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「……してるかも」
涼ちゃんがそう呟いた瞬間、
若井の胸の奥に冷たいものが落ちた。
ほんの一瞬の沈黙のあと、
彼は息を吸い込んで、思わず言っていた。
「……腕、見せて」
涼ちゃんはピタッと動きを止めた。
視線を落とし、
わずかに肩が揺れた。
「……なんで」
「長袖で隠してるの、なんとなく分かるから」
「若井……」
彼は答えなかった。
ただ、袖をそっと引いた。
その瞬間――
「ごめん、トイレ行ってくる」
涼ちゃんは立ち上がり、
早足で席を離れた。
若井は何も言わず、
ただその背中を目で追った。
⸻
トイレの鏡の前。
涼ちゃんは蛇口の水で顔を洗った。
冷たい水が気持ちいい。
けど、咳が止まらなかった。
「っ、けほっ……はぁ……」
体の奥から、熱の名残のようなだるさが湧き上がる。
鏡に映る自分の顔は青白くて、
自分でもびっくりするほど“疲れて”見えた。
「なんでこんなことになってんだろ」
小さく呟いて、袖を握りしめた。
⸻
「おい、大丈夫か?」
振り返ると、若井が立っていた。
ドアの向こうで少し焦った顔をしている。
「……聞こえてた?」
「咳、すごかった。もう隠せねぇって」
涼ちゃんは何も言わず、
ただ苦笑いした。
「ほんと……バレるの、早いよね」
若井はため息をついて、
手を伸ばしかけて、途中で止めた。
「帰ろ。送るから」
「大丈夫、歩ける」
「いいって。夜風、冷えるし」
⸻
店を出ると、
空には少しだけオレンジが残っていた。
蝉の声がかすかに聞こえる。
季節はまだ秋に入りきっていない。
二人並んで歩く夜道。
信号の明かりが、静かに照らしていた。
「ねえ。涼ちゃん」
「……なに」
「俺、なんもできないけど……
それでも、見てるだけはやめないから」
その言葉に、
涼ちゃんの肩が小さく震えた。
「……ありがと」
その声は、
涙の奥から、やっと出てきたように柔らかかった。