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みことは小さな段ボールの中に、大切にしていたアルバムや文具をそっと収めながら、「こんなに物、少なかったっけ……」と呟く。
新しい生活――すちとの同棲に向けて、荷物を少しずつまとめている真っ最中だった。
そのとき、玄関のチャイムが鳴る。
(……すちかな?)
そんな風に思いながら、みことは手を拭って玄関へ向かった。ドアを開けた瞬間――目に飛び込んできたのは、ぽろぽろと涙を浮かべ、目を真っ赤にしたひまなつだった。
「……なっちゃん?」
みことの声に、ひまなつは一瞬びくっとし、次の瞬間には、
「みことぉ……っ!」
と、声を詰まらせて、胸元に飛び込んできた。
「なっちゃん、どうし……っ」
みことが驚く間もなく、その華奢な体が力いっぱいしがみついてくる。ひまなつの身体はわずかに震えていて、胸元にあたる涙が、熱くじんわりと染みてきた。
「うえぇっ……みことぉ……っ、もうやだぁ……っ、やだやだぁ……」
まるで小さな子どものように、しゃくり上げながら泣くひまなつ。
みことは困惑しながらも、そっとその背中に手をまわし、優しく撫でた。
「うん、だいじょうぶ。……とりあえず中、入ろう? ね?」
泣きじゃくるひまなつを抱きしめたまま、みことはそっと体を引き寄せ、玄関の扉を閉めた。
そして、何も言わず、泣き止むまでそっとあやし続けた。
やわらかく灯った室内の明かりの下、みことの胸に顔を埋めるひまなつの涙は、まだ止まりそうになかった――。
ひまなつのしゃくり上げる声が、少しずつ静かになっていった。
それでもなお、細かく震える肩と、濡れたままの頬が、みことの胸元にしがみついたまま離れようとしない。
「……なっちゃん、大丈夫……?」
みことは、そっと指先でひまなつの背中を撫で続けながら、できるだけ柔らかな声で問いかけた。
「ねえ……何か、あったの?」
すると、ひまなつの肩が小さく跳ねた。
みことの服をぎゅっと掴み直し、ゆっくりと顔を上げる。
涙の跡がまだ残るその顔は、少し赤くなっていて、どこか子どものような弱々しい表情をしていた。
「……みこと、俺……いるまと喧嘩した……」
「え……」
「別に、大きなケンカとかじゃ、ないんだけど……っ、でも、やだった……っ、どうしてかわかんないけど、気持ちがぐちゃぐちゃで……そしたら……勝手に、足が、ここに向かってた……」
ふるふると瞳を揺らしながら、必死に言葉を紡ぐひまなつ。
「……ごめん……迷惑かけて……っ」
そう言いかけた瞬間、みことはすっとひまなつの頭を抱き寄せた。
「迷惑じゃないよ……来てくれて、ありがとう」
その一言で、また堪えていた涙が、ひまなつの目からこぼれた。
みことは、ぎゅっとその体を包みこみ、背中を撫で続けた。
まるで、誰にも言えなかった寂しさや不安を、全部受け止めるように。
静かな部屋に、鼻をすする音と、みことの優しい吐息だけが流れていた。
みことの腕の中で、ひまなつはぽつぽつと、まるで吐き出すように出来事を話していた。
しゃくりあげながらも懸命に言葉を紡ぐ様子に、みことは一言も挟まず、黙って耳を傾け続ける。
「……いるまと歩いてたらさ、いるまの大学の友達にばったり会って……」
声は少し掠れながらも、ひまなつの中にある感情の渦が、徐々に言葉という形になって現れてきた。
「……なんか、みんなから好かれてるっぽくてさ。男女関係なく人気あるんだよ……」
そこで少し言葉が詰まり、みことの胸元をぎゅっと握る。
「それで、今日暇なら一緒に遊ぼうよーって、言われて……いるま、俺が先約って断ってくれたけど……そいつらに付き合ってるのかとか…色々言われて…っ…」
「……そしたら、いるまが俺のこと…“こいつはそんなんじゃなくて”って、言いかけてて」
ひまなつは顔を伏せ、みことの肩に額をつける。
「それ聞いたら、なんか胸がずきってして……勝手にイライラして、寂しくなって……“じゃあそいつらと遊べば?”って言っちゃった」
声が震える。
「……ただ一緒にいたかっただけなのに。俺ってわがままだし 子どもっぽいよね……」
みことは少しだけ目を伏せて、それからふわりと微笑んだ。
「……それ、わがままなんかじゃないよ」
そっとひまなつの髪を撫でる。
「“一緒にいたい”って気持ちは、誰かを大事に思ってるから出てくるものでしょ? 寂しくなったり、嫉妬しちゃうのも、全部その人が特別だから……」
みことは、自分でも気づかないうちに、すちのことを思い出していた。
あの、大学祭の夜の、胸がぎゅうっとなるような気持ち。
「……それに、きっと、いるまくんも今ごろ、なっちゃんのこと探してると思うよ」
「……でも、俺、酷いこと言ったし……多分、怒ってる……」
「うん、怒ってるかもしれない。でも、それって、なっちゃんが大事だからだと思うよ」
みことの穏やかな言葉が、ゆっくりとひまなつの胸に染み込んでいく。
「なっちゃんのこと、ちゃんと好きだから、変に言われたりするの、きっと怖かったんだよ……いるまくんも」
「……そっか……そうかなぁ……」
ぽつんとこぼれた涙が、再び静かに頬を伝った。
みことは、ただ優しく背中を撫で続けた。
みことはソファに座ったひまなつの隣で、優しく言った。
「じゃあさ……気分転換に、俺と出かけてみる? 少し歩くと、頭の中も落ち着くかもだし」
ひまなつは涙で少し赤くなった目を見開き、ぽつりとつぶやいた。
「……え、みこととデート……?」
「で、でぇとっ!? ちょ、ちょっと待って!」
みことは慌ててスマホを取り出し、連絡先の中からすちの名前をタップした。
「今、電話するからっ!」
その一言に、ひまなつは目をぱちくりさせながらも、どこかくすぐったそうに微笑んだ。
――通話中。
『……もしもし、みこと? どうしたん?』
受話口から聞こえるすちの声は、ほんのり優しげで、どこか微笑んでいるようだった。
しかしその隣には、腕を組んでやや不機嫌そうに座るいるまの姿がある。
「すち! あのね、なっちゃんが泣いちゃってて! だから、俺が今からなっちゃんとデートしてくるから!」
『……は?』
すちは明らかに動揺した声を漏らした。
『デート……って、ちょっ……それどういう意味で……』
「大丈夫!怪我しないように、いるまくんの代わりに俺がぜったい守るから!任せて!!」
声に力を込めて、みことはぐっと拳を握る。
『いや、そうじゃなくて……』
すちの言葉が終わる前に、みことは勢いよく通話を切ってしまった。
「よし、大丈夫。すちに言ったし!」
みことは満足げに言いながら、ハンカチでひまなつの涙をそっと拭う。
「じゃ、行こ? “デート”って言ってたけど……友達と遊ぶ、みたいな感じ? 一緒に、楽しいことしよ」
ひまなつは目をぱちくりさせながらも、微笑みを浮かべた。
「……なんか、みことと一緒だと、ほんと安心する……ありがと、みこと」
「えへへ、俺も誘ったからには全力で楽しませるから!」
一方そのころ、すちの家。
通話が切られたすちは、眉間を指で押さえながら、深く息を吐いた。
「……ちょっと目離すと、ほんと予想外の行動するよなぁ、みことって……」
その隣で、いるまは腕を組んだまま、険しい顔でぼそっとつぶやく。
「……まさか、俺の代わりとか言い出すとはな」
「しかも“デート”って。俺の前で言う?」
「……行くか?」
「……いや今行っても仲直りできないだろうし、ひまちゃんが落ち着くまで待ってよう。それでも帰ってこなかったら、行こうか」
そう言って、ふたりは無言で頷き合った――。
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