「んー、まあ、そういうわけで、お前との婚約は破棄するわ」
ディエス王国第一王子、アディン・ディエスは自分の席に、やたら肌の露出した衣装をまとう女たちをはべらせながら言った。
王子の催しの場である。集まったゲスト――若い貴族の息子、娘たちもパーティーを楽しんでいたところでの、信じられない発言である。
一瞬の静寂の後、周りがざわめいた。
「……よく意味がわからないのですが?」
私は、王子殿下にして婚約者だった男、アディン・ディエスを見据える。
長い金色の髪。肌は外出しないためか色白。背は高いが、むしろやせ型だ。顔は美男子の部類に入るとは思うのだが、上品とはいえない性格がにじみ出ているようで、あまり好きになれなかったりする。
「いきなり呼びつけたかと思えば、いきなり婚約破棄とは」
「わかっているじゃないか。大事な部分はさ」
今年で27歳。私より9も年上の王子様は、左隣にはべる女――とある男爵令嬢の肩を引き寄せる。
「アンジェラ・ エストレーモ」
王子は私の名前を呼んだ。エストレーモ侯爵家の娘である私は、この王子と婚約関係にあった。だからこそ、周りの者たちは、ある者は王子の宣言に驚き、ある者は、陰口を叩きながら私をあざ笑った。
「父上はお前とおれを結婚させようとしたが、残念ながらおれにその気はない。父上にはおれから話して、婚約破棄を了承させた」
すでに国王陛下に話は通しているという。アディン王子は今度は右隣にいる銀髪令嬢の豊かな胸に顔をうずめた。
婚約者の前で平然と他の女に手を出す。この王子の好きになれない点のひとつである。まして、未来の王国の貴族たちを前で、婚約破棄を持ち出す神経を疑う。
「まあ、何というか、おれは天才だと思う」
アディン王子は言うのだ。
「お前も、おれには及ばずながら天才の部類に入ると思う。ただ常識ぶって、自ら殻に押し込めているようだけど」
この人は逆に、あけすけ過ぎる。あからさまであり、破天荒であり、傲岸不遜である。 しかし、政に関して才能はあって、すでに王の代わりに国を動かしているところがあって、概ね上手くいっている。……性格の好き嫌いはあっても、王宮も民もアディン王子の政治手腕は認めていた。
「つまりだ。天才のおれとお前がくっつくのは、その才を潰し合って上手くいかなくなる」
「……」
「おれもね、口うるさい王妃は嫌だ」
私はそんな口うるさいだろうか? ほとんど社交辞令じみた会話しかした覚えがないので、そんな相手から断言されるのは釈然としない。
「殿下に、もっとお縋りすればよかったでしょうか?」
「心にもないことを」
アディン王子は、銀髪令嬢の胸を枕にしながら言った。
「そんな安い女に成り下がるなよ」
「……」
「お前はさあ、宝石なんだよ。わかる?」
いや、さっぱりわからない。
「宝石ってのはさ、遠くから眺めて見るもので、ベタベタ触るものじゃないんだ。だから、おれはお前を自分のコレクションにいれない」
「つまり、気に入らないと言うことですか?」
「んー、ちょっと語弊があるけど、まあ、突き詰めていけばそういうことかな。とにかく、おれはお前を妃として迎えるつもりはない」
そして婚約破棄だ。私はどうしたものかと考え込んでしまう。
女好きで、そちらの方面であまり噂のよろしくなかったアディン王子である。正直、親の決めた婚約だから仕方ないと思っていた。だが嫌なものは嫌だし、そんな好色家から逃れられるのは本当なら喜んでもいいはずなのだが、やはり面と向かって婚約破棄と言われるとショックを受けた。
しかも公衆の面前で。王宮でも噂になるし、貴族たちの間でも話のタネになるだろう。王子にフラれた女――これは貴族間の評価としては大いにマイナスだ。きっとお父様もお怒りになるだろう。エストレーモ家の面目を潰してくれた、と。
「アンジェラ」
「……はい?」
考えに没頭していて、反応に遅れた。アディン王子が冷めた目を向けてきた。
「おれはさ、やっぱ愛ってものが必要だと思うんだ。ここにいる娘たちは、おれに愛情を向けてくれる。それはおれが王子だからってのもあるだろう。本当の愛ではないかもしれない。でもさぁ、お前にはそういうの、欠片もなかっただろ?」
親同士の決めた婚約。それ以上でもそれ以下でもない。
「まあいい。……で、さすがにこのままだと、お前のお父上にも悪いだろうから、おれのほうで、お前の新しい婚約相手を決めた」
なんで、あなたが決めるの?――心の中で思ったが口には出なかった。
「おれの弟、レクレスをお前にやる。第一ではなく、第三王子ではあるけど、王族は王族だ。多少落ちるが、王族との結びつきは保てる」
本気で言っているのだろうか? これでお父様は納得するのかしら……?
「あ、父上――国王陛下には、それも了解を得ている。近く正式に、お前とレクレスとの間に婚約が発表される」
「……そうですか」
もう話が進んでいるのだ。どうせ親同士が決めた結婚だ。アディン王子が指摘した通り、私は王子様の妻になるという道を歩いてはきたが、彼に愛情だのを抱いていたわけではない。相手が変わるだけだ。
ただ、私も思うところはあるわけで――
「レクレス王子は、ご承知なのでしょうか?」
「うん、通達はした。そろそろ、あいつのもとにも知らせが届くと思う」
第三王子は、王都にはいない。ディエス王国の王子は四人いて、ここにいるのは長男のアディンと、四男のカントだけである。
「レクレス王子は……この婚約についてどう考えるでしょうか?」
「プッ、何だいそりゃあ」
アディン王子は愉快そうに笑った。
「あいつがどう思うなんて、おれが知るか。じゃあ聞くが、お前はどうなんだ?」
どう、と言われても……。レクレス王子のことは過去何度か、お見かけしたことはあったと思うが、昔過ぎて覚えていない。そもそも、彼は最近とんと表に出てこない。
その理由が――
「レクレス王子は大層な女性嫌いだと伺っていますが」
そう、第三王子は女嫌いで有名なのだ。近くに寄るのも拒まれ、一種の病気ではないかと噂されるほどだ。何でも、レクレス王子は、近づいてきた令嬢を見て、嘔吐されたとか。
そんなわけで、王子でありながら、婚約者はいない。もっとも、レクレス王子に関しては他の兄弟と違う点があるので、それだけが原因というわけではないが。
「おれは女好き。あいつは女嫌い。それだけだよ」
アディン王子はそっぽを向いた。
「でもまあ、お前は賢いんだ。あの女嫌いの色々足りないところを補ってやれるだろうさ」
「それで、私をレクレス王子に?」
「……」
アディン王子が私を真顔で凝視した。何かいけないことを言ってしまったか?
「おそらく、この世界であいつが愛せる女はお前だけだと思うよ。これでダメなら、あいつは一生独り身だ」
「……どういう意味でしょうか?」
「話は終わりだ。出てっていいぞ」
王子はそう言うと、女たちに抱きついて、じゃれつきだした。元になったとはいえ、婚約者だった私の前でよくもやるものだ。私はドレスの裾をつまみ、一礼すると、王子の寝室から退出した。
「――あそこで嫌と言えれば、可愛げもあったんだけどな」
扉が閉まる寸前に、アディン王子のそんな声が聞こえた気がした。
王子直属の騎士たちは、同情の目を向ける者が半分、おかしなものを見る目の者が半分といったところだった。
「帰ったら、お父様は何と言うかしら……?」
私、アンジェラ・エストレーモは婚約を破棄された。そしてその日のうちに新しい婚約が決められてしまったのだった。
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