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「はい。八尾首、篠崎」
固定電話に出ると、電話の相手は挨拶も無しに早口に言い放った。
『篠崎さん。新谷もう出ちゃいました?』
「あ?ああ。とっくに出たぞ」
篠崎は壁時計を見上げた。
新谷が出発してからゆうに1時間は経っている。
『マジすか。あーもうなんでアイツ、携帯出ねえんだろ。ずっとかけてんのに』
「どうした」
『いや、ね。八尾首から持ってきてもらいたかったカタログがあったんすよ。AICEのカタログ。こっち切らしちゃって。本部に電話したら来週だって言うんで。今も鳴らしてんですけど、さっぱりで』
ヴー ヴー ヴー ヴー
「…………」
どこかで振動音がする。
篠崎は乱雑に散らかった新谷のデスクの上を漁った。
「あ、あったわ。あいつの携帯…」
言うと、電話口の紫雨は盛大なため息をついた。
『はぁ。これというのもカタログ係の林の奴がチェックを怠るから……』
「あ、林で思い出した」
篠崎は受話器を持ち直すとデスクに肘をついて壁を睨んだ。
「あのなお前、自分の展示場からペナルティを出すなよ」
『え?』
「え?じゃねえよ。マネージャーなら、練習に付き合うなり、商談に混ざって決めてやるなりすればいいだろうが」
しばしの間があった後、紫雨は笑った。
『なんでそんなことしないといけないんですか?』
「はぁ?お前な…」
『篠崎さんはマネージャーとして俺より先輩のくせに、会社のシステムを理解していないようだ』
「……なんだと?」
その言葉にカチンとくる。
『いいですか?住宅の営業なんて、誰にでもできる職業じゃないんですよ?バタバタと新人が辞めていくのを目の当たりにしているあなただってわかってるはずだ。
その指標となるのが、6か月以内に3棟という成績なんですよ。それが達成できない営業は向いていないということです』
「お前、そんな無慈悲な……」
『無慈悲?どうしてですか?向いていない仕事を、朝から夜中まで拘束されるこの職種を、売れなくて給料も上がらないのに続けていく方が俺は残酷だと思いますけどね』
「…………」
意外にまともな意見に篠崎は口を結んだ。
『上司の俺から見て林は、何が何でも決めてやるという情熱もなければ、他社に負けてたまるかという闘志もない。新谷のように客を幸せにしたいという信念もない。俺のように奨学金で大学を出て、何が何でも稼いでやるというハングリー精神もない。篠崎さんのようにカリスマ性もなければ飯川や若草のようなつまらないプライドさえない。
彼は住宅営業に向いてません』
言い切った紫雨に、篠崎はため息をついた。
「それにしたってお前……」
『なんですか?』
「それが恋人に対しての言うことかよ……」
言うと、紫雨はため息をついた。
『恋人だから、言ってるんですよ』
「なに?」
『俺は彼に、向いていない仕事で苦しんでほしくない。これから30年以上うだつの上がらないまま、自己肯定感も得られないまま、住宅営業の底辺を常に低空飛行しているような人生を送ってほしくはない。
あいつにはあいつの向いている職種、会社があると思うので、そっちを応援したいと思っています』
「……お前、本気で言ってんのか?」
『ええ、もちろん。林が会社を辞めても、俺があいつと生きていくことに変わりはありませんから。確かに会社では会えなくなりますけど。プライベートではこれからもずっと一緒なんで』
「…………」
篠崎は思わず受話器を握りしめた。
『あれ?黙っちゃった。はは』
思わず黙り込んだ篠崎を、電話口の紫雨は乾いた声で笑った。
『でも。そうですよね。篠崎さんと新谷はもう違いますもんね。会社での別れが物理的な別れになる……。残念ですね』
篠崎は精一杯の虚勢を張って笑った。
「ふっ。天賀谷にでも引っ張るつもりか?」
今度は紫雨が笑う。
『誘ったんですけど、断られました』
「誘ったのかよ」
篠崎は呆れて目を細ながら、バレないように安堵のため息をついた。
『……なんか、もっといいところからお声が掛かったようで』
「いいところ?」
篠崎は眉間に皺を寄せた。
『あれ?聞いてませんか?開発部の部長から、直々に声が掛かったんですよ。なんでも知識と経験がある社員が欲しかったらしくて』
開発部の部長?
先日の太陽光パネルの説明会でのことだろうか。
確かに新谷の意見は的を得ていて、参考になったと開発部とメーカーが喜んでいたとは秋山から聞いたが―――。
「それで、新谷は?」
『嘘でしょ。本当に聞いてないんですか?』
紫雨が笑う。
『今日、天賀谷展示場に開発部の部長が来て、契約を交わすことになってますけど』
「…………」
『まあ、新谷が開発部にいてくれたら、俺たちとしてと要望を伝えやすくなっていいですよね?篠崎さん?』
「…………」
『篠崎さん?』
「ああ、そうだな。……悪いけど、今から打ち合わせなんだ」
『そうですか。わかりました』
「じゃあな」
篠崎は受話器を置いた。
―――そうか。新谷が、開発部に。
予想できたことだ。
あいつは機械関係の知識に長けていて、ダイクウでの商品開発の経験もある。
着眼点も的を得ていて、意見もはっきり言える彼を、開発部の人間が放っておくはずがない。
あいつにしたって、機械工学、電気電子関係は専門であり、得意分野だ。
まさに願ったりな話だろう。
今回、図らずも他社を勉強しつくしたことで、太陽光発電の動向も理解しているだろうし。
――――あいつが決めたことなら――――
『お客様の家作りを応援するときに、お客様のご家族の幸せをイメージするときに、他社は関係ないなって!』
――――。
『俺は、お客様を……幸せにしたいんです』
――――。
「………おい」
いきなり低い声を出した篠崎に、日直の渡辺と事務所に残っていた細越が顔を上げた。
篠崎は予定表の新谷の名前を睨んだ。
「お前が開発部に行ったら、契約した客はどうなる……!」
「し、篠崎さん?どしました……?」
殺気を出した篠崎に、渡辺が恐る恐る話しかける。
篠崎は長い腕をふるい、大きな両手でバンとデスクを叩きながら立ち上がった。
その音に設計課も工事課も驚いて振り返る。
「俺に一言の相談もなく……許されると思うなよ……!!」
篠崎はスタスタと予定表に歩み寄った。前に座る細越が思わず椅子ごと逃げて壁に張り付く。
マーカーを手にした篠崎が、予定表に殴り書いた。
「ナベ。天賀谷行ってくる」
篠崎は鞄を持つと、渡辺を振り返ることなく長靴を履いた。
「あ、えっと、お帰りは……?」
渡辺が言うが、篠崎は答えずに事務所を飛び出した。
やはり雪が降り始めた空を睨む。
歩幅が大きくなる。
足が早くなる。
小走りになる。
いつの間にか篠崎は走っていた。
思い切り地面を蹴り、足を前に踏み出していた。
本当は――。
誰にも譲りたくなかった。
一歩も退きたくなかった。
指一本も触れさせたくなかった。
一時たりとも離れたくなかった。
夏希の言葉が蘇る。
『この子さえいれば、他に何もいらなかったのにって』
そうだ。
俺だって、
あいつがそばにいるなら、
いてくれるなら、
何もかも要らない。
―――走るのなんていつ以来だろう。
もっと早く、こうやって走っていればよかった。
大事な人を、取り戻すために。
◆◆◆◆◆
紫雨は笑いながら受話器を置いた。
「あ、悪い顔してる……」
正面に座る飯川が目を細めた。
「そう?」
紫雨は上目遣いで彼を見上げると、笑いながら椅子を一回転させた。
「はい皆の者、注目~!」
紫雨が間延びした声を上げると、展示場にいたメンバーが振り返った。
「今から篠崎さんの電話に出るの禁止」
わけのわからないメンバーが互いに顔を見合わせるが、紫雨はにやりと笑って顎をつきあげた。
「これ、マネージャー命令な?」
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