テラーノベル
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実習場のチャイムが鳴り終わったのは16時40分だった。
大輝は学校指定の実習用ツナギの袖をまくったまま、ロールキャブの引き出しを押し込んでロックピンを掛け、私物のバッグを肩に担いだ。青雲モビリティ大学校の学生駐車場へ向かうアスファルトは、夕方になってもまだ昼の熱を返している。隣を歩く陽斗は、肩に掛けたデイパックのストラップを直していた。
ライトニングブルーマイカのエボXは、整備棟裏の指定枠に前向きで収まっていた。大輝はキーレスでロックを解除し、バッグを後部座席へ放り込んで運転席へ腰を下ろす。陽斗が助手席へ乗り込んだところで、イグニッションを捻って4B11を始動した。クランキングの音に続いてアイドリングが立ち上がり、助手席側の3連メーターの針が一度振れて、ブースト計が負圧へ戻る。
スマートフォンをパイオニア製のディスプレイオーディオにワイヤレスで繋ぐと、CarPlayで大輝のプレイリストが流れ出した。ロックフォード・フォズゲートのサウンドシステムから、太いベースラインと乾いたスネアが反復するブーンバップのビートが鳴り、エアコンの送風音と混ざってキャビンを満たす。
「スプラッシュマウンテン乗ってくか?」
「いいってマジで」
「お前インプ乗った時は平気だったろ」
「平気じゃねえって。あいつ加減してくれたんだよ」
「大丈夫だって。俺も1本目は様子見だから」
大輝は笑いながらシフトレバーをDへ入れた。クラッチが繋がり、エボXが駐車枠から動き出す。
校門を出て県道へ合流し、黒森ステージのあるR町へ向かう。バイパスの流れに乗りながら、大輝はステアリングの真ん中あたりの手応えと、ブレーキペダルの踏み始めの遊びを、なんとなく掌と足裏で確かめていた。会話が途切れるとドラムのループが前へ出て、信号待ちでまたどちらかが喋り出す。登坂車線の手前で右折し、丘陵地帯を縫う連絡道路へ入ると、ロードノイズが乾いたコンクリートの音へ変わっていった。
西麓スタート側の管理区画ゲートを通過したのは、17時10分を少し回った頃だった。
パドックの白線内へ車を止め、パーキングブレーキのレバーを引いてから、シフトレバーをPへ入れる。エンジンを切ると、マフラーのあたりで金属の縮む音がかすかに鳴った。
陽斗は飲み物のボトルを手に、パドックの端のフェンス際へ歩いていく。大輝は車検証入れからライセンスと受講証を抜き、管理棟の窓口でJAFのアプリの会員証を見せた。2時間枠の走行料と施設利用料を電子マネーで払い、走行許可票とロガーを受け取って車へ戻る。
ノーズ下を覗き、オイルパンとアンダーカバーの隙間、ステアリングラックのまわりに滲みがないのを見る。リアへ回ってデフとドライブシャフトブーツ。右前輪の前にしゃがみ、BBSのスポークの隙間からBremboのキャリパーとバンジョーボルトに指を当てた。フルードはつかない。シバタイヤの溝に挟まった小石を指で弾き飛ばし、冷間の空気圧をゲージで見てキャップを締めた。
後部座席からバッグを引っ張り出し、ツナギからOMPのレーシングスーツへ着替える。シューズの紐を締め、ハイブリッド式のFHRを背負って胸と腹のストラップを引き絞った。白いバラクラバを被り、その上からオープンフェイスヘルメットを被って顎紐を締める。FHRのテザーを左右ともヘルメットのアンカーへ差し込むと、カチリと噛み合った。グローブをはめる。
シートへ腰を落とし、6点式ハーネスを腰、肩の順に引き絞る。胸がシートバックへ押しつけられ、身体とエボXの間から隙間が消えた。
ブレーキを踏んでエンジンを始動する。ブースト計は負圧、水温83度、油温85度。ステアリングコラム上の小型モニターでTC-SSTフルード温度を呼び出すと、72度を示していた。
シフトレバーの手前、S-AWCのスイッチの右隣にあるSSTクーラーのスイッチを、ONへ倒す。指先に小さな手応えが返った。左隣の、親父が付けたインタークーラーウォータースプレーのスイッチは、AUTOに入れたままだ。
シフトレバーのそばにある制御モードスイッチを前方へ倒す。マルチインフォメーションディスプレイの表示がNormalからSportへ切り替わった。もう一度前方へ倒し、そのまま3秒押さえ続ける。
表示がS-Sportへ変わった。
ブレーキを踏んだままシフトレバーをDへ入れ、運転席側のマニュアルゲートへ倒す。ディスプレイに「1」が出た。
パーキングブレーキのボタンを押し込み、レバーを下ろす。
オフィシャルの手招きに従って、パドックを徐行で進む。フェンス際の陽斗が、ボトルを持った手を軽く上げた。
西麓スタートの白線の手前で止まる。係員がノーズ下を覗き、親指を立てた。
大輝はステアリング右脇のASCスイッチを長押しした。メーター内にASC OFFの表示が点く。
左足でブレーキペダルを奥まで踏み込む。
右足でアクセルを床まで踏み抜いた。
4B11が吠える。回転計の針が跳ね上がり、5500回転に張り付いた。押さえつけられた車体が前へ出たがって震え、その震えがシートから腰へ、腰から背骨へ上がってくる。
シグナルが赤から緑へ変わる。
左足を離した。
エボXが弾かれた。
背中がシートへめり込む。4輪が同時にアスファルトを掻き、ブースト計の針が正圧へ跳ねた。速度計の針が60の目盛りへ届いたところで右パドルを引く。2速。変速の衝撃が背中を一度叩いて、また加速が続いた。
まだ冷えているタイヤは、ステアリングに軽い手応えしか返してこない。緩い右ベンドを流し、道幅が少しずつ狭まっていくのを眺めながら、大輝は路面のざらつきを掌で拾っていった。
左中低速は、左足で軽くブレーキを当てて前輪へ荷重を移し、そのまま左へ。まだ粘りの出ていないゴムが、ざらついた感触をハンドルへ伝えてくる。出口が見えたところで、アクセルをゆっくり戻していく。上り勾配の右ショートと左ショートを小さく抜けると、四段つづら折りの土手が正面に立ち上がった。
第1ヘアピンは右。直線で深めにブレーキを踏み、ノーズが沈んだまま右へ入れる。前輪の面圧が上がってハンドルが重くなるのを待ち、出口を向いたところで踏んだ。3000回転を越えたあたりから過給が立ち上がり、4輪が坂を蹴って登りへ飛び出す。
登坂直線で3速へ上げ、第2ヘアピンの左は針を60の目盛りのあたりまで落として2速。内側の縁石がノーズの下をかすめ、出口で外まで膨らまずに道の真ん中を残して立ち上がる。急勾配の中でアクセルを踏むと、ブースト計の針が1.5バールの手前まで伸びていった。次の登坂直線で、また3速へ上げる。
第3ヘアピンは奥へ行くほど締まっている。手前で落とし切り、左パドルで2速へ戻してから右へ入れ、あとは車に任せた。リアが自然についてきて、ノーズが出口を向く。踏み込むと、過給圧の針が1.3バールあたりへ落ち着きながら、加速はそのまま車体を上へ引っ張っていった。回転が伸び切る手前で右パドルを引き、3速。
第3登坂直線で、速度計の針が120の目盛りへ届く。左右のガードレールが狭い。水温96度、油温92度。SSTフルードは77度まで上がっている。
第4ヘアピンが来る。
四段の中で一番きつい左。出口の登りも一番強い。
左足でブレーキを踏み込んだ。
ノーズが沈む。肩ベルトが鎖骨へ食い込む。左手でパドルを弾き、2速。針を120の目盛りから50の手前まで、一息で削った。
2速のまま左へ入れる。駆動を受けた前輪が内側の路面を噛み、ノーズが出口へ回っていく。
舵をほどく。
踏んだ。
エボXが坂へ叩きつけられるように飛び出した。重力に逆らって車体が持ち上がり、背中が座面の奥へ押しつけられる。
四段つづらを抜けると勾配が緩む。右パドルで3速へつなぐと、道がリズムを刻み始めた。
右中速、左中速と、アクセルの踏み加減だけで車の向きを入れ替えていく。横Gが脇腹を左右から交互に押し、タイヤが路面を掴んでいる重さがハンドルへ返ってきた。右の締まり込みで短くブレーキを当て、ノーズが白線に沿って向きを変えるのを待ってから踏む。左のダブルエイペックスは一つ目を速度を残して抜け、外へ流れた荷重が落ち着くのを待ってから二つ目の内側の白線をかすめた。
先の見えないブラインド右を抜けると、左の高速登坂が続く。小さな舵角のまま踏みっぱなしで抜けた。
尾根越え区間へ上がると、木々の間から空が大きく開いた。上りの左中高速を抜け、直線へ出たところで右パドルを引いて4速。モニターのSSTフルード温度が81度を示す。
ブラインドクレストの上りへ向かう。
速度が伸びていく。正面には空しかない。
頂点の手前で、アクセルを少しだけ戻した。
越える。
路面が消えた。
サスペンションが伸び切り、腹の底が浮く。6点式ハーネスに身体が吊られ、ハンドルから手応えが抜けた。
握ったまま、待つ。
ドスン、と重さが戻った。
4輪が路面を踏み直した衝撃が、座面から背骨を突き上げて頭の芯まで抜ける。
下り勾配が車体を前へ押し出す。針が150の目盛りを越えたまま緩い右を抜け、左の切り通しの手前で短くブレーキを当てた。岩肌がすぐ横を流れていく。
北斜面の高速下降へ入った。
右高速下降は、そのまま踏み続ける。風切り音が窓を叩き、エンジン音をかき消した。外側のガードレールが、とんでもない勢いで後ろへ流れていく。続く左高速下降は4速のまま手前でブレーキを当て、前輪に荷重が乗った瞬間に姿勢が定まった。首に横荷重を受けながら、視線だけを出口の先へ残す。
下りストレートへ飛び出した。
アクセルを踏み抜く。ブースト計の針が1.5バールの近くまで上がり、回転が伸びるにつれて少しずつ下がっていく。7000回転の手前で右パドルを引き、5速。路面の継ぎ目を踏むたびに、硬い衝撃がシートから腰へ抜けた。
速度計の針が、180の目盛りを越える。
直線の終わりに、右の低速コーナーが見えた。
左足でブレーキペダルを踏み込んだ。
身体が前へ持っていかれる。肩と腰のベルトが骨盤を締め上げ、首がヘルメットごと前へ引っ張られた。
左手でパドルを弾く。4速、3速、2速。落とすたびに回転計の針が跳ね上がり、エンジンブレーキがブレーキに重なる。
180の目盛りの先から、60を少し越えたところまで。
右へ入れる。前輪が路面を捉え、ノーズが奥のエイペックスへ吸い寄せられていく。外側のガードレールが近い。車体が起き上がったところで、アクセルを合わせた。
黒森複合へ入る。
左タイトは2速のまま小さく回り、出口で右パドルを引いて3速。右中速は外側の白線に沿って立ち上がる。左の締まり込みは下りで前輪に荷重が乗り、ハンドルから細かな接地感が伝わってきた。向きが変わるのを待ってから踏む。
路面が上りへ切り替わった。登り返しの圧縮でサスペンションが沈み、アクセルを全開にしたまま坂を越える。回転が上がりきる前に右パドルを引き、4速。針は120の目盛りを越えて伸びていく。油温95度。クーラーの効いたSSTフルードは83度で踏みとどまっていた。
登り切ったところのブラインド右を、手前で左パドルを引いて3速へ戻して抜けると、視界が開けると同時に下り坂が口を開けた。左中低速を抜ける。
谷底の右へ落ちていく。
手前でブレーキを当て、3速のまま右へ切った。
一番低いところで、路面が車体を下から殴りつけた。
縦Gが全身を座面へ叩き込む。サスペンションが底近くまで沈み、内臓が一段下へ落ちる。ヘルメットの重さが首の付け根へのしかかった。
受け止めたまま、アクセルを開ける。沈み切った車体が、跳ね返るように谷底から立ち上がった。
左パドルを引いて2速へ落とし、左の短角を縁石すれすれに回り、右中速へ向けて踏み抜く。右パドルで3速。4輪が路面を捉え、エボXは東麓のフィニッシュ区間へ向かって加速していった。
下降ストレートが真っ直ぐに伸びる。右パドルを引いて4速。速度計の針が150の目盛りを越えた。
左の最終ヘアピンが見える。
左足でブレーキを踏み込んだ。
制動の荷重を肩と腰で受け止める。パドルを弾いて3速、2速。
150の目盛りの先から60まで、叩き落とした。
前輪に重さが乗ったまま、ステアリングを左へ入れる。シバタイヤが路面を掴み、ノーズがインへ向いた。
出口が開く。
舵を戻しながら踏み込んだ。
エボXが坂を蹴り出す。フィニッシュストレートで3速、7000回転の手前で右パドル。背中を押され、緩い右ベンドをわずかな舵角だけで抜けて、計測ラインを越えた。
チェッカーの標識が視界の端を流れる。
アクセルを抜き、左足でブレーキに軽く触れた。速度が落ちていき、ブースト計が負圧へ戻る。身体を締めつけていた力が抜けて、肩がシートへ落ち着いた。
減速路から競技路外の低速連絡路へ入る。窓の外に森が広がり、タイヤが跳ね上げた小石がフェンダーの内側をカチ、カチと叩いた。
SSTフルード温度は84度から下がり始めている。水温90度、油温96度。ブレーキペダルの踏み応えはしっかり残っていた。
タイヤが、ようやく温まってきたところだった。
西麓のパドックへ戻り、元の枠へ車を入れる。ブレーキを踏んだままパーキングブレーキのレバーを引き、シフトレバーをPへ入れた。熱が抜けるまで、エンジンはアイドリングのまま回しておく。
テザーを外してヘルメットを脱ぎ、バラクラバを引き抜く。汗で湿った前髪が額に落ちた。ハーネスのバックルを捻って外し、FHRのストラップを緩めてシートへ下ろす。グローブをダッシュボードへ置き、ドアを開けて外へ出た。
夕方の風が顔に当たる。
フェンス際から陽斗が歩いてきた。
「お前、あれで様子見なの?」
「様子見だって。タイヤまだ全然だったもん」
大輝は陽斗の手からボトルを受け取り、一口飲んで返した。
エボXの前へ回り、グリル越しに追加のSSTクーラーのコアを見る。フィンの潰れも異物の噛み込みもない。その奥のインタークーラーのフィンが濡れて光り、バンパーの下から水が細く垂れていた。四段つづらの登りで、スプレーが噴いたらしい。アンダースポイラーの下側に手を入れて擦った跡を探し、右前輪の前へしゃがんだ。
トレッドに掌を当てると、ゴムが熱を持って柔らかくなっていた。スポークの間から、Bremboのキャリパーの熱気が顔へ届く。ローターの表面は青白く焼けているが、ヒートスポットはない。立ち上がり、残りの3輪も同じように見て回った。
運転席のドアを開け、アイドリングを続ける4B11の音を聞く。水温87度、油温91度。SSTフルードも75度まで戻っていた。大輝はS-AWCのスイッチの右隣、SSTクーラーのスイッチをOFFへ倒した。
ドアを閉めようとしたところで、パドックの通路側から足音が近づいてきた。
腕章を巻いたオフィシャルが、クリップボードを手にしたままエボXの横で足を止める。
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ねこむすび
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コメント
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第11話、読み終えました……。 なんか、すごかったです。私、正直車とか走りのこと、詳しくないんですけど、大輝くんがエボXと一体になって黒森を駆け抜けてく感じが、ひたすらリアルで。画面越しにGが伝わってくるみたいでした。最後のオフィシャルの人の登場が、めっちゃ気になります。 ああああさんの書く「静かだけど熱い」感じ、すごく好きです。次、楽しみにしてますね。