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やっぱり祭りは楽しかった、毎日がお祭りだったら良いのにな。
そんな浮かれた声が一つのデスクを中心に部屋中に舞い上がり、周囲の仲間達が頭痛を堪える顔になっていた午後、一週間ほど前に念願のヴィーズンに初めてウーヴェと行けたことから陽気さ全開の鼻歌を歌い書類仕事に取りかかれることは幸せだ、事件が無いことは本当に良いことだとも笑うが、見るに見かねたらしい彼らの上司が部屋のドアを開け放つと同時に浮かれている男の名を叫ぶ。
「リオン! いい加減にしろ!」
祭りだ祭りだとうるさい、しかもその祭りはもう閉幕して日常に戻っていると叫ぶと、椅子ごと振り返ったリオンが不気味な笑みを浮かべて上司を見る。
「楽しかったんだから浮かれてもいいでしょうがー。行けなかったからって八つ当たりするなよな」
「お前はどうしてそう減らず口ばかりを……!」
上司が強面の顔を赤くして更に怖さを増すがその顔に全くの恐怖を感じることもないのか、クランプスが赤くなったところで元から赤黒いのだから何ともないと笑い、取りかかっていた書類を差し出すが、その書類を受け取る代わりに部下のブロンドのしっぽを鷲掴みにしたヒンケルは、途端に上がる悲鳴を無視して己の部屋に引きずり込む。
「ぎゃー! 痛い痛いっ! クランプスに食われるっ! 誰か助けてっ!」
「少しぐらい食われても問題ないから行ってこいー」
結局今年も愛妻とビール祭りに行けなかったことから八つ当たり気味に声を上げたのはコニーで、実は浮かれたリオンの被害を最も被っているのだと態度で教えるように呟き、マグカップを軽く左右に振って涙目になるリオンを笑顔で見送ると、ああ、これでようやく静かに仕事が出来ると皆の気持ちを代弁しながら凝り固まった肩を解すように回す。
「……ドクとヴィーズンに行けたことがよほど嬉しいのね」
リオンの喜びように一定の理解を示しつつもうるさいと溜息を零したダニエラにコニーも理解しているがあれは酷すぎると肩を竦め、今のうちに書類を片付けようとヴェルナーが笑うとマクシミリアンも静かに同意を示す。
リオン一人がいなくなるだけで途端に静まりかえる刑事部屋だったが、その中で他の刑事達は急いで仕上げる必要がある仕事に全力を傾けるのだった。
己がどのように仲間達から思われているのかなど気にも留めていないリオンがヒンケルのデスクの前に丸い椅子を置いてくるりと回転するのを、ヒンケルが呆れた顔で書類越しに見つめる。
「お前に誤字脱字のない書類を提出しろと言うのが間違いだな」
「そーですね。ドイツ語は難しいですからねー」
ドイツ人が文法的に間違いを犯したときに良く言われる言葉をさらりと返し、ヒンケルの一睨みを椅子を回転させることで躱したリオンだったが、ドクは落ち着いたのかと問われてぴたりと動きを止める。
「……その、もう事件については……」
「Ja.オーヴェの親父の家でずっと寝泊まりしてたんですけどね、その時にちゃんと向き合おうって話をしてオーヴェもすげー頑張ってました」
その最中の様子を話すことは控えるが、ウーヴェだけではなく家族皆が辛かった思いを吐露しあった結果、以前とはまた違った形の仲の良さになると笑うとヒンケルの顔に安堵の笑みが浮かび、それを見たリオンの顔にはにやりとした笑みが浮かび上がる。
「心配してくれてありがとうございます、ボス」
「……ロルフが関わった事件だったし、ビアンカも気にしていたからな」
だから気になったのであってそれ以上でもそれ以下でもないと若干照れつつ口早に告げるヒンケルを珍しい物を見る目つきで見つめたリオンは、クランプスが照れてる気持ち悪いと減らず口をたたくが、横目で睨んでくるヒンケルに肩を竦めた後もう一度ありがとうございますと今度はウーヴェの為に礼を言う。
「事件の影響はどうしても残るでしょうが、悪い方に出ないようにしようと昨日も話してました」
「そうか……あの教会から結局ハシムを連れて帰ったんだな?」
「Ja.メスィフがドイツに来たのも結局はそれが目的でしたからね。でなきゃ二十年以上もたってる棺桶を掘り起こそうとしますか?」
事件の関係で墓を掘り返すことになったとしても自分ならば断固拒否したいとウーヴェの前では気遣って絶対に言わなかったが、二十年も埋めていた棺桶を掘り起こすのだから色々大変だと思うと肩を竦めるリオンにヒンケルも同意の頷きをし、ただそれをしても連れて帰りたいと半月以上も前に申し出てきたトルコ出身の青年の横顔を思い浮かべつつ顎の下で手を組んだヒンケルは、それでドクの気持ちも済んでヴィーズンを楽しんで来たのかと口角を上げると、リオンの顔に日の光が差したかのような笑みが浮かび上がる。
その顔を見てしまえば怒る気持ちも起きずもしかするとウーヴェはこんな所に惚れたのだろうかとぼんやりと思案してしまい、何を考えていると頭を振ると途端にリオンの減らず口が飛んでくる。
「クランプスが百面相してるぜ、気持ち悪ぃ」
「お前、その口一度塞いで貰うか?」
「俺の口を塞ぐヒマがあるならもっと悪いやつを背中のカゴに放り込んで地獄に行けっての」
減らず口に更に減らず口で返すリオンに最早何も言わなかったヒンケルだが、長年苦しんでいたことから解放されたことは本当に良いことだと小さく呟くと、それに対しては減らず口などではなく本心から頷いてこれで夢に魘されることも無いだろうしまたあったとしても総てを聞き出した後だから俺でも対処出来ると伏し目がちに呟いたリオンは、ハシムの棺桶と対面し気持ちの整理も付いたはずだしつけられない程弱い男ではないと、これからも一緒に前を向いて歩んでいく恋人がしなやかな強さを備えていることを疑わない顔で頷くとヒンケルも小さく頷く。
「まあ、何にしろ区切りが付くのは良いことだ」
「ですね」
そう二人で結論づけた時ヒンケルのデスクが着信を告げたためリオンが部屋を出ようとするが、受話器を耳に当てたヒンケルの顔が一瞬で険しいものになったことから事件が発生したのだと気付き、楽しかった祭りを思い出して浮かれる気分はもう終わりだと表情を切り替えるが、受話器を戻したヒンケルが考え込んだためデスクに両手をついて上司の頭を見下ろす。
「ボス?」
「……リオン、あいつの行方が分かったそうだ」
「あいつ?」
上司の言葉の真意が分からずに首を傾げるリオンだったが、ヒンケルが口を開くよりも先に何かに気付いたのかデスクに付いた手を握りしめ、どちらの行方が分かった、どこにいると口早に問いかける。
「祖父の看病に行くと言っていただろう? イタリアにいたそうだ」
「確か祖父ちゃんはフィレンツェ出身だって言ってましたよね?」
「そうなのか?」
「Ja. 何かの話をしていた時に俺の祖父はフィレンツェ出身でソレントにはいないと言ってた気がします」
そのイタリアでようやくその影を追えたのかとリオンが椅子に再度腰を下ろすと、ヒンケルがたった今もたらされた情報をメモに書き殴る。
「ようやく居場所を突き止めたそうだ。ただ確保にまでは至っていない」
「逃げ足速いからなぁ、あいつ。で、その情報は誰からですか」
「ブライデマンだ」
「……ちゃんと約束を覚えていてくれたんだな」
「まあな」
ブライデマンといういけ好かないBKAの刑事がこの街にやって来て加わった事件の結末はリオンを含めここの刑事達にとってやるせない思いを未だに感じさせる悲しいものだったが、その中で仕事を離れればいけ好かないブライデマンも嫌いではないことを皆が認識をし、それ以来不定期に連絡を取ってはいたのだが、あの事件のキーマンであり未だに逃走している元刑事仲間のジルベルトの情報を集めては伝えてくれていたのだ。
そのことに感謝の思いを素直でない言葉で伝えたリオンが影を追えたのなら今度は本体を捕まえるだけだと掌に握った拳を当ててにやりと笑みを浮かべるが、ヒンケルの顔に浮かんだ心配の色を読み取って安心させるような太い笑みに切り替える。
「大丈夫ですよ、ボス。あいつを追いかけすぎて刑事を辞めなければならなくなるようなことはしませんって」
「……まあ、な。お前はどれだけふざけていてもその辺は割り切れる男だからな」
だから安心しているが何かが不安なんだと呟くヒンケルにリオンが肩を竦め、ジルベルトの行方も気になるがロスラーの行方はどうなんだと問いかけ、そちらに関してはドイツ国内にいるらしく確保も時間の問題だとブライデマンが語気を強めたことを伝えると、皆にそれを伝えてきますと頷いて立ち上がる。
「今日は事件が無ければ良いのになー」
「うるさい、真面目に働け」
「えー、やってますってー」
その軽口がいつも通りでヒンケルには頭痛の種だったが早く席に戻れと手を振ってリオンを追い払った後、ロスラーとジルベルトの行方が分かり確保出来ればリオンの中で終わりを迎えていなかった事件について大丈夫と言えるようになるのだろうかと部下の気持ちを慮って溜息をつくが、ガラス越しに見える広い背中からはそんな悲哀など一切感じることが出来なかったため、無駄なことは考えないでおこうと苦笑するのだった。
今日も一日頑張った、だから褒めてくれと電話で明るく捲し立てられてただ苦笑したウーヴェは、リビングの暖炉の一画に目を向け、写真そのものは古いがその場所に一番最近やって来たハシムの写真へと顔を向け、罪悪感を感じること無く見られるようになったのは本当に嬉しいと改めて気付いて写真立てを手に取る。
遠い過去や今でも見る夢の中では悲しい最期を迎えた姿でしか思い出せないが、いつかリオンに言われたようにこの写真のように笑っている顔を思い出そうと決め、写真立てを撫でる。
メスィフからは無事に自宅に帰り着いたこととビール祭りに一人で参加したことがかなり気に入らなかった幼馴染みのイマームの機嫌をとるのに毎日食事に付き合ったり映画に行ったりと大変だったことを教えられたと写真に笑って伝えると、ドアベルが盛大に鳴り響く。
この家に帰ってきたときウーヴェがいれば鍵を開けてくれとその行為に様々な思いを込めて囁かれたときからの決まり事の為、長い廊下の先にあるドアを開けるとやっと開けてくれたと笑いながらリオンが腕を伸ばしてくる。
背後で閉まるドアを気にも留めずにウーヴェに抱きつき、今日も一日頑張ったと電話口と同じことを告げると、ウーヴェがリオンの腰に腕を回して頑張った恋人を褒めるために頬にキスをする。
「お疲れさま、お帰り、リーオ」
「うん。ただいま、オーヴェ」
廊下で抱き合って互いを労った二人だったが、食事の用意がまだなので先にシャワーを浴びてこいとリオンの背中を撫でてキッチンに向かったウーヴェは、ハンナが残していってくれたレシピを参考にスープを作り、チキンのハーブ焼きをオーブンから取り出す。
それらを壁に接するように置いた小さなテーブルに並べたとき、短パンと首にタオルを引っかけた姿でリオンがキッチンにやってくる。
「髪を乾かしてこい」
「大丈夫だって」
それよりも早くハンナ直伝のスープとベルトラン仕込みのチキンを食べさせてくれと笑って肩に顎を乗せてくるリオンに溜息を一つ吐いたウーヴェだったが、ビールはどうすると気分を切り替えるように問いかける。
「今日はピルスが良いな」
「パントリーから二本出してきてくれないか」
ビールは冷蔵庫で常に冷やしているよりも常温で飲む方が二人とも好きなため、パントリーには常温で保存できる食材などが収められていたが、その中からビールを出してきてくれとリオンの頬にキスをしてお願いをすると、唇に小さな音を立ててキスをしたリオンが鼻歌交じりにキッチンからパントリーに向かう。
テーブルにすべての料理を並べてもリオンが戻ってこないため、パントリーで何をしているんだと声をかけつつ廊下に出るとリオンがここにいるとリビングから声をかける。
「リーオ?」
「うん……この写真さ、すげー良い顔してるなぁって」
リオンがボトルを片手に持ったまま顔を振り向けて笑ったことに訝りつつもどの写真のことを言っているのかを察したウーヴェがその肩に甘えるように首を傾げて頬を宛がうと、空いた手がウーヴェの髪を優しく撫でる。
二人の前にあるのはウーヴェが先程撫でていたハシムの写真で、思い出すならこの顔にしようと決めたことが間違いでは無いほどの笑みを浮かべていた。
「そう、だな」
「これからさ、もし夢に見たとしてもこの顔を思い出せるよな」
リオンの言葉が己の思いと同じ場所から発せられている気がしリオンの腰に腕を回してしがみつくように抱きしめたウーヴェは、宥める代わりに背中を撫でられて無意識に安堵の吐息を零す。
「な、オーヴェ、もう夢は見ないか?」
「……ああ。前ほど酷い夢は見なくなった」
「そっか」
それは本当に良かったと笑って己の髪に口付けるリオンにくすぐったそうに顔を顰めたウーヴェは、この写真がここで見守ってくれているから大丈夫だと笑うが、実家からアルバムが届いたことを思いだし、ハンナとヘクターの写真もここに飾ろうとも笑うとリオンが賛成の声を上げる。
「それ良いな」
「ああ」
ハンナとヘクターの名前が出たことから食事の用意が出来ていることを思い出したのか、リオンの腹が見事な音を立ててしまい、二人顔を見合わせて拭きだしてしまう。
「早く食おうぜ、オーヴェ」
「ああ、そうしよう」
互いの腰に腕を回したままリビングからキッチンに向かい、二人並んでテーブルに着いて互いのグラスにビールを注いだ後ウーヴェがリオンに掌を向ける。
「どうぞ召し上がれ」
「ダンケオーヴェ!」
それも二人で様々な出来事を乗り越える中で自然と出来た決まり事で、その一言がないと決して食べなくなったリオンにウーヴェが満足するまで食べろと笑みを浮かべ、幼馴染みが教えてくれた料理を二人で食べ始めるのだった。
二人が自然と賑やかになる食事をしているのをリビングの暖炉の上に居場所を定めたハシムが過去から嬉しそうな顔で笑いながら見守っているが、その後、ハンナとヘクターの写真もそこに並ぶようになり、二人が仲良く時にはケンカをして背中合わせになったりすることを穏やかな顔で見守り続けるのだった。