佳蓮の間の抜け声は、広い神殿に吸い込まれただけだった。
二名の騎士以外にも聖職者っぽい人が数名がいたというのに、誰も佳蓮の為に口を開く者はいなかった。
信じられないことに、そこにいた者全員が、ただただこの儀式が成功したことだけを喜び、召喚された人間がどんな表情をしていたかなど気にもかけていなかったのだ。
そうして佳蓮は、あれよあれよという間に離宮に連れていかれて、監禁生活が始まってしまった。
もちろん佳蓮は、大人しく監禁生活を受け入れたわけではない。イケメンとはいえ、見ず知らずの男の妻になるなんて冗談じゃない。
食事を運んできた侍女に、ご機嫌伺いをしにきた騎士達に、祝いの言葉を持ってきた聖職者たちに必死に訴えた。「元の世界に戻して」と。アルビスにだって縋りついて懇願したし、人生初めての土下座だってした。
でも、返ってきた言葉は「無理」の一言だけ。
判を押したようなその態度に、佳蓮は怒り狂った。誘拐されたのだから、そんな言葉で納得できるわけがない。
自分の言葉が彼らに届かないことを知った佳蓮は、今度は暴れた。
物を投げつけ地団太を踏んで、「今すぐ帰せっ」と叫んで、終いには離宮の窓ガラスを割ろうと、椅子を投げつけようともした。
もうなりふり構わなかった。本気だった。恥も外聞もかなぐり捨てて、ただ一つの要求だけを口にし続けた。
でも……怒りを持続させるのは相当なエネルギーを必要とする。何を言っても、何をしても、自分の訴えがこの世界の誰にも届かないことに佳蓮は疲れ、絶望した。
もしこれが強制召喚ではなく自分の意志で来て、かつ自分の好きなタイミングで元の世界に戻れるのなら、最高のバカンスだろう。
待遇だって悪くない。いや最高だ。規格外のイケメンからのアプローチに、3食昼寝付きの生活。絢爛豪華な衣装だって着たい放題。苦手な学校の授業を受けなくていいし、眠たい目をこすってテスト勉強もしなくていい。
上げ膳据え膳とはまさにこのこと。絵にかいたようなお姫様のような世界とかしずかれる日々。
でも違う。佳蓮は誘拐をされたのだ。バカンスなんて、望んでいなかった。
佳蓮はずっとずっとこの寒々しい離宮で、元の世界の自分のことを考えている。
向こうの世界になってしまった自分は、もう歳をとらない。
18歳という年齢のまま、写真や映像データに残るだけ。たとえ、ここで自分が生きて歳をとっても。
佳蓮は異世界転移なんて、小説の中だけの話だと思っていた。もしかしたら自分が知らないだけで、そんなことは珍しいことではないのかもしれない。でもそれは、自分が関与しない所でやってもらいたかった。
どこか遠くに行ってしまいたい人は少なからずいるはずだし、イケメンにアプローチされたい女子なら掃いて捨てるほどいるだろう。
なのに、なのに、なぜ自分だったのか。
そんなふうに思う佳蓮は、元の世界での暮らしに不満などなかった。
自分の決めた進路があり、大切にしたい人達が増える予定で、明日が来るのが待ち遠しかった。
それが叶わなくなった。もう二度と取り戻すことができなくなった。
引きちぎられるように終わってしまった元の世界での生活に折り合いをつけることができないし、この異世界での生活にだって慣れることができない。
恐怖や絶望に支配されながらも、望みを捨てきることはできなかった。
「……帰りたい。戻りたい」
口に出したそばから、佳蓮はひどく後悔した。
この言葉は佳蓮にとって、乾いていないかさぶたを無理矢理に剥がすようなもの。
紡いだ途端、心がひりひりと、じくじくと痛み、見えないはずの血が溢れてくるのがわかる。
それでも何度も口にしてしまう──無意識ではなく、自分の意志で。