テラーノベル
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耳の奥で、まだ何かが軋んでいる。さっきから、ずっと。
「….何処までが、夢だったんだ、なァ太宰、」
また、「太宰」。もう存在しない筈の男の名が口を突いて出るこの症状がどうしようもなく嫌で、それと同時に太宰と呼びかければ、いつものあの軽薄な声が返ってくるのではないかと淡い期待を抱いてしまうのだからもう救えなかった。
唇に残った筈のあの柔らかさも、額に触れた熱も、胸に抱き寄せられた時の鼓動の音も――全部、あった筈だったのに。思い出そうとすればするほど、輪郭がぶれて、滲む。まるで指の間から零れ落ちる砂みたいに消えていく。
「….ハッ、笑えねェな」
自嘲気味に喉が鳴る。
分かっている。本当は、もうずっと前から、全部分かっていた。太宰治は“もう死んでいる”と。そして、何度も繰り返した、あの店も、あの部屋も、あの体温も――全部、俺が俺のために誂えたものだと。冷たい指先も、聞こえなかった鼓動も、繋がらなかった道のりも。全部、綻びは最初からそこかしこにあった。気づかなかった振りをしただけ。目を逸らしていたかっただけ。だって、彼奴が俺を置いて逝く筈がないから。約束したから。「絶対に俺がお前を殺す」と。
「そう、そうだよな、手前が俺を置いて行く訳ねェ、」
カラカラと笑いながらワイングラスを壁に叩きつけた。パンッ、と派手な音と共にガラスが派手に砕け散る。
「来るよな、太宰。絶対ェ、手前は」
コメント
1件
うわあ、この切なさ……。太宰って呼びかけるたびに、もういないって分かってるのに期待しちゃう感じ、すごく伝わってきました。思い出そうとすると輪郭が滲んでいく描写、指の隙間から砂が零れるみたいって比喩、胸に刺さりました。ワイングラスを壁に叩きつけるシーンも、感情が爆発する瞬間が生々しくて。続きがすごく気になります。お疲れさまです、翠さん。
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