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麻雀戦記 はじめての一歩
第1話
新年の冷たい空気が漂う両国国技館。期待と興奮が入り混じる人々が次々と入場口に吸い込まれていく。通常は相撲の土俵が見えるこの場所だが、今日はまさに異色のリングが設置されていた。
赤青白黒の四色に彩られたコーナーポストとロープに囲まれたリングの中央には、これから繰り広げられる熱戦を待ちわびているかのように一台の全自動雀卓が鎮座している。
リングの上部には、客席に向かって大型スクリーンが設置され、リング上には選手の肩口から卓上を映す小型カメラが設置されている。
実況アナがADのオンエアーの合図とともに口を開く。
「新年の冷たい空気が漂う東京国技館。特設リングに集まったのは、日本中が待ち望んだバトルロワイヤル戦です。問答チャンネルの士屋が実況を担当し、解説は士田プロと多丼プロです。」
二人は揃ってカメラに向かい、頭を下げた。
「「宜しくお願いします」」
士屋アナが説明を続ける。
「今夜の試合は実況放送を考慮した特別ルールで行われます。東南戦半荘2回、連荘がなく場の積み上げはありません。つまり、流れるか誰かが上がる毎に局が進みます。原点は3万点です。誰かの持ち点が無くなっても局は進みます。その他は一般的な哭き断、後付けアリアリルールで、赤牌はありません。各局の間には1分間のインターバルが入り、各コーナーでセコンドとの会話が許されます。」
多丼プロが続けた。
「ボクシングと同様でCMの時間が考慮されているんですね。」
士田プロが頷く。
「スポンサーは大切ですからねー。」
多丼プロはからかった。
「士田さんは、それで苦労しましたもんねえ。」
士田プロは自嘲気味に答える。
「いやあ、耳が痛い痛い。あははは…」
二人の机下での足技バトルを横目で見ながら、士屋アナが続ける。
「仲の良い御二人です。さて今回は、麻雀は勿論、国内のボクシングの試合としても破格の賞金と言って良いのでしょうか。優勝者には賞金10億円が贈られます。2位は1億、3位は1000万、最下位でも100万円です。」
士田プロが感心したように言う。
「世界一の資産家チーロン・マヌク氏がスポンサーですからね。私が出場したいくらいです。」
多丼プロが再び笑う。
「はっはっは、僕らじゃこんなに客を呼べませんよ。昔程メジャーなゲームじゃないですから。」
士屋アナが続ける。
「それでも麻雀の競技人口は、中国5億人、日本3000万人、台湾500万人、香港が130万人と言われています。アメリカでも普及していますが、競技人口はそれ程でもないそうです。」
多丼プロが少し真剣な顔で語る。
「マヌク氏は世界の大衆メディアの支配を目論んでいて、アジアにおいては麻雀を通じて大衆操作の準備をしているとの噂もあります。中国政府は警戒して対抗策を模索しているようですが、まさか麻雀を禁止する訳にもいけませんからね。」
士田プロが話を繋ぐ。
「そりゃ夫安門どころの騒ぎではありませんなあ。あははは…」
その微妙な話題に、士屋アナの頬が引き攣る。
ざわめきが支配する国技館。突如、照明が消され、一瞬の静寂が訪れる。その闇の中で、ホルストの「火星」が重々しく鳴り響く。
士屋アナの声のトーンが上がった。
「オレンジのスポットライトに照らされながら南入場口(朱雀)から登場するのは、鷲を模した派手なマントに身を包んだ鷲村選手です。目深に被ったフードで表情は伺えませんが、ただならぬオーラを纏っています。」
堂々と歩みを進める鷲村。その後ろには、鵜川会長を先頭に三本のチャンピオンベルトを抱えたセコンド陣が続く。鵜川会長は苦虫を潰したような表情で呻いた。
「まったく、こんなもの持たせおって何の意味があるというんじゃ。この自己顕示欲の塊めが…」
徐々に照明が明るくなっていくリングに近づくと、鷲村は助走をつけてコーナーロープの上段に駆け上がる。そして、マントを脱ぎ捨て深紅のグラブをはめた両手を掲げ、雄たけびを上げた。
「今夜のお前らのショバ代はタダだ。全部俺様の驕りにしてやろう。」
その声がガンマイクに拾われると、大歓声が両国国技館を揺るがした。鷲村は熱狂する観客を満足そうに見回すと、腰を落としロープの反動を利用してジャンプ。一回転してリングに豪快に舞い降りた。その瞬間、さらに熱狂の渦が巻き起こる。
鷲村はグラブを外し、リングサイドに控えるセコンド陣に放り投げ、にやりと笑った。「ついに連れてきてやったぜ、ジジイ。」
会長が口から盛大に泡を飛ばして怒鳴り散らす。
「やかましい!誰も好き好んでこんなところに来んわ!大法螺吹きが!少子化でどこのジムも経営が苦しいんじゃ。法外なファイトマネーが無かったら絶対に断ったわ。背に腹はかえられんわい。」
鷲村はフンと鼻を鳴らした。
「素直に礼も言えねえのか、くそジジイ。あまり血圧上げると死ぬぞ。」
会長はリング下からマットを両手でバンバン叩いた。
「誰のせいだと思っとる!つくづくムカつく奴じゃ!」
豪快に笑い飛ばした鷲村は踵を返し、再び飛び立つ鷹のように両手を掲げ、観客に人類最強アピールを繰り返す。それに観衆は大歓声で答えた。
興奮の真っ只中、再び薄暗くなったリング。やや歓声が静まったのを見計らい、一本の青みかった光が東入場口(蒼龍)に伸びる。静かなラヴェルのボレロの旋律とともに、官田一郎が群青のガウンに身を包み、静かに姿を現す。その背中には龍の刺繍があしらわれていた。
官田一郎は、スポットライトに照らされるリングを感慨深げに見つめる。
「君とはグローブで戦いたかったよ、暮の内。しかし贅沢は言うまい。形はどうであれ、君とリングで戦えるのだ。神に感謝しよう。」
そう語りながら、決戦のリングへの道を踏みしめていった。
先を歩く息子の背中を見つめながらセコンドに立つ官田父は胸中で涙する。
「すまん、一郎。俺が不甲斐ないばかりに、ずいぶん遠回りさせてしまった。ボクシングもショービジネスとはいえ、こんな茶番につき合わせられる息子の不幸を呪うぞ。だが、このファイトマネーを使って、必ず世界戦の場に立たせよう。ボクシングも金次第、世界王者も金の魔力には逆らえん。そう長くは続けられない商売だからな。」
一郎が自分のコーナーポスト下に到着すると、コーナーロープに寄り掛かった鷲村が見下ろしていた。鷲村は高慢な態度で話す。
「東洋チャンプごときの小物が俺様に挑戦するとは、いい度胸だ。胸を貸してやる、精一杯ぶつかってくるがいいぜ。腕一本で相手してやろう。」
官田はふっと笑って右の拳を突き出す。
「鷲村さん、何と勘違いしているのか判りませんが、麻雀では基本的に片手しか使えないんですよ。両手が使えるのは最初と最後だけです。僕もこれだけで十分ですよ。」
ふん、食えねえ奴だぜ。と吐き捨て、自分のコーナーに戻る鷲村。自コーナーで会長にグラブで叩かれている鷲村を横目に、リング上で自分の応援団に軽く一礼する一郎。その姿に官田父は息子の冷静さに安堵する。
一方、米国の豪邸では、マヌク氏が鷲村サイドの茶番にテレビ中継を見ながら膝を叩いて笑い転げていた。「ROFL HAHAHAHAHA…」
リング上でのコントに笑いが渦巻いていたがリングが、みたび薄暗くなった。静まった観客の視線が一斉に西側入場口(白虎)に向けられる。白のライトが一歩を照らし、戦いの場とは不釣り合いな演歌が鳴り響く。
リングアナの声が場内に響く。
「北鳥三郎の天漁船をバックに、暮の内選手の入場です。」
多丼プロが我慢できず笑い声を漏らす。
「なかなかユニークな選曲ですね。」
士田プロも同意する。
「私好みで良いですねえ。」
それを多丼プロが茶化す。
「まあ、ジジイの演歌好きは定番ですから。」
その二人で交わす肘鉄の応酬を無視して、士屋アナが中継を続ける。
「暮の内選手のセコンドには、ハ木マネージャーと、何故か看護師の問柴久美さんがついています。」
多丼プロが疑問を投げかける。
「麻雀で流血事態になる筈はないのですけどね。暮の内選手に何か問題があるのかもしれません。」
隣で流血事態になりそうな二人にあきれながら、士屋アナが質問する。
「士田プロとハ木マネージャーは、お知り合いだそうですが?」
士田プロが頷く。
「はい、古くからの友人です。ハ木さんは今はジムのマネージャーをしていますが、昔は麻雀界の闇の帝王と呼ばれていました。その強さに都内の麻雀荘では出入り禁止になっていた程です。暮の内選手は、麻雀歴は非常に浅いのですが、彼から特訓を受けていましたから、今日の試合は彼の…………活躍が楽しみです。」
多丼プロがにやつきながら突っ込む。
「士田プロも暮の内選手の指導をしていたんじゃないですか?」
士田プロが目を逸らしながら答える。
「他ならぬハ木さんに頼まれまして…暮の内選手の雀風はボクシングスタイルに似て、パワーヒッター(一発屋)ですね。」
士屋アナがさらに尋ねる。
「士田プロお得意の七対子を一発で自模ってくるスタイルでしょうか。」
士田プロが机に肘をつき、組んだ手に額を埋めた。
「まあ…発展型です。」
演歌に合わせた観客の手拍子に押されて、やっとリング下にたどり着いた一歩は人生最大のピンチに立っていた。ボクシングでは、どんな相手でも恐れを抱かなかった彼だが、今回は違った。恐怖を克服する時間と経験が不足していたのだ。一歩は、不安に満ちた目でハ木マネージャーに助けを求めた。
ハ木は、一歩の肩に手を置いて励ました。
「1カ月という短い間だったけど、僕がやれることはやり切ったつもりだよ。免許皆伝とは言えないけれど充分戦えるよ、自信を持っていこう。」
一歩は前を向いた。
「はい、こんな僕を応援してくれる皆のためにも、精一杯打ち合ってきます。」
ハ木は笑顔で答えた。
「その意気だよ。一歩君」
ハ木の傍らで久美が頷く。
「一歩さん、看護師は多少のメンタルケアも出来るから安心してね。」
しかし、明るい言葉とは裏腹に、ハ木の心中は穏やかではなかった。
(一歩君には全く麻雀のセンスがない。というか、今までの試合で頭を打たれすぎたのだろうか?順子の組み合わせ方が、全く理解出来ない。彼が作れるのは対子と暗刻だけ。同じ模様しか集められない。七対子ならばと士田君に指導を頼んだが、筋の考え方が判らないので、1日で匙を投げられてしまった。彼に出来る役はトイトイだけだ。私ですらトイトイだけで戦うのは苦しすぎる。)
ハ木は、初めての実戦試合のリングに上がる一歩の後姿を見送ることしか出来なかった。
続く