テラーノベル
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銀座一等地の路面店であるカフェの窓に、大通りを行き交う大勢の家族連れやカップルたちの姿が流れていく。
誰もがそれなりに裕福で、それなりな幸せに満ちている。鈴奈の目には、そう映し出されていた。
「_____前橋さん?」
その声で我に帰り、鈴奈ははっとして恒生に目を向けた。
「あ、はい」
「どうしたの。なんだか今日は上の空だね。いきなり誘って悪かったかな」
「い、いえ。そんなことないです。大丈夫ですから」
無理やり作り笑いを顔に浮かべながらスプーンを手に取り、銀座カレーを口に運んだ。
恒生の皿は、既に綺麗に平らげられている。ただ、添え物のらっきょうを残して。
おそらくピーマンと同様にらっきょうも苦手なのだろう。飲み物だってコーラだ。外見は高スペのイケメンなのに、やはりどこか少年っぽい。
らっきょうに罪はない。
だが鈴奈もらっきょうは苦手だった。と言ってもそれには理由がある。
祐也にハケンの給料を根こそぎ取られて、やむなくスーパーで激安だった賞味期限切れのらっきょうを大量に買い、1ヶ月ごはんとらきょうだけの食事で我慢した過去。それ以来、らっきょうを見るだけで気分が悪くなってしまった。
「やっぱり、どう見ても辛そうだ。熱でもあるのかな」
いきなり恒生が、鈴奈の額に手を当てた。
その手の温かさ柔らかさに、はっと心が動揺する。思えば恒生とは手すら繋いだことすらなく、からだに触れられるのは初めてのことだった。
「うん、熱はないようだ。もしかして悩み事?」
「え、あ、はい……」
「相談に乗るよ。僕で良ければ」
恒生はクールな目のまま、口元に微笑みを浮かべる。それは、どこかほっとさせる優しげな空気感。
自分には勿体無いくらいいい男なのに……でも、裏切らなくてはならない重圧が鈴奈にのしかかる。今や崖っぷちに立たされていて、10日以内に最低でも500万円を恒生から騙し取らなければ未来はない。
そんなこと、自分にできるだろうか。いや、やるしかない。別人格がタカシにやってのけたように。
「実は……」
「うん、なんだい?」
「お、弟がいまして。そ、それがかなり重い病気を患っていまして」
「それは大変だ。どんな病気?」
とたんに恒生は身を乗り出し、真剣な眼差しで鈴奈をじっと見つめた。
ああ……そんな無垢な目をしないでください。罪悪感とともに、架空の弟の病名を考えていなかったことに気づき、頭がパニックとなる。
「ええと、あたま……」
「えっ!? 脳の病気ってこと!?」
驚いたように声を上げる恒生に、鈴奈はあわてて頭を振った。
「ち、違います……おなか、かな」
「悪性腫瘍!?」
「いや……あ、足……」
「なんてことだ。歩けなくなってしまったのか!?」
畳み掛けるような強い口調で返され、行き場をなくし頭が真っ白になった鈴奈は、やっとの思いでこう口にした。
「いえ……ひどい水虫で」
「水虫……」
恒生はふうと大きく息を吐くと、険しい顔で皿に残されたらっきょうをじっと見つめた。
「それは辛いだろう。僕も以前水虫を悪化させてね、それはもうらっきょう以上に反吐が出るほどクサいし、靴下が血だらけになるくらい掻きむしるほど痒くて地獄のような苦しみだったよ。だが今は、良い薬がある」
そう言って、恒生はペーパーナプキンに薬の名前を書くと、さりげなく鈴奈に差し出した。
「これできっと治るはずだ。安心して」
やはり鈴奈に、恒生から500万もの金を騙し取れるわけがない。
受け取れるものと言えば、全く必要のない水虫薬の名称が書かれたペーパーナプキンが関の山だった。
◇
それからのことは、あまりよく覚えていない。
恒生は話をしたがっていたようだが、鈴奈の沈んだ様子を察したのか早々にデートはお開きとなった。
別れ際、恒生がどこか浮かない顔をしていたのが気にかかる。
帰りの地下鉄はそれなりに混んでいて、鈴奈はドア側に立ち窓に映るどんよりした自分の顔を見つめていた。
楽しいはずのデートだったのに。
だけど突然現れた謎の女と、これまた突然現れた黒崎のせいで、すっかり台無しになってしまった。
祐也の彼女を名乗るあの女はいったい、なんなんだろう。
なぜ、私を付け狙うのか。なぜ盗んだボストンバッグを手にしているのか。
それはいくら考えても、全く理解不能だ。想像もつかない他人の心理ほど、恐ろしいものはない。
アパートに帰ったら待ち構えているのではと思うと、不安で仕方がなかった。
それから、恒生のこと。
黒崎に命じられるがまま、いっときでも恒生からサギを働こうとした自分が今となっては恥ずかしく、そして惨めでたまらない。
あれほど、実直で優しい人なのに。私って本当に酷い女だ。自己嫌悪でずうんと心が重い。
窓に映る自分の無様な顔なんて、消してしまいたく……。
えっ、ちょっと待って。
首のキスマークに貼ったはずの絆創膏が、ない。
べったりとこびりついた、どこからどう見ても正真正銘タカシのキスマークが、思いっきりあらわになっている。
今更ながら慌てて手でキスマークを隠しながら、はっとする。
そうだ。女に追われて全速力で走ったあの時、流れた汗で剥がれ落ちたに違いない。それから鈴奈は知らぬ間に堂々とキスマークを見せびらかしていたとも言える。
と、いうことは。
恒生は、もちろんキスマークに気づいただろう。だから、浮かない顔をしていた。
最悪だ……。最悪の上塗りで超最悪だ。
ショックで呆然とする鈴奈に向かって、いきなり窓に映った自分が話しかけてきた。
『だから、キミはなにをやってもダメなわけ』
意地悪げな笑みを浮かべながら、そう言い放つ自分の顔を見て、これは別人格だとすぐに気づく。
『好きになった男に婚活サギを働らこうとして撃沈するわ、キスマーク見られる醜態を晒すわ、ひとつだってマシなところがないじゃない。まったく無様で笑うしかないよ。まさに存在自体が恥だねえ』
気づいたら、声を荒げ自分に向かって叫んでいた。
「もう、黙ってよ!!」
静かな地下鉄車内に突然響き渡る鈴奈の怒声に、隣に立って競馬新聞を読んでいた老人がひっと飛び上がり、はずみで新聞をびりびりに引き裂いてしまう。母親に抱かれた幼児は狂ったように全力で泣き出し、シートに座って寝ていたサラリーマンは驚いて飛び起き立ち上がった途端に、激しく転倒し鼻から大流血。車内はにわかに騒然とするが、珍しく怒りの感情を剥き出しにした鈴奈は知る由もない。
「消えて! あなたの顔なんか、見たくもない!」
『へえ、キミも怒ることあるんだー。驚き。よっぽど図星で悔しかったんだね。でもね、言ってることおかしくない?』
「おかしいって、なにが」
『だって、顔を見たくないって、これ、キミ自身の顔でしょうが』
そう言われて言葉が、うっと詰まってしまう。
『キミはねえ、結局自分にしか文句言えないんだよ。自分にしか怒りを吐き出せない。それが、どんなに惨めなことか、わかってる?』
鈴奈は唇を噛み締めたまま、何も言い返せなかった。
『まあ、今日はこのくらいにしといてあげようか。それより、あの狂った女からせっかく稼いだあたしの金、絶対取り返しなさいよね。じゃないとキミごとき、あたしの気分次第ですぐにでも消し去れることを、どうぞお忘れなく』
別人格は鈴奈に向かって茶目っけのあるウインクを残すと、すっと消えていった。
コメント
1件
あー、もう鈴奈のジレンマが痛いほど伝わってきたわ…。恒生さん優しすぎて、騙そうとしてるこっちが辛くなるパターンだよね。架空の病気がどんどん変になって「水虫」に着地するところ、不器用すぎて笑っちゃったけど、キスマーク見られてたって気づいた時の絶望感、めっちゃ分かる。ラストの別人格の「自分にしか文句言えない」もグサリと刺さるなあ。続きが気になる!