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美紀が腕に絡みついたまま、自宅マンションに到着した。鍵を開けて扉を開けると、「おっじゃましま~す」と声高らかにあげた美紀が中に入り、それに続くように5人の屈強な男たちが無言で押し入る。
(――俺はこれから、どうなってしまうんだ?)
複雑な心境を抱えながらリビングに足を踏み入れたら、美紀が男たちにアレコレ命令している姿が目に留まった。
「売れそうな物は、傷つけないように運んで。ゴミは邪魔にならないところに固めるのよ」
「お嬢、テーブルに弁護士の名刺が置いてありました」
「ああ、慰謝料関連のやり取りをするために、弁護士を立てたのね。ウチの顧問弁護士の鬼頭に、話をつけてくれる? 私の分と一緒に支払うように言ってちょうだい」
「えっとマルボウ関係の荒川さんじゃなくて、鬼頭さんですね。わかりやした!」
妙に手慣れた様子に面食らっていると、美紀が俺の傍に駆け寄ってきた。
「部長、ここが奥さんと暮らしてたところなんでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
「寝室はどこ?」
美紀は俺の腕にぎゅっと絡みつき、すりりと頬を擦りつける。
「へっ? 寝室?」
「そう。今からシようよ」
「え゛?」
ぎょっとして思わず、目の前にいる男たちに視線を飛ばした。美紀の言ったことになんのリアクションを示さず、命令された荷物運びを忠実に従っていることに、どうにも驚きを隠せない。
「美紀、悪いがこの状況ではちょっと……」
「アイツらのことは、気にしなくていいって。もう奥さんを気にせずに、思う存分にエッチできるんだよ。シたくなったでしょ?」
「やっ、だって――」
歯切れ悪く返事をした俺を下から睨んだ美紀は、見る間に怒りをあらわにする。
「んもう、部長の意気地なし!」
室内に響く金切声をあげたことで、作業をしていた男たちが、びくっと体を大きく振るわせながら手を止めた。
「お嬢の言うことをきかないと――」
そのうちのひとりが恐るおそる声をかけた瞬間、美紀は俺の腕から手を放し、その男のもとに近寄ると、大きく振りかぶって平手打ちした。
「ひっ!」
妻の明美にされたことを思い出すそれに、思わず腰を抜かして、床にへたり込む。
「木下、なぁに勝手なことを言ってんの? 部長をどうにかできるのは、あたしだけなのがわからないの?」
「すいやせん、つい……」
美紀は何度も頭を下げる男を無視して、ふたたび俺の傍にやって来る。そして無様に座り込んだ俺のネクタイを掴みあげて引っ張り、無理やりその場に立たせた。
「部長もこれから私の言うことをきかなきゃ、ダメなんだからね。新居でお仕置きしちゃうんだから」
「お仕置き?」
不穏すぎるセリフに掠れた声で訊ねると、美紀は満面の笑みを浮かべた。
「部長の大事なトコロ、電マでたくさーん刺激して、出なくなるまでお仕置きだからね♡」
「ちょっとまっ、なにを言って」
「私の誘いを断ったバツ。きっちり落とし前つけてもらうから。それじゃあお前たち、ちゃんと仕事をして、部長を新居に送ってよ!」
命令した美紀に、深々と頭を下げる男たち。俺はその場に立ち尽くしたまま、茫然とするしかなかった。
美紀がリビングから出て行き、扉が閉まる音を確認した途端に、男たちはほっと胸をなでおろすのが、雰囲気にのって伝わってきた。
「アンタ、これからお嬢の言うことをきかなきゃ、絶対に殺されるからな」
5人の男たちの中で、目つきの悪い大柄な男が、目の前にやって来る。多分、リーダーなのだろう。美紀があれこれ指示していたのも、コイツだった。
「こ、殺すなんて物騒な……冗談言わないでください」
「アンタで4人目なんだよ」
「それって、なんの数なんですか?」
「お嬢が一般人に手を出した数」
意外に少ないなと思った瞬間に、その思考を読んだ目つきの悪い男が、歪んだ笑みを浮かべて、言の葉を告げる。
「まぁその前に、ウチの若い組員を食い散らかしてんだけどさ」
性に奔放な美紀らしい行動に、思わず苦笑した。
「そうなんですか、はぁ……」
「お嬢がアンタに手を出したワケ、わかってないだろ?」
そんなの、知ったこっちゃない。営業部の合同の飲み会で、たまたま隣り合わせになり、勝手に酔い潰れて、俺にしなだれかかったせいで、仕方なく美紀のマンションまで連れて行っただけ。
そして、いきなり押し倒されて襲われた――好みの範疇から外れていたが、思ったよりも体の相性がよかったこともあり、関係がズルズル続いてしまったのである。
「アンタ、人に恨まれるようなことばかりしてるから、復讐されるんだよ」
「別に俺は、恨まれるようなことをしてない、です」
とは言ったものの、明美と華代たちの手によって木に括り付けられたり、互いの両親の前で辱めを受けたことで、すでに復讐されている。それと部下に仕事を押し付けていたのは、本社に栄転してから。しかも恨まれるような量じゃない。
(ほかに考えられるのは、俺が昇進したのを妬むヤツがいても、実際おかしくはないが……)
「おめでたい男だな、なにも気づいていないなんて」
「本当にわからないんです」
「お嬢は、とある人物に頼まれて、アンタに手を出した。これがヒントだ」
「美紀と接点のある人物?」
目を瞬かせて大柄な男を見上げると、胸の前に腕を組み、偉そうに説明はじめた。
「その人物はお嬢が組の人間なのを知って、わざわざ計画をたてた。なんでも兄貴が警官で、暴力団関連を扱っているおかげで、その情報を知れたらしい。社内でお嬢に、必要以上に近づくなと注意されたって」
美紀が勤めているのは、支店の第一営業部。兄が警察官で、第一営業部に勤めているのは、たったひとりしかいない。
「ま、まさか……なんでアイツが――」
愕然とする俺に、大柄な男は静かに語る。
「なんでじゃない、お前はやらかしてるだろ。だから復讐されるんだ」
すべての事柄が一瞬にしてまとまり、理由がわかりすぎて、足の力が抜け落ち、その場に跪いた。
「俺は同期の花森にまで、復讐されたっていうのか……」
愕然としながら、目の前にいる大柄な男を見あげた。
「不倫は心の殺人と、巷で言われるくらいの重罪だ。自分の最愛の妻を寝取られて、なにもしないほうが逆におかしいだろ」
杏奈との別れは突然だった。『夫にバレる前に別れたい』と言われたが、それでも渋った俺を見捨てるように、アイツはそそくさと離れていった。
だから同期の花森にはバレていないと、変な確信があった。うまいことヤツの女を寝取ったことにより、仕事を横取りされた憂さ晴らしができたと思ったのに。
「アンタは一緒に暮らしてる奥さんの挙動がいつもと違ってたら、どうしたんだろって思うだろ?」
「まぁ、それは普通のことなのでは」
「しかも不倫することに慣れていない人間なら、罪悪感にとらわれて、絶対に尻尾を出すに決まってる」
「あ……」
俺は今までの経験上、そういうことを隠すのに長けていたが、相手が同じことをできるとは限らない。そのことに、今頃気づくなんて――。
「アンタは自分のことばかり考えてるから、相手のことが見えない。自分の体裁ばかり取り繕って、人を蔑ろにする。そういう悪い男を、お嬢は特に好んでいてね」
俺を見下ろした大柄な男は、顎を横に振った。なんだろうと思ったときには、背後から俺の体を誰かに羽交い締めにされてしまい。
「やめろ、なにするんだ?」
「逃げないように、拘束バンドで固定するだけさ」
俺の両腕を背中に回して、ギチギチに締めあげていく。
「頼む、見逃してくれ! 金なら払うから」
目の前にいる大柄な男に、自分ができる交渉を試みた。
「ほう。だったらここにいる皆に、ひとり500で手を打ってやる」
「そんな大金、用意できるわけがない……」
信じられない額を吹っ掛けられたせいで、泣き出しそうになる。
「ということで、大人しくそこで横たわってろ」
両手首と両足首を縛りあげられた俺に、大柄な男は上半身に軽く蹴りを当てて、言葉どおりに床の上に転がすと、荷物の搬出を手伝いはじめた。
「今度の新居は人里から離れているから、近隣住民に迷惑をかけることのない場所なのがいいっすよね」
「ああ。前回はタイミング悪く薬が切れたところを突破されちまって、隣に駆け込まれたからな。人によって薬の利きが違うから、そこのところも考慮して調合するように、アイツに言っておいてくれ」
薬を使うこと、そうして逃げられないようにされる未来がわかり、訊ねずにはいられなかった。
「俺にも、その薬ってヤツを使うのか? 逃がさないようにするために」
「逃がさないようにするためというよりも、使いモノにならなくなったとき、勃たせるために使うだけさ。アンタのせいで、お嬢は仕事を辞めることになるだろ?」
大柄な男は俺に背中を向けたまま、手を動かしつつ答えてくれた。
「たぶん……」
「そうなったらストレス発散もかねて、四六時中ヤりまくるに決まってるからな。相手をするアンタのために、薬を使ってやるってわけ」
四六時中ヤるなんて、そんなの絶対に体がもたない!
「最終的にはシャブを使うことになって、それの薬害が出てめんどくなったら、解体して終了ってわけ」
「か、いたい?」
「その頃になったらお嬢もアンタに飽きて、次の相手を見つけてるだろうし、あの新居を売ることになるだろうな」
大柄な男が楽しげに告げたら、周りにいる男たちもクスクス笑って作業を続ける。
「すみません。さっきから犯罪的なものを含めて、いろいろ詳しく教えてくれてますけど、どうしてなのでしょうか?」
すると大柄な男は作業の手を止めて、わざわざ俺のところにやって来た。
「それはな、絶望的なものを見せつけることで、希望をもたせないようにするためさ。どんなことをしても、無駄というのを教え込むことで、逃げる気力を奪うのが一つと」
「…………」
「薬でラリって、わけがわからなくなる前に説明しておかないと、かわいそうだよなぁと思う、俺の優しいお節介ってわけ」
奥で作業をしていた男が、いきなりゲラゲラ笑いはじめた。
「毎回思うけど、田辺さんのお節介が恐怖過ぎて、優しさなんて感じられねぇって」
「だよなー、マジでそれ!」
男たちがわいわい盛り上がる中、俺はひとり絶望の淵に立たされていた。復讐の末にふたたび復讐され、その結果命の危機に瀕している状況を招いてしまった自分の愚かさに、後悔してもしきれなかったのだった。