しかし、ジンはそれがお気に召さない様だ、桜の前のソファーに長い脚を組んで、前かがみにじっとしかめっ面で桜の薬指にはまっているバンドルリングを見ている
「石が小さいな・・・もっと大きいのないかな?目立つヤツ」
「もちろんでございます」
すかさず左の店員が桜の薬指のバンドルリングを抜き取り、次のリングをはめる
「最後は(ティファニーセッティング)6本の立爪型リングです、ティファニー創業から130年以上愛されている王道のエンゲージデザインでございます、立て爪の大ぶりのダイヤを最も輝かせるデザインになっていまして、永遠の愛を誓う花嫁様にはピッタリのデザインになっております」
―でっ!でかっ!!デカすぎる!―
桜は目を丸くして指輪を見つめる、このダイヤの大きさはいったいどれぐらいなんだろう?1㌢?いや・・・2㌢はありそうだ
今やはめられている桜の左手はブルブル震えている、一流高級店の売り方は不動産であれ、車であれ、売り方のパターンは決まっている、最初にいくつか当て馬を当てがえて最後に本当に売りたい物を見せるのだ
「ふむ・・・」
「あ・・・」
ジンはかなりの高さのある、ダイヤモンドの縦詰めリングをはめた桜の手を取って、マジマジと近くで見つめている、桜の手が大きなジンの手にすっぽりつつまれ、全身変な汗がドッと出る
ドキドキ・・・―おっ・・落ち着いて、桜、彼は私の手をとって指輪を見てるだけよ―
「これいいな、僕はこれがいいと思うけど君はどう?」
「えええ?!」
桜は椅子から飛び上がりそうに驚いた、こんな大きなダイヤをつけていると傷をつけないかと絶対落ち着かない!じっとジンが桜の手を取ったまま見つめて来る
二人の間に、まるで互いに惹かれ合う熱い緊張がたぎっているのも桜の勘違いでは
ないような気がしてきた
目に見えない・・・なにか熱いモノが二人の間に生じて、どちらも見つめ合ったまま、黙り込んでしまった
ドキドキ・・・―どうしてそんな目で私を見るの?―
彼の目は・・・まるで私を愛しくてたまらないという風な目だ、そんな風に熱く見つめられると何も言えなくなってしまう・・・
桜はもう一度自分の薬指にはまっているダイヤを見つめた、大きい!大きすぎる!しかし彼は見るからに、この恐ろしいほど大きいダイヤのリングをお気に召したようだ、この人はこれを自分につけさせたがっている
まるでこれをつけていると、自分が彼のモノであると主張しているようなものだ
でも・・・そこで桜は考えた
婚約指輪をはめると言う事はまさに自分が彼のモノになると言うことなのだ
「さすがはお目が高い!まさに聡明なご婚約者様にあつらえた様な一品でございます」
目玉を素早く動かし、満足げに微笑んだバイヤーがここぞとばかりにご機嫌とりの愛想笑いをふりまく、ジンが桜の手を掴んだまま、優しく微笑んだ
「ほら、みんなそう言ってるよ?これに決めなよ」
女性店員も、桜の両サイドでウンウンと頷く、じっとジンは桜の指輪がハマった手を見ている、そしてゆっくり二人の目があった
彼と目が合うと必ずおきる・・・なんだか場のエネルギーがかすかに揺らぎ、微風に草がそよいだ様なこの感覚・・・互いの波長がぴったりと一致した様な感覚・・・
彼の優しい目に絆されて、思わず桜はポツリとつぶやいた
「あ・・・あなたが・・・いいのなら・・・これにします・・・」
そこからのティファニー店員のジンに対する扱いはまるで王様をもてなす様なものだった
まず、見たことも無い様なティファニーブルーの三段のティースタンドが出て来た
桜はアフタヌーンティーも生まれて初めての経験だった、作法も知らず、どこから食べればいいのかわからないと言えば、ジンは食べたい物を食べればいいと、なんと手づかみで本当は食事の締めくくりの、最上段のケーキからむしゃむしゃ食べている
「パク様・・・末永く私共と良いご縁を頂けますように・・・ぜひマリッジリングの方も当ブランドで・・・」
「そうか・・・それもいるな」
ふむ・・・とジンは親指と一指し指で顎を挟んで考えだした
「ただいま秋のフォーマル・ウエディングフェアもやっておりまして、お見受けしました所、ご婚約者様はピアスをされていらっしゃいますので、このリングにぴったりなダイヤのピアスとネックレスもご用意させて頂けます」
「もらおう、カタログを僕の家に届けてくれ、後で彼女に選ばせる、今は時間がないからこれで失礼する、指輪だけもらっていくよ」
なにもかもがあまりにもめまぐるしくて息つく暇もない、ずっとここへ来てから桜は意表をつかれている
ジンがバイヤーと刻印の文字フォントデザインを決めたり、保証の話をしている時も、桜はボーッと彼の向かいに座ったまま、薬指に光る指輪を延々、夢見心地で眺めていた
誰の話も食べ物の味もまったくわからなくなった、何度か彼に話しかけられたが、独裁者のような彼を前にしてはもう何も言えなくなった
それから二人はティファニーを後にし、桜はいろいろおまけをつけられた、大きなティファニーブルーの紙袋を3つも抱え、御堂筋のタクシー乗り場でジンと向き合った
夜の騒音とネオンがきらめく中、行き交う人々の喧騒が二人の間を流れていく
「あの・・・いくら偽装とはいえ、なんか、とんだ散財をさせてしまって申し訳ありませんでした・・・指輪は半年したら必ずお返しします」
ジンはタクシーのドアを開けて桜を促す、桜が乗り込むと、屈みこんで座席に座る彼女をじっと見つめた
ネオンの光に照らされたジンの顔がいつもより柔らかく見えた、桜もじっと彼を見つめた、また目に見えない・・・なにか熱いモノが二人の間に生じて、どちらも黙り込んでしまった
やがてジンが言った
「今日から君は僕のヨメだ・・・偽装だろうと本物だろうと僕の傍にいる限り、君は世界一幸せに輝く女性でいてほしい、それを忘れないでくれ」
幸せに輝く女性・・・
桜の心臓がドクンと跳ね、言葉を失った、彼の愛で輝く私?
「大丈夫さ、万事うまくいけば半年後には君は晴れて自由の身になれる、その時にその指輪は売り飛ばすなりなんなり好きにすればいい」
途端にハッキリした理由もないのに彼の言葉になぜか桜は傷ついた気持ちになった
・・・半年経てば自由の身・・・なんだか悲しい響きだわ・・・
そんな彼女の気持ちも知らずにジンは軽く微笑んでタクシーから離れるとドアはバタンと閉まった
車が御堂筋のネオンの海に消えていく中、桜は指輪の輝きと、ジンの言葉の重さを胸に切なくなった
・:.。.・:.。.
ジンは黒の皮張りのソファーに深く腰を下ろし、目の前のガラステーブルに置かれたティファニーから届いたブルーボックスに入ったカタログをじっと見つめていた
桜に渡した婚約指輪・・・彼女の細い薬指に滑らせた瞬間、キラキラとその瞳を輝かせた彼女が脳裏に焼き付いて離れない
我ながら良い買い物をしたと思う、どういう訳か桜の前では気前のいい男でいたかった
普段の自分なら、こんな派手な買い物に眉をひそめるのに、ティファニーの店員が「永遠の愛を象徴する一品」と語るそのリングは、偽装結婚の道具にすぎないはずだった
なのに、桜の笑顔がジンの心に小さな優しい波紋を広げていた、素直に彼女をもっと喜ばせてみたいと思った
ジンの性格上なるべく感情を表に出さない様に昔から努めてきた、人と打ち解けず、社交の場とも距離を置く、それは生い立ちのせいかもしれない
父はタクシードライバー、母は牡蠣をパッケージする工場で働いていた、二人は朝から晩まで一生懸命働いてくれた、ジンと弟を有名大学に入れるために
両親の期待を背負ったジン自身も毎日11時まで塾に通い、夜遅くまで勉強した
ジンにとってもはや一流大学入学は自分のためだけではなかった、父と母、弟三人を胸を張って大学の入学式に連れて行ってあげたかった
そしてある粉雪が舞う寒い運命の三連休の日・・・
「たまには息抜きをして家族旅行に行こう」と言う父の誘いを「勉強したいから」と言ってジンは断って家に一人残る事にした
父と母、弟のヨンジュンが楽しげに旅行の準備をする姿を見守った
10歳のヨンジュンは「ガリ勉兄さん!」とピョンピョン跳ねながらジンをからかい、ジンはその小さな体をくすぐって笑わせた
父の運転する車が角を曲がるまで、ジンはいつまでも手を振った、すぐに帰って来ると思っていた、しかしあの笑顔が、家族との最後の記憶だった
その夜、父の運転する車は旅行先で交通事故に合い、父、母、ヨンジュンはガードレールを突き破った崖に落ちて即死・・・誰も帰ってこなかった
ジンは両親と弟の墓の前で何日も墓に向かって罵った
「どうして自分一人を置いて逝ってしまったんだ」と・・・
泣いて、泣いて、泣き尽くしても、何も変わらなかった、幸い計画的な両親の生命保険のおかげでジンは無事に大学に入学して首席で卒業した
しかしその後は何も目標がなくなってしまっていた、だって彼は家族を喜ばせるために今まで勉強していたのだから
そんな時、父が「日本」に憧れていたのを思い出し、単身海を渡った、新天地でITアプリ会社「WaveVibe」を大阪で立ち上げた今も、あの日の傷は胸の奥に沈んだままだった
そのうちジンは暗い感情に流されない術を身につけ、理不尽な世の中を生き抜くために、感覚を遮断し、常に冷静でいることを自分に課した、そうでもしないと孤独に壊れてしまいそうだった
ジンはリビングの隅に飾られた小さな写真立てをそっと手に取った、そこには、ジン、父、母、ヨンジュンが笑顔で並ぶ家族写真があった
父の厳格な顔、母の優しい微笑み、ヨンジュンのいたずらっぽい目、ジンの指が写真をなぞる
「 아빠(アッパ)・・・」
父のダミ声が、まるで今も耳元で響くようだった
―常に正しい事をしろ、ジン・・・決して卑怯者になるな―
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!