ハリー・ポッターは悩んでいた。───ドラコ・マルフォイに、“男”として見られたい!!
スリザリンに入ってから、ドラコとは自然と一緒にいる時間が増えた。歳は違うし、何だかんだ喧嘩もするが、気がつけば彼の隣が定位置になった。ふとした時に目を合わせ、肩を並べることが当たり前になった。
だけど所詮、ドラコにとって自分はただの”可愛い後輩”でしかない。いつも軽く頭を撫でられ、悪戯な笑みを向けられる。時には肩を抱かれ、優しくからかわれることもある。
それが心地よかった。
けれど──同時に苦しかった。
そう、僕はドラコに恋をしているんだ。
「……見てほしいんだよな」
ある日の談話室。僕の独り言が床に落ちた。
「誰に?」
鋭い声が返ってきて、僕日顔を上げた。目の前にはいつの間に座っていたのか、パンジー・パーキンソンがいた。彼女は質のいいソファに肘をつき、興味深そうにこちらを眺めている。僕が言葉に詰まっていると、パンジーが痺れを切らしたように呟いた。
「……言わないと、協力しないわよ?」
僕は思わず視線を逸らした。
けれど、パンジーの鋭い目はそれを許さない。
「ドラコ、でしょ?」
心臓が跳ねた。
図星だ。
「っ……」
「やっぱりね」
パンジーはにやりと笑い、ソファーから肘を離し、机を軽く叩く。
「そう思って、手を貸してあげようと思ってたの。ダンスパーティーで、彼を完膚なきまでに落とすつもりじゃなくて?」
「なんでそんなこと──」
「見てればわかるわよ。貴方、普段ドラコに向ける目が恋する男のそれだもの」
鋭いパンジーの視線はどうやら見かけだけじゃないらしい。僕はぎゅっと拳を握る。
「……アイツ、僕のこと、子供みたいにしか見てないんだ」
悔しそうに呟いた僕に、パンジーは楽しそうに告げる。
「だから、変わるのよ」
そうパンジーは小さく笑い、僕に手のひらを差し出した。
「徹底的に磨き上げて、”可愛い後輩”じゃなくて”魔性の男”だって、分からせてやりましょう?」
スリザリンらしい誘い文句を告げた彼女の手を、僕はゆっくりと握った。
─────────────
まず髪の毛からよねぇ、そう呟いたパンジーに、僕は少し前から考えてたんだけど、とマグル製の雑誌を取り出した。彼女は少し顔を顰めたが、雑誌に関しては何も言わなかった。それをいいことに、僕は雑誌をめくり、予め折り目を付けていた部分を探した。そのページは──美容特集。そこには「ヘアオイルで艶を手に入れる!」という見出しがあった。どうやら髪も纏まるし、いい香りもするらしい。一挙両得だ。
「試してみる価値はあるだろ?」
「そうね。あとはトリートメントも。しっかり手入れして、滑らかにしないと」
普段シャンプーしかしない僕には縁のない単語ばかり。
「……なんだか大変そう」
僕が心底面倒くさそうに呟いたのに、パンジーは鼻を鳴らしただけだった。
「当然よ。それに、眼鏡もやめなさい」
パンジーはハリーの眼鏡をひょいと外した。何も見えないんだけど……と呟いたが、ふと、マグル製の道具を思い出す。
「……コンタクトレンズ」
「こんたくとれんず?なぁに?それ」
「メガネが無くても視界がはっきりする道具なんだ。」
そう告げるとパンジーの顔がぱっと輝いた。
「そんなものがあるのね!」
ブラック家の資産をマグル通貨に変え、コンタクトとヘアオイルを購入することを決めた。
そして───最後にドレスローブ。
パンジーはこれ以上ないほどに楽しそうだった。
ダンスパーティーの話から初めての休日。彼女は朝早くから熟練の仕立屋を呼び出し、僕の為に1着オーダーしていた。僕がお金出すよ、と言えば家が経営している仕立て屋のひとつであるからお金は要らないそうだ。このお貴族様め。
そんなこんなで、ドレスローブはすぐに完成した。魔法の力か、圧力か。
それは定かではない。
初めは装着に時間が掛かっていたコンタクトレンズもかなり慣れてきて、ヘアオイルはパンジーの努力の賜物だ。そういう仕事、向いてるんじゃないだろうか。──そんなことを言えばお貴族様は黙っていないだろうから、口を噤むが。
「これを着れば、ドラコも黙ってはいられないわよ」
パンジーに急かされ、卸されたドレスローブにゆっくりと腕を通す。
パンジーが自信満々に差し出したドレスローブは、桁を想像したくないくらいにキラキラと輝いていた。
絹のような煌めきを放つ黒色のカッターシャツに、鮮やかな翡翠を想起させる美しい刺繍入りのネクタイ。
一見黒に見えるドレスローブは深緑で、光が当たるとその彩度を存分に発揮するようだ。
ただ1人に合わせて作られているからか、体に沿い、流れるようなシルエット。ひとつひとつの動きを体の一部であるかのように伝える作りになっている。パンジーが格闘した甲斐があって何とか髪も纏まり、いつも付けているメガネは外している。スリザリンの薄暗い鏡に僕の姿が反射していた。鏡を覗いたパンジーが、感嘆の息を漏らしたのがわかった。
───本当に、これが僕?
鏡に映った自分を見て、不思議な気持ちになる。とても嬉しそうなパンジーは、これで所作も叩き込めば完璧ね、と呟いた。また面倒な講義が始まるのかもしれないが、ドラコに意識してもらう未来が少し現実的になったと思うと、悪くないと思ってしまう。
「……これで、ドラコに”男”として見てもらえるかな」
不安げに呟いた僕に、ふわりとパンジーが笑う。サービスのウインク付きだ。
「そうじゃなくて、”見ずにはいられなくなる”のよ」
僕の髪を直しながら言う。
「絶対に、落とせるわ」
パンジーの言葉に確信めいたものを感じ、僕はゆっくりと息を吐いた。
──────────
遂に、パーティー当日。
なんとかパンジーの所作講座を頭に叩き込み、実践まで漕ぎ着けた僕は、扉の前で深呼吸をした。
──叩き込まれたのは何も所作だけじゃない。今の僕への自信もだ。
───扉が開き、ゆっくりと歩みを進める。
会場の空気が変わるのを僕は感じた。みんなの視線が集まる。ざわめきが生まれる。
パンジーお墨付きの所作だ。とくと見るがいい。
癖のある黒髪は上手く生かされ、右前で分けられていた。いつも前髪で隠れている額が晒されているが、額の傷は上手く隠されている。
髪が揺れると、オイルの光が艶を生む。シャンデリアの煌めきは、黒色のドレスローブを深緑に染め上げた。
滑らかに流れる布は、ひとつひとつの所作に合わせて優雅に揺れる。
向かう先は、ひとつ。
ドラコが、いた。プラチナブロンドのまつ毛が震え、アイスグレーがこれでもかというほどに見開かれている。手にしたグラスを気にも止めておらず、落ちていても不思議じゃない。白色のドレスローブに深緑のネクタイ。いっそ憎らしいほどに似合っていて、ハリー自身もその姿にどきりとしてしまう。でも───今日はそれではだめなのだ。
気付かれないように軽く息を吸うと、ドラコの前で立ち止まり、微笑む。
「ドラコ」
その声に、ドラコの肩が微かに揺れた。さらりと、プラチナブロンドが頬の上を滑る。
「……ハリー」
ドラコは、息を飲むように名前を呼んだ。そのアイスグレーに僕しか映っていないことに、何処か満足感を覚え、気分が上がる。
「僕と踊ってくれる?」
僕はゆっくりと、手を差し出した。さながら、エスコートのように。ドラコは、指先を見た。あれからちゃんと、手入れをしたんだ。君の知っている僕の手じゃないだろう?
「……光栄だよ」
一言、小さく零したドラコはハリーの手をとった。
──指先が絡む。
ドラコの手袋の滑らかな布越しに伝わる温度が、妙に鮮やかだった。
僕はひとつ呼吸を落とし、柔らかくドラコの手を引く。ダンスホールにはシャンデリアの光が満ち、金と銀のきらめきが床に降っている。優雅な旋律が流れる中、僕はドラコの手を引き、ダンスの輪へと導いた。
「……随分と大胆だな」
目の前の男が、低く囁く。惹き込まれるような表情に内心どきりとしつつも、なんとか表情を保つ。ふわりと微笑み、そっと睫毛を伏せた。
「嫌?」
問いかける声は、いつもより少し、低めに。
ドラコが戸惑うように喉を鳴らすのを、僕は聞き逃さなかった。
──効いてる。
これみよがしに、ダンスの振りだとでもいうように、片手をドラコの肩に添えた。手を、軽く這わせる。指の腹で確かめるように滑らせたその瞬間、ほんの僅かにドラコの肩が強張った。
「……ハリー」
名前を、呼ばれる。その口から、何度も告げられた名前。だが──いつもの調子と違う。僅かに掠れ、困惑が滲んでいた。僕は、心の中で密かに笑う。僕はもう”可愛い後輩”じゃないんだ。君が触れているのは──ひとりの”男”だ。
「どうしたの?」
わざと、耳元で囁く。
すると、ダンスのリードを奪うように、ドラコの指が少し、僕の腰を引き寄せた。
「……君は、誰だ?」
小さな声で、ドラコが言う。本当に分からない、と困惑した風に言うドラコに口角が上がってしまう。ドラコのこんな表情を見ることが出来るなんて、大きすぎる収穫だ。
含みを持って、ドラコの問いに答える。
「僕は、ハリー・ポッターだよ」
ずっと君の隣にいた、ね。
小さく落とした呟きは、ダンスのメロディーに、流されてしまっただろうか。
それでもいい。
ただ君が、気付いてくれなかっただけ。
─────────
ダンスホールでは、沢山の視線を感じた。女の子の噂話の餌食にされたり、少年たちが声を掛けようかと話していたり。そのどれもが、熱を帯びていて、僕を悪くない気持ちにさせた。
「ポッターって、あんなに綺麗だったか?」
「まるで別人みたいだ……」
周囲のささやきが、耳に届く。その声はしっかり、ドラコにも届いているようで、少し難しそうな顔をして僕の顔を眺めている。
アイスグレーに浮かぶのは、動揺と、戸惑いと、──僕の期待かもしれないけど、嫉妬。
「随分と注目を浴びてるな」
形の良い唇が歪められる。折角の美形が台無しだ。そう思って、囁く。
「君のおかげだよ」
ドラコの様々な意味の含まれたであろう一言を、さらりと受け流した。
瞬間、ドラコはすっと瞳を伏せた。
「……気に入らないな」
どういう、意味?
その言葉の意味を問い返そうとした瞬間──。
ぐいっと、ドラコの長く白い指に、腕を引かれた。
「……っ」
バランスを崩しかけた僕を、ドラコの腕が抱きとめる。もつれそうになった足を立て直している間に寄せられた唇が、心地よいテノールを紡ぐ。
「ふざけるなよ」
低い声が、耳元で落とされる。鼓動が、一瞬だけ跳ねた。
「……ドラコ?」
「いい気になるなよ」
ドラコの指が、もっと腰を強く引き寄せる。顔と、顔が、触れそうな距離。
「君は、”誰に”見られたくてここに来たんだ?」
その瞬間、ぞくりと背筋に何かが走った。
そのアイスグレーに揺らめくのは、──独占欲。それを認識した瞬間、指先が微かに震える。
「……どうだろうね」
僕はなんとか微笑みながら、静かに言った。
────────────
1曲終わると、ドラコの友人──もとい、僕からしてみればスリザリンの上級生からダンスを申し込まれたので、潔くドラコから離れた。
そっと横目をやるとドラコも女子生徒に声を掛けられていた。モテ男め。
僕の相手は、スリザリンの上級生らしく、美しくダンスを踊る人だったが、僕の手にはまだ先程のダンスの余韻が残っていた。
夜の宴はクライマックスを迎え、ホールの中央には楽しげに笑う生徒たち。煌びやかなシャンデリアの光が、揺れるワイングラスの縁を艶やかに照らし出している。僕はというと──2曲目を踊った後、他の誘いは断ってしまった。
喧騒の輪から抜けた僕は静かにグラスを傾けた。もう少し踊るつもりだったんだけどなぁ。
でも、──ドラコがこっちを見てたから。
ダンスの後、何人かの生徒がに声をかけてきた。賛辞を囁き、甘く誘うような視線を向けてくる者もいた。
──それら全部、余すことなく、ドラコは全部、見てた。
耳元で言葉を交わす男。さりげなく肩に触れる仕草。そのたびに、ドラコの視線は鋭くなった。僕は、そっと笑った。気に入らないんだろう?僕が”誰かのもの”になりそうなことが。今までのドラコなら、そんなこと気にもしなかったはずだ。僕が誰と話そうが、誰に微笑もうが、眉一つ動かさなかっただろう。
でも今は違うんだろう?
グラスを置き、そっと立ち上がる。ホールの片隅、壁際にもたれるようにして立つドラコと目が合う。アイスグレーの瞳が、一瞬だけ揺れた。僕は誘うように唇の端を上げ、ゆっくりと歩み寄る。ドラコは何も言わず、ただこちらを見つめていた。
「楽しかった?」
何気ない問いかけに、ドラコの目が細まる。射抜くようなアイスグレーに怯える僕は、もういない。
「……君が楽しんでいたのはよくわかった」
ドラコは感情の読めない瞳で抑揚のない言葉を紡いだ。そんな問いかけに、僕は睫毛を伏せる。
「うん、まぁね」
そのまま通り過ぎ、扉へ向かおうとした。その瞬間──ドラコが動いた。すれ違いざまに、腕を掴まれる。
黙ったままの僕に、ゆっくりと句を紡いだ。
「……どこへ行く?」
ドラコの声は低く、僅かに熱を帯びていた。
僕は振り返ることもせず、自身の口角が上がるのも止めなかった。
掴まれたままの腕に引かれるように振り向くと、揺れるアイスグレーと視線が合う。
にこりと弧を描くように目を細めると、腕を掴む力が緩んだ。
───ねぇドラコ、焦った?
僕のこと、少しは男として見てくれたよね。
──────────
ダンスパーティーの余韻は、まだ残っていた。
寮の談話室でもダンスパーティーでのことを褒められ、食堂でも、他寮生からの声掛けに応対していた。ドラコのためにした事だが、褒められるのに悪い気はしない。
周りの対応がかなり変わったが、ドラコも例外ではなかった。
「ねえ、ハリー。最近、ドラコが貴方のことをよく追いかけている気がするのだけど?」
朝食の席で、パンジーが興味深そうに囁く。
上品な笑みを浮かべる彼女は、少し得意げにスコーンを割っていた。
確かに、談話室でも、クィディッチでも、食堂でも──蛇のようにこちらを追いかける彼の姿がある。ダンスパーティーの余韻だろう。
僕も笑みを返し、フォークを口に運ぶ。
「さあ、どうかな」
軽く流した僕に、彼女の口調は少し咎めるようなものに変わった。
「……こないだだって、貴方、図書館でレイブンクローの女の子と話していたでしょう?その時ドラコ、遠くから睨んでたわよ」
危うくフォークに刺したフレンチトーストを落とすところだった。
……どうやら僕の知らないところでも追いかけられているようだ。多分、図書館だけじゃないのだろう。
「それは……気のせいじゃない?」
「いいえ、絶対に違うわ」
パンジーは確信めいた目で言う。
そうして彼女は囁くように僕に告げた。
「ハリー、ドラコは今、貴方を”見てる”わよ」
唐突に視線を上げる──ことはしなかったが、横目でプラチナブロンドを探す。
スリザリンの中でも一際目立つ髪色は、すぐに見つかった。
彼女の言う通り、アイスグレーは、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
さながら、獲物を見つめる蛇のような目で。僕から仕掛けたはずなのに、こちらが捕まえられるような、そんな錯覚を起こす。
──1度、引いた方が懸命なのかも。とりあえず、僕を1人の男として意識させるという目標は達成したのだから。
そう思ってドラコとの距離を取ろうと行動を改めたことが、首を絞めたのかもしれない。
─────────
スリザリンの上級生と少し話した後、僕は本を読んでいた。授業に向かった彼らと違って、僕は空きコマだったのだ。いつも通りならば、お互いの授業で空きが出たときは僕がドラコの部屋に行く。だけど、あの目をしたドラコの元に行くのはなんとなく、気が引けてしまった。
だから、ドラコが勧めてくれていた本の中から1冊図書館で借り、談話室で本を広げた。
──だが、そんな時間も、すぐに終わりを告げることになる。
「……ハリー、最近、妙に静かじゃないか」
そう、彼が告げたから。
いつもは部屋に籠りきりになるドラコが、談話室に出てきている。理由はもちろん、僕を探して、だろう。
横目で様子を伺っていると僕の姿を認めたらしい。湖の光をプラチナブロンドに纏いながらこちらに歩いてきた。僕の座っているソファーの前で歩みを止め、僕の隣に腰を下ろした。
お互い何も言わずに、本のページを捲る音だけが談話室に響く。沈黙を破ったのはドラコだった。そして、先程の言葉。
今まで全く気付いていませんでした、とでもいう風を装う。白々しい?いいだろうこれくらい。
そう考えて潔く、読んでいた本から視線を上げた。
「そう?」
「あの夜の勢いはどこに行ったんだ?」
その言葉に、思わず目を細める。
「僕、そんなことしたっけ?」
「とぼけるつもりか?」
どこか、余裕を感じさせる声音。内心、舌打ちをした。あの夜、ドラコは明らかに動揺していたのに。視線が泳ぎ、掴まれた腕もすぐに離されていた。
でも今は、違う。
ドラコは、まるで僕の反応を試すように、わざと近づいてくる。やっぱり1度、ちゃんと距離を取っておくべきだったか、と思うがもう遅い。ドラコの糾弾は止まらない。
「で? もう満足したのか?」
「……何が?」
「僕をからかうことが」
──からかうこと、ねぇ。
少し的を外しているドラコに思わず笑みが零れる。
「僕は別に、君をからかっているつもりはないよ」
「へぇ?」
ドラコが、少し身を乗り出した。男2人の体重を支えているソファーがぎしりと音を立てる。
「じゃあ、どういうつもりだったんだ?」
その距離の詰め方に、思わず息を飲む。身を捩れば触れる距離。すぐ目の前にある、鋭いアイスグレー。薄い唇は、挑むように笑っていた。
僕が思案するように、唇を舐めると、ドラコの瞳がそれを追ったのが分かった。
一瞬の沈黙。
「……どうした?」
「……別に」
全てを透かすようなアイスグレーを見ていられなくなって、誤魔化すように本へ視線を戻そうとした。
瞬間、ドラコの指先が、そっと、僕の手に触れた。
──熱い。
ドラコの体温は低いはずなのに。最も僕は、それをよく知っているはずなのに。ほんの少し、触れた指先は焦がすような熱を持っていた。
指先が、じんと痺れるような感覚に襲われる。
同時に、ハリィ、と低く名前を呼ばれた。
低く囁かれたテノールは、しっかりと僕の鼓膜を揺らした。
ぴくりと肩を震わせてしまい、それを見たドラコは、満足気に目を細めた。
「可愛いな、ハリー」
「……っ!」
堪えきれずに手を振り払おうとするが、ドラコはそれを許さなかった。ドラコの指が宙に浮き、そっとハリーの頬を撫でた。
焦らすように、ゆっくりと。
優雅さすら感じるその手つきに、呼吸が止まる。
先程手に触れた熱が、まだじんわりと残っていて、遅効性の毒のように身体中を駆け巡った。
ドラコは拘束力を持って僕に触れているんじゃない。
すぐに振り払おうと思えば、できる。
でも、そんなこと、僕には出来なかった。
「……どうした?」
楽しそうに、こちらを翻弄するテノール。それでいて妙に穏やかな声が零れた。
「……君こそ、どうしたの?」
誤魔化すように言い返したが、ドラコは口元を緩く歪めただけだった。
「別に。急に大人しくなったのは君の方だろう?」
「大人しくなんて──」
また1歩、ドラコが距離を縮める。その動きに、僕の言いかけた言葉は止められてしまった。
「なぁ、ハリー?」
頬に置かれた手が、するりと輪郭を撫でて行く。
微笑を浮かべた彼の指弾は続く。
「君は、”そのつもり”で僕に仕掛けたんだろう?」
ごくりと、喉がなる。
「……何の、こと?」
「……本当にとぼける気か?」
ドラコが指を、唇を掠めるように動かした。
優雅に、確信を持った仕草で。
唇を掠めたのはほんの少しなのに、浅ましい僕の心臓は、素直に音を立ててしまう。
「君はずっと、僕を誘惑していたんだろう?」
低く、甘く、囁くような声。手を握られているわけでも、腕を掴まれているわけでもない。なのに、逃げられない。──そう思った瞬間、自分が”逃げる”ことを考えていることに気づいてしまった。でも、この際、仕方ない。
ひやりと、冷たいものが背筋を伝う。
逃げなければ、ならないのに。
「今までずっと友達みたいに接してきたくせに……」
無意識に溢れた、言葉。
零れてしまってから、はっとドラコの顔を見る。僕の焦りにそぐわず、まだ余裕を称えているその表情に苛立ちが募る。
「僕が本気になったら、君は怖気づくのか?」
ドラコの親指が、僕の下唇をゆっくりなぞった。慈愛が揺れたアイスグレーですら、僕の苛立ちを加速させる。
「……子供扱いするな」
絞り出した声は、思ったより低く、そして震えていた。ドラコは目を細め、ふっと笑う。
「子供扱い?」
ドラコは、視線を落としたことで頬にかかった髪を、指先でそっと払った。
そして、形の良い唇をそっと耳に寄せた。
「それは違う。ハリー」
耳元で囁かれる声が、甘い。生暖かい吐息が、肌を擽った。
「これは子供扱いじゃない」
「……っ」
「僕は……好きな人を甘やかしたいタイプなんだ」
「なっ……」
頭をがつんと、殴られた気がした。肩をぴくりと震わせてしまう。結局こうやって丸め込まれてしまうんだ。僕は。
それで何度、胸が締め付けられる痛みを、感じてきたと思っている?
「からかってるなら、いい加減にしろよ」
ドラコは一瞬驚いたように目を見開いた。今日、初めて崩れた笑み。それから困ったように眉を下げた。
「からかう?」
「……僕のこと、弄んでるんだろ」
「弄んでなんかない」
ドラコは、ゆっくりと手を引いた。あの夜を彷彿させるような仕草に、どきりとする。
「僕は、君を甘やかしたかった。それだけだ。」
「……!」
真剣にこちらを見つめる彼に、心臓が脈打つ。さっき自分が、好きな人を甘やかしたいとか言っていたことを忘れたのだろうか?
いや、そんなことはない。
きっと彼はそれも含めて──
「ダンスパーティーの夜から、ずっと君を触れたいと思ってた」
確かにあれから、まともに肌を触れ合わせたことはなかった。いつものドラコなら、遠慮せずに触ってきていただろうに。
「……馬鹿みたいだ」
そう告げても気を悪くした様子はない。それどころか、ドラコはわざとらしくため息をついて眉を上げた。
「……君は、自分は自覚してないんだな」
そう、耳元で囁かれる。何を、と問い返す前に、ドラコが次の句を紡いだ。
「ずっと、我慢してるんだ」
「……何を」
「ダンスパーティーの夜から」
反射的に、僕はドラコの手を振り払おうとした。だが、彼はそれを許さない。今日、初めてドラコが意志を持って僕の行く手を阻んだ。
「離さない」
掠れた声でそう告げて、ドラコは手を握り直した。
「もう、絶対に」
腰に、甘い疼きが広がり、身を捩る。
ドラコは、それすらも許さないとでも言ったように、手を引いた。バランスを崩した僕の体は、ドラコの胸元に収まる。
愛おしげに身を寄せた彼は甘く告げた。
「……君は、人としても、男としても、非常に魅力的だ」
その言葉が落ちた瞬間、心臓が跳ね上がった。ゆっくりと視線を上げると透き通ったアイスグレー。
でも、その瞳の奥には、確かに情欲が揺らめいていて。
「……ずるい」
「何がだ?」
「……全部」
そう呟いた瞬間、ドラコの目が見開かれた。
それを認識した瞬間、唇が重なっていた。何度も角度を変え、唇を合わせる。誘い込むように口を開けば、彼はゆっくりと口内を犯し始めた。歯列を舐め、どちらのかも分からない唾液を飲み込む。ドラコの細くしなやかな手は、強く、僕の腰を引き寄せた。
「ん……」
力が抜ける。腰がぞくりと甘く疼き、思わず身じろいだ。腰に添えられたドラコの手が、心地よくて、抗えない。
「僕は君を……恋人として、大切にしたい。」
ドラコの瞳を覗くと、アイスグレーは愛おしそうに細められていた。弧を描いた瞳に、胸が満たされていくのを感じる。
「ねぇ、ドラコ」
「なんだ?」
甘い、声。
ふわりと髪をすいた彼の手に睫毛を伏せる。
「すきだよ」
驚いた顔のドラコに笑みを零し、背中に腕を回した。
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すごく好きです!! 素敵です(*^^*)