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「馬車を出せ!」
護衛の声が響き、御者が馬に鞭打つ音が聞こえた。
直後、儀礼馬車が勢いよく走り出す。
「きゃっ――!」
ダフネの身体が座席へ叩きつけられた。
「ダフネ様!」
侍女が咄嗟に手を伸ばしてくる。
けれど馬車は激しく左右へ揺れ、互いの身体を支えることすらできない。
「ちょっと! もっとゆっくり――」
言い終わらない。下手に口を開けば舌を噛んでしまいそうなくらい客室が大きく揺さぶられた。
背後から再び怒号が聞こえる。
剣と剣がぶつかり合う音。
誰かの叫び声。
それらが、少しずつ遠ざかっていく。
馬車は速度を落とすどころか、さらに加速していた。
街道脇の木々が、窓の向こうを凄まじい勢いで流れていく。
「な、何なのよ……! もう離れたでしょう!?」
返事はない。
代わりに聞こえてきたのは、馬の荒々しい蹄の音だった。
道は先ほどまでより険しくなっている。
雪解け水に削られた岩混じりの街道を車輪が跳ねるたび、車体が激しく上下した。
「きゃあっ!」
ダフネは座席から放り出されそうになり、悲鳴を上げた。
「止まれ! 止まれっ!」
御者の声がする。
けれど、馬は止まらない。
甲高いいななきとともに、さらに速度を上げていく。
「何してるのよ! 早く止めなさい!」
「ダフネ様、お掴まりください!」
「掴まってるわよ!」
窓枠を握る手が痛い。
身体のあちこちが座席や壁へぶつかる。
こんな馬車に乗りたかったわけではない。
こんな目に遭うために、マーロケリー国へ向かっているのではない。
自分は――。
王太子妃になるのだ。
マーロケリー国の王太子に望まれ、その妃となるために国境へ向かっている。
王族に嫁ぐ女なのだから。
誰より大切にされて。
誰より厳重に守られて。
そうして、華々しく迎えられるはずなのに。
なのに――。
「嫌……」
声が震えた。
もう背後の剣戟は聞こえない。
それなのに馬車は止まらない。
「嫌よ……!」
胸の奥から、これまでとは違う恐怖が込み上げてくる。
「止めて! 早く止めなさいよ!」
その時だった。
馬が、ひときわ甲高くいなないた。
「うわっ――!」
御者の叫び声。
直後、儀礼馬車が大きく跳ね上がる。
「きゃあっ!」
何かが落ちるような、鈍い音がした。
けれど、それが何なのかダフネには分からない。
ただ――。
馬車は止まらなかった。
「どうして……」
御者の声が聞こえない。
「ねえ! 止めなさいよ!」
返事はない。
蹄の音だけが、ますます激しくなっていく。
侍女の顔も真っ青になっていた。
「ダフネ様……」
「何よ」
「この馬車……」
その先を、侍女は言わなかった。
言われなくても、ダフネにもようやく分かり始めていた。
誰も、この馬車を止めていない。
「嫌……」
喉がひきつる。
「嫌よ……!」
こんなはずではなかった。
自分は王太子妃になるためにマーロケリー国へ向かっているのだ。
王族に嫁ぐ女なのだ。
だから守られて当然で――。
「誰かっ! 助けなさいよ!」
叫んだ、その瞬間だった。
ガクンッ!
馬車が、これまでとは違う方向へ大きく傾いた。
「……え?」
窓の外へ目を向ける。
窓の向こうから、道が消えた。
コメント
2件
あわわわわ。 だふね、どうなったのー!?
うわっ、最後の一文で背筋が凍りました……! 暴走する馬車、誰も止められない恐怖、そして「道が消えた」——もう完全に手に汗握りますね。ダフネの「王太子妃になるはずなのに」という心の声と、現実の無惨さの対比が切なかったです。続きが気になりすぎます……! 鷹槻さん、今回も圧巻の緊張感でした🤍