――青の誇り、沈んだ声
青視点
少女たちの心は、少しずつ、少しずつほどけていた。
互いの過去を知り、隠していた傷を見せ合いながら――
この館で過ごす時間は、確かに“癒し”のようなぬくもりを持ちはじめていた。
しかし、それでもまだ、誰もが口をつぐんでいることがあった。
それは、いふのことだった。
「いふちゃんって、なんか……ぜんぶお見通しって感じだよね」
ないこがふと呟く。
「せやけど、あの子のことは誰も知らん。なにが好きとか、なにが嫌いとか……」
初兎も眉をひそめた。
「ほんまに自分のこと、何にも言わへん。ずっと人の話聞いてばっかや」
「でも、あの子がいなかったら、きっと私、ここまで来れなかったと思う」
ほとけの声は静かだった。
「私も」
「私も」
みんなが頷いた。
「……だから、今日はあの子の心に触れよう」
りうらが優しく言った。
そこに、また、あの穏やかな青年の声が響いた。
「本日は、青の間にご案内いたします」
*
扉の先に広がっていたのは、工場地帯だった。
高架がうなりを上げ、貨物列車がゆっくりと通過する。
灰色のビル群。窓の割れた建物。油の匂いが鼻をつく。
「なんやここ……うち、こんな場所、行ったことないで」
初兎が眉をしかめる。
でも、ほとけがすぐに気づいた。
「いふちゃん、そこにいる」
鉄骨の階段の隅に、小さな影があった。
それは、中学生のいふだった。
制服の袖が破れ、顔には薄くあざがある。
ボロボロのバッグを抱えて、足元にはカップラーメン。
「……これが、いふちゃんの記憶?」
ないこが小さく呟いた。
「せやけど、こんな……」
そのとき、記憶の中のいふが、ゆっくりと動き出した。
「ウチは、生まれたときから、何も持ってへんかった」
現在のいふが、ぽつりと語り始めた。
「家には、父ちゃんも母ちゃんもおらん。ばあちゃんが一人で育ててくれたけど、病気でずっと寝たきりでな。
働かなあかんって思って、学校終わったら工場でバイトしてた」
少女たちは黙って耳を傾けた。
「制服、破れてても誰も気にせえへんし、授業中に寝てても、先生は“またか”って笑うだけや。
でも、誰も責めへんのが、逆にしんどかったんよ」
中学生のいふは、工場の隅で眠っていた。
埃まみれのマット、ノートの隅には“夢”の二文字が雑に書き込まれていた。
「一度だけ、“高校、行ってみたい”って思ったことがあった。
ばあちゃんに制服見せたかったんや。でもな――」
画面が切り替わる。
老人が咳き込みながらベッドに横たわっている。
その手を握る少女――それがいふだった。
『……いふ、お前はええ子や。ウチの誇りや』
『ばあちゃん……』
『夢は、見るだけで、苦しいこともある。でも、見てええんやよ』
その言葉を最後に、老人は眠るように息を引き取った。
「ばあちゃんが死んでな、ウチはもう誰にも夢、語られへんくなった」
いふは、ホールの中央で拳を握った。
「そんとき思った。“強くならな”って。誰にも迷惑かけへんように。
誰にも頼らんと、笑って、誰かの盾になれるようにって……」
記憶の中で、いふはひとりぼっちで卒業式に立っていた。
拍手も、花束も、誰もいない体育館。
でも彼女の顔は、少しだけ誇らしげだった。
「それでもウチ、自分のこと誇れるようになりたかってん。
貧乏でも、孤独でも、夢なんかなくても、ここまで来たって言いたかってん」
場面は、ぼろぼろのアパートの屋上に切り替わる。
『ウチ、もう泣かへん。誰にも負けへん。絶対、自分を恥じへん』
それは、叫びにも似た誓いだった。
*
記憶が終わると、静けさが戻ってきた。
でも、いふはいつもの調子で笑った。
「なんや、ウチの話、重たすぎたか?」
「……いふ」
りうらが、小さく呟いた。
「ほんとは、ずっと苦しかったんだね。
みんなのこと守ってるようで、自分が一番、守られてなかったんだ」
「そんなんちゃう。ウチは――」
「いふちゃん!」
ほとけが声を上げた。
「もう、自分を犠牲にするのは、やめよう?
あなたが誰かの盾になろうとした気持ちはわかる。
でも、私たちはあなたを盾にしたいわけじゃない。
ただ、一緒に笑いたいだけなんだよ」
「……!」
ないこが、いふの手を取った。
「私、いふちゃんみたいになりたかった。
いつも堂々としてて、カッコよくて、優しくて。
でも、そんな強さの裏に、あんな悲しみがあったなんて……知ってあげられなくて、ごめん」
「ううん、ないこ……」
そして、初兎がぽつりと呟いた。
「強がりすぎや。ウチらとおるときぐらい、もうちょい、甘えてええんやで」
「……なぁ、ウチ、ちょっと泣いてええ?」
その問いかけに、誰も答えなかった。
ただ、そっと、抱きしめ合った。
少女たちの温もりが、青のドレスに沁みていく。
その色は、涙のように美しく、けれど確かに強かった。
*
その夜、いふは寝室の窓から空を見上げていた。
「ばあちゃん、ウチ、ようやく仲間ができたわ」
風がふわりと頬を撫でる。
「なぁ、ウチ……もう少し、夢見てええかな」
遠くで、誰かの笑い声が聞こえた気がした。