テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
鷹槻れん

10,336
#極道
鷹槻れん

8,678
latte
299
latte
1,171
瑠璃香は静かに頭を下げる。
これ以上言葉を重ねる必要はない。
伝えるべきことも、受け止めるべきことも、お互いすべて伝え終えたのだ。
「それでは、失礼いたします」
瑠璃香が退室しようとすると、ドアのそばへ立っていた藤代が静かに扉を開き、瑠璃香が通りやすいよう身体を引いてくれる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
すれ違いざま、視界の端で、藤代が一瞬だけ盛晴へ視線を向け、それに盛晴が小さく頷くのが見えた。
言葉はなくても通じ合っている。
そんな風に見える二人に、瑠璃香は胸の内でそっと
(私も晴永さんと……いつか、何も言わなくても通じ合える伴侶になりたいな)
そう希った。
***
社長室の扉が閉まる。
(……終わった)
胸の奥に張り詰めていた緊張が、少しずつほどけていく。
(企画宣伝課へ戻らなきゃ)
そう思って歩き始めた、その時だった。
「小笹さん」
後ろから穏やかな声が掛かる。
振り返ると、社長室から出てきた藤代が立っていた。
「もう少しだけ、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「え?……あ、はい」
「では、こちらへ」
案内されたのは、社長室のすぐ近くにある小さな会議室だった。
藤代が扉を開ける。
「どうぞ」
促されるまま中へ入る。
小会議室には小さなテーブルを挟んで、二人掛けのソファがふたつ、向かい合わせに置かれているだけだった。
藤代に勧められるままソファへ腰を下ろすと、藤代はその対面に座して姿勢を正した。
「突然このようなお時間をいただき、申し訳ありません」
「いえ」
瑠璃香も背筋を伸ばす。
謝罪の続き……ではない。
そんな気がした。
藤代は穏やかな笑みを浮かべる。
「実は小笹さんに、ご相談したいことがあります」
「相談……ですか?」
「はい」
短く頷く。
藤代は瑠璃香の反応を確かめるように間をあけると、静かに言葉を続けた。
***
「え?」
思いもよらない話に、瑠璃香は思わず目を見開いた。
「……本気……ですか?」
「もちろんです」
「……」
驚きのあまり、それ以上言葉が続かない。
藤代は終始穏やかな表情のまま、ゆっくりと説明を続ける。
瑠璃香は余りのことにどう反応していいか分からないまま、ただ茫然と藤代の前に座っていることしか出来なかった。
***
会議室を出る頃には、すでに午後の日差しが廊下へ長く差し込んでいた。
藤代へ一礼し、一人エレベーターへ向かう。
ボタンを押す指先が、少しだけ震えていた。
静かな電子音とともに扉が開く。
誰も乗っていない箱へ足を踏み入れ、「閉」のボタンを押した。
ゆっくりと閉まっていく扉の向こうで、藤代が静かに会釈するのが見えた。
箱が静かに下降を始める。
鏡張りになった壁へ、自分の姿が映っていた。
どこか心ここにあらずな表情をしている。
(うそ……だよ、ね……?)
胸の奥で、先ほど聞いた言葉が何度も繰り返される。
思ってもみなかった提案。
受けるにせよ、断るにせよ、他言は無用だと釘を刺されている。
『もちろん、新沼社長補佐へも漏らさないようお願いします』
頭の中で藤代秘書の声がよみがえる。
(どうすればいい……?)
瑠璃香は小さく息を吐くと、鏡に映る自分へ向かってそっと問いかけた。
***
「ただいま」
何とか午後からの仕事を終えて帰宅すると、回し車を回していたなまこが、ふと立ち止まってケージの端へ寄ってきた。
「ただいま、なこちゃん」
晴永がいなくなってからこちら、寂しくてなまこにやたら話しかけていたら、いつのまにか〝なまこ〟が縮んでそう呼びかけることが増えていた。
優しく声を掛けると、なまこは何事もなかったかのように回し車へ乗り、楽しそうに走り始める。
その姿を見ていると、不思議と肩の力が抜けた。
バッグを置き、ケージの前へしゃがみ込む。
小さくて丸っこい身体は、今日も変わらず元気だった。
だからだろうか。
誰にも言えない胸の内が、自然と口をついて出る。
「……私に、できるかな。なこちゃん」
なまこは答えない。
ただ、短い足の残像が見えるのでは? と言わんばかりの勢いで回し車を回し続けている。
あまりに早く走りすぎたからだろうか。そのまま勢い余って身体が一回転し、ぽすん……と床材の上へ転がった。
「きゃっ。なこちゃん、大丈夫!?」
心配する瑠璃香をよそに、なまこは何事もなかったようにむくりと起き上がると、また回し車へ駆け戻っていった。
「もう、なこちゃんったら」
瑠璃香は、なまこのお陰で、肩の力をふっと抜くことが出来た。
コメント
2件
藤代さん、何をお願いしたんだろ? なまこちゃん、可愛いけど、何を言われたのか気になりすぎてっ!
わあ、瑠璃香さんが藤代秘書からまさかの相談を受ける展開……!「社長補佐にも漏らさないで」という釘の刺し方が不穏で、胸がざわつきました。最後のなまこちゃんとのほっこりシーンで少し救われたけど、何より「私も晴永さんと何も言わなくても通じ合える伴侶に」という瑠璃香さんの心中が切なくて。次が気になります!