らすつぼ浦の頭を殴って成敗したときのことを思い出す。
「そうだな、そういえばなんか変なことを言ってたな。お化けがどうのとか」
「お化け?」
「怪談じゃないか?ロスサントス七不思議だか警察署七不思議だか、若い子たちが言ってるのを聞いたことがあるぞ」
「ば、馬鹿馬鹿しい、お化けなんているわけがないでしょ、科学的に考えて」
急に青井の声が裏返る。青井はホラーがそこそこ結構苦手なことを思い出してキャップは失笑した。
「なに、つぼ浦の話?」
エントランスから入ってきたドリーが話を聞きつけて二人のもとに近づいてきた。
「うん、あいつ最近仕事サボってコソコソしてるからどうしたのかなって」
「え、ああそういう感じなの?さっきつぼ浦と話してきたんだけどさ」
「本当か!どうだった?」
青井とキャップに期待の眼差しで見つめられ、ドリーは頭を掻く。
「なんかね、本署の中に化け物がいるから怖くて入れないんだって」
「なんだそりゃ」
「ば、化け物!?」
呆れるキャップ、怯える青井。やたら温度差のある反応にドリーは苦笑する。
「ええ……それってどんな見た目とか言ってた?」
「あ、聞くの忘れちゃった。つぼ浦くんがあんなに怯えるってことは、よっぽど怖い感じなんじゃないかな」
「あいつ幼稚園児レベルでホラー苦手っすよ。でも、化け物ってマジか……」
「うーん、どうなんだろうね。俺には何も見えないけれど」
「仕事をサボる口実か?つぼつぼにしてはややこしいやり方だな」
はなから信じていないキャップの横で、青井は薄気味悪さを感じて署内をさっと見渡す。なんとなく誰かに見られているような気配がしてくる。認知が歪んでいく気配を察し、青井は首を振ってよからぬ考えを追い払う。
「しかもたくさんいるらしいよ」
「たくさん?!」
だがそこにドリーの追い打ちが入る。青井だけが1人で飛び上がる。
「つぼつぼのことだ、そんなこと言ってなんか企んでるんじゃないか?」
呆れ返ったまま、キャップはあくまで現実的に言ってのける。ある意味つぼ浦への信頼の高さがうかがえる。
「それにしてはすごい形相だったけどね。さすがに実際何かはあるんじゃないかなぁ」
「ちょっとやめてよね、何かって何だよ」
「だから化け物だよ。まあ実際にそういう異形がいるってわけじゃなくても、なにかおかしなことは起きてるんじゃないかな」
ドリーに冷静に諭されて青井は不愉快そうに腕を組む。
「うぇ……嫌な話聞いちゃったなぁ」
「はは、らだお君はそんなにお化けが怖いのか」
「いや〜キャップ違いますよ、別に怖くはないですよ?その程度。科学的に考えてありえないからね。でもそういう思わせぶりなことを言われるといい気持ちにはならないじゃないっすか、少なくとも、ねぇ」
妙に早口で言い訳する青井のことを二人は生暖かい目で見る。締まらないまま話が終わりかけたところでドリーは本題を思い出した。
「ああ、あとそうだ。それを何回言ってもらだお君が無視して信じてくれないから、誰のことも信じられなくて困って逃げ回ってるらしいよ」
「俺が?」
「そう、あとキャップたちもって言ってたかな」
「私もか?」
青井は思わずキャップと顔を見合わせた。沈黙がしばし横切る。
二人はゆっくりドリーに向き直り、そして青井が口を開いた。
「え?俺、あいつと話した覚えなんてないよ」
3
雲の隙間から顔を出した太陽が鈍く街を照らす。青井はつぼ浦を探して本署の周りを歩き回っていた。
別にそんなことをする義理は実際はそれほどない。青井にとってつぼ浦は人生の暇つぶしだ。不本意ながらも押し付けられた対応課という肩書が、いつものような特殊刑事課の元気な爆発を期待してしまう。彼がよくわからないことで悩んでいるのなら解決を手伝いたい気持ちは少しはあった。
それ以上に青井はドリーの話が気になっていた。化け物の話が頭に引っかかって離れない。もしそんなものが存在するのであれば大問題だ。とにかく全て本人に問わなければ埒が明きそうにない。
本署の建物を一周する頃、ついに青井は服屋の角で人影の前に立つお気楽アロハシャツの姿を見つけた。パステルカラーの服にいかついタトゥーがよく似合っている。久しぶりに見るつぼ浦の姿に安堵の息をつき、小走りで近づいて声をかけた。
「つぼ浦、ドリーから色々聞いたんだけどさ。ちょっと話そうよ」
*
「……だから、今は俺だけっすけど、本署がヤバいことになってるってのだけはわかってくださいよ」
つぼ浦はかすれた声で青井に訴え続けた。肉を削って声にするかのようだ。一言発するたびに疲労がどんどん積み重なる。
拒絶される恐怖から青井の顔をまともに見ることができない。つぼ浦は本当はもう帰るつもりだった。しかしドリーに出会えて活路が見いだせたので勇気を振り絞ってもう一度青井と話をすることにしたのだ。
日の差さない曇天の空は閉塞感を助長する。詰まりそうになる喉をこじ開け、つぼ浦は叫ぶように言った。
「俺はもう最悪このままでもいいっすから、もしみんなもこんな目にあったら……この街の警察が崩壊しちまう!だから、」
「それで?そこどいてもらえる?」
つぼ浦の必死の嘆願を、しかし青井はすげなく聞き流す。突きつけられた断絶のせいで指先までもがピリピリ痛む。
「……やっぱ駄目なのかよ。俺の声、届かねぇのか」
俯いた口からつぼ浦に似つかわしくない弱音が漏れた。
青井との話はまさに埒が明かないものだった。久しく会ったことのなかったドリーとは違い、以前から会話ができなくなってしまった相手とはやはりもう意思の疎通が出来ないらしい。徒労感だけが横たわる。
いま青井は一体どんな表情をしているのか、鬼の面に隠されて見ることができないのは幸いだったかもしれない。その青井が自分ではなく自分の少し後ろに視線をやったことに気づいた直後、脳にガリガリ響く割れるような音がした。
振り向くとつぼ浦のすぐ前にあの化け物がいた。かろうじて人型に見える溶けたシルエット。白と黒のブロックノイズをかき混ぜたような表面がザワザワと揺れている。こんな至近距離で見るのは一週間前に出くわしたとき以来だった。
「アオセン、危ない!」
つぼ浦は青井に声をかけ、背中に背負っていたバットを構えて化け物めがけて思いっきり振り抜いた。ごきり、という手応えのある音と感触がして化け物は怯んだ。
「……なんだ、実体があんのかよ!」
もしバットがすり抜けたらさすがのつぼ浦もお手上げだった。当たるということはこれは幽霊ではなく、実体があるということは殴れるということだ。物理が効くのであれば特殊刑事課の独壇場だ。
なぜか避けなかったので初撃を当てるのは簡単だった。しかし一発当たったためか化け物は流石に距離を取り、つぼ浦の様子をうかがっている。
「オラァ!!」
もう一度バットを振り下ろす。しかしノイズの見た目に反する金属音がして止められる。何度か殴りかかるが避けるか防がれ有効打にならない。溶けた見た目と実際の当たり判定がかなりズレているようで、うまく当てることができない。
「あ、アオセン、手伝ってくださいよ!」
たまらずつぼ浦は横にいた青井に声を掛ける。しかし青井は驚いた声を上げて走り去っていってしまった。
「やっぱり見えてねぇのか」
青井からすれば自分は何と戦っているように見えているのだろうか。そんな事を考えた隙に鋭い打撃が腕に入り、バットが手から弾き飛ばされる。
「テメェこのッ…!!」
遥か後方に飛んでいったバットを拾いに行くか一瞬悩む。ふと足元を見ると青井の刀が落ちていた。幸運に感謝してその柄を掴み、溶けるシルエットの真ん中あたりに勢いよく突き刺した。
耳障りな割れた音がしなくなる。刀を引き抜き、身体を蹴り飛ばすと化け物はあっさり地面に倒れた。白黒のノイズを何度も何度も念入りに突き刺すと、やがて完全に動かなくなった。
「なんだ、殺せんじゃねぇかよ!」
肩の荷が下りてつぼ浦は思わず笑ってしまった。この一週間の悩みが嘘のようだ。その異常な見た目から直接攻撃することを恐れていたが、こんなに弱いなら最初から全て殺すべきだった。今更のように気づいたつぼ浦の耳にまたしても騒々しい音が近づいてくる。
また別の化け物が本署の方から身体を滑らせながら近づいてきた。静かになったはずの割れた音がギャンギャンと脳内に響き始める。
特殊刑事課相手に物理が効く怪異を出してくるのが間違いだ。つぼ浦は間合いを詰めると刀で切る、のではなく化け物の体に向けて刀を投げた。不意打ちを食らってよろめいた身体に膝蹴りを入れ、引き抜いた刀で何度も斬りつけると2匹目の化け物もやがてすぐに動かなくなった。
一息つく間もなく、ヘリのローター音が直上で響く。つぼ浦はとっさにスライディングで身体を両断しようとしたブレードをかわす。運転席にはノイズの化け物が乗っていた。ヘリが姿勢を立て直してもう一度迫ってくるよりも早く、落ちていたロケットランチャーを手に取りヘリめがけてぶっ放した。
爆発と爆炎、そして残骸が地面に落ちる重低音。それをBGMにアドレナリンのほとばしる身体は次の敵を探して歩き出す。
ふと視線を感じて顔を上げると大通りの向こうでオルカとまるんがじっとつぼ浦を見ていた。しかし目が合うと踵を返して去っていってしまう。
「なんで行っちまうんだよ?!」
思わず大きな声が出た。去っていく仲間の間に割り込むように化け物がまたしても現れる。
「こいつら殺せば戻ってくるのか……?」
焦る声とは裏腹に、武装が心もとない。一発しか弾が装填されていなかったロケランを捨てる。あたりを見回すと自分のものではないバットが落ちていたのでとりあえず拾った。自分のものではないのに何故か見覚えがあった。開店祝いに成瀬にあげたバットによく似ていた。
背後の道をキャップが普通の車を運転して走り去っていく。アサルトを片手にドリーが近づいてくる。駆けつけてきた救急隊のライデンに化け物が乗っている。通りの奥を馬ウアーがひのらんと歩いている。化け物がパトカーから降りてくる。ボイラがテーザー銃を構えている。化け物が化け物を引きずっている。化け物がつぼ浦めがけて近づいてくる。
目の奥がひどく痛む。人とノイズの化け物が入り乱れる惨状は見るだけで脳に強い負荷がかかり、思わず吐き気がこみ上げる。
目の前の人たちは口を動かしているのにまったく声が聞こえない。全てわんわんと割れるような音に変わってしまう。
つぼ浦は潰れそうな頭で考える。同僚はなぜか化け物と一緒にいる。なぜ一緒にいるのか、それに答えを出す余裕はつぼ浦にはなかった。
青井とキャップが人だかりの向こうに立っている。ずっと話をしたかった人たちがそこにいるのだ。立ちふさがる化け物を押しのけて、つぼ浦は遠くの人影に向けて走り出した。
だがその腕を強く掴まれた。振り向くとブロックノイズの塊が何匹も迫り、腕を掴んでいた。
「チクショウ、埒が明かねぇな!」
腕を振り払い、バットを振りかぶった瞬間、テーザー銃の発射音が聞こえた。
つぼ浦の意識はそこで途切れた。
4
ぼやけた視界に映し出されたのは病室の天井だった。段々頭がはっきりしてくると、つぼ浦は自分がベッドに拘束されていることに気がついた。手足はいくら動かしても固定されていて、ガチャガチャと不快な鎖の音を立てるばかりだ。
「なん、だよ、なんで……ッ?!」
ふと気づくとベッドのすぐ横にザワザワと蠢く化け物が二匹立っていた。このままなにをされるのか、恐怖で冷や汗がどっと溢れる。
「テメェら、なんなんだよ?!みんなを…ッ、返せよ!!」
殴れば簡単に倒せることはもうわかっている。つぼ浦は手錠が腕に食い込むのも構わず四肢を動かす。なんとか拘束を振り解こうと暴れていると、カチャリと音を立てて柵と右手を縛る手錠が外された。愚かにも拘束を外した化け物にそのまま殴りかかろうとする。しかし振り上げた腕を強く掴まれた。
「チクショウ、離せ!!」
もがいた手がノイズを突き抜け化け物の体に触れた。手に伝わる感触は、ノイズの塊から想像できるものとは全く違った。
まず硬い布のようなものが掴めた。その奥を押すとしっかりとした肉体がある。手を上げていくと滑らかな肌があった。ちょうど片手で掴めるくらいの肉。手に力を入れようとしたら引き離されたが、手のひらに触れたのは呼吸のたびに上下する硬い突起としっとりと温かい肌。血管が脈打つさまはまるで人の首のようだった。
ノイズで阻まれ見えなかった化け物の本体は、つぼ浦の認識と大きな乖離がある。つぼ浦は疑念を抱いたまま更に上に手を這わせる。しかし硬質のプラスチックのような質感がした。手に刺さる鈍いトゲのような何か。想定と違う感触に戸惑いながら、なお手を上に動かすと、ひときわ長いトゲが一本、二本突き出していた。
そこで答えがストンと降ってきた。ノイズの化け物の正体が。
「アオセン…?」
その言葉で満足したかのように腕を掴む手が離された。おそらく正解という意味だ、とつぼ浦はすぐに理解した。触れたトゲ、あれはいかつい鬼のヘルメットの牙と角だ。
ならその横にいるもう一人は誰なのか?いや、自分が先ほど殺した化け物たちは、
「あ、」
思考が結論を出すより先に首に何かがチクリと刺さった。つぼ浦は急速に意識を失った。
*
再び眠りに落ちたつぼ浦を見て青井と神崎は大きなため息をついた。
「やっぱり認識が歪んでたみたいだな」
神崎は鎮静剤の入っていた空の注射器をトレーに置く。
「目と、耳もやられてるっぽいな。俺達のことどんなバケモンに見えてるんだろうな」
「もうちょっと早くに気づいてあげられればよかったんだけど」
「いや無理だろ、こいつ普段から頭おかしいことばっか言ってやがるし」
「それは確かに」
身も蓋もない神崎の言葉に青井は少しだけ笑う。つぼ浦は眉間にしわを寄せたまま薬で昏倒している。こんなことになるより前にまっすぐ相談されたとしてもどこまで信じてあげられたか、青井にはそこまで自信がない。
「まあコイツがどんな歪みに陥ってるのかわかったし、コイツも理解できたっぽいから良かったです。意思疎通が出来ないままじゃ扱いに困るし。さすがらだおさんっすね」
「視覚が死んでても実際に化け物になったわけじゃないし、触れば伝わるかなぁって。そうでもないと内臓掻っ捌かれた甲斐がないよ」
未だ生々しく切り裂かれたあとの残るシャツを見て青井は肩をすくめる。そして先刻、つぼ浦と遭遇したときのことを思い出す。
────あのとき、つぼ浦は服屋の前の角で誰かと会話をしていた。青井が声を掛けるとつぼ浦は怯えたような顔で振り向き、そしてすぐに怒りをあらわにしてバットを構えた。
「何やってんのお前?」
「アオセン、危ない!」
「へ?」
突然、名前を呼ばれてつぼ浦から注意がそれた直後のことだった。つぼ浦の振り抜いたバットは青井の体を襲った。とっさに掲げた右腕にバットの一撃が見事に入った。
「ッ、つ、つぼ浦?!」
完全に気を抜いていたところに叩き込まれた一撃だった。ゴキッという嫌な音を立てて腕がありえない方向に曲がる。何人もの犯罪者を葬ってきたつぼ浦渾身の一撃だ、折れた骨の先は肌を貫き飛び出していた。
使い物にならない右腕を庇って距離を取るが、つぼ浦は止まることなくまた攻撃してくる。誤った信念を元に吠える獣だ。瞳孔の開いた、とても正気ではない顔をしていた。
言葉が届かないことを悟り、青井は左手でなんとか背中の刀を抜いて構える。
しかしつぼ浦の重たい一撃を左手一本でまともに防ぐのは困難だった。勢いをそらすのが精一杯で、数回の防御で刀が弾き飛ばされる。続く攻撃をかわしてつぼ浦の手に蹴りを食らわせる。バットが手からすっぽ抜けるのを見届け、青井は肩の無線機に手を伸ばした。
「今からダウンしたらつぼ浦のせいです、こいつ、おかし、い、……ッ!」
つぼ浦の持った刀の切っ先が青井の目前に迫る。避けることも出来ず、刃が吸い込まれるように身体を刺し貫くのを見ることしか出来なかった。
「お前ッ、な、んで……ッぐ、か、ハッ……」
青井はバランスを崩し、その場に倒れ込んだ。死に際の声が無線に流れ、無線機から手が滑り落ちる。
自分のダウン通知の音がかすかに聞こえる。馬乗りになって返り血を浴びながら執拗に腹をザクザク突き刺すつぼ浦のことを、その勝ち誇る笑みを青井は唖然と見ていた。
無線を聞いて駆けつけたキャップがすぐに返り討ちにあった。いつもの調子でまず説教をしようとしたのが良くなかった。つぼ浦には声が届いていなかった。
ブレードキルをかまそうとした成瀬がロケランで落とされた。事件対応の帰りに通りがかり、状況はよくわからないが暴れるつぼ浦をとりあえず大人しくさせようとした。しかしつぼ浦がキャップのロケランを拾っていたのが運の尽きだった。
あとはことの深刻さを理解して駆けつけてきた署員たちとつぼ浦が大騒動のもみ合いになった。その様子をずっと冷静に見ていた青井はやがて救急隊に回収され────
つぼ浦の手錠を柵にかけ直し、青井はため息をついた。搬送されて治療を終え、ドリーや以前つぼ浦から相談を受けていたというオルカたちの話を総合し、つぼ浦には重大な歪みが発生していると見抜いたのはつい先ほどだ。そうでなければ精神の異常を疑う羽目になっていた。彼が取り返しのつかない一線を越える前に引き戻せて肩の荷が下りる思いだった。
「あとはもう市長案件だから、治ったら連絡しますよ」
「ありがとね、治ったら俺にすぐ声かけて」
「え、らだおさんが引き取ってくれるんですか?キャップじゃなくて?」
「まあ、さすがにメンタルが心配だしね」
青井は照れくさそうに首に手を当てた。
5
病室のベッドに腰掛け、つぼ浦は頭を抱えていた。
自分にどんな歪みが起きていたのかを先ほど市長から説明された。化け物が実在する可能性や、冷たくなってしまった仲間たちなどいろいろなことが同時に起きすぎた。幽霊だの化け物だのに踊らされ、自分だけがおかしくなっているという可能性を追いきれなかったことを後悔していた。
ドアの開く音がした。隙間から青井が室内を覗き込んでいた。
「あ、アオセン……」
「治った?」
自分を見ても恐慌状態にならないのを確認して、青井は安心して室内に入ってくる。
「お前、心無きが人間に見えてたんだって?」
「ハイ、そうらしいっす」
ゆるく首を振ってつぼ浦は大きく息を吐いた。
市からの説明はこうだった。まずテクスチャのエラー、つまり見た目に歪みを起こした人がいた。そのバグった人を見たことがきっかけでつぼ浦だけが歪みを処理しきれず、他者を認識する視覚や聴覚の機能自体が歪んでしまった。
行き場をなくした本人のテクスチャはあろうことか近くにスポーンする心無きにランダムに上書きされて見えるようになった。そしてより読み込みの頻度が高い、もとい親しく会う人から順につぼ浦の中で情報の破損が進行していった。
ただ全てはつぼ浦1人の認識の中で起こった事件だったので世界への実害は無く、修正は容易かった。逆に市が気づくことも難しかったが。
「化け物の方は理由が付けられなくはなかったんすけど、でもまさかあのアオセンたちの正体が心無きとは思わないっすよ。そりゃ話しかけても去っていくわけだ……」
「しかもお前声で誰か判断できないだろ?見た目だけ一緒なら騙されても仕方ないよ」
青井はつぼ浦の横に座って背中をぽんぽん叩く。その優しさで思わず胸が熱くなる。
「でさ、最初に見た目が歪んでた人ってやっぱ俺のこと?」
「多分そうだぜ、俺が最初に暴れたときに玄関から入ってきたのってアオセンだろ?」
負傷者の中に数えられていたのにつぼ浦からはあの場に青井がいるように見えなかった。巻き込んでしまった成瀬やまるん、オルカを除くとあの場にいたのは突然入ってきた化け物だけだ。
「え、俺どんなふうに見えてたの?」
「なんつーか、ノイズ?みたいな、ざわざわした不定形の塊みたいな」
「うわ」
不快感を隠さない青井の前で、つぼ浦は言葉に迷う。一週間前も驚きのあまりすぐに撃ち殺したし、先刻も化け物に見えていたとはいえ青井にはひどいことをしてしまった。
「あの、アオセン、俺……」
「あーあ、なるのが俺だったら良かったのになぁ」
謝罪しようとしたつぼ浦の言葉を遮るように、突然青井が言い出した。
「は?なに言ってんすか」
「だってスライムみたいな化け物の群れに見えてたんでしょ?俺なら多分イケたわ」
ベッドに腰掛けたまま足をブラブラさせる青井のことを、つぼ浦は変な虫でも見るかのような顔で見た。
「アンタ本当終わってんな……」
「ちょっと、本気で引くのやめてよね」
突然業の深いヤバめの性癖を見せられてドン引きしないほうが難しい。しかしこれはあえて言ってくれたのだ、とつぼ浦はすぐに気づいた。彼なりに慰めてくれたのだと。
ぽん、と頭に手が乗せられた。
「怖かったね」
「……誰とも話が通じないのが一番怖かったぜ」
うつむき、なんとか声を絞り出したつぼ浦が落ち着くまで、青井は優しく頭を撫でてあげた。
この一週間、大事な人たちが徐々に失われていく恐怖は筆舌に尽くし難いものだった。隣にいてくれることの幸せを心から噛み締めた。
「ありがとな、アオセン。キャップたちにも謝りに行かねぇと」
「うん、いってらっしゃい」
青井が手を下ろすとつぼ浦はベッドから立ち上がった。そしてドアへと歩いていく。
「本当、ただの歪みでよかったよ」
その後姿を見送り、青井はおもむろに鬼の顔のヘルメットを脱ぐ。妙に耳障りな音を立てて外れたそれを右手に持つ。
まるでチューブを強く押した絵の具のように、どろどろと渦巻く青色の「何か」の塊が青井の服の襟から飛び出していた。その色は宇宙の底のように深く、うつろう表面は焦点を合わせることを拒む。
「……気づかれたかと思ったよ」
口すらない、ただの青いどろりとした塊から声だけが響く。有り体に言えばスライムだ。直後、その不定形が青い沼の中から優男の顔を作り上げる。浮かび上がるように目鼻が形作られ、追いかけるように白い肌がそれを覆う。
完成した髪の最後の一本が風になびく頃、つぼ浦が振り向いた。
「ん?なんすか?」
「んーん、なんでもないよ」
青い目を細め、青井はいたずらっぽく言った。どこか毒のある笑みだ。この先輩はいつも簡単に自分を振り回す。疲れ切っていたつぼ浦はその手には乗らず、ただため息をついた。
歯を見せて笑う口の中がなんとなく青く見えたのはきっと病院のライトのせいだ。つぼ浦は元の姿に戻った世界に感謝して、踵を返して部屋から出た。
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本当にやべぇ化け物は実はそこにいた話
🟦は元々不定形の何かで、常に人間の体組織を作って擬態してる不死の化け物という設定でした。あの街の住人からは逸脱した正体なのでテクスチャがバグりやすいという設定。🟦だけは自分の正体がバレてないかをずっと気にしてたんですね~
怪談で語られていたのは気を抜いて擬態が解けていたときの🟦でしょうね。
フルフェイスのヘルメットは中がどうなってるかわからないからとてもロマンが良いですね🤗
コメント
14件
壺がバケモンとエンカウントしてしまった時に落ちたアオセンの刀で、あーらら?これ……やってんなって1人でニヤニヤしながら見てましたね……マジで伏線の貼り方うますぎて、口角が天井に刺さりました。 最後のアオセンも化け物endめっちゃ良くて、寝起きだったんですけど、目が覚めるくらい楽しく読まさせていただきました!! ありがとうございます😭✨
うわ好きです 考察が捗る感じ そしてホラー 最高じゃないか!!!! グロというか表現もちゃんと入っててわかりやすかった!!
aoとkypが話しているのを見ておや?となったけど次の戦ってるところ見てあー!!となりました笑 初めは不気味だ!怖い!と思いながら見ていましたけど、途中で思考の方がおかしくなってるのかな?と思い、安心しながら見ていたけど流石に最後のaoのは意外すぎてビックリしました!笑 読み返してみると、三人で話しているときにaoだけ形とかを気にしてたり、たくさんいるって言われて驚いてたり、