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静まり返る早朝の館。 俺は、まだ半分夢の中にいるようなぼんやりとした頭を抱えながら、食堂に向かって歩いていた。広い廊下に木靴がコツコツと響く音だけが空間を埋める。
「……あれ?」
食堂の前を通りかかった時、低い声が耳に届いた。歌声だ。
何気なく足を止める。
朝の冷たい空気を感じさせない、温かく、どこか母性を感じるような歌だった。低い音域と柔らかい高音が重なり、耳元で囁くように流れてくる。俺は、その場に立ち尽くしたまま、耳を澄ませた。
食堂の扉をそっと押すと、そこにいたのはテナーだった。
彼は朝日に照らされた椅子に腰掛け、片手で膝を叩きながら何かを口ずさんでいる。朝の光が彼のロリータ服のレースを柔らかく照らし、かすかに揺れるカーテンの向こうで、テナーの姿は不思議と神秘的に映った。
「あ、おはよ。アソビ君」
テナーが気づいて顔を上げた。穏やかな笑みと、ふわりとした動作。その一挙一動が、まるで人間ではない何かを思わせるほど自然で洗練されている。
「……おう、朝から歌ってんのか?」
「うん。今日、神殿の式典があるからね。その練習」
テナーの声は、朝の空気の中に心地よく響いた。
「……歌、うまいんだな」
俺は素直に感想を漏らす。彼の歌は、ただ綺麗なだけではない。不思議な引力のようなものを感じた。
「ありがとう」
テナーが微笑む。その表情に、少し気圧されるような感覚を覚えた。
朝の館はひんやりとして静かだが、廊下の向こうから聞こえてくる軽やかな足音が、その静寂を少しずつ溶かしていく。
俺は、部屋を出て伸びをしながらその音の方へ目をやると、案の定テナーの姿が目に入った。
「おはよう、アソビ君」
テナーが片手でスカートの端を持ちながら、ふわりと笑う。可愛らしいレースのフリルとリボンが揺れ、朝の光を受けてキラキラと反射している。
ロリータ服――そう呼ばれる装いが、俺には正直、どこからどう見ても女物にしか見えない。
「……お、おう。今日はまた随分派手だな」
目のやり場に困りながら、なんとかそう返すと、テナーは小さく笑った。
「今日は神殿の式典があるからね。この服は特別な日用なんだ」
彼は自分のスカートをふわりと広げて見せる。その仕草はなんとも自然で、だけど俺からすると完全に女の子にしか見えない。
「……そんな格好で神殿に行くのか?」
俺は思わず聞いてしまう。が、テナーは何食わぬ顔で頷いた。
「うん。神殿ではみんな知ってるから大丈夫だよ。むしろ『今日の服も似合ってるね』って褒められることの方が多いくらいだし」
さらりとそう言って笑う彼に、俺は言葉を失う。
「……マジかよ。つーか、そもそもお前、神殿で何してんだ?毎日行ってるけど」
話題を変えるつもりでそう尋ねると、テナーはふっと真面目な顔に戻った。
「僕の歌声は、病気や怪我を癒やす力があるって言われているから、神殿で聖歌を歌うんだよ。今日は神職者だけの式典だから、いつもより厳かな雰囲気になるけどね」
そう言って再び柔らかく笑うテナーに、俺は思わず感心してしまう。確かにあいつの声は特別だ。聞いていると心が落ち着くし、なんだか不思議な安心感がある。
「……そっか。まあ、頑張れよ」
なんとかそう言うと、テナーは小さく頷いて「ありがとう」と言った。その笑顔に、俺はまたどこか気圧されてしまう。
――それにしても、あんな服を着て、あんな声を持つ男が神職者ってのも、なんとも不思議な話だよな。
俺はふとそんなことを考えながら、彼が去っていく背中を見送った。
テナーを見送った俺は、その後なんとなく落ち着かず、結局、気づけば神殿まで足を運んでいた。
普段ならこんな格式ばった場所に来るなんてごめんだが、今日は妙に気になったのだ。あいつの歌声の力ってやつが、どれだけすごいのかってな。
神殿に入ると、静かで神秘的な雰囲気に圧倒された。大理石の柱が高くそびえ、天井には見事なステンドグラス。
そんな中、中央の声楽堂から流れてくる音が、俺を引き寄せるように響いている。
気づけば俺はその場に立ち尽くしていた。テナーの声だ――透明感のある高音が、空気を振るわせ、耳だけじゃなく体全体を包み込んでくるようだった。
声楽堂の扉は少しだけ開いていて、隙間から中を覗くと、壇上で歌うテナーの姿が見えた。
ロリータ服が光を受けて輝いて見える。彼が歌うたび、聴衆――神職者たちだろう――の表情が緩み、何人かは涙さえ流しているようだった。
「……本当に、すごいな」
思わず口をついて出た言葉。テナーの歌声は、ただ美しいだけじゃない。聞いていると、どこか自分の奥底に触れてくるような感覚があった。
彼の歌声が一際高く響いた瞬間、空気が変わった。まるで目に見えない波が広がるように、全身が震える。そんな俺をよそに、声楽堂の中では聴衆たちが一斉に立ち上がり、感謝の意を込めて祈りを捧げ始めた。
その光景に俺は、ただ圧倒されるばかりだった。
◇◆◇
式典が終わり、神殿を後にした俺は、帰り道でテナーを待っていた。しばらくして現れた彼は、少し疲れたような表情を浮かべている。
「お疲れさん、テナー」
声をかけると、彼は驚いたように目を丸くした。
「あれ、アソビ君? どうしてここに?」
「なんとなく気になってな。式典の歌声、すげえ良かったぞ」
俺が素直にそう言うと、テナーは少し照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとう。でも、あの声を使うのは体力を結構使うから、ちょっと疲れるんだよね」
そう言ってスカートの裾を直す彼の仕草は、いつも以上に女の子みたいだった。
「そうだろうな……あんだけ特別な声だもんな。ところで、お前、歌ってるとき何考えてるんだ?」
俺の問いに、テナーは少しだけ考える素振りを見せた後、穏やかに答えた。
「うーん……僕の歌を聴いてくれる人たちが、少しでも楽になればいいなって。それだけかな」
その言葉を聞いて、俺はなんだか胸の奥が温かくなった。
神殿から帰ってきた俺たちは、館の一室に集まり座学を始めた。この日は歌うよりも理論を学ぶ時間がメインらしく、声楽に関する本をみんなで読んだり、各自でまとめたりしている。
俺は転移前から持ち歩いていた古い声楽の本を机の上に広げて、適当にページをめくっていた。内容はだいぶ頭に入っているし、今さら目新しいものはない。
でも、これを眺めていると、なんとなく安心するんだよな。
「ねえアソビ君、それ、すごく気になるんだけど……!」
隣から興奮気味な声が飛んできた。テナーだ。
俺が目を向けると、彼の視線は俺の本に釘付けだった。ロリータ服姿のまま椅子に座っているもんだから、子供みたいに見える。
「これか?」
俺が本を少し持ち上げて見せると、テナーは身を乗り出してきた。
「うん!それ、見たことない文字ばっかりだし、なんだかすごく難しそうだけど……読んでみたい!」
その目はキラキラしていて、完全に好奇心の塊だ。
「お前、これ読めんのかよ? 転移前の世界の言語なんだぞ」
俺が半信半疑で聞くと、テナーは「そんなの関係ないよ!」と言わんばかりに微笑んだ。
「だってアソビ君が読めるんだから、僕だって頑張ればきっと大丈夫だよ!」
妙に自信満々な彼を前に、俺は苦笑いしながら本を差し出した。
「……じゃあ、好きに見てみろよ。ただし、これ、すごく古いから丁寧に扱えよ?」
テナーは「ありがとう!」と言いながら、本を両手で大事そうに受け取ると、さっそくページをめくり始めた。
◇◆◇
しかし、案の定というか、数分後には眉をひそめて唸り声を上げていた。
「うーん……これ、どうやって読むの? 全然意味が分からないんだけど……」
俺は肩をすくめて答えた。
「だから言ったろ?俺の元の世界の文字だから、こっちの世界とは違うんだよ」
テナーは悔しそうに唇を尖らせながら本を閉じる。
「でも、アソビ君がこれを読めるのはすごいなあ……もしかして、僕も頑張れば読めるようになるのかな?」
「どうだろうな。でも、そこまで気になるなら、俺がちょっと教えてやるよ」
そう言って軽く内容を説明すると、テナーはすぐに顔を輝かせた。
「本当に?ありがとうアソビ君!一緒に勉強しようね!」
その言葉に俺は少し戸惑いながらも、テナーの熱意に押されて頷いた。
聖歌祭のお誘い
俺が声楽の本の基本的な読み方を教え始めて数分後、テナーは真剣な顔で俺の説明に耳を傾けていた。普段の彼はどちらかというとふわっとした印象なんだが、こうして見ると、すごく集中力が高いのが分かる。
「ふむふむ、ここは『イロハ』っていうんだね?……なるほど!」
俺が示したページの記述にテナーは一生懸命頷きながらメモを取る。
彼の筆記用具は、なんかやたら可愛いデザインの羽ペンだ。ロリータ服の彼には似合いすぎてる。
「お前、こんな真面目だったっけ?」
俺が茶化すと、テナーは少し頬を膨らませてから微笑んだ。
「真剣なことにはちゃんと向き合うのが僕の信条なんだよ、アソビ君」
その笑顔に、俺は何も言えなくなった。妙に眩しいというか、負けた気分になる。
◇◆◇
そんな和やかな時間が続いていると、突然廊下のほうから軽快なノック音が響いた。
「テナー、ちょっといいか?」
聞き慣れた声がして振り返ると、バスがドアを開けて立っていた。
「なんだよ、またお前、テナーにちょっかい出す気じゃないだろうな?」
俺が先手を打つように言うと、バスは「そんなんじゃねえよ」と肩をすくめながら手にしていた封筒を掲げた。
「これ、神殿からの招待状だ。**『聖楽祭』**ってやつが近いらしくてな。テナー、お前、特別ゲストで依頼されてるぞ」
テナーはその言葉に目を丸くして、手渡された封筒を開いた。中には金色の文字で「聖楽祭」の日程や内容が書かれている。
「僕が……特別ゲスト?」
テナーの声はどこか驚きと嬉しさが混じっていた。
「まあ、お前の歌声なら当然だろ。神職者の式典でも毎回ウケがいいみたいだしな」
バスがいつも通りの軽い調子で言う。
俺も封筒を覗き込んで内容を確認するが、その規模にちょっと驚いた。
「すげえな……これ、結構デカい祭りじゃねえか?俺たちも行けるのか?」
「もちろん。テナーの付き添いってことで俺たちも招待されてるらしい。ただし、参加するならしっかり準備しろよってさ。」
バスが封筒を閉じて俺に笑いかける。
テナーはしばらく考え込んでいたが、やがてふっと顔を上げた。
「僕、やるよ。……みんなの期待に応えたいし、聖歌祭で歌えるなんて滅多にないことだからね!」
その言葉に、バスも俺も頷いた。バスが「じゃあ決まりだな」と手を叩き、俺は「練習頑張れよ」と軽く肩を叩いた。
「もちろん、アソビ君もバリトンも一緒にね!」
テナーのその無邪気な笑顔に、俺たちは少し呆れつつも同意するしかなかった。
こうして、聖楽祭に向けた新たな準備が始まる。館の中にはまた少し、忙しくも賑やかな空気が流れ始めたのだった。
聖楽祭の衣装問題
翌日の練習、館の音楽室はいつもよりちょっと賑やかだった。みんなが集まって、まるで大会前の選手たちみたいにワクワクしながら準備をしている。
「さあ、今日の練習もバッチリいくぞー!テナー、聖楽祭を意識して、もう一度歌ってみよう!」
バリトンが拳を突き出して意気込むと、テナーもそれに応えて、可愛らしいロリータ服の裾をヒラヒラさせながら歌い始める。
その歌声が音楽室に響き渡るたび、俺もバリトンもそれに合わせて歌うんだけど、どうにもテナーの澄んだ声が気になって仕方ない。
その時だ。バリトンがふっと、何気なく口を開いた。
「そういえば、聖楽祭のドレスコード、服全部白だけど、テナー、大丈夫そう?」
テナーはその言葉を聞いて、歌いながらも一瞬固まり、手を止めた。おお、まずい、なんだか本気で焦ってる顔だ。
「……大丈夫じゃない……(汗)」
彼がつぶやく声に、俺もバリトンも顔を見合わせた。テナーの言い方、あまりにも気の抜けた口調で、まるで自分が失敗したことに気づいて、急に焦った子どものようだった。
「お前、まさかそのまま行く気だったのか?」
バリトンが一瞬真顔になって言うと、テナーは更に顔を赤くしながら答える。
「だって、聖職者としての服装と可愛いドレスしか持ってないし……それに、白い服って……普通すぎないかな?」
それを聞いて、俺はつい目を見開いた。テナーが普段から着てるあの奇抜なロリータ服のことを考えると、白一色で「普通すぎる」だなんて言われても、全く信じられない。
「白が普通じゃないんだよ、お前の服が一番普通じゃねぇんだよ!」
俺がツッコミを入れると、テナーは少し申し訳なさそうに視線をそらした。
「うーん、でも、普通に着れる白い服って……どんなのなんだろう?」
彼は眉をひそめながら、真剣に考え込む。
そこにバリトンがニヤニヤしながら歩み寄ってきた。
「まあ、ドレスコード守らないと大問題だしな。でも、白ならなんでもいいってわけじゃないぞ、テナー。」
バリトンの言葉に、テナーはすっかり不安そうな顔をして、「じゃあ、どんな白がいいの?」と尋ねる。
その瞬間、バリトンが腕を組み、まるで名探偵のような表情で言った。
「たとえば……ピンヒールにぴったりの白のドレスとか……うーん、いや、シンプルに白いワンピースだな!」
テナーは目を見開いて、再び「それは無理だって……」と呟く。
「お前がその気でやるなら、こっちが引っ張ってやるよ。」
バリトンは軽く笑いながら肩をすくめ、テナーの不安を払拭しようとする。
✎﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏
テナーが少し安心したように息をついた後、バリトンが再び音楽室を見渡す。
「まあ、心配するなって。衣装のことは俺たちがなんとかするから。まずは今日の歌練だな、全力で歌いなよ、テナー。」
テナーもようやく落ち着いて、再び楽譜に目を戻した。
「う……うん、ありがとう!」
元気よく返事をして、歌声を再び響かせるテナー。
◇◆◇
俺もバリトンも、それぞれの歌に集中し始めたが、内心はまだテナーのドレスコード問題が気になっていた。
どうするんだろうな、あの子の服、白にしても可愛いって言われるんだろうか?
とりあえず、なんとかなるさ……と、自分に言い聞かせつつ、練習を続けるのだった。
✎_____________________
歌練が終わり、いざテナーの衣装を決めるために、俺たちはテナーの部屋に足を踏み入れた。部屋の扉を開けた瞬間、俺は思わず目を大きく見開いて、口をポカンと開けた。
「お、おい……なんだこれ!?」
目の前に広がっていたのは、完全に女子部屋だった。可愛らしいぬいぐるみがベッドの上に並び、壁にはキラキラとした装飾が散りばめられ、ピンクや薄紫のカーテンがふわふわと揺れている。
ぬいぐるみのクマやウサギがソファに座り、テーブルの上には小さなリボンやキラキラのアクセサリーが散らばっていた。
「男なのに、なんじゃこのメルヘンチックな女子部屋はァァァ!?」
俺は思わず声を上げてしまう。あまりにも予想外すぎて、頭が追いつかなかった。
すると、背後からバスの声が響いた。
「相変わらずじゃねーかww」
バスは目を細めながら、にやにやと笑いながら部屋を見渡していた。さすが、いつも通りの余裕を感じる。
一方で、バリトンはというと……。
「あ、あはは……」
無理やり笑っているような、ちょっと引いた感じで、肩をすくめながら辺りを見回している。どうやら、あまりの可愛さに引いてしまっているらしい。
俺はその反応を見て、さらにびっくりして「お前、こんな部屋で寝てんのか?」とテナーに訊くと、テナーはちょっと照れたように頬を赤らめながら、「だ、だって……可愛いものが好きなんだもん!癒されるんだよ!」と、小さく反論した。
「いや、別に癒しのためならいいけどさ……」
バスが肩をすくめながら、部屋の中をグルっと見回していた。
「まったく、こいつは何年経っても変わらねぇな」
バスが呆れたように言うと、テナーはまたちょっとムスッとして「なんでそんな言い方するの!」と拗ねている。
「まぁ、まぁ」
バリトンが割って入って、テナーに軽く肩を叩く。
「確かに可愛いけど、ちょっと男性としては珍しいな。でも、まぁ、悪くないんじゃないか?」
その言葉に、テナーはちょっと嬉しそうに、やっと満足げな表情を浮かべた。
「さっすがバリトン!僕は、可愛いものが好きなの!それが何か問題?」
テナーが頬を膨らませて抗議してきたが、俺とバスはその可愛さに思わず笑ってしまう。
「いや、可愛いもんは可愛いけど……」
俺が苦笑しながら言うと、テナーは少しだけ照れくさそうに目をそらし、部屋の隅にあるクマのぬいぐるみを抱きかかえた。
「まあ、そんなわけで。衣装選び、始めようか」
俺が話を戻すと、テナーはぱっと顔を上げ、嬉しそうにうなずいた。
「うん!白い服、頑張って見つけるから!」
でも、その後もテナーの部屋にある可愛らしいものに俺たちはびっくりしっぱなしで、しばらくの間、そこにいることを忘れてしまいそうだった。
テナーの部屋のクローゼットを開けると、予想通り、そこには彼らしい華やかで可愛らしい衣装がずらりと並んでいた。
ゴシックロリータ系の黒と赤を基調にしたドレスや、繊細なレースが施された美しいドレスが整然と掛けられている。見ているだけで、まるでファッションショーでも開催されるかのような豪華さだ。
「……テナーらしいなぁ、ほんと」
俺は感心しながら言うと、バスも「どれもこれも可愛いんだけどさぁ」と苦笑い。
バリトンは、目を細めてドレスのラインを確認しながら、「やっぱり、こういう服が似合うよね」……なんて呟いているけど、何だか少し寂しげに見えるのは気のせいだろうか。
でも、ドレスのラインアップをよく見ているうちに、俺はあることに気がついた。
「……あれ?白いドレス、ないじゃん」
思わず声を上げると、バリトンがクローゼットの中身をじっくり見直し始めた。
「あ、ほんとだ。全然白系ないね」
バリトンが言うと、バスも「マジかよ!」と大きな声を上げる。
「何で黒系はあんのに、白系一つもねぇんだよ……」
彼はショックを受けたように、顔を伏せて肩を落とす。
……その姿を見て、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
「……まさか、白いドレスは仕立てないとないってこと?」
バリトンが絶望的に呟くと、俺も思わず顔をしかめる。確かに、あの可愛らしいドレスの中に白いものが一切ないというのは、ちょっと驚きだ。
しばらくの間、俺たちはどうするか悩んでいた。どんなに探しても白のドレスは見当たらない。そんな時、ふと転移前の記憶が蘇る。
「……あっ!」
その瞬間、俺は閃いた。
「白いロリータドレスとかどうだ?」
俺は勢いよく提案してみる。
「ロリータ……?」
テナーが驚いた顔でこちらを見てきたので、俺はちょっと説明する。
「ロリータドレスって、あれだろ?可愛らしいデザインで、白とかでもよくあるじゃん。フリルたっぷりで、レースの装飾が入ってるやつ。神聖で清らかな感じがするし、聖歌祭にはぴったりだろ?」
そう言うと、テナーの目がキラリと輝き、「おお!それ、いいかも!」と、すぐに賛成してくれた。
バリトンとバスも、少し考えた後で、「それなら、すごく良いかもしれないね」と頷き合っていた。
「よし、決まりだ! 早速、仕立て屋に頼むべきだな!」
「おぉ〜!」
俺は胸を張って言い、みんなで力を合わせてテナーにぴったりな白いロリータドレスを作ることを決定した。
✎﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏
俺たちは仕立て屋さんの店に入ってからしばらく探してみたが、やっぱり白いロリータドレスは見当たらなかった。
テナーが少しがっかりした顔で「白のドレスって本当にないんだなぁ」とつぶやいたその時、店の奥からお店の店主が近づいてきた。
その店主、俺たちに気づくと、目を細めて微笑んだ。
「いらっしゃいませ、お客様たち」と、少し丁寧に挨拶をする。その手に持っていた布の束を下ろすと、店主は静かに手話で俺たちに伝え始めた。
「白いドレスも、もちろんご注文いただけますよ」と、手のひらで空を描くようにして教えてくれる。
俺たちがちょっと驚いていると、店主がさらに続ける。
「いつも、テナー様にはお世話になっているから。お礼も兼ねて、聖歌祭のための特注ドレスを作らせていただきますよ。」
テナーがその言葉に目を輝かせて、「ほんとうに!?そんなことしてくれるの?」と驚きながらも嬉しそうに店主に尋ねた。
店主がにっこりと微笑み、「もちろんです。お世話になっているので、特別にご用意します。時間は少しかかりますが、間に合うように仕立てますよ」と手話で伝えてくれる。
俺たちはその言葉を聞いて、思わず安心した。なんだかんだで、テナーにぴったりの白いドレスが用意できそうだ。バリトンも安堵した表情で、「これで問題ないな」と呟いた。
バスはテナーを見て、「さすがだな、お前。皆に可愛がられてるんだな」と、少しからかい気味に言った。テナーはちょっと顔を赤くしながら「う、うるさい!でも、ありがたいよ」と照れくさそうに返す。
俺も思わず笑ってしまう。
「テナー、よかったな。」
店主が丁寧に手話で「少しお待ちいただければ、すぐに詳細をお伺いしますね」と言いながら、ドレスのデザインや素材をどうするか、詳しい打ち合わせを始めた。
店の奥でのそのやり取りを、俺は静かに見守っていた。聖歌祭まであと少し。ドレスが仕上がるのが楽しみだ。
2人だけの特別な関係
仕立て屋さんでの打ち合わせを終え、館に戻った俺たちは、少し休憩を取ってからまた集まることにした。
テナーは、例の白いロリータドレスが仕上がることを楽しみにしながら、あれこれと考えを巡らせていた。その顔は本当に嬉しそうで、まるで子どものようにニコニコしている。
その様子を見ていた俺は、バスとテナーの関係について考えてしまった。
俺たちが歩いているとき、バスが後ろからテナーに何気なく手を差し出した。テナーはその手を握って、自然にそのまま歩き出す。
二人の間には、まるでお互いが手を繋いでいることが当たり前のような空気が流れていた。
「……あれ?」と、思わず呟いてしまった。
バリトンが俺の横で軽く肩をすくめる。
「気づいたか?あの二人、ちょっと変だろ」
「変って……普通じゃないって意味で?」と俺が聞くと、バリトンは苦笑いしながら頷いた。
「まぁ、ああ見えて、バスとテナーって……家族以上、恋人未満の関係なんだよ。実際、後ろから見てると、カップルにしか見えないけどな」
それを聞いた瞬間、俺は思わずバスとテナーを見てしまった。
確かに、後ろから見ると、まるでカップルそのものだった。手を繋いで歩き、テナーはちょっとだけバスに寄りかかるような姿勢を取っている。
バスは、そんなテナーをさりげなく守るように歩いている。その姿勢、言動、すべてがカップルにしか見えない。
「でも、あれは恋人じゃないんだよな?」と俺が確認するように尋ねると、バリトンは少し照れくさそうに言った。
「うん、そうだな。二人の間に、確かに恋愛感情はないんだ。バスはテナーを守る役割を自分で勝手に決めて、テナーもそれを受け入れてる。だから、恋愛関係というよりは、もっと強い絆のようなものだな」
「でも、見た目だけ見ると……」と、俺は言いながら再び二人を見てみる。
バスとテナーは、やっぱり手を繋いで歩いている。時々、テナーが嬉しそうにバスに話しかけ、バスはそれに優しく応じている。明らかに恋人同士のような仕草にしか見えない。
「うーん、俺には恋人にしか見えないけどな」と、思わず呟いてしまう。
バリトンは「まぁ、そうだろうな」とにやりと笑って、「でもあの二人の関係は、やっぱり不思議だよな。家族以上、恋人未満。それが、バスとテナーの絆だと思う」と言った。
俺はその言葉を聞いて、二人の関係をもう少し深く考え直した。バスとテナーの間には、恋愛感情というものはないのかもしれない。でも、その強い絆、そしてお互いの信頼感は、まるで恋人のような距離感を感じさせるものだった。
その後、俺たちは館に戻り、今日の出来事について話しながら、いつものように過ごすことになった。
でも、あの二人の絆が普通の家族同士のものではないことだけは、確かに理解した。少なくとも、俺の目には、バスとテナーは完全にカップルに見えていた。
✎﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏
数日後、ついにテナーの聖歌祭用ドレスが出来上がったということで、みんなで仕立て屋さんへ向かった。
どうやら、予想していた「派手すぎるドレス」は避けられたらしい、という安堵の気持ちもありつつ、俺たちは店に到着した。
店主が手話で「お待たせしました」と言いながら、ドレスがかけられたカーテンを開けた瞬間……まさかの展開だった。
「うわぁ……!?」
俺は驚きで目を見開いた。
そこに掛かっていたのは、予想とは全然違う、清楚な白いロリータドレスだった。フリルが控えめで、純粋な白にほんの少しだけピンクが混ざったような、何とも上品なデザインだ。
テナーっぽさは残ってるけど、意外にも上品で、どこか神聖な雰囲気まで漂っていた。
「これ、テナーのか?」
バスが目を大きく見開いて言った。
「こんな……こんなシンプルな……」
バリトンも目を丸くして驚いてる。
テナーが照れくさそうにドレスを受け取ると、「うーん、やっぱりこれがいいかな」と言って、ちょっと恥ずかしそうに更衣室に向かう。
「さぁ、どうなることやら」と俺が言うと、バスがニヤニヤしながら「テナー、もしかしたら派手すぎるドレス着るのか?それはそれで面白そうだな」と冗談を言っていたけど、俺も心の中でその可能性を少しだけ考えていた。
数分後、テナーがドレスを着て戻ってきた。その瞬間、俺たちは一瞬言葉を失った。
「え……?」バスが目を見開き、バリトンが「これ、反則だろ……」と呆れていた。
テナーは、想像以上に可愛い。というか、めちゃくちゃ似合ってる。まるで絵本から飛び出してきたような、清楚でかわいらしい姿だった。
「おぉ……テナー、やばいな、それ」とバスが驚きの声を漏らした。
テナーが照れくさそうに小さく笑って、「どう、似合ってる?」と聞くと、バスは顔を赤くして、「似合いすぎだろ、これ」と言いながら、ちょっと照れた様子で手で顔を覆っていた。
「本当に似合うな……」とバリトンも言いながら、目をキラキラさせてる。
俺は苦笑いしながら、「いや、これ、完全に反則だろ……目の前でこんな可愛いテナー見せられたら、どう反応すりゃいいんだよ」と言う。
「だ、だって!可愛いものは好きだもん!」テナーが言い訳するように、照れながらも自分を擁護してる。
「でもさぁ、これ絶対聖歌祭で目立つだろ……」と、俺は苦笑いして言った。
「反響やばいぞ、マジで」
バスが言う。
「その反響、ヤバイだろ。こんなに可愛い子が歌ってたら、そりゃみんな目を奪われるだろうよ」
テナーは、ちょっと照れくさいけど嬉しそうに、「でも、ちょっと恥ずかしいな」って笑った。
そして、ドレスの裾をちょっと引き上げて、「これで聖歌祭、歌うのか……」って呟いた。その目はどこか期待に満ちていて、正直、俺もなんだかワクワクしてきた。
「ま、頑張ってな」
バスがニヤニヤしながら言った。
「絶対目立つぞ、これ」と俺も冗談めかして言ったが、心の中ではちょっと楽しみだと思っていた。
聖楽祭
聖楽祭当日、テナーはいつもと違う雰囲気で、朝からバタバタしていた。鏡の前で髪型を整え、ドレスを何度もチェックしては、「これで大丈夫だよね?」と不安げに俺たちに聞いてくる。
「何回も言ってるけど、完璧だって」と俺は肩をすくめる。今日は特に清楚なロリータドレスに身を包んだテナーは、まるで王女様のようで、その姿に目を奪われる。
「本当に大丈夫か?」とバリトンも確認する。「衣装、完璧だと思うけど、緊張してる?」
テナーは小さくうなずきながら、「うん……でも、みんなが見守ってくれるから大丈夫だよね?」と不安そうに目を伏せる。
「もちろん、俺たちもいるからな!」とバスが大きな声で言う。「お前のこと、絶対見逃さないから!」
テナーは少し照れながらも、うん、と頷く。
「ありがとう、みんな……」
その後、テナーが神殿へ向かう準備をして、俺たちは一緒に館の前まで送っていくことにした。道中、周りの人々も何度もテナーの姿を見て驚き、感心したように視線を送る。
「すごいな、テナー。さすがに目立つな」とバスが少し遠慮しつつ言う。
「本当に……!」とバリトンも驚いた様子で続ける。
「こんなに綺麗なテナー、初めて見たかもしれない」
俺も心の中で思う。今日は本当に、どこか別世界にいるような感じだ。いつものテナーも十分可愛いけど、この姿はまるで別人みたいに輝いて見える。
神殿が近づくにつれ、テナーの足取りが少し重くなる。その様子を見て、俺は声をかける。
「大丈夫、リラックスしろよ。お前の歌声なら、絶対にみんなを魅了できるさ」
テナーは少し深呼吸をし、「うん……ありがとう、アソビ」と小さく微笑んだ。
「さぁ、行こうぜ!」とバスが元気よく声をかけ、テナーを背中から押す。バリトンもついてきて、「無理しなくていいからな、テナー」と優しく声をかける。
神殿の入り口が見えてきたとき、テナーは足を止め、俺たちに振り返った。
「じゃあ、行ってくるね。頑張ってくるから、待ってて」
「行ってらっしゃい!」と俺たちは一斉に声をかける。テナーは微笑みながら、「うん!」と元気よく答え、神殿へと足を踏み入れた。
その後ろ姿を見送りながら、俺たちはしばらく立ち尽くしていた。「あいつ、頑張ってるな」とバスが呟いた。
「本当に」とバリトンも頷き、少し寂しそうに見送った。
「彼ならきっと大丈夫だ」
「うん、絶対にうまくいくさ」と俺は自信を持って言う。
その後、しばらくの間、神殿の方を見つめながら、みんなでテナーの成功を祈るように黙って立っていた。
テナーが声楽堂の中央に立つと、その周りの空気が一変する。静寂に包まれた空間に、テナーの歌声が響き渡る。
歌い始めると、まるでその声が天から降りてきたかのように、清らかで優雅で、聴いている者の心を優しく包み込む。
息を呑んでその音色を聴いていると、どうしても引き寄せられてしまう。あの、誰もが引き寄せられてしまうような、心に響く音色。
「……すげぇ」と、思わず息を呑む声が漏れたのは俺だけじゃなかった。
バスの顔が少し硬くなっていて、バリトンはじっと目を閉じている。
でも、俺の意識はもう、テナーの声に完全に引き込まれていた。
その歌声は、まるで天使が歌っているような清らかさを持っていて、胸の奥深くまで響いてくる。まるで涙が出そうなほど、美しい。
気づけば、俺はその場に立ち尽くし、息を呑んでただただテナーを見つめているだけだった。目を開けているのに、どうしてもその声に吸い寄せられて、まるで別世界にいるような錯覚に陥る。
「アソビ、大丈夫か?」
ふと、バスの声が聞こえて、目を向けると、いつの間にか彼が俺の肩を支えていた。
「え……あ、あぁ、うん。ちょっと、意識が……」と、俺はバスを見上げて言う。なんとなく、頭がぼんやりしていることを自覚した。
「無理すんなよ」とバスが冷静に言う。
「あいつの歌声は、どうにも強すぎるからな」
その時、テナーが歌い終わり、ふぅと軽く息をついた。目を開けて、俺たちに微笑む。その笑顔だけでもう、胸が締めつけられるような感覚になる。
その瞬間、俺はもう意識を手放すようにして、ふわりと全身が軽くなる。
「アソビ?」とバリトンが心配そうに声をかけるが、その声もどこか遠くで響いているように感じる。
「やっぱり……」とバスが苦笑いして言う。
「あいつの歌声、恐ろしいな」
俺は、もう何も言わずに目を閉じた。テナーの声が、耳の中で反響し続けているからだ。目を開ければまた、あの美しい歌声に引き込まれそうで、うまく目を開けることができない。
「しっかりしろよ、アソビ」とバスがそっと肩を叩いてくれる。
その声でようやく少し意識が戻り、ゆっくり目を開けると、テナーは穏やかな笑顔を浮かべて、何事もなかったかのように俺たちを見つめていた。
「お疲れ様、みんな。すごく緊張したけど、無事歌い終わったよ」
俺は力なく頷きながらも、心の中ではテナーの歌声に完全に支配されていたことを実感していた。
バスも、バリトンも、少しだけ笑いながら「よくやったな」と声をかけている。
でも、俺の心の中では、ただひとつだけ。あの歌声がまだ、頭の中で反響しているのだ。
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聖楽祭を終えて館に戻る途中、俺の足はすでに重くて、ちょっとしたふらつきを感じていた。それでも、テナーやバリトン、バスと一緒に歩いていると、なんとか足を動かすことができた。楽しい時間だったから、帰るのが少し寂しくも感じたけれど、そんなことを考えているうちに、館の扉を開けた瞬間――
「アソビ、何か変じゃ――」
気づいたときには、俺の声がもう届いていなかった。今まで普通に歩いて喋っていたのに、ふと気づくと、誰かが振り返って、俺の気配が途絶えていることに気づく。
「アソビ?」
テナーが振り返ると、俺はすでに立ったままで、まるで時間が止まったような空気が流れていた。目がすでに薄れて、前のめりに倒れかけている――。
「えっ!? 何で!」と、バリトンが驚きながら声を上げると同時に、テナーがすぐに俺に駆け寄ってきて、慌てて俺の肩を支えた。
「アソビ、しっかりして!?」
テナーの声が焦って聞こえる。
その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かがふっと切れたような気がして、俺はそのまま無意識に体を委ね、倒れる直前にテナーの腕の中へ倒れ込んだ。
「そんな……」
テナーが小さく呟く。
そのまま、体がふわっと軽く感じる。意識が完全に遠のいて、眠りへと引き寄せられるように、目を閉じる。
「はぁ……」と、テナーが深くため息をつきながら、俺を支える腕を強く引き寄せ、ゆっくりと背もたれへと導いてくれる。
「本当に……どこまで僕を驚かせれば気が済むんだよ、アソビ……」と、テナーが呟きながらも、俺の体を抱きしめるように支えてくれた。
目を閉じたまま、もう何も考えずに、安堵感に包まれて眠りに落ちていった。