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私の隣にいた神崎君が頭を下げた。
「教育学部、一年、神崎耕太です。芹沢さんにはお世話になってると、高杉さんから聞いています」
まるで、私の保護者のような物言いに吹き出してしまう。
そんな私とは対照的に慎也さんは冷ややかな視線を彼に送っていた。
「神崎君とは塾のバイトが一緒で、これから一緒に行くところなんです」
「塾? 家庭教師のバイト以外に?」
慎也さんが首を傾げているが、私のギリギリの金銭的事情を理解していないから仕方がない。
私はサークル活動をしたり、友達と遊びに行ったりせず、授業終了後はバイトに明け暮れる毎日を送っていた。
「はい、大学の近くにある。横浜ゼミナールで働いています。もう、行かなければいけないので失礼します。また、金曜日にお邪魔しますね」
強張った顔の慎也さんを置いて、私は神崎君と足早に塾に向かった。
授業が終わるのは九時だが、この後の残務処理が大変だ。
生徒たちの質問に応えた後は、テストの丸つけや問題作りをする。
「高杉さん⋯⋯やっぱり、時給が九時までしか出ないのおかしくない? もっと割の良いバイト二人で探そうよ」
隣に座っている神崎君が私に耳打ちしてくる。
「私は教える仕事って、教えている時間だけが全てじゃないと思うんだよね」
私は父が家でテストの丸付けををしたり、小テストの問題作りをする背中を見て来ている。
電話番号を調べたのか、生徒から長電話があったこともあった。
きっと悩み相談に乗っていたのだろう。教育者になる以上、時間外は存在しない。
「高杉さん。心配だよ。君ってどんどん搾取されちゃうタイプだよね」
「えっ?」
神崎君に言われた言葉が頭にこだまする。
私は高杉家でどんどん搾取されていた。
結局、文句も言わず頑張った結果、追い込まれて逃げ出している。
一番無責任な結末を招いたのは自分の性格にも原因がある気がして来た。
「そんな顔しないで」
神崎君にほっぺをツンツンされた。
何でもないスキンシップなのに、何故か寒気を感じてしまう。
結局、全ての仕事が終わった時には十時を過ぎてしまった。
塾から出ると、少し先の曲がり角に慎也さんの車が止まってるのが見えた。
遠目ながら、車の中の慎也さんと目が合った気がして心臓が跳ねる。
(どうして、ここに?)
「高杉さん! どうかした?」
「ううん。何でもない。神崎君、駅までダッシュしないと、間に合わないんじゃない」
私の言葉に彼は少し溜息をつく。
「そう思うなら、高杉さんの家に泊めてよ」
「ごめんね。それは無理だ⋯⋯」
突然、慎也さんの車が曲がり角から目の前に来て私は固まってしまう。
流れるような動作で、車を降りてきた彼に見惚れていると私は手を引き車に乗せられていた。
車の窓の外に唖然とした神崎君が見える。
突然、慎也さんが覆い被さってきて私は思わず押し返してしまった。
「ちょっと、芹沢さん?」
カチャ!
どうやら彼はシートベルトをつけてくれただけだったらしい。
「美香さん、家まで送るよ」
「私のアパート、ここから徒歩五分ですよ」
私の言葉を無視するように車が発信する。
家とは違う方向に走る車に私は驚いてしまった。
慎也さんは私のアパートの場所を知ってるはずだ。
「えっ! ちょっと、どこ行くんですか?」
「海の方でも回るか、箱根駅伝のコースでも走るかな」
真っ暗な窓の外を見ながら呑気なことを言う彼の考えが理解できない。
「もう、十時過ぎです。私、帰ります」
「三十分、ドライブしたら帰すよ。今は、危ない⋯⋯」
「危ないって何が?」
気がついたら、埠頭まで来ていて慎也さんは車を停車した。
土地勘のない私はここがどこだか分からなくて不安になる。
「美香さん、流石に無防備過ぎて見てられない」
私をじっと見つめてくる慎也さんの瞳は揺れていた。
「あの⋯⋯私、何かまずい事しました?」
慎也さんは妹の若菜さんだけでなく、私に対しても過保護だ。
彼が夜道を私を歩かせたくないと、家庭教師も未だに送り迎え付きになっている。
「全部、マズイかな。そもそも大学の近くにアパート借りてるのも心配だったのに、バイト先まで徒歩圏って」
「便利だし、交通費や移動時間が掛からないから最善の選択だと思うのですが⋯⋯」
「どこが? 後ろからつけられて、変な男に家の場所がバレたら? 待ち伏せされたりしたら?」
「うちの大学や塾にそんな変なことする人⋯⋯」
「いるはずない」と言い掛けて私は口をつぐむ。
私は新歓コンパで酔わされ、お持ち帰りされそうになった。
その時、助けてくれたのは慎也さんだ。
「塾のバイト辞めて欲しい。あそこの塾は時間外労働を学生に強いてて悪評高い」
「教育業界の時間外労働なんて当たり前ですよ」
「どこの業界でも時間外労働なんてあってはいけないんだ。労働には必ず対価があって然るべきだ」
私は慎也さんの熱弁に思わず笑みがこぼれる。
セリザワフーズはホワイト企業として有名で就職でも人気がある。
彼は父親に反抗しているけれども、セリザワフーズの次期経営者としての心構えをちゃんと持っているようだ。
「何、笑って」
「次代のセリザワフーズで働く人も幸せになりそうだなって思いまして」
慎也さんは頬を少し染めて、照れた。
彼はいつも称賛の中にいるのに、何故か私が褒めると照れる。
「とにかく、塾のバイトはやめた方が良い」
慎也さんが咳払いをしながら続ける言葉に私はゆっくりと首を振った。
「私、経済的にギリギリなんです。夜道を気をつけますから、バイトを続けさせてください」
手を合わせて「お願いします」のポーズを取ると、慎也さんは悩ましい顔をする。
「美香さんは意外とずるい人だな。そんな顔でお願いされて断れない男はいないよ」
私は自分がどんな顔をしてるかみえなくて戸惑いつつも、彼の瞳を見つめ返した。
色素の薄い彼の瞳には縋るような私の姿が映っている。
(ひえっ!)
何だか急に恥ずかしくなって彼から目を逸らした。
「目を逸らさないで、しっかり俺を見て欲しい。おかしな提案だと思われるかも知れないけれど、美香さんに提案があるんだ」
気まずそうにする慎也さんは何を考えているのか分からない。
どうして、彼と一緒にいると胸が高鳴るのか理由を知りたくない。
彼に気にかけてもらえて嬉しい癖に、恐怖を同時に感じる。
「提案って何ですか?」
おずおずと聞くと、彼が私の手にそっと指先を遠慮がちにのせて来た。
「⋯⋯恋人契約。俺と恋人契約しないか?」
真っ暗な車内で二人きり。
耳をすまさないと聞こえないような波音。
私の心臓の音が彼に聞こえてしまいそうで、私はそっと胸を押さえ息を止めた。
コメント
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お疲れ様です、寺島あおいです🤍 14話、一気に緊張感が走りましたね…!慎也さんの過保護な感じと、美香さんのギリギリの生活が切実に伝わってきて、胸が締め付けられました。特に埠頭の車内、彼がそっと指を重ねながら「恋人契約」を提案するシーン、静かな波音の中で心臓の音が聞こえそうでした。美香さんが「理由を知りたくない」と怖がるのも分かる気がして…続きがすごく気になります🌷