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弾けない、じゃなくて弾かない、という言葉に少しあれ、と感じたけれどそれ以上聞くことは許されない空気感が漂っていて、追求することは憚られた。
「すみません、先輩はピアノとか似合うなぁって思ったから··· 」
「ううん···さ、食べたしそろそろいこっか、元貴」
そのあとはいつもの涼ちゃん先輩で、俺はこの質問もその答えも自然と記憶の隅に追いやってしまっていた。
その後も毎週金曜日に昼食を共にして、先輩が動物好きなこと、ひとりっ子であるということ、歴史とか覚える授業は苦手なこと。俺と同じゲームにハマっていること···色んなことを知ることが出来て、その度に嬉しくなりやっぱり好きだなぁとドキドキすることも増えていった。
恒例の金曜日いつも通り先輩と昼食をとった午後、俺はつい授業中に居眠りをしてしまい、先生から罰として授業で使った資料などを片付けるように言われてしまった。
放課後、離れた別棟へ荷物と部屋の鍵をもって人気のない廊下を歩いていく。美術室や資料室など普段授業では使用しているが今は静けさしかない。
その時、目的の部屋までもう少しという場所でピアノの音が聞こえた。
立ち止まった部屋はすりガラスで、扉はピタリと閉められて中の様子はわからない。
俺は重たい資料をさっさと片付け、ピアノの音が聞こえる部屋の扉に身体を寄せて耳を澄ました。
···凄く難しそうな曲なのに、上手だし、柔らかくて心地良い。それに 柔らかなのに時に力強くて、心に響く、そんなピアノだった。
一体誰が弾いているんだろう···。
扉の近くに座り壁にもたれかかって、しばらく2曲目、3曲目···とその演奏に聞き入っていた。
しばらく音が止み、終わりだろうか?と余韻に浸りながらぼんやりしていると突然扉が開いて驚いた。
そしてそのピアノを弾いていたであろう人物が俺がよく知っているひとだったから、余計にびっくりしてしまう。
それにそのひとは、ピアノを弾かないっていっていたのだから。
「···涼ちゃん先輩?」
「えっ···元貴?!なんで?」
お互いしばらく見つめ合ってしまう。
「俺は先生に頼まれて資料片付けに来て···そしたらピアノが聞こえて···聞いてただけで···」
「···そう」
見つめ合ったあと、顔を背けた先輩は無言で鍵を閉め、帰ろうと足を職員室へと向ける。
「涼ちゃん先輩、ピアノ弾けるじゃないですか!凄く上手で、あんまりピアノ詳しくないけど素敵で···力強くて···凄く良かった」
慌てて感想を伝えながら興奮していた俺は思わず先輩な腕を掴んでしまう。けれど先輩は俺の腕を反対の手で掴み、そっと引き離した。
「ピアノなんか弾いてない。···元貴の勘違いじゃない 」
先輩は静かにそう呟いた。
そんなわけない。
だって、俺はピアノをここで聴いていて、この部屋から出てきたのは先輩だけなんだから。
「どういう意味ですか···?」
「ピアノなんか、僕は弾かない」
状況が飲み込めない俺は先輩が辛そうな悲しそうな顔をして帰っていくのを見ているしかなかった。
そしてその場には、俺と静けさだけが残されてしまった。