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そろそろ目覚めてもおかしくないと岡本さんが言ったので、私がみずから輝明さんの傍に行き、耳栓を外した。そして、あらためて彼と向き合う。
だらしない顔で眠りこける姿に、思わす失笑した。岡本さんが選んだアイマスクに、昔ながらの美少女キャラの大きな瞳がプリントされているのも、私の笑いを誘うものになっている。
「おバカさん、覚悟しなさいよ」
そう呟いたとき、脳裏にある映像が流れた。それは、つい最近のものだった。
朝から具合が悪かったけど、それでもなんとか朝ごはんの支度をし、それを食べてもらってから、輝明さんを見送るべく、玄関までふらつきながら歩いた。すると――。
「今日か明日が、排卵日の日だろ? 見るからに、具合いが悪そうじゃないか」
「アナタを見送ったあと、横になるからきっと大丈夫よ」
「横になるくらいつらいのなら、無理しなくていい。それに今夜は外せない接待が入るかもしれないから、明日の夜にやればいいさ」
笑いながら言って、スーツのポケットからスマホを取り出し、手早くなにかを打ち込む。落ち込む私の頭に、輝明さんの空いた手が差し伸べられた。
「明美、今晩できない分、明日たくさん愛してあげるから、今日は体調を整えておくといい」
「ごめんなさい……」
「おっ、返事がきた。今夜は接待で遅くなるから、晩飯はいらない。俺が頑張ってる間、明美はゆっくりできるな」
くしゃくしゃと頭を撫でる輝明さんの面持ちは、優しげに目尻が下がっていて、具合の悪い私を気遣っているのかと、あのときは思ったのだけれど。
(私が輝明さんを信用しているのをいいことに、目の前で堂々と斎藤さんに連絡を取りつけ、彼女とヤれることがわかって、嬉しさのあまりにいやらしく目尻が下がっていたとは、夢にも思わなかったわ)
表現できない怒りで、両手の拳をぎゅっと握り締める。辺りは既に明るくなり、ライトの必要がなくなったので、彼を照らしていたライトの電源を落とし、そこから外して手に持った。
そして靴音がしないように、慎重に歩いてカメラの元に戻る。
彼の耳栓を外したことで、私たちはもう口を開いて会話することができない。コミュニケーションツールは、ホワイトボードが二枚と、それ専用のペンが二本のみ。
私は黙ったまま手に持つライトを差し出すと、榊原さんがすかさず受け取り、リュックサックの中に入れた。
そのことに、口パクでありがとうを言う。すると突然木に括りつけられている輝明さんが、体を揺すって動きはじめた。
私たちに緊張が一斉に走った。アイコンタクトで互いに頷き合い、岡本さんと斎藤さんはポケットからハンドクリームを出して、指三本の先端にそれをつけた。
榊原さんは録画ボタンを押して、輝明さんの顔をアップで映し、その後全身が映るように構図を変える。
私はホワイトボードを手にして、走り書きをした。
『はじまるわ。徹底的に追い詰めるのを目標に!』
3人にそれを見せると、事前に決めてあるOKサインのピースマークを、左手に素早く作ってくれた。
「華代、いるんだろう? こんなふざけた真似をして、なにを考えてるんだっ!」
苛立ちまかせに叫ぶ輝明さんを見、私はふたたびホワイトボードに書き込む。
『もう少し様子を見る。置き去りにされたと思わせるために』
無言でそれを見せたら、皆揃って悪い笑みを浮かべた。
輝明さんは、誰かに助けを求めるべく大声を出し続けたものの、状況が変わらないことをみずから察し、唇を戦慄かせながら呟く。
「おいおい、冗談じゃないぞ……」
一旦動きを止め、顔を俯かせる彼に、もっと恐怖心を植え付けようと考えて、さっき書き記した文章の下に『もう少しこのまま』と走り書きした。
「華代、こんな馬鹿げたことして、いいと思ってるのか? いい加減にしろ!」
私の隣にいる榊原さんが、録画している画面を確認しつつ、もう一枚のホワイトボードを差し出す。それを受け取って、持っていたボードを彼に渡した。書き込んだ文字を濡れティッシュで拭い、すぐに書けるように準備を整えてくれたことに、心の中でお礼を言う。
「誰かっ、誰かいませんか! 助けてくださいっ、お願いします!」
目が見えないことと、なにも反応が返ってこないことで、恐怖に顔が引きつり、声も枯れてきた輝明さんに照準を合わせるように、私は左手をピストルの形に変えて、彼に突きつける。これが制裁をはじめる、ふたりへの合図だった。
「助けてくれ、誰かいませんか? 誰か! 俺はここにいるんだ! なにかに縛りつけられていて、動くことができないでいる。助けてくれ! 頼む‼」
必死に大声をあげてくれるおかげで、彼女たちが近づく足音が綺麗に消えた。しかもいい感じに放置状態が続き、かなり錯乱しているため、彼女たちの気配を感じていないらしい。
輝明さんの両脇に到着した岡本さんと斎藤さんは、アイコンタクトをしたのちに、彼の首筋に人差し指を同時に押しつけた。
「ヒッ!」
真っ青な顔色が見てとれる輝明さんの様子で、私の唇に冷笑が浮かぶ。そんな私に斎藤さんは深く頷き、これから開始すると知らせてくれた。
「ふふっ。部長ってば、必死ですね」
輝明さんの耳元で囁いた斎藤さんの声を聞いた瞬間、彼は相当嬉しかったのだろう。青ざめた顔色がすぐに赤くなり、どこにいるのかわからない彼女に向けて、笑みを見せた。
「華代、ここにいたのか? どうしてこんなことをしでかしたんだ。かわいいおまえを、俺は愛しているというのに」
どこか甘えるような口調に、内心怒りを覚える。そうやって調子のいいことを言って、相手をコントロールしようとしているのが、嫌でもわかった。そんなわたしの怒りを代弁するように、斎藤さんは言葉を続ける。
「部長の愛は、何人の女性に向けられているんでしょうね?」
笑っているのに、冷たさを感じる声色で告げてから、斎藤さんは離れることを示すべく、草むらを踏み締めて、わざと音を立てた。
「待て! 俺が愛しているのはおまえだけだ、信じてくれ!」
音がしたほうに顔を向けて叫ぶ輝明さんの正面に移動した岡本さんが、至極冷静な口調で告げた。
「津久野さん、真実を告げてください。でなければ私は貴方を、どうにかしてしまうかもしれません」
「その声は……岡本さんだね? 華代と一緒に、どうしてこんなことをしたんだ?」
「貴方に質問する権利はありません。私たちの問いに、真実を答えるのみ。ただそれだけです。この状況、わかっているでしょう?」
彼にあらためて、この状況を飲み込ませるために言い放ってから、岡本さんも輝明さんのもとから少しだけ離れる。
ちなみにここまでのやり取りは、彼女たちふたりにあえてまかせている。私が指示するよりも、息の合ったコンビネーションで、輝明さんをやりこめると思ったから。
斎藤さんの深い悲しみを知った岡本さんが、彼女に寄り添って、手を抜くことなく徹底的にやろうとする友情を、私は利用しているに過ぎない。
(輝明さん、貴方のような性欲モンスターに対抗するには、どんなものでもうまく利用して復讐する酷い女じゃなきゃ、やってられないのよ!)
目の前で情けない姿を晒す自分の夫を、憎しみを込めて睨んでいると、あからさまな作り笑いを頬に滲ませた彼が、やっと声をあげた。
「きっ君たちの問いかけにきちんと答えたら、解放してくれるのだろうかって、俺は質問しちゃいけないんだったな……」
左右に首を動かし、ふたりを探す輝明さんに、岡本さんが返事をする。
「もちろん解放しますよ。ですが真実を答えなければ、貴方はここで朽ちていくだけです」
「どんなことでも答えるよ、もちろん真実をね――」
ご機嫌を取ろうとしたのか、さらに変な笑いを口元に浮かべて、誠実さをアピールした彼の態度に、反吐が出そうだった。
「奥様とは、家庭内別居状態だって教えてくれたけど、それはホントなの?」
岡本さんとは反対の位置にいる斎藤さんが、最初に質問した。
「ああ、本当さ。妻とは別れて、華代と結婚しようと考えてる。だからこの間一緒に、式場巡りをしたじゃないか」
「だったら、どうして別れようとしている奥様が、不妊治療に有名な産婦人科の病院に通っているのかなぁ?」
「は? 産婦人科、の病院んっ?」
不妊治療している私の事情について、斎藤さんの口から出ると思わなかったのだろう。輝明さんの声が裏返り、聞いたことのない変な声をあげた。
「ハナの不倫に納得のいかなかった私は、探偵事務所にお金を払って、津久野さんの身辺を調査を、徹底的にしてもらったんです」
「つっ!?」
さっきまで笑みを浮かべていた彼の唇が、思いっきり引きつり笑いに変わる。
「部長、奥様が妊娠したら、私との結婚をどうするつもりだったんですか?」
「妻が妊娠……した、ら、え~」
「津久野さんってば、さっきのように、すぐに答えてくださいよー」
岡本さんに回答を急かされたというのに、輝明さんは首を無意味に動かし、口元をぶるぶる震わせながら、やっと答える。
「待ってくれ。妻が妊娠することを考えていなくて」
「部長は奥様とヤることヤってるんでしょ? 中出ししなきゃ、妊娠しないわけだし」
「そそ、それは、そうなんだ、が……っ」
「奥様ともよろしくヤって、私と結婚を視野に入れてるからってナマでヤって、その結果2人同時に妊娠したら、どうするつもりだったんですかぁ?」
赤かった顔色が、徐々に白い色に変化する。浮かべていた笑みはすでになく、空気を求める金魚のようにパクパク口を動かしてから、か細い声で答える。
「くっ! そんな偶然は、ないかと思った、んだ」
(いい大人の回答とは思えないものね――)
「津久野さんなに言ってんの。ゴムつけないでセックスしたら、妊娠する可能性があることくらい、性教育を受けた子どもでも知ってますよ」
岡本さんが正論を突きつけると、斎藤さんが怒りを押し殺した声で告げる。
「しかも同じコトを、支店にいる若い社員にもしてるんでしょ?」
「それはない、誓う! アイツに脅されて、そういう関係を無理やり続けているだけなんだ!」
なぜかここだけ叫びながら言い放った。違うことをアピールしたかったのか、焦った口調で続けざまに叫ぶ。
「あの女は酔っぱらったフリして俺を自宅のマンションに送らせて、お礼をしたいからって無理やり自宅に引き込み、俺のことを押し倒したんだ」
「部長が押し倒したんじゃなく?」
「違う、俺は押し倒してなんていない。だってあの女は好みのタイプから外れていたし、その――」
いい感じに追い詰めた流れに、笑い出したくて堪らなくなる。横を向いて口元を押さえたら、榊原さんも意味深に含み笑いを浮かべた。
「津久野さん、どうしたんですか?」
口ごもる輝明さんから答えを聞き出そうと、岡本さんがすかさず追及した。
「やっ……あ、その……。え~っと」
「部長大丈夫ですかぁ? お茶でも飲みます? 額に汗がいっぱい滲んでますよ」
「お茶……。薬を仕込んだりしていないだろうな?」
斎藤さんの家で、睡眠薬入りの紅茶を飲まされたことを指摘する輝明さんに、斎藤さんがバカにするような口調で答える。
「するわけないじゃないですか。そんなことをしたら、話が聞けなくなるんだし。とりあえず口の中をしっかり潤して、喋れるようにしてあげますね」
岡本さんが肩掛けカバンからペットボトルを取り出し、蓋を開けてそれにストローを挿す。そして彼に近づき、唇にストローを触れさせた。
「ストローからお茶を飲んでください」
「あ、ああ。わかった」
岡本さんから促されて、ぱくっとストローを咥え、勢いよく水分を飲む姿を漫然と眺めた。色白かった顔も、少しだけ赤みが差していく。
「支店にいる若い女子社員との関係、ちゃんと教えてください」
斎藤さんの問いかけで、岡本さんは口からストローを抜き去り、静かに後退する。輝明さんは乾いた唇を潤すように舌なめずりしてから、いつもの落ち着いた声色で答える。
「女の教育係をしていた既婚女性とデキているのをバラすって、押し倒されたときに脅されたんだ」
信じられない嘘に、足元に落ちていた枝を踏み締めて、音を出してしまった。
「ほかにも不倫していたってこと? しかもダブル不倫じゃない、最悪……」
私が音を出したのを消す感じで、斎藤さんが大きな声で喋ってくれた。私と同じようにショックを受けているはずなのに、冷静な判断を即座に下せる彼女を、素直にすごいと思った。
「おい、ここにいるのは、華代と岡本さんだけじゃないのか? ほかに誰がいる?」
それでも私の出した音を、完全に消すことはできなかったらしい。輝明さんは、怪訝そうな表情で問いかけた。
「私たちふたりだけだよ。部長に素直に吐いてもらうために、絵里に荷物を整理してもらってるだけ」
「そうそう。さっき津久野さんの首に、なにかが触れたでしょ?」
スマホを片手に、岡本さんが輝明さんに近づきながら問いかけた。
「触れられた感触は、確かにあった」
「この音を聞いて」
スマホで流した音を聞いた刹那、輝明さんの顔が恐怖に歪む。
「蜂……がいるのか?」
「部長、前に蜂に刺されたことがあったのを、私に教えてくれたでしょ。もう一度刺されたらどうなるか、ねぇ絵里」
くすくす笑いながら告げた斎藤さんと、軽快な口調の岡本さんが、輝明さんをさらに追い込む。
「さっき首筋に、女王バチのフェロモンを塗りました。私の持っているスズメバチが、確実に密着するようにしたんです」
「ついでに額にも、フェロモンを塗っちゃおうよ」
「なに言ってんだ。俺はちゃんと答えてるっていうのに、蜂なんて物騒なものを使って、なにを考えてる?」
悲劇のヒロインを演じるような輝明さんの声が、森の中で無常に響きわたる。彼を中心に両サイドに立った彼女たちは、ほほ笑み合いながら中指を彼の額に押しつけた。
「ぎゃっ!」
慌てて首を横に振って、押しつけられた指を外しても後の祭りだというのに、輝明さんは抵抗を続けるように、木に縛りつけられている体を揺すった。間近でそれを見つめる岡本さんが、冷たさを感じる口調で話しかける。
「津久野さん、質問にちゃんと答えてるからって、なにもされないと思ってる貴方の神経が信じられません。私の大事な親友を……誰かを平然と傷つけているというのに、罰が与えられないと考えてる時点で終わってます」
言い終える直前、彼の左頬に岡本さんの薬指が、深く突き刺さった。
「バツ、だと? こんなの罰じゃない、虐待じゃないか」
「だったら部長のしているコトは、いったいなんですかぁ? 言ってみてくださいよ」
斎藤さんの薬指が、反対の頬に食い込む。彼女たちに固定された顔は、アホ面丸出しだった。